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タハンの森。僕が女神に飛ばされた場所であり、因縁の場所だ。
ここは駆け出し冒険者が基本中の基本を学ぶための、いわゆる初心者育成場みたいなものだ。
薬草や薬の材料になるキノコ類、食料となる山菜もそこそこ採れ、採取の基本を学ぶ。
次に、五感の鍛錬。目で、鼻で、口で、耳で、肌で森の全てを感じる。木の生い茂るこの場所は死角となる場所が多く、僅かな油断が命取りになる。
目で見て、鼻で変化を嗅ぎ取り、口と耳で見えない味と音を聴き分け、肌で気配を感じ取る。すべてが自身の生還率に直結する重要な要素だ。
この森は奥に行くほど魔物の質が上がっていくらしいが、駆け出し冒険者育成場と言うこともあり、入り口付近であればさほど脅威となる魔物は出没しない。
魔物の質が変わる目印としてロープをぐるりと張り巡らせているらしいので、それ以上奥に進まなければ死の危険性は限りなく低い……とされている。
まあ、その限りなく低い可能性で死にかけた僕がいるんだけど、それは置いておこう。
僕は最大限警戒しながら慎重に進み、マニュアルで見た写真と同じもので、採取できるものは採取して支給された大きめのポーチに詰め込んでいく。
売ってお金にもできるし、ギルドに持っていけば回復薬にもなる。もちろんタダではないけど、既製品を買うよりも調合してもらった方が断然安く済む。
ある程度の調合スキルも冒険者には必須項目なんだけど、この世界の言語を勉強中の僕にはまだまだ先のお話だった。
そろそろ採取も頃合いだなと周囲を見渡すと―――奴がいた。
「―――ッ」
あの時の恐怖、痛みが鮮明に蘇ってきた。
呼吸が乱れ、心臓が早鐘のように鳴り始める。体は竦み、足は震え、そこに縫いつけられたかのように一歩も動けない。
どんなに体を鍛えようと、怖いものは怖い。今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。
でもそれはできない、なぜなら僕は―――。
「冒険者なんだから!」
声を張り上げて己を鼓舞し、テレシアさんから譲り受けたショートソードを強く握りしめ、バックラーを前面に構えて大きく一歩を踏み出す。
「うおおおおおおおおおおおおおお‼」
勢いづけた僕は、勢いそのままにスライムに向かって突進。大声で僕の存在に気付いたスライムが球状のボディをぶるぶる震わせて形を変えようとしていた。
「させ……るかぁっ!」
縦に伸びたゲル状のボディに、ショートソードを力一杯叩き込む。ぼよんと言う感触と共に、ショートソードがいとも簡単に跳ね返された。
「え、あれっ? うわわっ、っと、うわぁ!」
思わず間抜け面を晒して放心してしまった。その隙をスライムが見逃してくれるはずもなく、縦に伸ばしたボディを鞭のようにしならせて連続攻撃を仕掛けてくる。
がん、がんがんっと盾越しに伝わる衝撃。思った以上の重さに腰が引けてしまい、尻もちをついてしまった。
追い打ちをかけるようにしなるスライム。がつん、とハンマーで殴られたかのような衝撃が兜越しに伝わった。
「うぐ……く、くそぉ! この! この!」
少しばかりくらっと来たが、こんなもの強烈な打ち込みを受け続けてきた僕にとっては大したダメージにはならない。
すぐさま体勢を立て直し、ショートソードを何度も叩きつける。何度やっても結果は同じ。あのゲル状のボディに沈み込みはするが、ぼよんぼよんとゴムのような手応えと一緒に全て弾き返されてしまう。
どうして効かない。あんなにトレーニングしたのに、どうして。僕は熱くなっていた。熱くなって、視野を自ら狭めていたことで、気付かなった。
いや、気付こうとしなかった。
「―――しまっ⁉」
大振りの攻撃を弾かれ、体勢が崩れたところをスライムのしなるボディが狙い打つ。
がん、と盾越しに衝撃が伝わり、衝撃を殺しきれなかった腕が兜に当たり、僅かに視界がぶれた。
そのおかげで、熱がすうっと引いていく。僕は何をやっていたのだろうかと恥ずかしささえ沸き上がった。
ふらついた獲物に好機と感じ取ったのか、スライムが大きくうねり、タメを作って大味な攻撃を繰り出す。
―――刹那、鈍い打撃音が響いた。腕に軽い痺れを感じたが、こんなものすぐに回復する。
そう、こんなもの、どうってことはない。
「見えてんだよ、そんな攻撃」
そう、僕はスライムの攻撃を盾で防いでいた。防いでいたと言うことは、見えていると言うこと。
見えているのであれば、防ぐことも、避けることも、弾くことも出来るってことだ。
今しがた実践して見せた、盾を使った受け流し。
何を恐れていたのか自分でも笑えてくる。こんなの、こんなもの―――。
「簡単すぎて欠伸が出る!」
この一か月、何度も反芻して取り戻した感覚。僕が最も得意とし、必殺技と呼んでも過言ではない全身全霊の一撃。
「―――胴ぉぉぉぉぉぉぉぉっ‼」
身長差で面が狙えないことが殆どだった僕が十数年かけて磨き上げた抜き胴。上からの竹刀を防ぎ、かつ即座に攻撃に転じる僕の必殺技。
あれだけ拒絶されていた刃はするりと通り抜け、確かな手応えと共に死の恐怖を両断した。
「……良し!」
思わず拳を握りしめた。壁を突破した達成感で、興奮の絶頂にいた僕の思考を鈍らせた。
何度も何度も良し! 良し! と繰り返し、高揚感が引いてきたところであっ、と現実に引き戻された。
「コア……真っ二つにしちゃった……」
地面に転がっていた赤い石―――スライムの心臓とも言える核。
真っ二つになったコアはさらさらと砂のように崩れていき、跡形もなく消え去った。
討伐の証であることを思い出した僕は慌てた。せっかく倒しても、倒した証がなければ何の意味もない。
「……記念すべき第一号は消えちゃったけど……コツは掴めた。後は実践あるのみ!」
すっかり自信を取り戻した僕は、気合を入れ直してスライム討伐に取り掛かった。
スライムが体積を保てなくなればコアを残して消滅することに気付いたのは、それから十回ほどコアを真っ二つにした後のことだった。
先に言って欲しかったとテレシアさんに恨み言を呟いたことは言うまでもないことだ。