消えた同居人 3
その日の夜遅くに、身元確認のため被害者の父親と妹が訪れた。
遺体を前に泣き叫ぶ早乙女良三は、娘たちがまだ幼かったころに妻を交通事故で亡くし、安田市で小さな板金工場を営みながら、二人の娘を育てたのだという。
白髪混じりでしかも頭頂が薄くなった頭はぼさぼさで、油染みの作業着を着た姿で訪れていた。
突然のことで気が動転していたとはいえ、普段からあまり身なりを気にしないタイプのおじさんという印象を受ける。
「恵子……どうしてこんなことに……」
その様子を奈美は冷ややかな表情で見つめていた。
というのも、防犯カメラの映像によると、被害者が帰宅して間もなく良三は被害者宅に訪れ、六時十五分に退出している。
死亡推定時刻ギリギリではあるが、現場にいたのだ。
当然、指紋も現場に残っている。容疑者の一人として考えなければならない。
「お姉ちゃん……」
被害者の妹、石野純子は結婚して小牧に住んでいるという。
幼稚園に通う子供がいる主婦であるが、彼女の到着を待っていたために遅くなってしまったということだった。
結婚して離れて暮らしているため、被害者との交流も少なくなっていたという。
犯行時刻は子供と小牧の家にいたということだが、アリバイとしては完璧とは言い難い。
少し落ち着いたところで別室に移動し、古川が切り出す。
「娘さんは何者かによって殺害されたと警察は考えています。犯人に心当たりはありませんか?」
「殺害……そんな……ありません。恵子は仕事も一生懸命で誰からも愛される……」
「お父さん、嘘は駄目だよ。お姉ちゃんは愛されるどころか、嫌われているほうでしょ」
父親を遮り、純子が言う。
「おい、純子。そんなこと、お前……」
「だって、本当のことでしょ。
会社でえらいからって人を見下したような態度、性格ねじくれてるのよ。
お父さんだって腹立てていたじゃない。
私たちを育ててくれた工場の仕事も馬鹿にして、汚らしいとかなんとかって言いたい放題。
何様かって話よ」
純子の物言いがあまりにも辛辣で、奈美は唖然としていた。
普通、友人知人でも被害者をいい人だったと言うものである。
心理的に亡くなった方を悪く言うのは、はばかられるからだ。だから、家族の評判は特にあてにならないことが多い。
なのに、妹の口からここまでののしられるとは、被害者の性格は相当ひどいものだったのかもしれない。
「刑事さん、確かに恵子は気が強くて高飛車なところもありますが、根はやさしい娘なんです。本当なんです」
「お父さん……」
若くしてしかも女性でありながら部長職というので、会社内で敵が多いタイプなのかと思っていたが、性格的にも人の恨みを買いやすいタイプなのかもしれない。
これは、容疑者の幅が広がることを意味することになる。
「良三さんにお伺いします。本日夕方、恵子さんのマンションに訪れていますね。どういったご用件でしたか?」
良三は驚いたようにハンカチから顔を上げ、眼を見開いた。
「まさか刑事さん、私が娘を殺したとでも?」
「いえいえ、ただの質問です。お気を悪くなさらないように」
良三は再びハンカチで目を押さえた後、深呼吸をして答えた。
「恵子に縁談の話がありまして、写真だけでもと会いに行きました。
いい歳して未だに独身ですから親としては心配で……。
でも、恵子にその気はないようで無駄足でした」
「なるほど……その時に、恵子さんとどんな会話をしましたか?
