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「あのねエメロッテ。あんまりこういうこと言いたくないんだけどさ……」
僕はあまり人を怒ったりしない。怒ったり怒られたりするのがそもそも苦手で、自分でもあまり人に意見しないほうだと自覚している。
けれどもこれだけははっきり言わせて欲しかった。何故なら―――。
「もうちょっと周りを見て魔法使ってくれないかな⁉ なんで毎度毎度僕ごと魔物に魔法撃ち込もうとするのかなあ⁉」
「あんたが邪魔なだけよ。そのうねってる帯のおかげで無傷なんだからいいじゃない」
「いーや良くない! 確かにこの帯が死角からの攻撃に反応してくれるってわかってありがとうそれは感謝するけどそれとこれとは話が別!」
「ちょっとバイザー下ろしたまま近寄らないでくれる? はっきり言ってそれキモイし怖いのよ」
「あ、あの……喧嘩は良くないですよ、お二人とも……」
「「ナナリーは黙ってて!」」
「……あう……」
ナナリーがしゅんとしてしまったのですっと頭が冷えていく。ナナリーは善意で止めようとしてくれたのに、何で怒鳴ってしまったんだと後悔さえした。
そもそもの原因であるエメロッテも思うところがあったのか、バツの悪そうな顔でそっぽを向いていた。
一度だけ大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせたところで改めてエメロッテに向き直る。これだけは言わないといけない。
これから仲間で依頼をこなしていくのであれば、根本的な問題は早期に解決しないと余計こじれてややこしくなるからだ。
「馬車の中であれだけ得意げに言ってたことはなんだったのさ。まさか後ろからも狙われるとか思いもしなかったよ」
「うっさいわね、卓上論よ卓上論。何よ、文句ある?」
ちらりと横目だけを投げて、悪びれる様子もなくそんなことを宣うエメロッテ。つまりそれってエアプってことじゃないか……。
がっくりと肩を落とし、期待した僕が馬鹿だったと反省して気を取り直す。どうにかしないといけないけど、まずは依頼をこなすことが先決だ。
今僕たちはスイセンをそのまま素通りし、スイセンの近くに広がる、観光地としても親しまれている水棲の湖にやってきていた。
美しい湖畔はまさに絶景とも言え、その澄んだ水質から多くの食材や特産品の出荷を支えている重要な場所だ。
もちろん魔物も生息しているのだけど、ここの魔物は基本的に人に害を成す個体が少なく、こちらから刺激しない限りは何もしてこないそうだ。
ここに生息する水蹄幻馬も基本的に大人しく、害がないとわかると背中に乗せてくれたりもする優しい魔物らしいのだが、何故か狂暴化し、観光客の何人かが重傷を負わされたことが依頼発生の流れだ。
そういった経緯があるので今は人払いされ、僕たち冒険者以外の出入りは禁止されている。
ちらっと何人か雑木林に入るのを見かけたので、同じ依頼を受けているのだろうと見るだけに留めた。
水蹄幻馬が狂暴化した影響なのか、いつもは大人しい魔物たちもやけに好戦的になっており、姿を見かけた途端に襲い掛かってくることが殆どだった。
それもあって連戦を強いられていたんだけど、三人もいればそう苦戦するほどの強さでもなく、サクッと討伐できるようなレベルのものばかり。
にも関わらず僕が疲れているのは、エメロッテがあまりにも酷いからだ。僕が真っ先に前に出て交戦しようとしたら真後ろから「邪魔よどいて!」の一言と一緒に火やら氷やらの魔法の矢が飛んでくる飛んでくる。
これはまずいと咄嗟に躱そうとしたら、なんと後頭部でうねってる帯がまるで生き物のように動いて、魔法の矢を全部叩き落としてくれたのだ。
