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【第三章:偽りの仮面】
―――彼の連なる眼に魅入られし者、如何なる加護も通ずる事能わず。
―――彼の前にして、如何なる真言も通ずる事能わず。
―――彼の者は魔の者を統べ、世に混沌と破滅を齎す者なり。
―――畏怖せよ。
―――戦慄せよ。
―――絶望せよ。
―――彼の者は深淵に座す、覇を唱えし終焉の象徴―――人の世に破滅を齎す災厄の魔王なり。
―――『御伽噺 災厄の王より抜粋』
◇
「緊急依頼……ですか」
タグから投影された文字列から意識を外し、目の前で事務処理に追われている完璧な笑顔と擬態能力を持つ赤髪の美女―――ルルさんに視線を向ける。
「詳細はそこに記載してあるので、お手数ですが確認をお願いいたします。見ての通り私は手が離せませんので、余程緊急なことでない限り質問はご遠慮願います」
「……お疲れ様です。何かお土産とかいります……?」
気遣ったつもりなのだが、今は本当にそれどころではないらしく、ぎろりと横目で睨まれてしまった。
早朝、いきなりタグを通して呼び出しをくらった僕たちは急いでギルドに向かったのだが、見ての通りルルさんは忙殺されているし、他の職員さんもバタバタと慌ただしく動き回っている。
冒険者はいつもより少ないかなと感じるけど、どことなく浮足立っているようにも見える。何かあったのだろうか?
「近くに勇者様が来てるらしいわよ。なんかタレコミがあったみたいね」
投影されたコンソールパネルを操作しながら、エメロッテが事も無げに言う。あまりにさらっと言うもんだからふーん勇者かーと流しそうになったが、よくよく言葉の意味を思い返してぎょっと目を剥いた。
それはナナリーも同じだったらしく、目を丸くしてエメロッテを見ていた。
「え、勇者ってあの勇者? ずっと昔に魔王を倒したって言う伝説の?」
「あ、それは覚えてるんだ。まあ当然よね、子守唄代わりに聞かされる昔話だし」
「それなのにやけに冷静だね。向こうはすごいバタついてるのに」
「確かに凄い事だけど、直接会って話せるわけじゃないし、そもそも拝見できるかどうかすら怪しいのよ? まあ、拝見できるだけも有り難いお話だけど……それに私、賢者様を見てみたいのよね。まあまず無理でしょうけど」
「わ、私も大司祭様を拝見したいです。できれば……ですけど」
エメロッテの話によると、勇者一行は勇者カイン、狂戦士ガムギン、賢者オリヴィア、大司祭ヨーゼフからなる四人パーティーで、神様から賜った唯一無二の加護の力を使い、各地を巡って災禍を祓っているのだとか。
当然人間なので子孫がいて当り前なんだけど、ちょっとした疑問が残る。魔王はとうの昔に滅んでいるはず。なのにどうして勇者と言う存在が残っているのか。
ゲームとかでは魔王っていう存在は何度も蘇る不滅の存在だ。この世界における魔王も、それと同じようなものなのだろうか。
そうであれば勇者が存在している理由も頷ける。頷けるけど、それはこの世界にまた魔王たる存在が現れる事を意味している。
―――果たしてこの世界の人たちは、それを把握しているのだろうか。
「まあ勇者様のことは置いといて」
考えすぎだ、と思考を一旦横に置いておいて、改めてタグから表示されてる文字列に意識を向ける。
「ごめんナナリー、読んでもらっていい?」
「何よあんた、字が読めないで冒険者になったの? ほらタグ貸して。読んであげるから」
「あ、ごめん。ありがと」
相変わらず字が読めない僕がナナリーにタグを渡そうとすると、横からすっとエメロッテの手が伸びてきた。
特に断る理由もないので手渡すと、視界の端でナナリーが一瞬だけ悲しそうな顔をしていた。
あれ? と思って顔を向けると普段通り微笑みを湛えている美少女がそこにいた。うーん、気のせいかな……?
