15
「……眠れん」
もう何度目かわからない寝返りを打ち、限りないウィスパーボイスで呟く。
耳を澄ませばホーホーとフクロウの鳴き声が聞こえる。フクロウじゃないと思うけど、鳴き声がそれっぽいので多分フクロウだ。そうに違いない。
フクロウの鳴き声ともう一つ、微かな息遣いがどうしても聞こえてしまう。聞こえてしまうと意識してしまうので、寝ようとするとまた意識して眠れなくなる。
悪循環極まりないこの状況はどうしてこうなったとしか言いようがない。
まず宿探しだけど、僕は字が読めないのでナナリー任せになってしまう。お任せした身として文句は言えない。
だけどナナリーが選んだのは一番安い宿、それも相部屋なのだ。うら若き男女が一つ屋根の下で二人きりはまずいと思います。
そう言えるはずもなく、ナナリーは僕なんかと一緒で嫌じゃない? とそれとなく聞くと、何がですか? と可愛らしく首を傾げられてしまった。
邪な考えを抱いてしまった僕を浄化していただきたい。と、言うわけで隣のベッドにはナナリーが眠っている。
今日の疲れがあったのか、ナナリーは大浴場でお風呂を済まし、交代で入った僕が戻ってくる頃にはもう寝入ってた(兜は被ったままで入浴。無論ビシバシと奇異の目を向けられた) 。
すやすやと規則的に寝息を立てる動きと連動して上下する、ものすごいボリュームのものが僕の視線を釘付けにして離さなかったが、なるべく見ないようにしてきちんと毛布をかけてあげた。
意外と睫毛長いんだなあと割とじっくり寝顔を鑑賞してしまっていることに気付き、これはいかんと僕も自分の寝床に潜り込んだはいいが、いかんせん意識が持っていかれて全く眠れない状況に陥っていた。
「……外の空気でも吸って、頭を冷やすか……」
のそりと起き上がり、隣のベッドを見ないよう、音を立てないようそろそろと部屋を出ていく。
今日は満月らしく、明かりがなくとも割と明るい。ファンターハンでもそうだったけど、この世界に電気と言う概念は浸透していない。
いないのだが、街灯の代わりらしきものはあちらこちらにある。大気中の魔素……つまりマナを利用して魔法の力によって光源を得ているらしい。
マナとかオドとかこの明かりの仕組みとか聞いたような気がするけど、正直魔法が全く使えない僕にはチンプンカンプンだ。まあ、街灯のようなものだと思っている。
田舎だとこういったものが普及してなくて、松明やランタンを使うってナナリーが言っていた。日本でも電気通ってない田舎があったような気がしたなあ。どこかは知らないけど。
どこに行くでもなく、ただふらふらと歩いていた。ちらほらと人の姿は見えるけど、昼に比べたらやはり少なく、町は静まり返っている。
どれくらい歩いただろうか。ふと気付くと、見知らぬ路地裏を歩いていた。土地勘のない僕は慌てて来た道を引き返そうとすると、背後からしゃがれた声がした。
びくりと弾かれたように振り返ると、明らかに異質な空気を醸し出す、さっきまでなかったはずの露店が目の前に存在していた。
「え……なんだ、これ……」
「いらっしゃい。何を、お求めかな?」
「うわああああッ⁉」
屋台で見たことのある木の枠と、シート代わりに敷かれた布の上にずらりと並ぶ大小様々な仮面。
どこかで見たことのあるようなものもあれば、どこぞの民族チックなものもある。
なんだこれは、と言う前に、なんでこんなものがここにあるのか。そもそも、この異質な空気は一体何だろうか。
何か、この世の物ならざるもののような気がして―――と、その中の一つ―――ぼろ布を纏っていた骸骨からしわがれた声が響いた。
あまりのことに悲鳴を上げて尻もちをつくと、骸骨が異様に長い細枝のような指を口元にそっと持っていき、小さく左右に揺れ動いた。
「今宵は満月。刻は丑三。さすれば招かれざる者たちの宴の始まり。人の理なれば、刻は静謐なる揺り籠の中。平たく言えば、夜も遅い。大声を出すと周りに迷惑……と言えば伝わるかな? お客人」
かろうじてそれが老人だとわかったのは、骸骨の奥から聞こえてくるしわがれた声だ。頭からすっぽりとぼろ布を被っているため全体が見えない。と言うか人であるかすらも疑わしい。
なんだってこんな深夜に、こんな人気のない場所で明かりもなく―――。
明かりがないのに、どうしてこんなにはっきりと見えるんだ?
