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「ま……予想通りじゃの」
そういってサワラビさんが目を開ける。
サワラビさんの目の前に座るのは銀髪の少女だ。眼前に翳された掌をぼんやりと見つめ、淡い光に包まれている。
が、それもサワラビさんが目を開けたと同時にふっと消え去り、ぽやんと虚空を見つめていた紫紺の瞳がきょろきょろと忙しなく動き回り、やがて僕を見つけて不安げに揺れていた。
大丈夫だよ、と頭を撫でてあげたい衝動に駆られたがぐっと堪える。今はサワラビさん曰く、白か黒か取り調べの真っ最中。下手な行動に出てはいけない。
僕たちはサワラビさんに連れられて、ギルド内にあるサワラビさんのプライベートルームに訪れていた。
最初は女性の部屋に初めて入ると言うこともあり、結構緊張したんだけどでっかい本棚がいくつもあり、そこら中に酒瓶が転がっている部屋を一目見て僕の淡い幻想は粉々に打ち砕かれた。
生ごみとか散らかってないだけまだマシだけど、この空瓶の量は流石に絶句するしかない。二十や三十どころではない。多分百本以上あるんじゃないかこれってくらいそこら中に転がってる。
「まあ儂、鬼じゃし」の一言で片づけられてしまったので何も言えない。この惨状を、ナナリーとエメロッテも思うところがあるのか顔が引き攣っていた。
「予想通り……とは?」
「何一つ残っておらん。と言うより、そもそも何もなかったと言うべきかの。この徹底したやり口はアスガルドで間違いなかろう。いくら尋問したとしても、何一つ得るものはなかろうよ」
サワラビさんが呑兵衛と言うことが十二分にわかったので、気持ちを切り替える。
サワラビさんによると、殺しの技術以外の情報は何一つ与えず、一切の無駄がないとのこと。
生まれた場所も、両親の顔も、育った街並みすら記憶に残っていないと言うことはどれだけ寂しくて、虚しいことなのか僕にはとてもじゃないが想像がつかない。
アスガルドについてはテレシアさん、クレイヴさんからどんな国かとは聞いていた。
聞いてはいたけど、実際この目で見てしまうとそのやり方、在り方には激しい怒りしか覚えない。
人を何だと思っている。命を何だと思っている。私利私欲の為に使い捨てる物であってはならないものだ。
―――ふざけてる。それを良しとする人間がいると言うことも。それが今も尚続いてると考えると吐き気がする。
許してはいけない。存在そのものを根絶するべきだ。そう、根絶やしに―――。
「しかしまぁ……あれだけ複雑に絡みついた呪印が綺麗さっぱり消滅しとるのは驚きじゃのう。お主、何かしたのか?」
「あ、いえ、僕は特別何も……」
ぞわりと何かが蠢いた。暗く黒く、赤黒く、全てを塗り潰す憤怒の感情。
僕の中で確かに蠢いたそれは、サワラビさんの声と共にすうっとどこかへ消え去った。
何だ今のは。そう不思議に思いつつ頭を振ってそれを打ち消し、サワラビさんの質問に答える。
言葉通り、僕は何かした記憶はない。と言うより、がむしゃらに戦ってたから断片的にしか覚えてない。
それくらいこの子の戦闘技術は凄まじかった。多分と言うか絶対この仮面が無ければ僕は今こうして生きていないだろう。
―――本当に、この仮面は何なんだろうか。可変式だし空気も読むしなんかうねってるし……仮面なのに生きてるのか?
当然ながら答えは返ってこないのだけれど。そう思わざるを得ないくらい、この仮面は謎に包まれていた。
「ふん……愛の力ってやつかのう。これだから人間は面白い」
「ちょ、愛の力って。僕はただ、彼女を放っておけなかっただけですってば」
「犬猫じゃないのよ……?」
「フサオさん……もしかして、女性なら誰でもいいんですか……?」
「あれ、さっき納得してくれたよねえ⁉ なんで軟派だと誤解されてるの⁉」
サワラビさんの言葉を否定するために言ったのに、何故か周りの目が冷たい。
じとっとした目で見てくるエメロッテに、見損なったと言わんばかりのナナリー。ここに来るまでの間、きちんと訳を話して理解してもらえたと思ってたのになんだこれ。
助けた相手がたまたま女の子だっただけだい! それに男の子なら女の子の前で恰好つけたくなるもんでしょうが! どうしてわかってくれないかなあ……わかってくれないよね、二人とも女の子だし。くそう。
ここに味方はいないとわかり、途方に暮れる僕。膝を抱えて座り込み、床にのの字を延々書き続ける。
「かかっ。英雄色を好むとも言うしの。どれも器量良しの娘ばかり。見る目はあると褒めてやろう。美女を囲い込むつもりなら、儂も加えてみるか? 生娘では味わえぬ極上の世界に」
「しません。僕は仲間をそういった下衆な目で見てません」
「なんじゃつまらん男じゃのー」
「眼中にないって言うのも、ねぇ」
「少しくらいは意識してくれたって」
「どっちに転んでも責められるって何⁉ サワラビさん! その子まで巻き込むのはやめてください!」
またも僕が責められる始末。今のはおかしい、絶対におかしい。イエスなら軽蔑ものだし、ノーと答えてこの仕打ちはあんまりすぎる。
と言うか四人とも意外にノリノリで僕をからかうのはやめていただきたい!