これには僕、ナナリー、エメロッテさえもびっくりで一瞬だけ固まってしまった。唯一固まってなかった一角兎がその鋭利な角を突き出して飛び掛かってきたけど、それも帯が素早く反応して、飛んできた一角兎の角を受け止めてくれた。
一角兎をサクッと討伐した僕はこの不思議な仮面はほんと何なんだろうと益々首を傾げることになった。
エメロッテやナナリーから何で使ってる本人がわからないんだと非難されたけど、本当にわからないから仕方ない。
説明書とかないし、あの骸骨に聞こうにも消えちゃったし。仮にまた現れても会話する勇気はない。ダッシュで逃げる。だってお化け怖いもん。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「先の様子を見てくるだけだよ。二人はちょっと休憩してて。すぐ戻るから。何かあったら大声で知らせて」
雑木林が続く中、少し開けた場所に出たので二人に小休憩を促し、単身奥へと進む。
エメロッテはまだ何か言いたそうだったけど、お互い少し頭を冷やす時間が必要と感じたからこその単独行動だ。
一緒に依頼をこなしてきて思ったけど、ナナリーは決して弱くない。
欲しいときにちゃんと回復が飛んでくるし、細長い棒の先端を鉄で補強したような武器、スタッフをうまく使ってちゃんと自衛もしてくれる。
殴るときの「えいっ」とか「やぁっ」の掛け声が可愛くて萌えるのは僕だけじゃないと信じたい。しかも力もあんまりないので大したダメージになってない。
まあナナリーみたいな美少女が「ゼイハァッ!」とかスタッフを気合一閃して魔物を薙ぎ倒してもそれはそれで困る。と言うかそんなナナリー見たくない。そのままの君でいて。
「ん、もう湖の近くだったのか」
そんな妙な事を考えつつ進んでいると、いつの間にか湖の近くまで来ていたらしい。
日の光に反射してキラキラと輝く水面がすごく綺麗で、思わず依頼を忘れて見入ってしまう。
「おお……すごい綺麗な湖だ……おおっ、美味しい!」
湖岸まで寄ってみると、その美しさが際立って見えた。透明度が非常に高く、浅いところと深いところで色彩が鮮やかに変わっていくのが遠目からでもはっきりと見えるため、見ているだけで心が洗われるような、そんな感覚を覚えてしまうほど美しい。
その綺麗さ、美しさに感動を覚えつつ、水を掬って一口飲んでみる。
日本では比べ物にならないほどの美味さ、冷たさがすっと喉を通り抜け、運動して火照った体に染みわたっていった。
これならいくらでも飲めると水を掬ってがぶがぶ飲んでいると、ぱしゃっ……とすぐ近くで水が跳ねる音が鳴った。
魚でもいるのかな、と音の方へと顔を向けて―――絶句した。
そこにいたのは、何の惜しげもなく裸身を晒す、褐色の肌の少女だった。
ちょうど湖に潜っていて気付かなかったのだろうか。いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
歳はそう変わらないくらいに見える。褐色の小さな二つの膨らみ、その華奢な体躯に不釣り合いなほどに引き締まった肢体が、僕の視線を釘付けにする。
顎のラインで切り揃えられた、水が滴り落ちる白銀に輝く髪。まるで精密な陶器人形のような、整い過ぎているほど整った眉目。
ガラス玉のように綺麗な紫紺の瞳がこちらを向いた―――ところで僕ははっと我に返った。
「う、うわああああああああああああああああっ⁉」
何故か僕が悲鳴を上げて体ごと背いてしまった。普通逆じゃないかと一瞬思ったけど、顔がゆでだこみたいに熱くなって、鼓動も相手に聞こえるんじゃないかってくらい大きく速く鳴っていた。
「ご、ごめんしゃいきょれは事故というきゃしょの、覗くちゅもりでは」
「―――れた」