それが分かった瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走った。
「ひぃえ、いえ、ぼきゅはおきゃくらないれふ。ひつれいしまひた」
「おや、それは意外。良ければ気に入ったものを手に取ってはいかがかな? 必要なものなのだろう?」
恐怖の余り腰が抜けた。しゃかしゃかと黒い奴みたいな動きで這って逃げようとする僕に、骸骨がくつくつと喉の奥で愉快そうに笑う。
そして緩慢な動きで仮面たちを手で示し、ゆっくりと僕の方へ顔を向けた。
骸骨の眼窩―――暗い洞穴の奥で、青白い光がぼうっと浮かび上がった。
その瞬間、被っていたはずの兜が音を立てて地面に転がった。
「ファッ⁉」
なぜ? どうして? そう考える前に僕は行動を起こしていた。
展示されている仮面の端―――僕から最も近い位置にあった仮面を手に取り、すかさず顔を隠す。
「すいませ、これちょっと借り―――なっ⁉」
顔に宛がったと同時に、仮面がまるで生き物のように絡みついてきた。
驚いて外そうとするも、既に仮面は僕の頭部をがっちりと包み込み、どうやってもびくともしなかった。
「え、なにこれどうなってるの⁉ ちょ、取れ、ええ⁉ なにこれなにこれ呪われてるの⁉」
前に引いたり上に引っ張ったり、下に引っ張ったりしてみても全然ダメ。いきなり引っ付いてくるなって気味が悪すぎてとてもじゃないけど着けていられる気になれない。
と言うか今すぐ引っぺがしたい。未知のものを即座に受け入れられるほど僕の肝は座っていないのだ。
『それがお客人の求めるもの。面とは鏡。内なる己を映すもう一つの貌。光と闇、どちらかに転ぶかは……お客人次第……』
この異常事態の元凶である、訳の分からない事を宣っている骸骨に文句の一つでも言おうと、店があったはずの場所へ顔を向ける。
―――そこには、がらんとした人気のない路地裏だけが広がっていた。
「で、でたあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ⁉」
「うるっせえぞ今何時だと思ってんだゴルァ! って怪物⁉」
「スイマセンッシタ!」
どこのどなたかわからない人に謝りつつ、僕は恐ろしくなって脱兎のごとくその場から逃げ去った。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い! お化けだ、絶対今のはお化けだ! となればこれは絶対呪われるに決まってる! 嫌だまだ死にたくない、助けてナナリー!
僕は半泣きになりながら一目散に逃げ去り、ナナリーが眠っている部屋へと可能な限り音を立てず、かつ迅速に滑り込んだ。
「ナナリー、ナナリー起きて、ナナリー」
気持ちよさそうに眠っているところ非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになるけど、今はそれどころじゃない。
今の僕は恐怖で何も考えられなかった。その状況下でも周りに迷惑がかからないよう、小声で喋っているのだからそこは褒めて欲しい。
しばらくナナリーの肩を揺すっていると、くぐもった声と共にナナリーがもぞりと身じろぎした。やった、これで助かる。ナナリーは僧侶。つまりこういった除霊とかもお手の物のはずだ。そうであって欲しい。そうであってください、切実に。
「……う、ん……どうしたんですか、フサオ、さ……」
ごしごしと寝ぼけ眼を擦りながら、のっそりとナナリーが体を起こす。
そしてぼんやりと僕を見て数舜だけ固まり、ぱちぱち、と何度か目を瞬かせ―――、
「きゃあああああああああああああああああああああああっ⁉」
「杖……だとぉ……⁉」
悲鳴とセットで思いっきりぶん殴られた。予想だにしてなかったので見事なクリーンヒットだった。なかなかどうして……良い打ち込みじゃないか……ぐふっ。
その後、悲鳴と僕が倒れた音で宿屋に一騒動起きたことは言うまでもない。その騒動を治めるまでに相当の時間を費やしたことは言わずもがな。
賊か何かと勘違いされてとっちめられそうになっていたけど、ナナリーの弁明もあってなんとか事態は終息を迎えた。
やっと一息吐けたところで、僕は改めてこの面について話題を切り出すのだった。
「はあ、お化け……ですか」
