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勇者の剣 1

 まぶしい日差しを厚手のカーテンで遮り、薄暗くした部屋でゲームのコントローラーを握りしめる。

 香坂学は、虚ろな目で画面を見、指を動かしていた。


 もう何巡目かわからないほどのRPGゲーム、勇者率いるパーティーがラスボスに挑む佳境でありながらも特別の高揚感はない。手順さえ間違えなければ、あと数回のアタックで邪悪な敵は倒れることになるだろう。


「アリバイ……完全犯罪……」


 筋肉と脂肪が程よくついた大柄な身体を小さく丸め、香坂は呟いた。


 男の怒号と女の悲鳴のような叫び声が、壁を通して聞こえてきた。

 また、あの男が来ている。

 最近は、三日に一度くらいのペースだ。

 香坂は声が聞こえてくる方の壁を見やり、再び視線をテレビ画面に戻した。




 古い二階建てのアパートである。

 来年には取り壊しも決まっていて、半数近くは空き部屋になっていた。

 壁も薄く、隣の住人の生活音が聞こえる。


 母一人、子一人の家庭であった。

 三十代後半とおぼしき母親は、いつも疲れたような顔をしていた。

 若い頃ならきっとモテていたと思われる綺麗な人で、長い黒髪が印象的。

 最初は挨拶する程度だった。

 いやいや参加した地域の掃除会で少し話すようになってから、一人暮らしでは栄養が偏るだろうからと、時々食べ物を差し入れしてくれた。

 きんぴらごぼう、切り干し大根の煮つけ、ほうれん草の胡麻和えなど家庭的なものばかりだったが、どれも素朴でやさしい味だった。


「残り物でごめんなさい。食べてもらえると助かります」


 という言葉を添えて、皿を差し出す。その姿が魅力的だった。


 娘は中学三年生、笑顔の明るい快活な子供だった。

 アニメが好きで声優に憧れている。

 香坂が働いているアニメ、ゲームショップに来てはフィギュアやぬいぐるみを眺めていた。

 店が暇なときは好きなアニメの話で盛り上がることもあり、元来人見知りな香坂だったが、楽しい時間だった。


 アパートの住人の一人から、母のほうが熟女系の風俗で働いていることを聞いた。

 だが、香坂にとって特に彼女たちの評価を下げる材料にはならなかった。

 むしろ、こんな古いアパートでつつましく暮らしているのには、何らかの事情があるのだろうと同情すらしていた。




 扉が閉まる音がした。どうやら、あの男が帰ったらしい。




 男は突然現れたのだった。

 派手な服装、フチなしのサングラス、ジェルで固めたオールバック。まともな人間ではないことは確かだ。

 話によると、元旦那で娘の父親だという。

 お金をせびりに来ているようだった。

 暴力を受けたであろう青あざを、母親からも娘からも見つけた。

 警察に相談しようと進言したが、「大丈夫です。ほおっておいてください」と言うばかり。なにか脅されているのかもしれない。

 柔道経験者である香坂が力に物を言わせ、あの男を追い払うこともできるだろう。

 だが、一時的に助けたところで何も解決はしない。

 ああいう男は大事な金づるを早々に手放しはしない。

 何かするなら徹底的に……そう、息の根を止めるしかない。




 勇者の最後の一撃で、ラスボスが倒れた。

 ファンファーレの音楽が流れる。

 喜び合うパーティーの仲間たち。

 黒い雲に覆われていた空が次第に晴れていき、明るい日差しが世界に広がる。




 バレない殺人を計画していた。

 自分はもとより、動機のあるあの親子も守らなければならない。

 完全なアリバイを用意して、警察の捜査が及ばないようにしなければ。

 香坂はテーブルの上にあるチケットを手にした。




 エンドロールが画面に流れているのを見るともなしに眺めていると、チャイムが鳴った。

 平日の夕方、こんな時間に誰だろうと立ち上がり、玄関に向かう。


「西崎先生……」


 高校時の柔道部顧問、国語教師の西崎だった。

 小柄だが、筋肉質の身体で市販のスーツがいつも張り裂けそうになっている。この暑い中を今日もスーツにネクタイ姿だった。

 就職先を辞めてしまってアルバイト生活をしている香坂のことを心配して、時々顔を出してくれる。

 部屋に招き入れ、いつものように麦茶の用意をする。


「アルバイトもいいが、そろそろちゃんと正社員として働けるところを探したらどうだ?」

「はい……でも、今のままでも十分……」


 西崎の指導は厳しいものだった。

 本人も黒帯の経験者で、弱小だった高校柔道部を全国大会出場にまで導いた熱血教師。

 卒業をしてからもこうして気にかけてくれる、面倒見の良い先生だ。


「今はそうかもしれんが、将来どうする? 定職につかなければ、結婚もできんぞ」


 いつもの会話だった。


「……はあ……西崎先生、せっかく来ていただいたのに申し訳ありません。そろそろバイトの時間なので……」

「そうか……じゃあ、また出直すよ」


 西崎はいかつい顔に深いしわを作って笑った。

 香坂は心の中で頭を下げていた。

 例え人を救うためとはいえ、自分は殺人計画を立てている。

 今から、バイトなどない。

 これから殺人のための準備に取り掛かるのだ。


「まずは、酒と睡眠薬……」


 西崎を見送った後、香坂は呟いた。





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