「え、なにこれ。水蹄幻馬の討伐って十ツ星がやる依頼じゃないわよ。ちょっとあの受付に文句言ってくるわ」
「お願いだからやめて! 多分と言うか絶対僕が後でシメられるから!」
遠目からでも殺意が漲っていることがわかる怒れる獅子に、あろうことか喧嘩を売りに行こうとするエメロッテを後ろから羽交い絞めにしてでも阻止する。
なんて命知らずなお嬢様なんだ。あの人は女性だろうと絶対手加減しないタイプだ。寧ろ喜々として顔を集中的に狙って行きそうとか思ってたら鋭い視線が僕を射抜いたのでさっと目を逸らす。やべえよやべえよ……あの人心を読めちゃうタイプだよ……。
激しく暴れるかと思いきや、エメロッテはか細い声で「は、離しなさいよ……」とぼそぼそ呟くのだった。
「……ふぅ、何、あの女あんたのなんなの?」
「なんなのって、良くしてもらってる専属担当者だけど?」
すーはーすーはーと深呼吸した後、気を取り直したエメロッテが僕を半眼で見つめながらルルさんとの関係性を聞いてきた。
心なしかまだ顔が赤い。そこを突っ込むとややこしいことになりそうなのでスルーして至って普通の答えを返すと、エメロッテはたいして興味なさそうにふーんとだけ返した。
興味がないなら聞かないで欲しい。あと何か勘ぐるような目で僕とルルさんを交互に見ないで。君が見てないところでルルさんがすっごい怖い顔でこっちを見てる瞬間があるから。
百面相を見てるみたいでこれはこれで面白いけど怖い。後が怖いのでホント勘弁してください。
「……ねえナナリー、何食べたらそんなにおっきくなるの?」
「え、ええ? 何のことですか?」
「これよこれ」
僕とルルさんを見ていたはずのエメロッテが唐突にナナリーに話題を振った。
当然何のことかわからないナナリーは首を傾げて困惑していたが、同じく僕も首を傾げた。
僕たち三人の背丈はそう変わらない。僕がちょっとだけ背が高いくらいだけど、こんなもの誤差の範疇で、どっこいどっこいだ。
となれば何が大きいと言っているのか、思わず視線をそこに向けた瞬間、エメロッテが何を思ったか徐にずむっ、とそこに手を突っ込み、ぼよんぼよんとリズムカルに弾ませた。
―――衝撃が走った。
それはもう何がどうとかすごいぷるぷるだとか重力に反してすごいたっぷんたっぷんだとかもう何もおっぱいだったそうおっぱいだったおっぱいと言うものはああも神秘的で魅力的で蠱惑的なのか僕も触りたいとか思ってしまったうわああああすごいやわらかそうだったようわあああああ!
一瞬で思考がショートした。
「ひゃあああっ⁉ 何するんですか⁉」
「うっわなにこれ、やわっこいのにすごい重さ……どうやったらこんな育つのよ……」
身を捩って逃げようとするナナリーを逃がすまいと今度はぐわしっと鷲掴みにして上下左右に餅をこねるみたいにみょんみょん捏ね回すエメロッテ。
その度にナナリーから艶めかしい押し殺した声が上がる。
けしからんもっとやれ! じゃなくてここはパプリックな場所だからそういうの良くない! もっと見た……とにかくダメだ!
