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消えた同居人 7

 夏の夜明けは早い。

 神崎奈美が自宅マンションに戻って来られたのは、もうすっかり明るくなっていたころだった。

 長い一日だった。

 仮眠をとって、午後からまた出勤しなければならない。

 身体は疲れ切っている。

 だが、今から布団の上に横たわったとしても眠れる自信はなかった。

 奈美は迷わず、健一の部屋に入る。身体を丸めて眠っていた。


「健一、起きろ。健一……」


 身体をゆすると、薄目を開けて起きた。


「奈美……おはよう……」


 健一は傍らの時計を手に取り、


「まだ五時じゃない……お休み」


 と、また目をつぶる。

 そういうわけにはいかない。

 とにかく何がどうなっているか説明してもらわないと、安心して眠れないのだ。


「こら、健一起きなさい」


 さらに身体を揺らす。


「わかった、わかった。あかねさんが起きちゃうだろ。大きな声出すなよ」


 健一は身体を起こした。


「おはようございます、奈美さん」


 モニター画面のメイが無表情で声を発した。





「……というわけで、一つ目の謎、早乙女恵子さんを殺害した犯人は、早乙女良三さんであるという推理が成り立ちます」


 奈美は眼をしばつかせた。

 なんなんだこれは……簡単すぎる結論だ。

 つばの広い女性が訪れて帰るまでの時間内で、殺害が行われたとは考えにくい。

 それなら、もう一人、死亡推定時刻に被害者宅に現れた人物……良三が犯人となる。


「良三さんが犯人である。ということが分かれば、おのずと第二の謎、帽子の女性が誰であるかも確定できます」

「……やっぱり、良三?」

「正解です。あのマンションには防犯カメラがいくつも設置されていて、良三さんが現場に訪れていたことは隠しようがありません。だから、一旦帰ったふりをして、変装してまた現場に訪れたのです。架空の殺人犯を装って」

「なるほど……あの衣装は恵子の部屋にあったものをキャリーバッグに詰めて持ち出した……で、合ってるよね?」

「そうなります。自分の身体に合う衣装があったので利用したのでしょう」


 当然、その可能性も考えてはいたのだが、あの可愛らしい恰好をした女性が六十三歳の男性、良三だったとは……。


「あまり想像したくない姿だね」


 健一が呟いた。


「残るは最後の謎、恵子宅にあった服、下着、靴は誰のものなのか?」

「それなのよ、よくわからないのは……当然、もう答えは分かっているんだけど、あれは何なの? どうして良三はあれを恵子宅から盗み出す必要があったの?」


 良三が恵子宅から持ち出したものは、変装用の衣装だけではなかった。大きめとはいえ、キャリーバッグにあれを詰め込むのは大変な作業だったに違いない。良三の行動が奈美にとっては謎なのであった。


