24
―――それは、深い闇の帳が降り、人々が寝静まる時だった。
かんかんかんかんかんかんっ。
敵襲を知らせる早鐘と共に訪れた、轟音と一瞬体が浮き上がるほどの振動。
僕は即座に飛び起き、荒守を迅速に装備して枕元に置いてあった荒削と荒砥を引っ掴み、転がるように廃倉庫を飛び出した。
―――そこはまさしく地獄絵図と化していた。
飛び交う怒号。逃げ惑う人々。瓦礫と化した街並み。黒煙を上げて燃え盛る炎。押し寄せる魔物の群れ。悲鳴と絶叫、破壊と殺戮が街を埋め尽くし、恐怖と絶望が塗り潰していく。
一体何が起きている? なぜ? どうして? 考えても答えは出るはずもないとわかっているのに、頭が勝手にあれこれ考えてしまう。
街を蹂躙していた魔物の群れが新たな獲物を見つけて殺到する。
ゴブリン、コボルド、オーク、スケルトン。いつもの僕ならなんてことはない相手ばかりだ。
だけど―――怖い。怖くて恐ろしくて、体が震える。足が竦む。怖い。なんだよこれ。怖い。怖い。怖い。嫌だ、死にたくない―――。
「何をぼーっとしてやがる! 死にてえのか!」
聞き覚えのある怒鳴り声と共に、剣と呼ぶにはあまりに武骨で、あまりに巨大な鉄塊が唸りを上げた。
たった一振りで魔物の群れが断末魔を上げて物言わぬ肉塊へと成り果てる。
その大剣を難なく使いこなす壮年の男は、ファンターハン王国騎士団副隊長、クレイヴ・クレイマンだ。
クレイヴさんは騎士団の人たちに大声で指示を飛ばし、騎士たちが動いたのを見届けるとくるりと踵を返し、鬼気迫る表情のままこちらへ歩み寄ってきた。
「っ⁉」
がつん、と顎に衝撃が走った。バイザーを上げているため、唯一生身を晒している場所に強烈な一撃。
僕はたまらず膝を突き、なぜ殴られたのかもわからず、怯えた目でクレイヴさんを見上げた。
「なんで殴られたかもわかんねえのか、お前。目の前で魔物に襲われてた人たちがいただろ。お前、何してた。ただぼーっと突っ立って、助けようともしなかったよな? その獲物は何だ。その上等な鎧は何だ。その盾は何だ。何のために冒険者になった。お前はスライムに死にかけてた腰抜けのままなのか? ああ?」
『恐れを抱くことを恥と思うな。恐れに呑まれ、無様に死に行くことを恥と知れ。足掻け。足掻いた末に生を勝ち取ってこそ、真の強者よ』
―――震えが嘘のように止まった。そう、そうだ。僕は今までの僕じゃない。
僕は決めたんだ。変わるって、強くなるって決めたんだ。
怖かろうが何だろうが、僕が憧れ続けた彼らはいつだってピンチを乗り越えてきたんだ。
僕もそうありたいと。そうなりたいと願ってここにいるんだ。だって僕は―――。
「僕は……冒険者……です!」
今も夢見る英雄になるために、僕は冒険者になったのだから。
切れた唇から流れる血をぐいっと拭い取り、強く歯を食いしばる。
恐れるな。前を見ろ。恐怖から目を逸らすな。今、僕がやるべきことは何だ?
「き、きゃああああああああっ!」
悲鳴を上げ、迫りくる恐怖から必死に逃れようとしている人々。
けれど、魔物と一般の人では体力の差が著しく出てしまう。
瓦礫に躓き、転んでしまった女の人に殺到し、振り下ろされる殺意。
視界の端でクレイヴさんが動いたのが見えた。―――だから僕は、それを追い越した。
「ちぇすとおおおおおおおおおおおおおおおっ‼」
石畳を砕き割る踏み込みからの横薙ぎ一閃。
女性と最も距離の近かったゴブリンを上下に両断し、立て続けに迫るコボルド、オークの攻撃の悉くを帯で叩き落としていく。
「う、あ……」
「立てますか。立てるなら逃げてください。大丈夫、僕がなんとかしますから」
肩越しに見た女性は恐怖に染まりきっていた。涙を流し、体を縮こまらせてがたがたと震え続けている。
涙に濡れた瞳で見上げてくる女性。少しでも恐怖を和らげようと、努めて柔らかい口調で語りかける。
威嚇のためであろうコボルドの吠える音に、女性はびくりと肩を跳ね上がらせた。
もう一度だけ強めに行って! と声を張り上げると、女性は短い悲鳴を上げて逃げ出してくれた。
それを皮切りに、魔物が一斉に襲い掛かってくる。
右から振り下ろされるコボルドの短剣を盾で受け、一歩踏み込んでからの盾強打を鼻っ面にぶち込んでやる。
重要な神経が集中して通ってるかなんだとかで、ここに強力な一撃を当ててやるとキャンキャン鳴きながら悶え苦しむ。
