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「うわ、凄いな……」
「そりゃあここがセントガイムの玄関なんだし、栄えてて当然でしょ」
「潮の香り……なんだか落ち着きますね」
「……人が、たくさん……」
眼前に広がる光景を一目見た僕の、ぽろっと滑り出た言葉。
入り口からでもはっきりと伝わる街の喧騒。右を見ても左を見ても人々がひしめいており、ファンターハンと同じ……いや、それ以上の活気に満ち溢れていた。
市場と思しき場所で叩き売りをやっていたり、珍しい商品を並べている露店が沢山あったりと、歩いているだけで目移りしてしまうものばかりだ。
そして何より、行き交う人々の表情がどれも明るい。見ているこっちまで気分が高揚して、そこかしこから漂ってくる美味しそうな匂いに誘われるまま色んなものを食べて、買って、騒いでしまいそうだ。
それくらい、この港町フォレオフィッツは賑々しくも活気溢れる街だった。
フォレオフィッツを見た皆の反応は三者三様だった。
エメロッテはさも当然のように澄ました顔をしていたけど、ここらじゃあまり見る事のない小物をちらちらと覗き見ていた。
ナナリーは初めて海を見たらしく、潮の独特な匂いを胸いっぱいに吸い込んでご満悦の様子だ。
クエルはと言うと、たくさんの人の流れを見て目を回しているようだった。
―――あの後、クエルは突然気を失ってしまった。急いでナナリーを起こし、容体を確認してもらったところ命に別状はなく、ただ眠っているだけと聞いてほっとしたのも束の間、一体何があったのかと当然問い詰められた。
僕は、答えることが出来なかった。
ウルトルと名乗る者を前にしたクエルの怯え方は明らかに異常だった。クエルは奴を知っていると言っていた。
知っているだけであって、奴がなんなのかは当然知らない。これはクエル自身から聞いたことだ。
けれど奴は、ウルトルは言い伝えとして今も残る、魔王の復活を悲願としていた。災厄の王として、今もなお人々に絶望の象徴として残り続ける世界に破滅を齎すもの。
そんな相手を知っているとなれば、ナナリーやエメロッテはクエルをどう思うだろうか。出来れば、余計な混乱は招きたくない。
クエルのためにも、皆のためにも……だ。
そういった経緯があり、僕はクエルが突然こっちに来て倒れた、と誤魔化すことしかできなかった。
慣れない馬車の移動で疲れたのだろうと、ナナリーが自己解釈してくれたおかげで事無きを得た。
けれど、いつまでも黙っているわけにもいかない。いずれ話す必要が来るまで、これは僕とクエルだけの秘密だ。
幸いクエルは自ら進んで話そうとはせず、寧ろその話をしようとするとまた震え始めるのでこの話題には触れない方がいいと判断して、今に至る。
「……?」
「……どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ」
と、背後から視線を感じて振り返る。ごった返す人の流れが見えるだけで、僕に注視しているような人物はどこにも見当たらない。
おかしいなと首を傾げると、隣にいたナナリーも不思議そうに小さく首を傾げた。
気のせいだろうと頭を振ってそれを打ち消し、ナナリーに向けて笑顔を見せる。
そうですか、と小さく微笑み返してくれるナナリーは本当に天使だ。そのままでいて欲しい。これからも僕の癒しであってください。
色んなものに目移りしてしまい、商人の巧みな話術でついつい買い物をしてしまいそうな場面も多々あったけど、財布の紐をしっかり握っているナナリーのおかげで一直線に船着き場に辿り着くことが出来た。
クエルなんかは人込みに当てられてちょっとぐったりしてるし、エメロッテに至っては目当てのものがあったのかちょっとくらいいいじゃないとぶちぶち小言を呟いていた。
まあ今は悠長に買い物している余裕があるとは限らないし、この人込みの中にアスガルドの刺客がいると考えただけでもぞっとする。
今のセント・ガイムでゆっくり落ち着ける場所はどこを探してもないだろうし、アジーンに着いたとしても向こうは熱砂に覆われた未知の世界。
今のうちから気を引き締めていても問題はないはずだ。
「あの、すみません。オプトレライアスに行きたいんですけど」
「ん、ならあの船だ。すぐに出るから急ぎな」
アンガスさんを彷彿とさせる筋骨隆々のマッチョメンに行き先を尋ねると、船着き場の奥の方を指さし、特に焦った素振りも見せずに走らんと間に合わんぞと端的に告げられたので、僕たちは慌ててメルマリッジ行きの船へと駆け込んだ。
本来であればチケットを買って乗船するものらしいけど、急ぎであったことと、僕たちが冒険者であったことが幸いして無事乗船できた。
次からはタグを提示してくださいと船乗りの人に怒られたことは言うまでもない。
「船の旅って初めてだ。もうあんなにフィレオフィッツが小さくなってる」