「そうなんだよ。で、このお面? お面なのこれ? まあいいや、これが取れないんだけど、呪われたりしない?」
「えっと、私の前で外していいんですか?」
一通り説明を聞いてくれたナナリーの反応は芳しくない。幽霊なんて見慣れているのだろうか。それとも男がそれくらいでビビってんじゃねーよと呆れているのだろうか。
どちらにせよナナリーのなんとも言えない微妙な表情を鑑みるに、あまりよろしくないようだ。
それはそれとして、とにかくこれを外すことが先決なので拝み倒す勢いでお願いすると、今度は困り顔で首を傾げられた。
おっとーそいつは考えてなかったぞー。外れて素顔がこんにちわ、なにそれキッモとか嗤われたら生きていく自信がない。割と本気でそう思っているので考える。
考えて導き出した答えは、ナナリーに背を向けてベッドに腰かけることだった。
「じゃあ後ろ向いてるから、呪われてるかどうかだけ……ごめんね」
「はい、わかりました。と言っても解呪できませんけど、呪われてるかどうかくらいなら……」
え、ちょっと待って呪い解けないの? と言いかけたがこっちはお願いしてる身。
とりあえずいわくつきの物じゃないかだけでも確認できればちょっとは違うかと言い聞かせ、ナナリー先生にお願いする。
「……この帯みたいなの生きてるんですか? すごくうねうねしてて、ちょっと……」
「生きてるかどうか僕にもわかんないよ。でもそれ、めちゃくちゃ硬いのに布みたいにひらひら動くっぽいんだよね。なんの素材なんだろうか」
背後から明らかに嫌そうな気配が伝わる。うん、気持ちはわかる。だってこれ気持ち悪いもん。
この仮面と頭をがっちり拘束している部分。何やら帯状のものがいくつも折り重なっていて、触感がまたなんとも不思議なのだ。
触ると布みたいに柔らかく、ひらひら動かせるんだけど叩くとものすごく硬い。本気で引っ張ってみたけど千切れそうな気配もなく、しかもなんかうねうね蠢いているのだ。
触ると柔らかい、意思を持ってる金属なんてあるのかと聞いてみたけど、そんなもの知らないですと即答された。割と本気で触るのを躊躇っているようだ。
しばしそのままの体勢でじっとしていると、意を決したのか、ナナリーが大きく息を吸い込んでいるのが背中越しに伝わった。
そしてゆっくりと手を伸ばし―――。
「ひゃっ⁉ はわわ⁉ ふわ……わ、わ、すごいすごい。歓迎してくれてるのかな?」
「……どうなってるの、僕の後頭部」
びくっとなってまたびくびくっとなって、それから恐る恐る触ってみて、どうなったのか。
声しか聞こえないから状況がさっぱりだけど、後半からギーグを愛でていた時の声質になっていたから少なくとも害はないのだろうか。
なんとなく後頭部がわさわさされていることが微妙にわかるくらいで、さっぱりわからない。
しばらく何事かをやっていたナナリーがわさわさする手を止めて、もういいですよと声をかけてくれた。
改めて向き直る。僕のこれどうなってるの一体。
「うーん……呪いを受けている印象はないですね……どうやっても取れなかったんですよね?」
「うん。引っ張ったら痛かった。不思議と前の兜より視界はいいし、呼吸も楽なんだよね。まるで仮面をつけてないみたいにさ。がっつり固定されてるんだけど、なんでだろう」
落ち着いて気付いたけど、この仮面はつけているって感覚が全くしない。前の兜は視界が狭くて勝手が悪いと少し不満があったけど、これはなんというか、何もつけていないんじゃないかと思うくらい、周りがしっかりと見れる。しかも息苦しさも全く感じず、息が込もるような感覚も全くと言っていいほどない。
でも仮面はがっちり拘束している。不思議でしょうがない。後頭部でなんかうねってるし、なんなんだろうかこれは。
そこでふと、この世界に来て不思議な体験をしたことが思い浮かんだ。
「タグみたいに取れろって思ったら取れるとか?」
「ただの仮面にそんな―――」
「ホントに取れたあああああああああああああ⁉ ちょ、ま、こっち見ないで!」
そうだよねーと笑いながら頭の中で外れろと思ってみると、あれだけがっちり固定されていた帯状の拘束具がかしゃん、と音を立てて仮面の中へと収納された。
拘束するものを失った仮面はそのまま重力に従って落ちる―――前にしっかりとキャッチして慌ててナナリーに背を向けた。
