消えた同居人 2
安田市は名古屋までの通勤に一時間とかからない。
駅裏で古い建物の多かった梅河町あたりは、再開発のおかげで新しいマンションや住宅が立ち並ぶ街となっていた。
現場はそんな単身用マンション。
その五階の一室だった。
ちょうど帰宅ラッシュ時で車も人も多い中を、奈美が運転するパトカーが到着した。
昼の長いこの季節でも、もう夕刻を過ぎ、夜のとばりが落ちるころである。
野次馬をすり抜け、黄色いテープをくぐり、マンションに入る。
オートロックはついていないので、誰でも自由に出入りできるようだが、防犯カメラの存在は確認できた。
エレベーター内でも、カメラの存在を確認する。
「被害者は早乙女恵子三十六歳、名古屋に本社を構える吉友商事広告宣伝部部長。独身の女性で、この部屋の住人です。宅配業者が荷物と届けに来たところ、ドアが開いていて遺体を発見したそうです」
制服姿の警官の説明を受ける。
奈美は被害者を一目見て大きいと思った。
身長は百七十センチくらいはあるだろうか、部屋着であろうティーシャツと下はジャージ姿で床に大の字になっている。
眼は大きく開いていて血走っている。苦悶の中、絶命したのだろうと想像できた。
「吉友商事といえば大手の会社じゃないか。女性でしかもこの若さで部長とはすごいな」
吉友商事は知っている。名古屋のそこそこ大きな企業だ。
なぜ、そんなところで部長までやっている人が、離れた都市のセキュリティの甘いマンションで暮らしているのか?
「その分、社内で敵も多かったのではないでしょうか。妬みとか……帰宅したところを絞殺ですかね?」
奈美は外傷のない遺体の首元に、うっ血したような跡を認めて進言した。
「そうだな。検視の結果を見るまでもなく、そういうことになるだろう」
これは早期解決の案件だと奈美は感じていた。
何より防犯カメラの存在が大きい。
事件と聞いて、親子遠足は健一に頼むことになるかもしれないという考えが頭をよぎったのだが、その心配もなさそうだ。
「防犯カメラもあることですし、犯人の特定も容易にできるのでは?」
「そうだといいがな……どうした?」
古川警部は、何か言いたそうな制服警官の視線に気付いて声を掛ける。
「実はこのマンション、裏口と階段がありまして、そこには防犯カメラがないんです」
まじか?
これでは、犯人が写っていない可能性が出て来る。
このマンションのセキュリティは、どうなっているんだ?
吉友商事の部長で、若い独身女性が、なんでこんなマンションを選んだ?
「警部、これ見てください。被害者はコスプレイヤーだったのでしょうか?」
小さめのタンスを調べていた捜査官のひとりが声を上げた。
クローゼットの中身は、仕事着や地味な服が並んでいる。
さすがに独身で会社の重役らしく、ブランドものとわかる生地と仕立ての洋服ばかりだ。
だが、タンスの中身は高級そうなものはあまりないが、かわいいものが多い。 コスプレ用の短め丈のナース服、女子警察官風の衣装、メイド服などもあった。
奈美は違和感を感じた。
改めて部屋を見回す。
シンプルな部屋であった。余計なものはあまりない。
冷蔵庫の中身やキッチンの様子からして、料理もしないタイプだったのであろう。
代わりに仕事用と思われる書物や書類が整理されて並べられている書斎があった。
完全な仕事人間だったのであろう。
そうでなければ女性でありながら、若くして部長などと言う役職は得られなかったのだ。
「神崎、どうした? 難しい顔をして、気になることでもあるのか?」
忙しく動き回る奈美を見て、古川が言う。
会社の重役にコスプレの趣味があるわけがないということではない。
それなりの地位にいようが、大柄な女性だろうが、三十代であろうが、そういう趣味を持つことは自由だ。
奈美が気になったのは、そのサイズである。
自分の服と比べてもやや小さいと感じるものを、被害者である大柄な女性が着られるわけがないのだ。
あれは彼女のものではない。別の女性の持ち物である。
下着を確認した。やはりと言うべきか、二つに分けてある。
大人の女性が身につけるであろうシックでエレガントな下着と、数は少ないが若い女性が好みそうなかわいい下着。
玄関へと回る。
入るときは気付かなかったが、靴が多い。
大きめサイズの靴が整理されている中、サイズの違う小さめのスニーカー、ハイヒール、ローファーなどが無造作に置かれ、しかも新品同様のようであった。
「神崎? いったいどうしたんだ?」
「警部、この部屋には被害者以外にもう一人住んでいた女性がいます。
サイズの違う服、サイズの違う靴、系統の違う二種類の下着。
これは同居人がいた証拠です」
古川は驚いた顔を見せた後、奈美に傍らに座り靴のサイズを確認した。
「なるほど、確かに同居人がいたようだな」
「はい。おそらく若くて小柄なコスプレ趣味のある女性です」
検視の結果、絞殺だと確認された。
仰向けになった被害者の上に馬乗りになり、素手で首を圧迫したことによる殺害方法だという。
体格的には男性のほうが有利だろうが、力の弱い女性でもできないことはないとうことだった。
死亡推定時刻は午後六時から七時。殺害された直後に発見されたことになる。
早速、防犯カメラの映像の解析作業が行われた。
遺体発見直前に、一人の人物が被害者宅に訪れているだろうと思われた。
つばの大きい帽子をかぶっていたため、残念ながら顔は確認できなかったが小柄な女性のようであった。
短め丈のワンピースからは、白いストッキングの華奢な足が伸びている。
手にも肘まである日焼け防止用の手袋をしていた。
彼女は五分ほど滞在した後、逃げるように現場を立ち去っていた。
「彼女が犯人でしょうか?」
「そうだな。おそらく被害者の同居人……遺体を発見してびっくりして逃げたという可能性もあるから、断定はできないが……」
同じ部屋に同居していた二人の間にトラブルがあり、思い余って殺してしまったという様子が想像できる。
証拠となる防犯カメラの映像もあるし、普通なら容疑者として同居人を任意で取り調べるという流れになるだろう。
だが……。
「同居人としての登録がないのは仕方ないとしても、写真もない、郵便物もない、生活するうえで必要なものが何も見つからない。
歯ブラシすらないってどういうことだ?
証拠隠滅にしても完璧すぎるだろうが、たった五分で、人一人殺してそれらのものをすべて持ち去ったと言うのか?」
古川の苛立ちはよくわかる。
同居人の存在に気付いたまでは良かったが、身につけるもの以外で、その人物を特定できるものが何一つ見つからなかったからである。
当然、マンションの住人にも聞き込みを行ったが、住人同士の関係性は希薄で重要な情報は得られなかった。
防犯カメラの解析にも長い時間を費やしたが、同居人らしき人物が映っていたのはこのたった一度のみであった。
そして、鑑識からの報告はさらに驚くべきものだった。
同居人と思われる人物の指紋がないと言うのである。
「どういうことでしょうか? こうなってくると、同居人などいないと考える方が自然に思えてきます」
同居人がいると主張したのは奈美であったが、その考えも改めなければならない。
衣服と下着と靴だけを預かっていた?
衣服や靴はあるかもしれないが、下着を預かる関係などあるのだろうか?




