3、対決 #3
「……………………」
「……………………」
重苦しい沈黙が部屋を包み込んでいる。突き刺すような視線がいつまで経っても僕から離れてくれない。じわじわと冷や汗を流しながら、その責めるような視線にひたすら耐える。
「……………あの、レティーツィア」
「……何かしら」
にわかに騒ぎになった晩餐会を抜け出し、僕とレティーツィアは宿の一室に戻ってきていた。
せっかくの二人きりの状況だというのに、ムードもへったくれもない。帰ってきてからというのも、レティーツィアはものすごく不機嫌そうに僕を睨み続けている。
なんていうか、整ったレティーツィアの顔立ちで睨まれると背筋が凍る。美人は怒ると恐ろしいのだと、僕は身をもって体感していた。
「えっ……と、その……」
「…………」
ベッドに隣り合って座ってはいるものの、鋭い視線は依然として僕を貫かんばかりだ。僕の心臓はドキドキしっぱなしだった。……恐ろしくて。
いい加減このままじゃいけない。どうすればレティーツィアが機嫌を直してくれるのか分からないけど、ひとまず間違いなく望まれているであろう一言を言うことにした。
「……ごめんなさい」
「……………………よ」
ぽつりとレティーツィアが何かを呟いた。あまりにも小さな呟きだったので、当然僕は聞き返す。
「え?なんて言ったの?」
「……………よ」
相変わらず小さな声。もう一度聞き返そうとしたところで、ふと異変に気がつく。
ふるふると、レティーツィアの肩が震えている。俯きがちなせいで表情もよく見えない。少し心配になって声をかけようとして──。
「──まったくよおおおおおお!!!!!」
「うわあああああああああ!!!!」
──鬼。その表情を形容できる言葉を僕は他に知らない。大音声が僕の鼓膜を盛大に揺らし、僕はベッドの上に比喩でも何でもなくひっくり返った。
「何を考えてるのよソウタ!?相手は曲がりなりにも一流の魔術師よ!?売り言葉に買い言葉で簡単に挑発に乗るなんて!信じられない!ソウタがあんな男の提案を受け入れる必要なんて全くないのよ!?ああもう、ほんと!何を考えてるのよ!本気で勝てるとでも思ってるの!?」
「うぐっ!そ、それはもちろん、勝つ、つもりでは」
辛辣なレティーツィアの言葉が胸に突き刺さる。いや、本当にその通りだ。本気で勝てるとでも思っているのだろうか僕は。
なんにせよ、このまま言われっぱなしでは僕の立つ瀬がない。僕の決意を伝えようと改めて身体を起こそうとした──が、すかさずレティーツィアに押し倒されてしまう。僕を見下ろす形で、レティーツィアは変わらぬ語気でまくしたてる。
「〈氷針〉しか使えないのにどうやって戦うのよ!相手は風系統の魔術なら到達者に匹敵するほどの使い手よ!?そんなの、そんなのソウタが──」
ぐ、とレティーツィアが唇を嚙み締める。ピタリとやんだ言葉の嵐に戸惑うばかりの僕。そのままじっとレティーツィアの様子を伺っていると、ぽたりと僕の顔に何かが落ちた。
「……レ、レティーツィア?」
一つ、二つと続けざまに落ちてくるのは──僅かな温もりを帯びた何か。はっと息を飲んで見つめる視線の先には静かに涙をこぼすレティーツィアの悲しみに彩られた表情があった。
泣いている。あまりに急なことに、僕はうまく言葉を発せず見つめるほかない。僕の肩に置かれたレティーツィアの手にぐっと力が入って、そのままレティーツィアは口を開いた。
「ソウタが、傷つくだけじゃない」
「──っ!」
ぱたりぱたりと僕の頬を濡らすレティーツィアの涙は、胸が苦しくなるほどに温かだった。息を震わせ、すがるような目で僕を見つめるレティーツィアに、僕は己の愚かさを痛烈に自覚せざるを得ない。
一体どこまで僕は愚かだと言うのだろう。レティーツィアを不安にさせまいと、そう誓ったはずなのに。そのはずなのに。
「私は、貴方が傷つくばかりの光景なんて、もう見たくない」
「……レティーツィア」
「勝ち負けなんてどうでもいいの。ソウタが負けようが、私があの男のものになんてなるわけないじゃない。どうしても従わなければいけないのなら、戦争でもなんでもしてやるわよ。ソウタが心配する必要なんてどこにもないの。なのに、だというのに」
レティーツィアは何かをこらえるように唇を再び嚙み締める。追い打ちのように涙がまた一つ、僕の頬を濡らした。
「いや。いやなの、ソウタ。もう、貴方には二度と……傷つかないで欲しいの」
「……ごめん、本当にごめんレティーツィア」
心からの謝罪を述べ、僕はそっとレティーツィアの背に腕を回す。意外にもすんなりとレティーツィアは身を任せて、ゆっくりと僕に覆いかぶさる。
そのままそっと抱きしめると、やはりレティーツィアは少しだけ震えていた。今日、晩餐会でクラウスに階段から突き落とされた時もそうだったけれど──どうやらレティーツィアは、僕が傷つくことに対して極度の恐怖を抱いてしまうようだ。
原因は言うまでもない。全ては僕が無力だったばかりに負わせてしまったレティーツィアの心の傷の所為だ。僕に力が、抵抗できるだけの力さえあればあの日のような結末にはならなかったのに。
