25
「―――っ」
言葉を失った。
そこにあるものは、ただひたすらに広がる破壊の爪痕。
天に向かって黒煙を吐き続け、ごうごうと燃え盛る紅蓮の炎。
無残に砕き壊され、役目を失って詰みあがる瓦礫の山。
耳朶を叩く炎熱が爆ぜる音と、悲鳴と魔物の唸り声が不協和音を奏で、現実から意識を遠ざけていく。
立派な建物が並び建ち、皆の憩いの場として慣れ親しまれた広場、大通りは影も形もない。もう、どこにも存在していない。
僕の良く知るファンターハンの街並みはもう―――どこにも存在していない。
「そ、んな……」
嘘だ。そんなの嘘だ。これは悪い夢だ。そう、そうだ。夢に決まっている。
目が覚めればまたいつもの日常が始まって。ナナリーが笑顔でおはようって言ってくれて。
朝に弱いエメロッテが目をしょぼしょぼさせながら、おはようってだるそうに言ってくれるはずだ。
きっとそうに違いない。だから、瓦礫の下に荒魂があるはずなんてないんだ。
赤く染まった修道服の切れ端と、ぼろぼろのローブが落ちているだなんて、あっていいはずじゃないんだ。
「うぶっ」
胃から逆流してきたものを堪えきれるはずもなく、僕はその場に蹲って胃の中のものをぶちまけた。
げえげえと嘔吐いて、肩で息をしながら、自らが吐き出した吐瀉物をぼんやりと眺める。
夢なら覚めてくれ。嘘だと、夢なのだと、これは全て偽りの出来事なのだと言ってくれ。
誰か嘘だと言ってくれよ。だってそうじゃないと―――二人にもう会えないなんて、嘘に決まってる。
あの声を、あの笑顔を、あの小さな温もりを―――僕は、また、何一つ―――守れなかった。
「―――あ、がっ⁉」
どすん、と背中に衝撃。遅れて激痛が走る。ぐりぐりと冷たいものを捻じ込まれ、ごふっ、と咳き込んだ拍子に赤い飛沫が飛び散る。
痛い。熱い。痛い。なんで。どうして。僕は……僕は、僕は……。
「ふぅん!」
蹲る僕の上空を、とてつもない重量のものがぶぉん、と大きく風を切った。
それがクレイヴさんだと気付いたのは、首根っこを掴まれて強引に引き起こされてからだった。
「―――ちっ、毒か!」
クレイヴさんは前方を警戒しつつ、目の端で僕を捉えて小さく舌を打った。
そしてゆっくりと僕の体を横たえ、僕の手に何かを握らせるとすかさず体勢を整え、前方だけに意識を集中させる。
「解毒薬だ。動けるうちに飲め」
「あ、う、あ……」
言われるがまま、手に握らされた小瓶の中身を一気に煽る。
ほんの少しだけ苦しさが和らいだ。だけどまだ毒が残っているのか、ぐるぐると視界が回る。
ぐるぐると回る世界でナナリー、そしてエメロッテが浮かんでは消え、僕を責め立てる。
どうして来てくれなかったのかと。どうして助けてくれなかったのかと。くしゃくしゃに歪んだ顔で泣き叫んでいた。
「けったい恰好しやがって。お前さん、どこのモンだ?」
「……」
「だんまりか。ま、普通はそうだわな」
はん、と鼻を鳴らした直後、ぎぃん、と鈍い金属音が響いた。
煙の如く掻き消え、一瞬のうちに距離を詰めた髑髏面だが、掠っただけでも致命傷の猛毒の刃はぶ厚い鉄塊の前に阻まれていた。
肉厚の大剣を盾として用いる、相当な重量を持つはずの大剣を自在に操ることの出来るクレイヴさんならではの防御法。
初撃を完全に見切り、次々と繰り出される猛毒の刃の悉くを弾き返していく。
目で追う事すら困難な速度の一撃を、最小限の動きで凌いでしまう実力の高さはまさに圧巻の一言。
「語る気はねえってか……上等ォ!」
防戦一方だったクレイヴさんが気迫と共に一転。突き出された短刀に合わせて大剣を盾にして強引に押し出すと、鈍い金属音を奏でて髑髏面の体が大きく仰け反った。
―――刹那、地を割るほどの踏み込み。
ひゅっと短く鋭く息を吸い込み、その動作が終えるほんの一拍の間に体の前面に構えていた大剣を腰だめまで引き戻し、深く、より深く腰を落とす。
さながら地に伏せ獲物を狙い澄ます猛虎の如く。獲物を捕捉した狩人は静かに時を待ち、持てる力の全てをその瞬間に注ぎ込み―――解き放つ。
「―――っ‼」
閃光のような疾さの横薙ぎが短刀を容易く砕き折り、闇に溶け込む濃紺のマントを纏っている髑髏面を一刀両断―――したかのように見えた。
少なくとも、マントが真っ二つになり、上空から銀の煌めきが瞬くまでは、だが。
危ない、と思った時には既にクレイヴさんは後に跳躍しており、クレイブさんがいた場所に無数のナイフが突き刺さっていく。
「あれを躱しやがるか……ガキと侮ってると痛い目見るな、こりゃあ」