びっくりした。ほんとびっくりした。びっくりしすぎて心臓が痛い。僕は仮面を両手でしっかりと顔に押し付けて、呼吸が楽になるまでしばらくそうしていた。
呼吸が落ち着いたところで、もう一度頭の中で拘束、と思ったらかしゃん、と音を立てて元の形態に戻った。
「ええ……考えるだけで着脱可能とかなにそれ怖い……」
「もう、いいですか?」
「あ、うん。ごめんね取り乱して」
ナナリーの控えめ声に気付いて、元の体勢に戻る。
もしかして見られただろうか。いや、あの一瞬で見られるはずがない。
大丈夫、大丈夫だ。落ち着け、落ち着くんだ僕。
「いえ、それよりも不思議なお面ですね。見た目もその……変わってると言うか……」
「え、そんなに? 鏡かなにか持ってる?」
ナナリーの反応が普通だったのでほっと胸を撫で下ろし、そういえば外面がどんなものか確認してなかった僕はナナリーに頼み、鏡を貸してもらった。
鏡に映った仮面を見た第一印象はと言うと。
「怖ッ⁉」
「……見てなくてそれを選んだんですか……?」
いや、あの時もテンパってて外見とかそういうの見る余裕なかったんですよ……。
どこか呆れ気味のナナリーの視線からさっと目を逸らし、改めて鏡に映る自分をじっと見つめる。
その仮面は、見たこともない奇妙な仮面だった。全体的な彩は全て赤、オレンジ、黄色、黒で統一されている。
目に当たる部分にぎょろりとした目玉がふたつ。額に当たる部分にそれよりも一回り小さな目玉がひとつ。
耳に当たる部分には何かの爪のようなものが三つずつあり、それが仮面の縁から仮面を掴んでいるかのようにも見える。
鼻から下の部分からは素材がまた変わっており、どことなくバイザーっぽく見える。角度を変えて見てみても、奥が透けて見えるようなことはなかった。
何よりも不思議なのはこの拘束具だ。布っぽい金属で、意思を持ってみたいにうねうね蠢いている。しかも色合いも不思議で、仮面に近付くにつれて濃い赤っぽい橙色なんだけど、先端に向かうにつれて色が薄くなっているのだ。
ほんとなんなんだろうかこの仮面は。不思議でたまらないのと同時に、何か得体の知れないものを感じる。
じっと三つの瞳を見つめていると、底知れぬ畏怖の念を抱く―――そんな気がしてならない。
瞳を見ることをやめて、すぐ下のバイザーっぽい黒い光沢を放つ部分に目を向ける。
ここが上下したらご飯も食べやすくなるのかなあと思った瞬間。
「ファッ⁉」
「あ、口元……」
変な声が出た。いやこれ誰だって驚くよ。だってバイザーっぽいのがホントにバイザーになったんだもん。
鏡に映る自分はどこぞのスペシャルフォースよろしく、いかしたメットを付けた理想図そのものだった。
鼻から下が露出する形になってしまったけど、別にこれくらいなら見られても平気だ。
全貌を見られてるわけじゃないし、そもそも食事するときに絶対見える部分だし。
ナナリーが何やら呟いたけど、今はそれどころじゃない。こんな可変式のハイテク仮面あっていいものなのだろうか。
「ナナリー、こんな技術存在してるの?」
「あ、い、いえ、初めて見ますけど……」
ナナリーも初見のようで、目を丸くして驚いている。もしかしたらエリュシオン製のものかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
少なくとも、あまりおおっぴらに機能を見せてはいけないと言うことはわかった。まあ骸骨が持ってたくらいだし、この世のものじゃないのはなんとなく察した。
最初は怖いし気持ち悪いとさえ思っていたけど、なかなかどうして、いや、これはこれで……。
「最高にかっこいいじゃないか……! ふふふ……ぐふふふふふ……!」
「気持ち悪いです。……気持ち悪い」
「なんでそこだけ砕けるのさ⁉」
ナナリーの痛烈なツッコミが入り、僕は堪らず抗議の声を上げた。全く取り合ってもらえなかったけど。
なんでだようかっこいいじゃないかよう。バイザー下ろすと怖いけどバイザー上げるとかっこいいじゃんよう。
普段はバイザー上げとこう。あのギョロ目もちょうど隠れるし、何よりかっこいいし。
得体の知れない骸骨からの貰いものと言うことを忘れ、僕はこの先ずっと愛用することになるこの仮面に一目惚れしてしまった。
―――これがこの世界の運命を変える、ただ一つのものとは知らずに。