左斜め前、雄叫びを上げて棍棒を振り下ろすオークの一撃を荒削の護拳で敢えて受け、護拳、そして刀身を上手い具合に棍棒に引っ掛け、ぐるんと手首を捻る。
豚とも猪とも取れる外見のオークはその見た目通り膂力はかなり高い。けれどいわゆる脳筋に相手の力を利用すると言った芸当は出来っこない。
力にモノを言わせた単純な動きなので読みやすいし、受け流しやすい。今もこうして上からの力をちょいとずらしてやれば簡単に隙を晒してくれる。あとはがら空きのボディに抜き胴を叩き込むだけの簡単な作業だ。
剣、盾、帯、使えるものは全て使っていなし、躱し、弾き、返しの動きで確実に仕留めていく。
僕にはクレイヴさんのような大剣も扱えないし、たった一振りで三、四体の魔物を真っ二つに出来るほどの力もない。
神経を研ぎ澄ませ。鋭く、鋭く、刃物の如く。疾く、疾く、風の如く。己が全てを刃と成せ。
「さぁ、いくらでもかかってこい魔物ども! 僕が片っ端から斬り伏せてやる‼」
「まーた女の前でかっこつけやがって。実は狙ってやってるだろ? ん?」
「なんでこの状況で茶化すんですかねえ⁉」
荒削の切っ先を魔物の群れに突き付け、自らを鼓舞する意味も兼ねて声を張り上げる。
魔物に言葉が通じているかはわからないけど、挑発されているとわかったのか、敵意の塊が一斉に僕に向けられた。
肌を刺すような、ひりひりとした焦燥感。ここからが正念場だと言うのに、クレイヴさんがすすっと近寄ってきて、にやにやしながら肘で小突いてきた。
この人ほんと空気読まないな⁉ そっちこそ狙ってやってませんかねえ⁉
真面目にやってくださいと少し強めに言うと、クレイヴさんはつまらんねえのと言いたげに肩を竦め、無性に腹の立つ顔を浮かべくさりやがった。
「まあいい。お前さんがどれだけ強くなったか、見せてもらおうじゃねえか」
「あんまり無茶すると腰に響きますよ。ただでさえそんな馬鹿みたいにでかい剣振ってるんですから」
「馬鹿野郎。重歩兵相手にゃこれが一番楽で効果的なんだよ。それに十数年連れ添った相棒を今更手放せるかってんだ」
この人本気で後ろから盾強打してやろうかなと悩んでいると、急に真顔に戻ったクレイヴさんがくいっと顎をしゃくる。
建物の陰からぞろぞろと新たな魔物たちが姿を現す。実力は大したことないけど、連戦を強いられると疲労が溜まり、動きが鈍くなってきてしまう。
まあ、今までのは軽い準備運動みたいなもので僕はまだまだやれる。クレイヴさんも同じようで身の丈以上もある大剣を担いで不敵に笑っていた。
茶化されたお返し、とばかりに最近腰が腰がと言っていたので皮肉を込めて言ってやると、真面目にそう返されてしまって僕も真面目にそうですねと返すしか出来なかった。
お互い軽口を叩きあったところで、会話が途切れ―――感覚が瞬時に研ぎ澄まされる。
そして僕とクレイヴさんは、特に打ち合わせしたわけでないのに、ほぼ同じタイミングで地を蹴り群れ目掛けて疾走した。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ‼」
「おらおらおらおらおらぁぁぁぁっ!」
実戦で見るクレイヴさんはまさに一騎当千の猛者だった。
一度に二、三体しか引き付けられない僕と違って、より多くのヘイトを集め、より多くの敵を一刀の元、捻じ伏せる。
型もへったくれもない単純な力の押し付けだけど、単純ゆえに強い。
前の手合せの際に感じた、不自然なほどの打ち込みの強さはこれか、と違和感の正体を掴めて少しだけすっきりする。
「ま、及第点ってとこか。だが」
余所見をしていたせいで、がっちり抑え込んでいた魔物のうち一匹が脇をすり抜け、抗う術を持たない人たちに向かっていく。
しかしそれもほんの一瞬だけ。唸りを上げる鉄塊に真上から叩き潰され、物言わぬ肉塊と成り果てる。
「まだまだ脇が甘えな。そら、奴さんはごまんといる。気張れや、新人」
「……言われなくとも!」
四方を魔物に囲まれ、背中合わせに魔物と対峙する僕とクレイヴさん。
これしきでへばってねえよな? と問うクレイヴさんに、僕は強く頷くと同時に強く踏み込み、襲い掛かる魔物を捻じ伏せていく。
数は多いけれど、個々の力は鋼殻熊や水蹄幻馬に比べるまでもない。
クレイヴさんじゃないけど、数だけ揃えた烏合の衆なんぞ恐るるに足らず。仮面の自動防御抜きにしても、余裕綽綽、お茶の子さいさいだ。