「フサオ、あんた……」
「フサオさん……」
「んっ、どうしたの?」
これはいかんと僕は努めて紳士的に止めに入ったのだが、僕を見る二人の目が汚物を見るような絶対零度の眼差しだった。
どうしたのかなと紳士の笑顔を浮かべると二人の顔が益々引き攣った。あれなんでだ。
「キモイ。鼻血出てるわよ、このドスケベ」
「み、見ないでください……気持ち悪い」
「あれなんでわかるの⁉ しまったバイザー上げてた!」
痛恨のミス。てっきりバイザーが下りてるものだと思ってたら、思いっきりバイザーを上げてて鼻から下が露出していた。
そしてなんか生暖かいものが伝ってるなと思ったら興奮のあまり鼻血が出てしまっていたようだ。
思春期の男子にあの光景は刺激が強すぎると思います……! と弁明しようにも時すでに遅し。
ナナリーとエメロッテは身を寄せ合ってひそひそと何かを囁きあっていた。
「ナナリー、男は皆ケダモノなのよ。仮面の下からじろじろと厭らしい目付きでそのおっきな胸を舐め回すように見ているに違いないわ」
「不潔……気持ち悪い」
「さー依頼に向かおう! よーし張り切っちゃうぞー!」
ここは戦略的撤退を試みる。多勢に無勢、ここは僕に勝ち目はない。
であれば速やかに話題を変えて被害を最小限に抑えることが望ましい。
「逃げたわね」
「逃げましたね」
「ごめんって。あとあんまりトラウマを刺激しないで。お願い」
咎めるような視線でひそひそと囁きあう二人。その姿が思い出したくない記憶と重なって、一気に気持ちが沈みこんだ。
それを察してくれたかどうかは定かではないけど、普段通りに戻ったエメロッテが腕をほんのりと膨らみがある胸の前で組んで首を傾げた。
「行くって言っても、まさかスイセンまで歩いていくつもり? 片道五時間もかかるのよ? 自慢じゃないけど私、子供より体力ないわよ」
「それを自慢気に言われても……五時間はちょっとなあ……」
「でしたら、商隊を利用するのはどうでしょうか」
自慢にならないことを自慢気に話すエメロッテはさておき、どうしようかと頭を悩ませていると、ナナリーから聞き慣れない単語が出てきた。
エメロッテは商隊なるものを知っているのか、まあ妥当ねと頷いていた。頷いてないでわからない僕に説明してください。
結局僕はまたもナナリーのお世話になり、スイセンまで行く商隊とやらの都合をつけてもらうのだった。
◇
「いつも迷惑かけてごめんね、ナナリー」
「いえ、私にはこれくらいしかお役に立てないので……」
ガタゴトと結構揺れの激しい馬車の中で、隣に座っているナナリーに一言お詫びする。
これくらいなんでもないと謙遜するナナリーだが、字の読めない、土地勘のない僕の代わりにあれこれやってくれているのでほんと助かっている。
僕の方でも勉強はしているつもりだけど、毎日の生活費も稼がなきゃいけないので進捗はよろしくない。と言うかほぼ手つかず。
ナナリーは優しいから顔に出さないだけで、少なからず迷惑に感じている部分はあると思う。何かしらで埋め合わせはしないとなあ……。
それはそうと、商隊と言うのは平たく言えば運送屋だ。いくつかの小隊を組み、街から街、または旅をしながら商品を運搬したり、販売もやっている移動するお店だとかなんとか。
商品の運搬の他に、タクシー代わりに利用することもできるらしい。と言うより、小隊を組んで移動するので身の安全のために商隊を利用して街から街へ移動するのが基本なのだそうだ。
スイセンまで三時間とちょっと、三人で銀貨一枚と高いのか安いのかちょっとわからないけど、ナナリー曰く、妥当な値段らしい。
もし宿泊が必要な場合は天幕も用意してくれるし、食料や水もある程度用意してくれるのだそうだ。
今後こういった遠方に向かう依頼が増えてきそうだから覚えておこう。覚えたところで実践できるかはまた別の話だけど。
「ねえフサオ、それも鋼殻熊から作ったの?」
「うん。思った以上の出来栄えだったよ」
しかし結構な揺れに関わらず会話は絶えない。今もこうやってエメロッテが僕の鎧を見て目を輝かせている。
出来上がった鎧は甲殻鎧・荒守と命名され、これまたしっくりと来るものだった。見た目を除いて……の話だけど。