必死に弁明しようと呂律の回らない口を動かすけれど、動揺しすぎて自分でも何を言ってるかわからない。
と、背後から鈴を転がしたような声が微かに聞こえた。小声でぼそぼそと喋っているので何を言ってるか集中しないと聞き取れないけど。
「見られた以上は―――殺す」
はっきりとそう聞き取れた瞬間、ぞわりと悪寒が走った。
とん、と軽い衝撃が走り、仄かな甘い香りが鼻腔を突いたと同時に、するりと細い褐色の腕が背後から回される。
―――その手に、簡単に喉を掻き切れるような、鋭利な短刀を忍ばせて。
「っ⁉」
咄嗟に身を捻って一撃を躱し、即座に銀髪の少女から距離を離す。喉元に手をやると、ぬるりと暖かな感触が掌に伝わった。
ぶるりと体が震えた。咄嗟に避けなかったら今頃は―――。
「貴方は私の素顔を知った。生かしておく理由はどこにもない」
「な―――⁉」
裸身を惜しげもなく晒しておいて何も感じないのか、少女はどこからか取り出した短刀を逆手に構え、紫紺の瞳の中にはっきりと僕を映した。
瞬きの刹那、音もなく少女の姿が掻き消え、気付いた時にはもう懐に潜り込んで短刀を振り下ろしていた。
辛うじて動いた左腕、荒砥で刃を防いだものの、それも想定内とばかりに次々と鋭い連撃を繰り出してくる。
正直目で追うのが精一杯だ。しかも相当の手練れで、明らかに急所である首を躊躇なく狙って多彩な角度から攻めてくる。
鎧を纏ってない生身の部分も緩急を織り交ぜて攻めてくるので防戦一方、と言うか攻める隙が全く無い……!
「フサオ、どうしたの⁉」
「フサオさん!」
このままではいずれ消耗してやられる。そんな思考が脳裏を掠めた時、雑木林の中からエメロッテとナナリーが血相を変えて飛び出してきた。
まずい、今この状況じゃ二人を守れる自信が―――と最悪の状況をイメージしたが、予想と反して少女はあっさりと僕から距離を離し、おそらく自前のものであろうマントを素早く羽織って、髑髏の仮面で素顔を覆った。
そして仮面の奥に潜む、無機質で何の感情も宿っていない紫紺の瞳でじっと僕を見つめ、
「貴方は必ず殺す。―――何があっても、必ず」
それだけ言い残し、風のように雑木林の中へと消えていった。
「な、なによアレ。猿か何か? って、フサオあんたそれ大丈夫⁉」
「あ、う、うん。ちょっと掠っただ―――」
謎の少女が走り去った方を、茫然と見つめる事しかできない僕たち。
彼女は一体何者なのか。あのナイフ捌きはどう見ても普通じゃない。しかもなんの躊躇いもなく急所を狙ってくるってことは、どう転んでも悪い方向にしか考えが及ばない。
何より気になったのは、あのビー玉みたいに何も宿ってない紫の瞳だ。
どこまでも空虚で、静謐で、奈落の底を覗いているかのような、そんな何の感情も映さない無機質な眼。
あんな眼をした人間は初めて見た。初めて見るからこそ、何とも言い難い恐怖を覚える。一体彼女に何があったのだろうか。
と思考に耽っていると、ぽかんと呆けていたエメロッテとナナリーが慌てて駆け寄ってきた。
首から血が出ていることに気付いて、さらに慌てっぷりに拍車がかかったので大丈夫と笑って見せた瞬間、二人の背後にとてつもなく大きな、黒い何かがぬうっと伸びた。
それが危険だと瞬時に察したのは、黒い何かの中で、きらりと反射して光る、鋭利な刃物が見えたからだった。
「危ない!」
考えるよりも早く、体が勝手に動いた。二人を胸に抱き、思いっきり横に飛んで転がる。
二人がいた場所に降り注いだそれはずしん、と大地を揺るがし、容易く地を砕き割った。
鋼殻熊をも超える巨躯のそれは唸り声を上げながら、悠然と僕たちを見下ろしていた。
水蹄幻馬。
水精を司る象徴として名高い巨馬は、通常の何倍も大きな巨体を戦慄かせ、目の前の敵に向けて咆哮を上げたのだった。