大剣を片手で軽々と担ぎ上げたクレイヴさんがちらりとこちらを見やる。倒れている僕がまだ毒で動けないと判断したのか、小さく舌を打って再び前を向く。
それと同時にたん、と軽やかな音と共に地に降り立った髑髏の面を被った、褐色の肌を持つ女性。
体の至るところに武器を携え、一切の無駄のない佇まいでそこに立つ人物の銀色の髪が、さぁっと吹き抜けた風に靡き、月光に反射してきらきらと輝いた。
「大方、アスガルドの放った駒なんだろうが……これっぽっちでファンターハンを落とせるとでも? 奢るなよ、木っ端が」
無造作に放った殺気で、びりびりと大気が揺れる。それだけで力の弱い魔物はガタガタと体を震わせて竦みあがり、一目散に逃げだしていく。
そこに立つ者はいつもの飄々とした壮年の男ではない。幾度となく死地を潜り抜けてきた、歴戦の兵だ。
対峙する二人から離れている僕でさえも息を呑み、戦慄するほどの殺気の中―――彼女はゆったりとした動きで懐に手を忍ばせ、禍々しい闇を纏う何かを取り出した。
その隙を、見るからに不審な動きをクレイヴさんが見逃すはずもない。
地を蹴り砕き、一瞬のうちに距離を詰めたクレイヴさんの大剣が唸りを上げて振り下ろされる。
「……必ず殺すと言った。だから、殺す」
「が、おごあっ……!」
禍々しき闇が髑髏の少女を、クレイヴさんを、今まさに頭蓋を砕かんとしていた大剣を、空間そのものを覆い尽くした。
奔流していた闇が形を成し、それの輪郭を象った瞬間、それは即座に牙を剥いた。
―――何が起こった? 気付いた時にはもうクレイヴさんが吹っ飛び、激しい轟音と共に土煙を巻き上げ、瓦礫の中に埋もれていった。
あれはなんだ。いつからそこにいた。いや、どこから出てきたと言うのか。
髑髏の少女の前に、まるで初めからそこにいたかのように佇む―――三メートルは優に超える巨人が、産声を上げるかのように天に向かって咆哮を上げた。
「おーいて。ひっさびさにいいのもらっちまったなあ」
がらがらと瓦礫が崩れる音がした。音のした方を見ると頭から血を流し、それでもしっかりとした足取りで吹っ飛ばした相手であろう巨人に向かっていく。
「巨人兵たぁまた大層なもんを持ち出して来やがるな。こいつぁちと、本気出さんとマズいかねえ」
「クレ、イヴさ……!」
「あーこっちのこたぁ心配すんな。ひっさしぶりに本気で戦えそうだからなぁ……!」
吐き気や体の痺れは完全になくなっているはずなのに、どうしてか体が言うことを聞いてくれない。
戦わないといけない。戦って、この惨劇を止めないといけない。こうしている間にも街は蹂躙され、尊い命が失われようとしている。
分かってる。分かってるけど、二人の泣き顔が浮かんでは消え、僕の体を呪いのように縛り付ける。
クレイヴさんが巨人兵 と斬り結ぶ。
見るからに硬質な表皮はクレイヴさんの大剣を持ってしても易々と傷をつけることを許さない。
徐々に劣勢に陥るクレイヴさんの表情が歪んでいく。
このままでは―――そう思ってしまったとほぼ同じく。
髑髏の少女がもう一つの闇を取り出し、神に捧げる供物の如く、天高く掲げた。
「貴方は必ず殺す。たとえ私が消えることになっても」
闇が王都の上空を埋め尽くしていく。
闇が途絶え、巨人兵 の時と同じく蠢く闇が輪郭を象った時、それは見る者すべての時間を凍り付かせた。
蛇のように細長い、縦に割れた金の双眸。
煌々と金色に輝く鱗。
一対の巨大な双翼。
畏怖の象徴、災厄の徴と謳われた伝説の古竜。
煌塵竜が永きに渡る眠りから覚め―――再びこの世に降臨したのだ。
災厄の徴と謳われた、天まで届くかとも錯覚させる巨大な顎が開かれる。
喉奥でらちらちらと燻っていた炎が徐々に膨れ上がり、青みがかった 白へとその色を変えていく。
ぞわり、と全身が粟立った。
赤くない炎が見えた途端、仮面の帯がのた打つように激しくうねる。
それが逃げろと危険信号を送っていることは理解していた。けれど、金色の双眸に射竦められた体はぴくりとも動かない。
「さよなら。名前も知らない人」
防ぐこと、避けることすら叶わぬ獄炎の息吹。
白に染まっていく世界で、僕はそっと目を閉じた。
―――ごめんなさい、クレイヴさん。
―――ごめんなさい、お世話になった皆。
―――ごめん、エメロッテ―――ナナリー。
―――僕は結局、英雄になんかなれなかったんだ。
色も、音も、全てを呑み込んでいく白き輝きに包まれていく―――、
「かかっ」
―――そして、鬼が嗤った。
ごっ、と凄まじい突風が吹き荒れる。