でも、だからこそ。僕は強くなると決めた。もう二度と僕の所為でレティーツィアを悲しませないために。……その決意の下に下した判断が、今こうしてレティーツィアを悲しませているというのは笑えない皮肉だけど。
だけど、これだけはどうしても譲れない。レティーツィアを悲しませることになっても、これだけは。
「レティーツィア。僕はどれほどレティーツィアに責められても……やっぱり、クラウスの申し出を受けるよ」
「……っ、どうして」
僕の胸元に強くすがりつくレティーツィアを、同じだけ強く抱きしめる。僕はここにいると、何よりも強く伝えるために。
「これはさ、戦いなんだ。意地を、プライドを賭けた、男同士の」
「……なによ、それ。そんなもののために私を悲しませるの?」
不機嫌そうな、拗ねたような声でレティーツィアが呟く。ああ、きっとレティーツィアには笑われちゃうけど。多分、これが僕の本音だ。
「よく言うでしょ。……男には、負けられない戦いがあるってさ」
「……………ばか」
ぽすっと力ない拳が僕の胸を叩く。少ししてようやくあげてくれたレティーツィアの顔には、涙のあとが残っていたけれど。でも、そんなものを気にさせないほど穏やかな微笑を浮かべてもいた。
「ほんとに、ばかなんだから」
「うん、だよね。でもこれだけは誓って言うけど……レティーツィアを悲しませるつもりは微塵もなかったんだ」
「わかってるわよそんなの。旦那様の考えなんて、全部お見通しなんだから」
不満げに頬を膨らませて言うレティーツィアが、何だかとんでもなく可愛い。
きっとレティーツィアには呆れられてしまったことだろう。でも後悔はしてない。この勝負には、僕の大切な人が懸かってる。逃げ出すなんて有り得ないのだ。
「……はぁ。私も覚悟を決めるしかないのかしらね」
「覚悟って……なんの?」
憂鬱そうに呟くレティーツィアの言葉の意味を探る。が、よくわからなかった。一体どういうことだろうか。
そんな僕の疑問に答えようと、レティーツィアの瞳が僕を映す。
「そんなの決まってるじゃない。──ソウタを勝たせるための特訓をする覚悟」
「……ああ、なるほど」
すこし身震いしてしまう。レティーツィアが覚悟を決めたと言うことは、僕に容赦しないということに他ならない。きっと、筆舌に尽くしがたい特訓をさせられることだろう。
レティーツィアが本気で稽古をつけたら一体どうなってしまうのだろうか。少し不安にもなるけど……いや、望むところだ。きっと死ぬ気で頑張らないと、クラウスに太刀打ちなんてできないのだから。
「時間がないわ。さっそく明日から特訓するけど、いいわね?」
「う、うん。もちろんだよ、望むところ」
僕の返事を聞いたレティーツィアは、ふっ、と笑みをこぼし、すぐにその表情を引き締めた。そのまじめな表情に、こんな時だというのに少しどきっとする。
「やるからには本気よ。ソウタにその覚悟さえあれば、私が貴方を勝たせる。絶対にね」
「……もちろんだよ。僕だって負ける気はない」
「そう来なくっちゃ。……きっと辛い特訓になるわ。私もソウタも」
「大丈夫だよ。二人ならなんだってできる。そんな気がする」
レティーツィアが僕を勝たせると言ってくれるのだ、こんなに心強いことはない。……のだけど、さすがに今のは恥ずかしいかもしれない。僕には似合わなすぎる台詞だ。
でも、レティーツィアはうっとりと僕を見つめている。なんとなくわかってきたけど、どうやらレティーツィアは僕の格好つけを本当に格好いいとでも思っているみたいだ。嬉しいけど、やっぱりそれ以上に恥ずかしい。
「私も、ソウタと一緒なら何でもできる気がする。空だって飛べちゃうわ」
「いや、それは普通に僕無しでもできるんじゃ……」
突っ込んでみたけど、レティーツィアはあんまり聞いていないみたいだ。ぴったりと僕に身を寄せて、僕の体温を感じるのに夢中らしい。
いつまでたっても消えないむずがゆい恥ずかしさを感じながら、僕はふと目を閉じた。
僕は本当にクラウスに勝てるだろうか。べっとりと付きまとう不安はやはり消えることはない。そりゃあそうだ、僕は〈氷針〉しか使えない魔術師見習い。いや、見習いというのもおこがましいくらいだ。
そんな見習い未満のひよっこが到達者に匹敵するほどの魔術師とやり合おうというのだ。笑い話にもならない。
はっきり言って自殺行為だというのは僕が何よりも分かっている。だけど、不思議なことに絶望はしていない。それどころかうまくいきそうな気さえしている。
何の根拠もない。思考停止の末に生まれた現実逃避に近い希望的観測なのかもしれない。それでも本当に、レティーツィアと一緒ならなんだって出来そうな気がしているのも事実だった。
「……レティーツィア、僕は勝つよ。必ず」
「ええ。もちろんよ。私がついているのだもの」
淡い間接照明に照らされた部屋の中で、僕らは微笑みを交わす。それだけで体の底から力が湧き上がってくるみたいだった。
さあ、明日からは特訓だ。これが僕の望む未来への布石となることを、強く祈った。




