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「……ふっ、せいっ……ふっ、ふうっ……」
早朝、僕はただただひたすらに畑を耕していた。
無心になって鍬を振り下ろす。この時だけは余計な雑念が入らず、それだけに集中できる。
油断するとどうしても考えてしまう。考えて、どうしようもない不安と焦燥感が襲い掛かって、いても経ってもいられなくなる。
「あらフサオちゃんおはよう。今日も精が出るねえ」
「あ、おはようございます」
悪い方へと沈みかけた思考を掻き消すように、後方から声がかかった。
手を止めてそちらに振り向くと、とても穏やかに微笑む女性―――この里の長であるアンヌさんがゆっくりとした足取りでこちらへ歩いていた。
アンヌさんも里の人たちと同じく竜人であり、人間である僕と見た目が大きく異なる。
さすがに翼や尻尾はないけど、所々に見える鱗や、縦に割れた細い瞳が竜人たらしめる何よりの証拠だ。
始めは少し驚いたけど、今ではもう見慣れたものでなんとも思わない。
里の人たちもそれは同じようで、今では人間である僕を家族のように暖かく迎えてくれている。
それが嬉しくて、少しだけ……苦しかった。
「あら、今日は一人?」
「あ、はい。ラムダはいつも通り浜辺で、ヘクトールさんは何か準備があるとかで、森の方に行きましたよ」
「あらまあ、もうそんな時期だったかしら。私も準備しないとねえ……それはそうと、はい、差し入れ。今日はシャケとプルゥヌのおにぎりだよ。フサオちゃん、これが好きだったわよね?」
「いつもすみません。……ん、美味しい! やっぱりアンヌさんのおにぎりは格別ですね!」
手渡されたおにぎりを口に入れ、素直な感想が零れる。
お世辞抜きでアンヌさんのおにぎりは美味しい。
米の固さ、塩加減、これらが絶妙な塩梅で噛めば噛むほどに旨味が増していく。
これだけでも十分美味しい、しかし島で獲れた活きのいいシャケの切り身、アンヌさん特性のプルゥヌ(梅干しそっくりの果実)が加わることによって、ただのおにぎりが一流の美食へと昇華すると言っても過言ではない。それだけこのおにぎりは美味い。いやほんと冗談抜きで。
僕もためしに作ってみたけど全然味が違った。何が違うのか不思議でたまらない。アンヌさんに聞いても「年季の違いかねえ」って笑ってはぐらかされたし。確かに竜と人じゃ年季が違うでしょうけど……腑に落ちない。
「……もう、里には馴染めたかえ?」
「……そう、ですね」
言葉を濁した。ここでの生活は今日で一週間ほど経つ。ヘクトールさん、ラムダの紹介もあって異物として爪弾きにされるようなことはない。
寧ろ家族同然として暖かく迎え入れられている。種族の垣根を越えて、こんなに嬉しいことはない。
だけど……僕の心境は穏やかではない。穏やかでいられるはずもない。
向こう側にいる、仲間たちのこと。
ナナリーは無事なのか、エメロッテ、クエルはどうなったのか、考えるだけで今すぐここを飛び出して会いに行きたい。
不安と焦燥は日を増すごとに募るばかり。けれど、今の僕ではどうしようもできない。それが歯痒くて、悔しくて……悲しかった。
「フサオちゃん、無理はダメよ。大丈夫、ご先祖様もフサオちゃんを見守ってくださっているわ」
「あ、はい。大丈夫です。おにぎり、美味しかったです。いつもありがとうございます」
それから一言二言交わし、ヘルツさんのところに用事があるアンヌさんと別れた。
一旦作業の手を止め、里をぼんやりと眺めてみる。
早朝と言うこともあり、人の姿はそう多くないけど、ぽつぽつと数を増やしている。
そろそろ皆起きて、活動を始める時間帯だ。……となれば、そろそろ来る頃かな。
「おーいフサオー! 稽古しようぜ稽古ー!」
「うわっ、とと……」
それを予想すると同時に、腰辺りに軽い衝撃が走った。
なんとか踏ん張り、苦笑交じりにそちらを見ると、キラキラした瞳で僕を見上げる少年とばっちり目が合った。