流石に布の服よりも軽いとまではいかないが、それでも驚くべき軽さの甲殻を何層にも張り合わせた装甲が、肩以外をがっちりと保護してくれていると言う安心感は半端ない。
だけど首回り、肩回りに装飾されたファーがどう見ても悪役にしか見えないのだ。これでバイザーを下ろしてあの恐怖しか覚えない三つ目の仮面で、後頭部から謎の帯がうねうねしてたら怪しさがもう半端ない。夜にこの姿で街をうろつこうものなら衛兵がすっ飛んできそうなくらい見た目が賊っぽくなってしまった。
ついてきてくれたナナリーとエメロッテはおろか、アルフレッドさんにまでそれはやめておけと釘を刺された。どうやら僕の美的センスは思った以上に悪いらしい。かっこいいと思うんだけどなあ……。
「ふーん。ねね、水蹄幻馬の素材が手に入ったら、私にも何か作ってよ」
「いいけど、僕が作るわけじゃないよ? あとナナリーにも体を守る防具を作ってあげないとなあ。その修道服、だいぶ傷んでるみたいだし」
「あの、私は余り物でいいですよ? 貴重な素材を私なんかに使っていただくのは……」
「ナナリーあんた何言ってんの? 盾役のフサオの装備が最優先だけど、治癒魔法士であるあんたの装備も優先度が高いのよ。治癒魔法士が真っ先に狙われるんだから、多少は良い装備にしておかないとあっという間に全滅するわ。そうならないために盾役のフサオがいるわけだけど、そう上手くいかないのが世の常。あんたがパーティーの命綱を握ってる。そう考えておいて損はないわ」
熱弁するエメロッテの話に、思わず聞き入ってしまった。確かにエメロッテの言う通りだ。
僕が真っ先に飛び出て盾になることが大前提だけど、万が一抑えきれない敵がいたら多少なりとも交戦しなければならない。
そうなった場合すぐに僕が対応できれば言う事なしだけど、極端な話その時身を守るものが布か鉄かによって大きく生存率が変わってくる。
身を守る術が強固であればあるほど心強い事はない。それまで自信なさげだったナナリーも、エメロッテの講義に真剣に耳を傾け、その空色の瞳にやる気と決意を漲らせていった。
「まあ、私はフサオを盾にして好き放題魔法ぶっぱなすだけなんだけどね。一応加減はするけどちゃんと避けてなさいよ?」
「巻き込む前提で話を進めないでいただきたい!」
「わ、私……精一杯頑張ります!」
どこまでが本気で、どこまでが冗談かわからないけどすごくためになる話だった。
ナナリーは勿論、僕も俄然やる気が出てきた。でも一つだけ気になることがある。
それはエメロッテがなぜここまで冒険者について詳しいのかだ。
「にしてもエメロッテ。冒険者になったばかりなのにやけに詳しいね」
「セバスやお母さまから色々聞いてたのよ。セバスからは前衛、お母さまから後衛のことを詳しく聞いたわ。二人から共通して出てきたことは、前衛を知りたければ後衛を知れ、後衛を知りたければ前衛を知れって言われたわね」
そう言えばエメロッテのお母さんは元凄腕の冒険者で、今はエリュシオンの偉い人だって聞いたような。
お母さんはわかるとして、セバスさんほんと何者だろう。棘翼火竜の時に絶対ただ者じゃないことは確信したけど……元冒険者だったりするのだろうか。
それはそれとして、エメロッテに言われた言葉を頭の中で反芻し、イメージを膨らませる。
後衛の気持ち……そういえば鋼殻熊や棘翼火竜と戦ってる時は無我夢中すぎてそんなこと考えてる暇なんてなかったな。
「ふむ……となると僕もナナリーたちのことを考えて動いた方がいいのかな……?」
「あっは、あんたにそんな複雑な事出来るの? 考えるより前に体が動いちゃうお人好しのくせに?」
真剣に考えた提案をものの二秒でばっさり斬り捨てられてた。
えっ、と固まる僕に、エメロッテは悪戯っぽく笑いながら、
「言ったでしょ? あたしは天才なのよ? あんたはあんたの好きなように動きなさい。それを後衛がサポートするから。こう見えて、元三ツ星 冒険者に英才教育を施されてるのよ?」
任せなさい、と薄い胸を叩いて誇らしげに胸を張るエメロッテに、僕とナナリーは揃って頷いた。何とも頼もしい仲間が出来たのだと自信にさえ繋がった。
少なくとも、今この時までは―――。