出航してすぐに客室に案内されると、クエルとエメロッテが即座にダウンした。
クエルは人酔いがまだ後を引いており、エメロッテに至っては船酔いしたらしく二人とも早々に横になったらしい。
女子だけの部屋に入るのも気が引けるし、ひとまずナナリーに看病してくれるということで、暇になった僕は甲板に出て景色を眺めることにした。
肌を撫でる潮風がとても心地よい。どんどん小さくなっていくフォレオフィッツの街を眺めつつ、鼻腔から突き抜ける潮の香りを胸一杯に吸い込む。
海なんて久し振りだ。確か、最後に行ったのは中学生の頃だったかなあ……。
そんなことを思い出しつつ、感傷に浸っていると甲板に続く扉が開く音がした。
誰か来たのかな、と振り返ってみると、潮風に煽られてはわわっ、と可愛らしい声を上げて驚くナナリーの姿が見えた。萌えた。萌え死にそうだった。
思わずデュフッと笑ってしまいそうになるのを堪えた。けれど、ナナリーが一瞬猫みたいにビックゥ! と跳ね上がった。……どうやら声が漏れてしまっていたらしい。
僕を僕だと認識するまでのナナリーはそれはそれは嫌悪感を剥き出しの、底冷えするような冷たい目をしていました。
「ああ、フサオさんですか……」
「なんでなんだお前かみたいな言い方なの? ねえなんで?」
「え、いえ、気にしないでください。たまにフサオさんは本当にキモ……気持ち悪いので」
「今海に飛び込んだら気持ちいいだろうなあ……」
「冗談でも怒りますよ?」
「あっはい」
傷心する僕が海に飛び込もうとしたところで、ナナリーがにっこりと笑った。ただし目が笑ってない。
めがっさ怖い。なので大人しく手すりに凭れ掛かったままどこまでも続く青い海を眺めることにした。
「私、海って初めて見るんです。とても綺麗で……少し、怖いですね」
怖いとはどうしてだろうか。まあ、確かに海の底に何がいるかわからない恐怖感はあるけど、眺める分には問題ないと思うけども。
海を見たことがないと言っていたけど、どうやらナナリーは故郷からファンターハンまでずっと馬車で移動していたらしい。
せっかくの景色を見ることができなくて残念、と言っていたけど、今はこうしてみることが出来て満足しているようだ。
「そういえばクラゲっているんだろうか、この海」
「クラゲ?」
「海の生き物だよ。半透明で、キノコの傘に足が生えたみたいな……」
「ああ、ジェリーフィッシュですね。それも魔物の一種ですよ」
「ですよねー」
知ってた。なんとなく予想はついてた。しかもジェリーフィッシュは割とでかいらしい。
クラゲがどうとか、エイがどうとか他愛のない話をしつつ、海を眺めることしばし。
話題が尽き、無言の時間が流れたところで改めて言おうと思っていたことをナナリーに言うことにした。
「……ごめんね、巻き込んじゃって」
「何があろうと、私はフサオさんを信じてついていくだけです。あそこで怒らなきゃ、フサオさんらしくないですしね」
クエルの件に関して、半ば強引に仲間にしようと言い出したのは僕だ。しかもナナリーとエメロッテには何の相談もなく、だ。
あのまま放っておけなかっただとか、いろんな言い訳が頭をぐるぐる回るけど、素直に謝ることにした。
謝って、ちゃんと受け止めよう。そうしないとこれから先、やっていけなくなる。仲間とは信頼の元に成り立っているものなのだから。
どんな罵倒も叱咤も甘んじて受け入れようと覚悟を決めていたのだが、ナナリーは怒るでもなく呆れるでもなく、ただそっと、静かに微笑んだ。
どうしてこの少女は僕を手放しで信頼してくれるのだろうか。
どうしてこんなにも、人に優しく出来るのだろうか。
ナナリーの暖かな優しさに触れて、やっぱり僕は涙ぐんだ。
ああ、潮風が目に染みて前が見えないや。仮面があって良かったと、この時ばかりは仮面に感謝した。
「それより、フサオさんが優しくするのは女性だからですか?」
「それは酷い誤解だ。助けた人が総じて女性だったってだけ……何その疑いの目は。例え男であっても目の前で困っている人がいたら助けるでしょ、普通」
「……ふふ、そうですね。ちょっとからかってみただけです」
ちょっとだけしんみりとした空気から一転して、ナナリーがじっとりとした目付きでそんなことを言ってきた。
こればかりは僕も言わせていただきたい。確かに助けた相手が皆女の子だからちょっとだけ、ほんのちょっぴりだけ張り切ったのはあるけど相手が誰であろうと態度を変えているつもりはない。
それに困った人を見て見ぬ振りするのは僕が目指す英雄像なんかじゃない。英雄はいつだって弱者の味方なのだ。
まあ、要はかっこつけなんだけど、これに関しては誰であろうと譲る気はないし、わかってもらおうとかそんなことは思ってない。
くすくすと小さく笑うナナリーに意地悪だなあと苦笑していた時。
―――また視線を感じた。
「……フサオさん?」