そのちょっと後ろに立つ、いかにも気の弱そうな少女がぺこりと会釈した。
リュシとリュカ。里では珍しい双子の竜人であり、ラムダの友達だ。
最初は警戒して遠巻きに見て来るだけだったけど、今ではこうして気兼ねなく接してきてくれる。
兄であるリュシは何かと稽古にかこつけてチャンバラごっこをしたがるが、妹のリュカはわんぱくな兄と比べて非常に大人しい。
ただ、気付いたら背後でじーっと見つめてることが多いから心臓に悪い。
まあ何にせよ、この二人が来たことで僕の忙しい一日が始まる。
「はいはいわかったわかった。はいリュシ、これを持って」
「え、これクワじゃん。稽古稽古ー!」
了承した僕に、ぱっと目を輝かせ、身を離すリュシ。そんな期待に満ち溢れている少年に、僕はそっと鍬を手渡す。
当然思っていたものと違うだろうリュシは不満を露わにして地団太を踏む。
そんなリュシに、僕は努めて柔らかく微笑み、首を横に振って、
「強くなりたいのなら足腰の鍛錬も必須だよ。さあ僕を真似してせいっ! せいっ!」
「ええー……」
手本となるように鍬を振るい、畑を耕していく。
予想通り、リュシの反応はすこぶる悪い。里一番の戦士になることを夢見る少年は地味で疲れる作業を嫌うのだ。
遊びに付き合うのは全然構わないけれど、兎にも角にも基礎体力があることが大前提だ。
嘘は言っていない。畑仕事は地味だけど足腰の鍛錬にもってこいだ。
強くなるために必須事項とも言っていい。決して稽古にかこつけて楽しようなんて思ってない。……思ってないよ?
「そんなんじゃ、里一番の戦士になんかなれっこないよ? あれれー? リュシは言うだけの男なのかな?」
「んなっ……! やったろうじゃん! ふん! ふん! ふんりゃあ!」
「あ、作物は傷つけちゃダメだよ。あとでヘクトールさんにこってり怒られるからね」
「う……ふん! ふん! まだまだ! せい! せい!」
上手くリュシを誘導し、やる気にさせたところで僕も仕事に集中する。
リュシは面倒くさがりでこういうことをやりたがらないが、根が真面目すぎるので一度手をつけると決して投げ出さない。
子供とはいえそこは竜人、僕とほぼ同じくらいの速さで土が耕されていく。よしよし、これならお昼過ぎまでには終わりそうだ。
リュカはと言うと何も言わずにせっせと畑の雑草をむしり取っていた。リュカは何を言うわけでもないのに僕のやることを率先して手伝ってくれる良い子だ。
何でだろうと一度聞いてみたけど、そっぽを向いて答えてくれなかった。やっぱり女の子って不思議だ。
「……ふう。今日はこんなものかな。さて、リュシ……ってあれ?」
「……ふひー、ふひー、も、無理……」
あらかた耕し終えると、ちょうどお日様が頂点に達するちょうどいい時間帯に差し掛かっていた。
いい具合にお腹も減ってきたし、そろそろお昼にしようかとリュシたちに声をかけようと振り向くと、リュシが畑の上で大の字に寝転んでいた。
どうやら張り切りすぎて力尽きたようだ。子供って限界まで遊び尽くして、突然電池が切れたように爆睡するよなーと思わず笑ってしまった。
「力入れ過ぎだよ、もっと効率よく筋肉を使わなきゃ。よし、そろそろお昼だけど、何か」
「はんばぁぐ!」
倒れているリュシを起こし、土を払い落して綺麗にしたところで何か作ろうか? と聞こうとする前に、やや食い気味で答えが返ってきた。
有無も言わせぬ迫力のリュシに苦笑し、草むしりを終えてこっちに集まっていたリュカにも目でどうするか聞いてみる。
リュカもリュシと同じくそれでいいと何度も頷いていた。
「……ほんと好きだね。はいはい、すぐ作るからラムダの家に行こうか」
「うん!」
昔母さんと姉さんに教わって作ったものだけど、なかなかに好評だった。
しかし、どこの世界も子供はハンバーグが好きなようだ、とどうでもいいことを思いながらリュシとリュカを連れてラムダの家へと向かうのだった。