「年齢、性別、あるいはその人の価値観、そういったもので同じものを見ても違ったように見える事がある。これはそういう事件なのです」

「同じものを見ても、違ったように見える?」


 奈美は首を傾げた。

 意味がわからない。

 同じリンゴを見ても、誰かにとってはミカンに見える? そんな馬鹿な。


「なんかおかしな事、想像してるんじゃないの? メイ、奈美にも分かるように説明してあげて」


 健一が薄ら笑いを浮かべている。

 まさか想像していることが分かったわけでもあるまいに。


「例えば、男性に多い収集癖。ある人にとっては宝物でも、他の人にとってはガラクタに見える。

 女性が髪を短く切ったのを見て、ある人はおしゃれだと思い、ある人は失恋でもしたのかと思う」

「なるほどね。それならわかる」


 奈美は鈴本玲美宅にあった骨とう品を思い出した。

 持ち主には気に入った宝物なのかもしれないが、確かにガラクタのように見えた。

 夏の恋に向けてイメージチェンジした佐伯桂里奈の髪型を、古川警部は『失恋でもしたのか』と言った。

 それは確かに、人によって見え方が違うということである。


「健一さん、あれの画像をお願いします」

「了解」


 メイの言葉に、健一はパソコンのキーボードを叩き、画面を奈美のほうに向けた。


「奈美さん、これがどう見えますか?」


 画面にはかわいらしい少女が真っ赤なドレスを着て、窓辺から振り向いている画像だった。


「どうって……良三が恵子の部屋から盗み出したものと同じもの。

 等身大の着せ替え人形よ。

 もっとも、キャリーバッグに無理やり詰め込んだせいで、無残な姿になっていたけど……。

 最近は、こんなにきれいにできているのね。写真だと、本物の少女にしか見えないくらい」

「期待した通りの答えだね」


 健一は笑った。


「え? 違うの?」

「いえ、恵子さんは着せ替え人形として、このドールを使っていたものと思われます。

 サイズの違う服、かわいらしい下着、サイズの違う靴……なのに、生きている人間の痕跡が何もない。

 これは人形のもの以外にはありえません。

 恵子さんは若くして、部長にまでなれるほどの仕事人間でした。

 ですが、ふと立ち止まり、振り返ると友人も少ない。

 恋人もいない。

 ましてや家庭も子供もいない。

 その寂しさや虚しさ、心の隙間を埋めるように、この趣味にのめりこんでいったものと思われます。

 服をそろえ、下着を選び、履物までコーディネートする。

 恵子さんは大柄な女性であったために、こういったかわいい恰好に憧れを持っていたのかもしれません。

 部下の斎藤浩介さんが、恵子さん宅で後ろ姿を見た若い女性は、このドールだったと考えられます」


 そうだ。

 斎藤は若い女性の後ろ姿を、恵子宅で確認している。

 微動だにしない人形なのだから、後ろを振り返りもしないはずだ。


「人形遊びをしている最中に、斎藤の訪問があった。

 女性の一人暮らしだから部屋に男を入れられないと、玄関だけでのやり取りになったと思っていたけど、そもそも隠したい趣味だったからバレないように部屋に入れなかったのね……あれ? そういえば、どうして恵子はこの趣味を家族にも友人にも隠していたんだ?」

「等身大の着せ替え人形なんて、気持ち悪いと考える人間も多いと思うよ。社会的地位のあるいい歳をした独身女性が、夜な夜な人形の服を着せ替えているなんて恥ずかしくて言えないよ。それに、本来の使い方も使い方だしね」

「本来の使い方?」


 奈美は首を傾げた。


「もし、犯人が奈美さんのような若い女性なら……」

「ちょっと、メイ……若いだなんて……」

「失礼しました……若くない女性でも……」

「そこは言い直さなくてもいいの。奈美さんのような若い女性なら?」

「奈美……」


 健一が口を挟む。


「どうでもいいことでメイの邪魔をするなよ」

「どうでもいいってことはないでしょうよ。若い女性なら?」

「……もし、犯人が奈美さんのような女性なら、等身大の着せ替え人形だと見えたはずです。

 ですが、良三さんには、そういう風に見えなかった。

 あれの本来の使い方は、男性が性的欲求を満たすため、疑似××や××をするためのものです。

 良三さんは部屋であれを見つけて、恵子さんがそういう風に使っているとしか思えなかった」

「……」


 奈美は言葉を失っていた。世の中にそういうものがあることは知っていた。

 知っていたけど、あれがそうだと気付かなかった。

 確かに、自分と良三は同じものを見ても違うものとして見ていた。


「良三さんの発言にもありました。

 恵子さんは同性愛者だと……それは良三さんの勘違いでした。

 それで、恵子さんの架空の恋人を犯人に仕立て上げようと、クローゼットにでもあったドール用の履物を玄関に置き、恋人がいないことを悟られないようにあのドールを持ち去り、女装して防犯カメラに映り込んだというわけです」

「そういうことか……」


 奈美は頭を整理するように、なんども縦に振っていた。


「しかし、あのような精巧に作られた人形を捨てるとなると、処分に困るものです。

 犯行の証拠ともなるものでもありますし、一刻も早く手放さなければならない。

 だからといって、その辺に捨てて人の目にでも触れたりしたら、人間の死体と勘違いされかねない。

 深夜にこっそり、どこかに埋めに行くだろうと推理しました」


 それで、良三が犯人で、深夜に証拠隠滅の行動に出るから取り押さえろと、健一から連絡が来たのかと納得した。


「どう? これで事件は解決だし、日曜日の親子遠足は行けるんじゃないの」

「そうね……え? もしかして、そのために事件を解決したの?」

「さあね……とにかく少し寝たら? 僕も眠たい……」


 健一はごろんと横になって目をつぶる。

 奈美は今回もどうせ警察資料をハッキングしたのだろうと思ったのだが……。


「まあいいや。私も少し寝よう」


 と大きくあくびをする。


「メイ、ありがとう。ショートカットもいい感じね」と言ってドアに手をかけた。

「ありがとうございます。おやすみなさい、奈美さん」


 画面の中のメイは、やはり無表情のままであった。

 



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