誰かに恨まれているとか、心配事があるとかの話はありませんでした?」
「いえ、今日だけでなく、恵子からそういう話はきいたことありません」
「お帰りの際には、お持ちでなかったキャリーバックを引いて行かれましたが、あれは?」
防犯カメラの映像によると、帰るときには大きめのキャリーバッグを持っていた。奈美もそれは確認している。
「そんなことまで知っているんですか……。
あれは部屋に物を置きたくないから実家に置いておいてくれと頼まれたものが入っています。
会社の人からもらったお土産の小物とか読まなくなった本とかです。
結局、それを取りに寄ったような形になってしまいました。
バッグも恵子の物です」
奈美は被害者の部屋を思い浮かべていた。
確かに、余計なものは置かない主義のようで、物の少ないシンプルな部屋である。
父親が来たついでに、持って行ってもらったのだろう。
「恵子さんと同居、あるいはよく泊まりに来ていた女性がいたようなんですが、心当たりはありませんか?」
「同居? そんな人がいるとは聞いたことありませんが……」
良三が口ごもり、うつむいた。
なにか思い当たることがあるのかもしれないと感じる。
「が?」
「いえ、その……身内の恥を晒すようで心苦しいのですが……恵子はレズビアンと言うのですか? 同性愛者だと本人から……」
別に同性愛者だからといって、身内の恥でもないだろうと奈美は思う。
そのような偏見はあってはならないと思うし、現にそういう世の中になりつつある。
だが、この場合、意味合いが違ってくる。
同居の友達はいない。だが、下着を預かるほどの友人はいる。
と考えるより、女性の恋人がいて、その下着を預かっているとした方が自然な考えかもしれない。
被害者が同性愛者で、その相手による犯行。
真実味のある証言だ。
「え? お姉ちゃん、レズなの? 高校の時、彼氏いたよ」
純子が驚いたように言う。
「いや、昔はそうじゃなかったけど、今はそうらしい。だから、縁談も断るようにって言われた」
さっきまで涙を拭いていたハンカチで、今度は額の汗を拭いている。
あのサイズの違う服は恋人の持ち物ということになり、愛憎のもつれによる殺人の可能性がでてくる。
やはり、犯行時刻に防犯カメラに映っていた女性……彼女による犯行なのだろうか。
「そうですか……今日はもう遅いですし、明日またお話を聞かせていただきたいのですが、明日のご予定は?」
「予定も何もありませんこんなことがあって……お前はどうする?」
と純子に向き直り言う。
「私も家に泊まるわ。旦那も明日は会社休むって言ってくれてる。進おじさんや楓おばさんも今夜中に家に来るって言ってるし」
「親戚の人が集まるわけですね。それなら警察にとっても都合がいい。明日、お住まいにお邪魔いたします」
帰宅を促し、二人が頭を下げて部屋を出ていきそうになる瞬間に、古川が声を掛ける。
「あ、あと一つだけ……お二人の身長は?」
「え? 身長ですか……百五十二センチです」
「私は……百四十八センチかな? どうして身長を?」
「いえ、参考までに聞いただけです」
古川が身長を聞いたのにはわけがある。
現場宅にあった服のサイズ、靴のサイズからその持ち主の体格を鑑定したところ、身長百五十センチ前後の細身の人物であることが分かっていた。
良三は六十三歳。人生の苦労がにじみ出ているようなやせ型の体形である。
奈美は考えてみた。
二人の娘を育てるために仕事と家事に負われる毎日。
苦労を重ねて二人ともそれぞれ立派に独立した。もう、自分のために自由に生きてもいい。
そこで、以前から興味のあった女装をしてみる。
意外と楽しい。かわいい。どんどんはまる。
もっとかわいい衣装を。もっとかわいい下着を、靴を……外出もしてみたいとなる。
だが、ご近所の目もあるためできない。
そこで娘に協力してもらって、部屋を間借り……とまで考えて、奈美は首を振った。
それはないだろう。
六十三歳の男性が例え女装の趣味があろうと、コスプレの趣味があろうと構わないと思うが、それを娘に打ち明けるのは相当の勇気がいるだろう。
また、娘のほうもそんな父親の趣味に協力して、衣装の保管をしてあげるなど、するわけがない。
自分なら、絶対しないだろう。
被害者は父親のことを嫌っていたようだし、ありえない。
やはり、あの服は良三のものではない。
純子もまた、三十四歳の子持ちの主婦とは思えないくらい細身の体形である。
奈美は想像してみた。
良三の後だけになくはないと思える。
確かに若くはないので多少イタイ感もあるが、良き妻、良き母に疲れた息抜きに姉のところで羽目を外すくらいはあるかもしれない。
姉の方も面白がって積極的に協力することも考えられる。
だが、被害者が同性愛者だというのがひっかかってきた。
妹とそういう関係なのだとしたら、同性で近親愛者でしかも不倫……複雑すぎる。
やはり、純子のものではないという結論にいたるのであった。
「今日はもう遅い。被害者の人間関係を調べるのは明日だな」
二人を見送ると古川が言った。
奈美は「はい」と力強く答えたのだが、身体からはどっと疲れが湧き上がってくるのを感じていた。
この事件は長引きそうな予感がする。次の非番が吹っ飛ぶ可能性大である。
「親子遠足が……」
奈美は静かにうなだれるのであった。