一頻り僕をからかって満足したのか、サワラビさんがふっと表情を戻し、少女の頭にぽん、と手を乗せて真っ直ぐ僕を見つめてきた。
「言語はきちんと理解できておるから問題なかろうが……それ以外は何もない。体に染みついた技術のみ。……茨の道じゃぞ?」
覚悟はできておろうな?
そう言いたげなサワラビさんに、僕は迷わず首を縦に振った。
この子を守る。それが何を意味するかわからないほど僕は馬鹿じゃない。
この子がファンターハンを襲い、多くの人の命を奪った。その事実は何があっても消えない。
だけど本当に罪を償うべきは、こんな卑劣な手を使い胡坐をかいて座しているアスガルドだ。
許さない。その曲がった根性、僕が絶対に叩きなおしてやる。ここまで怒りを覚えたのは生まれて初めてかもしれない。
今の僕じゃ到底手も足も出ないことは分かってる。だからいつか、必ずこの手で叩き伏せる。それまで首を洗って待ってろ、悪党ども。
「構いません。僕が、僕たちが、その子を守ってみせます」
「本当に憎むべきはアスガルド。私、売られた喧嘩は全部買う主義なのよね」
「命を弄ぶ非人道的行為。断じて許すわけにはいきません」
銀髪の少女―――クエルに向かって微笑みかける僕たち。
この子に名前はない。名前すら必要ないものとして今まで過ごしてきた。
だからこそ、これからの時間を過ごす意味を持たせるために名前をつけてあげた。
あの日彼女が微笑みかけていた、紫紺の小さな花。その花の名前はクゥエル。クゥエルの花言葉は―――。
「ほ。良き人間に巡り合えたの、クエルとやら。この者たちと共に学び、成長するがよかろう」
サワラビさんがそっと微笑み、クエルに慈愛の眼差しを注ぐ。
彼女はきっとこれから多くの事を学ぶだろう。それは楽しいことばかりじゃないかもしれない。辛いことの方が多いかもしれない。
それでも僕は彼女にこう言い続ける。
何があっても、仲間がいる。だから、共に笑い、共に泣き、共に生きていこうと。
「こやつから情報は得られん。そしてお主はこやつの面倒を見ると言った。で、あれば儂が出来るのはこれくらいじゃの」
ちょっとだけしんみりとした空気の中、唐突にサワラビさんがひょいっと何かを放り投げてきた。
慌ててそれをキャッチすると、手の中には見慣れた金属の一枚板が鈍い光を放っていた。
「これは……?」
「しっかり躾を施すんじゃぞ? では儂はレギンのところへ行ってくる」
後は任せよ、と言い残して部屋を出ていくサワラビさん。
本当に感謝してもしきれない。大罪人として処刑されるはずだったクエルを助けてくれて、それだけでなく冒険者にまでしてくれるとは。
僕はタグを強く握りしめ、既に閉ざされてしまった扉に深々と頭を下げ続けた。
「いや、お主らも用が済んだら出ていかんか。何を寛いどるか」
「あっはい!」
こうして、クエルの一件は幕を下ろした。
そう僕たちは思っていた。
―――ギルドを出るまでは。
「剣を抜け」
短く、それでいて明確な殺意が込められた言葉。
耳を疑った。どうして貴方が、と目を疑った。
僕、そしてクエルを敵意を持って睨みつける、甲冑に身を包んだ金髪碧眼の女性―――ファンターハン王国騎士団隊長、テレシア・ライズハートが僕たちの前に立ちはだかっていた。




