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「ここが……ギルド……」
僕は今、冒険者になるべくギルドの前に立っている。あれからクレイヴさんとテレシアさんにこの世界について教えてもらった。
ゲームで良くある魔王などの存在は遠い昔に滅んだらしく、今では言い伝えでしか残っていないそうだ。でも、この世界にはまだ魔物と言うものが跋扈しており、人々の生活を脅かす存在であることは変わりないらしい。
僕がいるこの場所……一目でものすごく栄えている街は王都ファンターハンというらしい。テレシアさん曰く、四つある大陸の中で最も豊かで生活の安定した都市であると自慢気に教えてくれた。
あらかた状況が把握できた僕は、クレイヴさんの言う通り冒険者になることに決めた。と言うより、ならざるを得なかった。
僕はこの世界で身元を証明するものがない。何か無いかと学生服をまさぐってみたが、ポケットには何も入っていなかった。まあ、入っていたとしてもこの世界で健康保険証や学生証が通じる訳がないのだけど。
身元が証明出来なければ、流浪民として扱われ、奴隷落ち、もしくは罪人として牢屋行きも在り得るらしい。
そうでなくともまともな職に就くことが出来ず、生活もままならない事になる、とクレイヴさんが真剣に教えてくれた。
それだけは避けないといけない。おそらく僕は元の世界に戻れないだろう。未練が無いわけじゃない。だけど、僕には戻る場所がない。
ともかく、当面の目的は生活を安定させること。ここに父さんや母さんはいない。部屋にいるだけでご飯やお金が手に入る甘い環境じゃない。
自分で稼いでなんとかしないと本当に死んでしまう。二度も死ぬのは本当に御免だ。
そしてテレシアさんの先導の元、立派な建物の並ぶ街並みでも一際目立つ大きな建物―――ギルドを見上げて、僕は茫然としていた。
「何を呆けている。ああ、人が多いのは我慢しろ。なにしろギルドは世界各地の冒険者が集まる場所だ。そしてここは王都ファンターハン。人が集うのは至極当然の事だ」
かん、と金属音が鳴り、僕が軽く小突かれたことに気付いた。
何故金属音がしたかと言うと、僕は今、テレシアさんの兜を被っている。
思い切って二人に僕の顔をどう思いますって聞いたら、テレシアさんにはナルシストかと気持ち悪がられ、クレイヴさんはどうも思わん、ただの豚だと酷い言葉を浴びせられた。
落ち込んだ僕を見て、テレシアさんがいちいち女々しい奴だ、そんなに顔が気になるならこれでも被ってろと兜を強引に被せられた。
剣道の面は汗臭くてつけるのを毎回戸惑っていたけど、この兜はすごく良い匂いがして鼻血が出そうになった。まあ、すぐに僕の汗で異臭に変わるんだろうけど。
鏡がないから今自分の姿が見えないけど、学生服に兜ってすごくシュールなんじゃなかろうか。
ファンターハン王国騎士団隊長であるテレシアさんに視線が集まっているが、それ以上に隣の僕にも視線が突き刺さる。
まあ、兜があるから何と思われようと平気なんだけど。うん、何だか自分じゃないみたいだ。すごく気分がいい。
ふふふ……と小さく笑っていると思いっきりお腹を抓られた。ちょ、痛い痛い肉がもげる!
