4、安息 #1
城と言うには余りに荘厳で、聖堂と言うには余りに矮小なその建造物はセフィラ教皇国の首都であるセルフィトーラに存在する。建造に百年以上の歳月を要したと言われるかの壮大な建造物は「大聖座」と呼ばれていた。
セフィラ教にとってそこは絶対的な聖域である。敬虔なセフィラ教徒であれば近づく事すら躊躇われるほど。大聖座には至高の存在が御座すが故に、大聖座とは畏怖すべきものであった。
セフィラ教に於いて世界で最も神聖な場所である大聖座は、セフィラ教皇国の政治を司る場所でもある。広大な大聖座の奥深く、足を踏み入れる事を許された一握りの者のみが立つ事のできる聖域の中枢にこそ、至高の存在は在る。
「『十一番』筆頭、エルカース=キルストラン。面を上げなさい」
天窓から差し込む光は光芒となってかの存在を照らす。手にする金の錫杖の輝きは威光そのものである。
玉座より放たれた声に従うのは異質なまでに美しい聖女だった。この場で最も崇高な存在よりも美しいが故に、存在そのものが不敬であると声高に主張するものさえいた。もちろん、そうした言説は間接的に至高の存在を貶めていると解釈されるために口にした者は尽く粛清されたのだが。
聖女の顔はベールに隠されている。この場に於けるベールの着用は即刻首を刎ねられて然るべき愚行であるにも関わらず、聖女が咎められる事は無い。彼女にだけはこの不敬行為が許されていた。
聖女はただ言葉を待つ。跪き、ベールの下から至高の存在を見つめていた。
「──話は聞きました。十一番目の秘奥を見つけたと。確かですか?」
聖女は首肯する。対するかの存在は頷き返し、発言を許した。
「間違いありません、猊下。一体どのような因果によるものかまるで見当がつきませんが、それはどうやら『例の少年』に宿っているようです」
聖女の言葉に鷹揚に頷くかの存在──セフィラ教皇国元首、教皇その人は静かに立ち上がった。
跪く聖女の元に歩み寄り金の錫杖を彼女の肩に当てる。教皇は金糸の刺繍が施された白の祭服の裾をはためかせ、厳然と告げる。
「命じます。その少年をここへ連れて来なさい。拒否するようならば如何なる手段を用いても構いません。この命は、今この瞬間より教皇国に於いて最も優先すべき使命であると理解しなさい」
「は。この命に代えましても必ずやお連れいたします」
「到達者の彼女も一緒であれば望ましい。十一番目の秘奥が顕現した以上、もはや一刻の猶予もありません。全てを伝える時が来ました」
「猊下の仰せのままに」
聖女の返答を受けた教皇が満足そうに頷き錫杖を離す。その重みを胸に刻みつけた聖女は神妙に教皇を見つめていた。
「さて、堅苦しいのはここまでと致しましょう。楽にして構いませんよ、エルカース」
「お心遣い痛み入ります、猊下」
聖女は静かに立ち上がる。はためくベールを押さえる彼女の姿に笑みを溢す教皇は年相応といった様相だった。
教皇の容姿を知る者はごく僅かである。今代の教皇が女である事は周知の事実だが、年齢や背格好などは公にされていない。
まさか誰も思うまい。アイソフィールに於いて絶大な影響力を持つセフィラ教を束ねる指導者が、齢十五程度の少女であるなどとは。
「少し待っていて下さいね」
教皇はその身に不釣り合いな金の錫杖を強く地に突き立てる。石突が甲高い金属音を響かせるのと同時に、辺り一帯の空気が「凪いだ」。
「ベールを外しても構いませんよ、エルカース」
「……猊下、このようなお見苦しいものをお見せする訳には」
「今更何を申しますか。それと、今は『猊下』ではなく『ネイファ』と呼びなさい」
「…………分かりました、ネイファ様」
聖女は観念した様子で頷く。そして恐る恐るベールをめくり上げた。
「……また『増やし』ましたね?エルカース」
「力の影響が強くなっているような気がしまして。一つだけ」
「貴女のそれは一種の秘蹟ですから、軽率に咎める事もできませんね。難儀なものです」
露わになった聖女の容貌を眺めながら教皇は小さなため息を吐く。聖女は恐縮しながら口を開いた。
「これ以上は自重した方が良いでしょうか?」
「いいえ、貴女の好きになさい。とはいえ貴女も女です。いつか何かの奇跡で、ありのままの貴女を見つめる事の出来る殿方が現れるやも知れません。その時に尻込みされぬ程度には自重した方が良いとも思います」
「ふふ、そうですわね。ならば自重すると致しましょう」
