消えた同居人 5
「健一! 電話鳴ってるよ」
夕食の準備をしていた岡本健一の耳に、リビングにいたあかねの声が届いた。
冷やし中華の上に乗せる薄焼き卵を焼いているところで、「はーい」と声だけかけて焼きかけの一枚を焼き終える。
急いでテーブルのスマホを手に取ると、奈美からだった。
「もしもし、奈美……そっか、今日も遅くなるのか……」
あかねの方を見ると、こちらを見ていて目が合った。
慌てて、背中を向ける。
「……うん……僕の方は構わないけど、あかねさんが……」
奈美からは二日後の日曜日、親子遠足の日も休めそうにないから代行を頼みたいという内容だった。
どうやら、事件捜査が長引きそうな様子らしい。
とりあえず、帰ってから相談しようということで電話を切る。
改めて、あかねの方を見る。
下を向いていた。クレヨンを持つ手が止まっている。
幼稚園で配られた『おやこえんそくのもりで見られるいきものたち』というパンフレットを傍らに置き、図鑑で調べてその絵を描いていた。今は緑色の鳥の制作中である。
「あかねさん、今日も奈美……ママの帰りは遅くなるそうです。もうすぐ準備が出来ますから、先に夕食にしましょう」
「うん、わかった」
あかねはまた、緑色のクレヨンで鳥の羽を塗りだす。
とてもゆっくりとした動作だった。
言いにくい……いや、言えない。
あかねはわがままを言わない子だった。
親子遠足に奈美が来られなくなったとしても、きっとそれを受け入れるだろう。それだけに、余計に胸が痛くなる。
「僕なんかと一緒だと、きっと楽しくないだろうな」
健一はキッチンに戻って呟いたのだった。
あかねがベッドに入るのを確認して、健一は自室に入り、パソコンを開く。
いつものサングラスをかける。
奈美が担当している事件は知っている。梅河町で起きた会社役員女性の殺人事件だ。
「メイ」
サングラス越しに、ショートカットで赤色のタンクトップ姿のメイが映し出される。
最近、イメージチェンジを健一が施したばかりだった。
夏の季節にとてもよく合って、かわいらしくなっている。
「こんばんは、健一さん」
「こんばんは。早速だが、事件だ。推理を頼む。まずは警察情報を入手する」
健一はパソコンのキーボードを素早く叩き始めた。
「なるほど……確かに難しい事件のようだな。百五十センチ前後の細身の女性、あるいは女装癖のある男性の可能性まで考えると、現在までに分かっている容疑者だけでもこんなにいるのか……」
被害者の父、早乙女良三。
妹の石野純子。
友人の鈴本玲美。
部下の斎藤浩介。
捜査が進めば、まだ怪しい人物が浮かび上がるかもしれない。警察の捜査が難航しているのも頷ける。
「防犯カメラに犯人の映像が残っているのに、誰なのか特定できないなんて……メイ、この間みたいに映像だけで犯人がどういう人物かわからないか?」
メイは写真だけで二十代後半と見られていた人物を、自転車通学をしている中学生だと見抜いた実績がある。
ただ、安物の防犯カメラなのか映像は荒く、夏だというのに肌の露出はほとんどないし、つばの広い帽子が肩のあたりまで隠してしまっている。
無理だろうと思いつつも、メイに尋ねてみた。
だが、メイの答えは意外なものだった。
「この人物が誰なのか、画像の分析は必要ありません。論理立てて考えればわかるものです。それに、この人物が、この時間に、殺人を犯した可能性は極めて低いと思われます」
メイはそのかわいらしい姿になっても、無表情な顔のままで言う。
「……え? 違うのか?」
死亡推定時刻に、明らかにカメラを意識した姿で被害者宅に訪れた人物である。
誰がどう見ても、この人物が怪しいと思うのではないかと感じるのだが。
「事件を整理いたします。
真相解明のためには、以下の三つの謎を解き明かすことが必要だと思われます。
まずは早乙女恵子さんを殺害した人物は誰なのか。
そして、この防犯カメラに映されたつばの広い帽子をかぶった人物は誰なのか。
もう一つは、被害者宅にあった衣服、下着、靴の所有者は誰なのか」
メイの言っていることは分かるが、普通に考えて、それらは同一人物で、その者こそが殺人犯なのでは?