身を捩って暴力から逃れると、テレシアさんが綺麗な顔が台無しになるほど顔を顰めて僕を睨みつけていた。
「えっと……なんでしょうか」
「下卑た笑い方はやめろ。思わずその腹を削ぎ落そうかと思ってしまったぞ。いいから早く来い。ただでさえお前のその格好は目立つんだ」
怒られてしゅんとなる僕。そんな僕を置いてさっさとギルドへ入っていくテレシアさん。
また早く来いと怒られて、僕は慌てて後を追うのだった。
◇
「ようこそお越しくださいました。当ギルドにどんな御用でしょうか」
「あ、えっと……その……」
「新規登録を頼みたい。身元を保証するものがない故、私が推薦人として登録する」
ギルドの人はそれはもう人でいっぱいだった。
猫耳を生やした人、狼そのものの筋骨隆々の人、どれもこれも見たことがない、目移りしてしまう人ばかりだ。
残念ながらエルフはいないみたいで、少しだけがっかりした。人間であるテレシアさんがこれだけ美人なら、エルフはどれだけ美人さんなのだろうかと少し期待していたんだけど。
それは置いといて、僕は受付にいる。にっこりと百点満点の営業スマイルを浮かべるこれまた美人の受付のお姉さんの質問に、思わずどもってしまう。
ええと僕、何しにきたんだっけとうーうー唸っていると、呆れたようにため息を吐いたテレシアさんが割って入ってきてくれた。
受付のお姉さんはテレシアさんと僕を交互に見やり、目を丸くさせた。
「テレシア様が……ですか。失礼ですが、この豚……いえ、恰幅の良いお方とはどういった……」
「今豚って言いませんでした? 確かにピザって言われてましたけども」
「は? 豚が人様の言葉使ってんじゃねーぞ。つか、馴れ馴れしく話しかけんな豚野郎」
はいいいいいいいいいいいいい⁉
このお姉さん見た目とギャップがありすぎる⁉ 怖い! というか怖い! 目が完全に座ってるし! 受付なのに話しかけちゃダメって何⁉
一部ではご褒美かもしれないけど僕には無理! 怖い! というか怖い!
「ルル、今は職務中だ。きちんと職務を果たせ」
「……大変失礼致しました。新規登録ですね、承りました。そちらのぶ……方の登録でよろしいですか?」
今豚って言いかけなかったか、このお姉さん。テレシアさんといい、このお姉さんといい、どんだけデブが嫌いなんですか。デブと言うより、この世界の貴族が酷いのかな……。
「ああ、すまないが少々訳アリでな。私が推薦人として登録する。確か、代筆も構わなかったな?」
そこで受付のお姉さんはおろか、周囲がざわついた。理由はなんとなく察している。
王国騎士団の知名度がどれほどまでかはわからないけど、その隊長を務めるテレシアさんが直々に僕を推薦し、なおかつ身元を保証する。
当然僕は何者なのかと思われるだろう。中には快く思わない人も出てくる。できれば穏便に済ませたいとぼやいてたクレイヴさんの杞憂がはっきりわかった。
僕は目立つ。見慣れぬ衣服。あまり良く思われない体型。そしてなにより、テレシアさんの存在が強く人目を惹きつける。これで目立つなと言うほうが無理な話だ。
「……テレシア様」
「冒険者に訳アリが多いのはお前が一番良く知っているだろう。こいつもその一例だ。何も珍しい話じゃない。ルル、私が推薦人だ。当人が文字を書けない場合、推薦人、またはギルド職員によって代筆が認められているはず。さて、何か問題でもあるか?」
有無も言わさぬ迫力のテレシアさんと、しばし見つめ合うルルと呼ばれた受付のお姉さん。
息の詰まる空気の中、受付のお姉さん……ルルさんが僕にぎろりと三白眼を向けた。
それを制するように、テレシアさんが受付のテーブルをこつこつ、と指で叩く。
テレシアさん、僕、テレシアさんと視線を行き来させ、小さく息を吐いて目を閉じる。
「ファンターハン王国騎士団隊長が推薦人。彼はそれほどまでの人物でしょうか?」
「まさか。見た目通りだ。今はまだ……な」
そう言ってテレシアさんが僕に向かって微笑みを浮かべる。
どきっとした。思わず好きですと言いそうになった。言ったら腰にぶら下げてある剣で言葉通り削ぎ落されるだろうけど。
それよりも過度な期待はやめていただきたい。この騒ぎを見ればテレシアさんがどれだけ有名かなんて言葉にせずとも理解できる。
こうするしかないとわかっているけど……これは、きつい。重圧で潰されそうだ。誰かに期待されることほど辛いものはない。
でもやるしかない。と言っても、具体的に何をするかはまだ何もわかっていないんだけども。
「……かしこまりました。では、こちらに記入をお願い致します」
「うん、理解が早くて助かる。いやあ、持つべきものは良き友人だなあ」
「テレシアあんた、後で覚えとけよ?」
「ん? あれはギルド長か? 久し振りに挨拶しておこうか」
「……速やかに記入をお願いします、テレシア様。後が閊えておりますので……てめえ覚えてろマジで」