急速に彩を取り戻していく世界で、確かに彼女はそこに立ち、嗤っていた。
あれだけの熱量の炎をまるでそよ風だと言わんばかりに余裕の笑みを浮かべ。
墨色の髪を紅く染め上げた、紅く燃ゆる金色に縁どられた瞳を煌々と輝かせ。
天を突く二つの角を持つ鬼の少女―――サワラビさんがそこにいた。
「ちと火遊びが過ぎんか、トカゲ風情が」
からん、と軽やかな音と共に、小柄な彼女の体が宙を舞う。が、それは常人ではあり得ない速度と高さで、だ。
ファンターハン上空を我が物顔で滞空する煌塵竜の眼前に、瞬きの間に到達したサワラビさんがぐっとその場で溜めを作り―――自身の何十倍もある古の竜を殴り飛ばした。
「くはっ! 軽く撫でただけとは言え、無傷とは流石は古の竜よ! 滾る、滾るなぁ! かかかっ!」
甲高い哭き声を上げ、ぐらりと体勢を崩してそのまま地に失墜する―――かのように見えたが、相手は伝説の古竜。
すぐさま翼を羽ばたかせ、何事もなかったかのように元の高度まで上昇する。
それを見たサワラビさんはけたけたと心底愉しそうに笑い声をあげ、重力に従って落下していく。
かなりの高度から落下してきたにも関わらず、サワラビさんはからん、と軽やかな木履の音だけを鳴らして地に足を着けた。
「……あ……」
僕が声を上げると、爛々と輝いていた金の瞳が急激に熱を失い、まるでゴミを見るような、冷徹な眼差しがこちらに注がれた。
「貴様、儂の教えをもう忘れたか? なんじゃあの無様な醜態は。あんな価値もない塵芥を見ただけで折れるのか。つまらん男よのう」
「―――っ、ふざ―――‼」
放たれた言葉の意味を瞬時に理解した瞬間、地面にへばりついていた僕の体が即座に動いた。
動いた、と頭が認識したと同時に、サワラビさんの姿が忽然と消え失せる。
どこだ、と探す前に、とん、と頭の上に軽やかな衝撃が訪れた。
「つまらん。実につまらん。貴様それでも冒険者か。現世に置いて潰えぬ命など在りはせぬ。いつ潰えるとわからぬ光だからこそ、人は儚くも美しい」
またも軽い衝撃。目の前を鮮やかな真紅の色が通り抜けていく。
「儂を絶望させてくれるな、人の子よ。見るも耐えぬ屍を晒すとなれば、貴様の帰りを待つ小娘たちはどうなる?」
肩越しに僕を見つめ、少しだけ寂しそうに、小さく微笑むサワラビさん。
―――一瞬だけ、思考が完全に停止した。
貴様の帰りを待つ小娘たち。小娘たち。小娘たちと言うことは、それはつまり―――。
そういうこと、なのか。
「……やはりつまらん茶番じゃの。小娘二人は生きておる。生きて、ルルが保護しておる」
敵前と言うにも関わらず、嗚咽を漏らして膝を突く僕を見て、サワラビさんがさもつまらなさそうに鼻を鳴らし、やれやれと肩を竦めた。
僕はそれどころじゃなかった。嬉しかった。生きてると聞いて、心から安心した。生きている。生きててくれてる。
たったそれだけで、僕の胸はいっぱいになって、溢れかえった。
「ほれ、いつまで呆けておる。 儂はあの小煩い蠅と遊んでくるでの……そやつはお主に任せるぞ?」
クレイヴはしばらく使いものにならんようだしの、とちらりと瓦礫の山を一瞥して小さく呟くと、サワラビさんはからん、と軽やかな音と共に煌塵竜が遊泳する空の領域に飛び込んでいった。
それを見送った僕は視線を落とし、今の今まで何もせず、ただそこに佇んでいた髑髏の少女だけを捉える。
かしゃん、とバイザーが音を立てて降りていく。
バイザーの下に隠れていた三つの瞳が露出し、ざわざわと帯が僕の感情に呼応するかのように波打っていく。
「君にはいろいろと、聞きたいことがある」
僕はどうしようもなく弱い。守れなかったと勝手に思い込み、何も出来なかった。否、しようともしなかった。
ふつふつと怒りが込みあがっていく。これは目の前の少女に対してではない。僕自身の弱さに対して、だ。
彼女は何も答えない。髑髏の仮面の奥に潜む、紫紺のガラス玉に敵を映し、淡々と両手に短刀を逆手に持つ。
彼女は僕は必ず殺すと言った。そして行動を起こし、無関係の人たちの命までも簡単に奪っていった。
そして何よりも―――大切な仲間たちを奪おうとした。
―――断じて許せるはずがない。許していいはずが、無い。
「君がそうあるのなら―――僕は力尽くで捻じ伏せるッ!」
内に出るは一匹の修羅。命を賭して。己が全てを刃と成して。
いざ、尋常に―――!
いつもありがとうございます。17日の昼頃もう一話上げる予定です。
アクセス数が一気に増えて思わずファッ⁉と叫びました。