「ちょっと待ってくれ……それは同一人物ではないのか?」
「おそらく、警察もそのように考えていたのでしょう。それが混乱を招く結果となりました。
しかし、この三つの謎の中で、早乙女恵子さんを殺害した人物の特定は比較的容易にできるのです」
「いきなり、真犯人の特定なのか?」
自分でプログラムし、数多の実在の事件やミステリー小説の情報をインプットさせたメイは、物語の探偵役のように、ある程度もったいつけたような推理をする傾向にある。
三つの謎があると言っておきながら、その一番重要となる謎、犯人の特定を先に済ませようと言うのだ。
「はい。重要かつ、性急に進めなければならない事案があることから、この順番で解き明かすことをご了承ください」
「性急に? なにがあるんだ?」
「犯人さんによる証拠隠滅です。おそらく、今夜動き出すことになるでしょう」
「証拠隠滅? わかった。続けてくれ」
メイの言い分だと、犯罪はまだ続いていることになる。
「犯人さんは素手で、早乙女恵子さんの首を絞めて殺害しています。
この殺害方法からは、犯人さんの計画性が感じられません」
「計画性がない……犯人が屈強な男なら、そうとも言えないんじゃないか?」
手で女性の首を絞めるなど、腕力に自信のある者なら、簡単にできそうだと感じる。
「いえ、心理的にあり得ないと考えられます。犯人さんがプロの殺し屋で、今までに何人も手で絞め殺す経験を積んでいたというのならともかく、普通は刃物なり、ロープなりの凶器を持参するとか、現場調達であっても何らかの道具を使った殺害方法を選ぶはずです」
「心理的に……」
健一は想像してみる。
誰かを殺す方法として、首を絞めるというやり方はリスクが大きいのかもしれない。
どのくらいの強さで、どのくらいの時間かかるのかわからない。
思わぬ抵抗に合い、失敗するかもしれない。
後で息を吹き返す可能性だってある。
もし、計画的に誰かを殺す目的があるのなら、ロープなり、包丁なり、金槌なりを確保しておいたほうが、確実に目的を達成できるだろう。
だから、メイは計画性がないという判断をしたのだ。
「計画性がなく、突発的な犯行だと仮定するならば、犯人さんが裏口から入り、階段を使って五階まで上る可能性も低くなります」
それはそうだろう。
わざわざ階段を使う意味がない。
「計画性がないから、防犯カメラを避けるようなことをしない。つまり、防犯カメラに映ってる帽子の女性が、やはり犯人であると?」
メイが首を横に振る。
「違うのか?」
意外なメイの反応に、混乱してくる。
防犯カメラをさけるようなことをしない。つまりは、カメラに映っている人物だということだ。
帽子の女性でないなら、もう一人の……。
「違うかどうかという話なら、違っていません。帽子の女性さんは犯人さんです。
ですが、考え方は間違っています」
「……え?」
考え方?
「帽子の女性さんが来た時には、もう被害者さんは亡くなったあとですから」
「……?」
「両手を使って首を圧迫するという殺害方法からは、こういう手順が予想されます。
出会い、些細なことで口論となり、今までに溜まっていた鬱憤が爆発した挙句、気付いたら相手に馬乗りになって首を絞めていた。
ふと我に返ると、相手の動きが止まっている。
息をしていない。
呼びかけても返事がない。
心臓の音や脈を確認する。
死んでいるのだと認識する」
健一は頭の中で映像を浮かべる。
口論に発展するまでにだって、だいぶ時間がかかるかもしれないと思う。
人を殺してしまってパニックになり、それを落ち着かせる時間だって必要だ。
「焦る。考える。
病院に連絡しようか、救命措置をしようか、諦めて警察に連絡しようか……悩んだ末に、それらをすべて放棄し、殺人から逃れることに決めた。
防犯カメラ、現場の指紋、警察の目をどうやって欺くかを考え、隠ぺい工作をする。
これらをすべてこなすのに、たった五分では短すぎます」
そうかもしれない。
計画的でなく、その場の突発的な事象であるなら、完璧な証拠隠滅をやり終えるのに、多くの時間もかかるだろう。
「なるほど……確かにそうだな。
初めから殺す目的なら、何らかの凶器を使ったほうが確実に短時間で目的を達成できるため五分でも可能だが、計画性のない突発性の殺人の場合、五分では短すぎる」
そうなると、答えは確かに簡単である。
死亡推定時刻に訪れていたもう一人の人物。
「早乙女恵子さん殺害の真犯人として最も高い可能性があるのは、早乙女良三さんということになります」