花も恥じらうような美しい微笑みを浮かべて聖女は述べる。教皇も思わず見惚れる程に魅力的な表情だったが、聖女が笑ったのは教皇の言葉を諧謔と解した為であった。
聡い教皇は当然ながら理解している。故に本意とは異なる受け取られ方をした事に不満を述べる代わり、再びため息を吐く。教皇は先程の言葉を本気で述べていたのだった。
「それで、『例の少年』……スズモトソウタ、でしたか。リネア公国で確認された虚を克したのが彼だと?」
「ええ、この目で見届けました。それはまさに奇跡……奇跡すら凌駕する恐るべき力でした」
「そうでしょう。そうでなければなりません。それは『十一番目の秘奥』などと謳われていますが、『真正秘奥書』の記述を解釈するに──それこそが原初の秘奥に他ならないのですから」
教皇の許しを得た者のみが拝謁出来る秘匿文書。その名を耳にした聖女も頷き返す。聖女は教皇から拝謁を許された者の一人だった。
「リネア公国は事なきを得ましたが、アーデント王国は大いに荒れましたよ。貴女と入れ替わりで、運良く手の空いていた『五番』が対処に向かったのですが……着いた時には『彼女』の手によって大凡粛清が終わっていました」
「『彼女』……新たな到達者ですか。ひと月ほど前にネイファ様が洗礼を執行されたばかりでしたね」
「少々好戦的な嫌いがありますが、新たな到達者が生まれる事自体は喜ばしい事です。そして、彼女が至ったのは『栄光』です」
聖女の長い睫毛が揺れる。息を呑むほど美しい金糸雀の瞳に驚きの感情を宿し、次いで心を躍らせるようにその目を細めた。
「後数年早ければ、かつての戦争の結末も違っていたかも知れませんね。ともすれば、ソウタ様が先に巡り会っていたのは白き魔女ではなく『彼女』だった可能性すらあります」
「そうですね。ですが順番は関係ありません。近いうちに彼ら彼女らは相見える事になりましょう。そして彼が真に運命を握る者であるならば、縁は彼へと収束される。貴女も例外ではありませんよ、エルカース」
「ネイファ様も、ですわね」
「……貴女にしては珍しい戯言ですね」
「冗談のつもりはありませんよ?ソウタ様はあの紅の鍛冶姫でさえ手中に収めてしまいました。彼がネイファ様を知ってしまえば、きっとその手を伸ばしてしまうでしょう」
その真剣な言葉に面食らう教皇。取り繕ったように咳払いをした後、不敵に笑って述べた。
「それは楽しみですね。最後まで彼の意志に抗えた方の勝ちと致しましょう」
「あら、私に抗う意志はありませんよ?ネイファ様の一人相撲となってしまいますが」
「……教皇に向かって何たる口の聞き様。異端審問を開きますよ」
「これは失礼いたしました。どうかお許し下さい」
語らう二人の表情は穏やかだ。それはまるで旧友同士が語らう和やかなひと時であり、共犯者が囁き合うような背徳に塗れた一瞬でもあった。
二人の関係性を知る者は誰も居ない。『十一番』と呼ばれる秘匿部隊自体、知る者はごく僅かであるため当然ではあるが。
「それにしても……スズモトソウタ、ですか。如何にして深淵の先に至ったのか大いに興味があります。一体いつの間に至ったのか、正確な時期は掴んでいますか?」
「いえ、申し訳ありません。ですが、少なくともアイソフィールに移住してからなのは間違いありません。当時、直後に彼とレティーツィア姫の周囲で事件が起きたようですが……私はそれが契機であったと睨んでいます」
「なるほど。何にせよ直接聞けば済む話でもありますね。彼の件は頼みましたよ、エルカース」
「は。仰せのままに」
仰々しく礼をする聖女の様子に苦笑を浮かべながら教皇は玉座の元へと戻る。静かに腰掛けながら、真っ直ぐに聖女を見つめた。憩いの時は終わりを迎えようとしている。
「エルカース。余り悠長に構えている時間がないのも確かです。メトラ大陸では帝国に不穏な動きが見られ、連合ギルドも何かを隠している様子が伺えます。来る終末に備え、この世界は固く結束する必要がありますが……それよりも先に激動の時代が訪れるやも知れません」
「理解しております。なればこそ私が導いて見せましょう。必ずや、猊下より賜りし御恩に報います」
「期待しています。では行きなさい、エルカース」
カツン、と金の錫杖が鳴らす硬質な響きに背筋を伸ばす聖女。再び恭しく一礼し、聖女は聖域を後にする。その背を見つめる蒼の瞳は静謐な光を湛えていた。