「……今、僕たちの他に誰かいた?」
急に辺りを見回し始めた僕を不審に思ったのか、ナナリーが神妙な顔で尋ねてくる。
昨日の夜からふとした拍子に視線を感じるようになった。
原因があるとすれば―――ウルトル以外考えられない。
見られている。一体どこから? なぜ? どうして僕を監視するようなことを―――。
『人間の癖に、分不相応のものを持つ者ではないよ』
はっと、ウルトルが言っていた言葉が蘇った。奴はこの仮面が何なのか、知っている。
この世界のどの技術にも当てはまらない、オーパーツとも呼べるこの仮面を監視しているとでも言うのだろうか。
どっ、と汗が噴き出していた。今もこうして僕を監視し、あの時のように嘲笑っているのか。
思考がうまく働かない。あるのはあの時、体に刻み込まれたとてつもない恐怖。
ダメだ、震えが―――。
「いえ、甲板には私たち以外誰も―――っ」
と、ナナリーが言い終える前に、船体が大きく揺れ動いた。
突然の事に受け身を取る暇もなく、倒れそうになったナナリーを庇って倒れ込み、すぐさま起き上がって周囲を見回した。
「なんだ⁉ 地震⁉」
「海の上で地震なんてあるわけないじゃないですか‼ 敵襲です!」
未だに激しく揺れ動く中、ナナリーの大声のおかげでこの振動が魔物の仕業であることに気付けた。
だが、こんなに足場の悪い場所での戦闘なんて経験したことがない。
立つことすらままならない状況下で、僕は踏ん張って転ばないようにするだけで手一杯だった。
やがて揺れは激しさを増していき、巨大な水柱を伴って、それは姿を現した。
それと同時に、甲板に船乗りたちが次々と飛び出してくる。
船乗りたちは海中から姿を現したそれを目にした瞬間、絶句し、信じられないとばかりに大口を開け、僕たちを遥か高みから見下ろすそれを見上げていた。
「水蛇竜……⁉ 墓場にしか生息しない水竜種がどうして……⁉」
船乗りたちが口々に悲鳴を上げる。
海中から姿を現した水蛇竜は縦に割れた金色の瞳を僕たちに向け、明らかな戦闘態勢を取っていた。
水蛇竜が引き起こした高波のせいで船体が転覆するまでには行かなくても、激しく揺れ続ける。
こんな不安定な足場で戦うのは不可能に等しい。それに、海蛇竜は僕たちを乗せている船の一回りも二回りも大きい。
そんな相手にどうやって戦えと呆れを通り越して最早笑いさえ出てくる。例え足場が万全であろうと、今の僕では全く歯が立たない相手であることはのた打つ帯が雄弁に語っている。
しかし、船の上にいる以上どこにも逃げることは出来ない。けれど諦めることは絶対に出来ない。
八方塞がりの状況でも打開策はないかと必死に思考を働かせていると、一際大きな高波が襲い掛かり、船体を激しく揺れ動かした。
「きゃあっ‼」
「ナナリーッ‼」
大きく傾いた甲板。その瞬間、悲鳴と共にナナリーの体が宙に浮いた。
僕は手を、帯を伸ばしてナナリーを掴もうとした。しかしナナリーの体は全てをすり抜け、水蛇竜がいる海面へと飲み込まれていった。
「くそっ!」
「お、おい馬鹿無茶―――⁉」
ナナリーが落ちたと同時に、水蛇竜もその巨体を海中に沈めていった。
まさかナナリーを―――。
最悪のイメージが頭をよぎった瞬間、僕は海に飛び込んでいた。
海に潜る瞬間にバイザーが勝手に降りて来た。その事に少し驚いたが、それよりも驚いたのが、海の中にいるはずなのに、視界が限りなくクリアに見えていることだ。
それに何故か呼吸も出来ている。本当にこの仮面はなんなのだろうか。
仮面の秘められた機能をまた一つ知り、驚愕している僕の目の前を、水蛇竜の巨大な体が横切っていく。
今はそれどころじゃない。ナナリー、ナナリーは―――いた‼
僕が動くよりも早く、帯が海の中とは思えない速度でしゅるしゅると伸びていく。
帯がナナリーを捉え、僕の元へと引き寄せていく。
僕がナナリーをしっかりと抱きとめた瞬間、水蛇竜が海中を激しく泳ぎ始めた。
まずい、と思った時にはもう、水蛇竜の巨体が生み出す渦の流れに囚われてしまっていた。
激しい水流に身動き一つできない。腕の中のナナリーの口からごぼっ、と空気が吐き出される。
このままではナナリーが溺死してしまう。かと言ってこの渦の中では抗いようがない。
であれば、残された方法は一つだけだ。
「ナナリーを守ってくれ。頼むよ」
祈るようにそう呟くと、仮面が拘束を解き、ナナリーの顔に吸い込まれていった。
仮面はナナリーの顔を覆うと同時に帯を展開し、蚕の繭のような形状へと変質した。
これでいい。これならナナリーは助かるはずだ。
帯に包まれたナナリーは凄まじい水流の中、ふわりと浮上し始めた。
まるで穏やかな水の中にいるかの如く、今も尚渦に捕らわれている僕の手を離れ、ゆっくり、ゆっくりと光に向かって進んでいく。
―――頼んだよ。
一縷の希望を仮面に託し、僕は暗く冷たい水の底へと飲み込まれていった。