けれど、決して侮ってはいけない。慢心してはいけない。確実に、堅実に、慎重すぎるほどに。
◇
「……粗方片付いたか。ここいらの避難はもう終わってるみてえだし……まだいけるな?」
「はっ、はっ……はい、大丈夫です」
最後の魔物を叩き潰したクレイヴさんが、周囲を見渡して敵がいないと判断し、大剣を肩に担いで大きく息を吐いた。
予想以上に数が多く、体力を消耗してしまったらしい。とは言え軽く息が上がっている程度で、戦闘に支障は全くない。
大きく深呼吸し、呼吸を整えたところでクレイヴさんが荒削をまじまじと見つめて、顎髭を親指の腹でじょりじょり弄り始めた。
「しっかしお前さんのそれ、洒落にならん切れ味だな。鎧ごとぶった斬るとか普通あり得んぞ。防血加工してあんのか? 」
「いや、クレイヴさんに言われたくないんですけど。それより防血加工 ってなんです?」
「こりゃ重さで叩き潰してんだから斬るとは言わん。切れ味だけならお前さんの獲物の方が段違いで上だ。んで、防血加工 ってのは要は血糊で切れ味が落ちるのを防ぐ特殊加工したもんのことだ。これのあるなしで武器としての完成度が段違いだ。ちなみに俺の相棒は防血加工 してある。ただでさえ切れ味悪いのにこれ以上落ちたらマジでただの鉄塊だからな」
まあそれはそれでやりようはあるんだけどよ、と言葉を続けるクレイヴさん。
防血加工。確かに刃物は斬り続けると血と脂で刃が滑って使い物にならなくなる。
今まで特に気にしたこともなかったし、アルフレッドさんもどんな加工を施したとか言ってなかったのでそんなすごい加工がされてるなんてびっくりだ。
ちなみに防血加工はオプション扱いなんだけど、それをつけた時のお値段はびっくりするくらい高額だった。一体誰が立て替えてくれたんだ……?
と、思考が脱線してしまったので頭を振って切り替える。今はそんな呑気な事考えてる場合じゃないんだ。
「クレイヴさんがいるってことは、テレシアさんも?」
「ああ。お嬢は今城の入り口を死守してるだろうよ。数は多いが質は大したことねえ。雑兵がいくら束になってかかろうとお嬢の相手にならねえよ」
お嬢は俺よりも強いからな、と楽しそうに笑うクレイヴさんに、僕は苦笑いしか浮かべることしかできなかった。
あれだけ無茶苦茶な強さを誇るクレイヴさんより強いって、テレシアさんは化け物か何かなのか……?
まあクレイヴさんがそれだけ絶対の自信を持って言うのであればそこは大丈夫だろう。
しかし、何故こんな状況になったのか未だに理解できていない。謎を解明すべく、余裕が出来た今のうちに確認しておこう。
「これは一体何が起きてるんです?」
「わからん……としか言いようがない。奴さん、突然湧いて出たとしか思えねえんだ。見張りの話によると、奴らは城の外周に突然現れた。何かに呼び出されたかのように、な。あとは見ての通り、乱痴気騒ぎのお祭りだ。集団暴走にしちゃあ種族も強さもバラバラだし、ここいらじゃ見かけない魔物まで混じってやがる。一体どうなってんだかな」
お手上げだ、とばかりにクレイヴさんは片手を上げ、やれやれと首を振る。
クレイヴさんも状況を把握できてないらしく、謎は深まるばかり。ただ一つ分かっていることは、ファンターハンが敵襲を受け、今も街が蹂躙されていることだ。
「まあとにかくだ。逃げ遅れた人らを城かギルドに避難させるために騎士団と冒険者総動員で防衛に回ってる。……そういやお前さん、一人か? ナナリーちゃんはどうした?」
その言葉でさぁっと血の気が引いていくのがはっきりと分かった。
そうだ。ナナリーとエメロッテはどうなった? クレイヴさんの口振りだと騎士団は二人の所存を知らないと見える。
僕が飛び起きた時に聞こえた轟音は、方角から見て街の中心部からによるもの。
ナナリーとエメロッテが泊まっている宿も―――街の中心部にあったはずだ。
「―――ちっ、どこだ?」
「街の中央、商店街に近い場所の宿にいつも泊まってると聞いてます」
「……よりによっていっちゃん被害がでけえとこか……急ぐぞ!」
「はい!」
僕の表情から瞬時に察し、クレイヴさんの表情にも緊張が走る。
短いやり取りの後、僕たちは街の中心部―――ナナリーたちが泊まる宿へと急行するのだった。
本日はここまで。投稿が遅れて申し訳ありませんでした。




