13
「結構賑わってるんだね」
「はい。王都に一番近いこともあって人が多いんです。王都ほどではないですけど、必要なものはほとんど手に入るかと思いますよ」
タハン街道を歩くこと約二時間、道中道草を食いながらも到着したハーメルの町はなかなかに栄えていた。
王都に比べるとどうしても見劣りしてしまうが、それでも町は十分活気づいているし、道行く人々も皆笑顔で溢れている。
見たままの感想を告げると、ナナリーが僕と同じ景色を見つめて微笑みながら答えてくれた。
ほっこりしながらナナリーを見つめていると、ごぎゅるるるるる……と獣の唸り声かと思うほどの大音量で僕の腹が鳴った。
「……お腹減ったね」
「そうですね。ずっと歩き通しでしたし、昼食を取ってから町長さんのところへ行きましょうか」
そっと顔を逸らし、聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟くと、ナナリーは控えめに笑って行きましょう、と先導してくれた。
適当なお店に入ると、ナナリーがこれまたオーダーを取ってくれた。やだ……僕の役立たずぶり底なし……?
軽く自分に絶望しながら雑談を交わしていると、お待ちかねの料理が来た。
来たのだが、ここで大きな問題がある。それは―――。
「……あの、食べづらくないですか?」
「ごめん、気になるよね。どうしてもこれが外せないからさ……」
そう。僕は顔を見られることが嫌で嫌で仕方ないのだ。前世……と言った方がいいのだろうか。日本では散々な目に遭ってきたせいか、人前で素顔を晒したくない一種の病気みたいなものが出来上がっていた。
ナナリーには戦いでの火傷が酷くてとても見せられたものじゃないと嘘をついているが、醜いという点ではあながち間違っていないので、心苦しいけどその設定に乗っかっている。
オムライスっぽいものをスプーンで掬い、兜をちょっと持ち上げて顎と兜の隙間からそれを口に運ぶ。非常に食べづらいことこの上無いが、顔を見られてまた繰り返すよりマシと言い聞かせ、悪戦苦闘しながら料理を平らげていく。
周りの奇異の目も気になるが、何よりナナリーの痛ましいものを見る目が突き刺さって非常に気まずい。
ごめん、せっかくの料理が美味しくなくなるよね。今度から一人で食べよう、申し訳ないし。
「この料理、すごく美味しいね。王都の料理も美味しかったけど、ちょっと違う感じで」
「近くのヘリオ平原と高原から豊富な食材が採れますからね。ギーグの卵もその一つで、ここでしか食べられないものもあるくらいです。あとは町長さんの奥様がエリュシオンの凄い方だとか」
「へえ、そうなんだ。値段の割にすごく美味しいと思ったよ。ちなみにエリュシオンって?」
「エリュシオンは魔法に携わる人たちが集まる頂点ですね。エリュシオンにいたと言うだけで、箔がつくくらいのそれはもうすごい場所です。そんな場所でかなり高位な立場にいらっしゃるようですから、それはもう素晴らしい女性なんでしょうね」
「へええ……ナナリーがそこまで絶賛するんなら、それは凄い人なんだろうね。ナナリーも魔法が使えるし、やっぱり憧れたりするの?」
会話がぴったりと止まり、何とも気まずい空気が流れていたので話題を振ってみる。
ナナリーも僕の意図に気付いてくれたのか、少しだけ笑顔を作ってハーメルのことを教えてくれた。
それだけで終わらず、エリュオンと言う新しい街の名前も出てきたし、ナナリーの反応が意外に良かったのでこれは乗っかるべきだろうと詳しく聞いてみることにした。
「確かに憧れないと言えば嘘になりますが、私は僧侶で、しかも見習いですので……」
「ん? 初級治癒術も魔法だから一緒じゃないの?」
複雑な表情を浮かべて少しだけ目を伏せるナナリーに、僕は首を傾げた。
そういえば属性と魔法があるってことくらいしか知らない。魔法は魔法だから全部一緒じゃないのだろうか。
ナナリーの反応を見るに違うということがわかるが、どう違うかがさっぱりわからない。
なのでもはや先生となりつつあるナナリーの言葉を待つことにした。
「僧侶と魔法使いでは扱える魔法の系統が違うんですよ。親和性も少し異なって、僧侶になる人のほとんどが光属性と相性が高いです。火・水・風・土・雷・木の六属性を扱えるのが魔法使いで、光を扱えるのが僧侶です。上級職になるとあまり関係なくなってくるんですけど、おおまかに言えばそんな感じです」
「なるほど。あれ? でもそれだと闇属性がないけど」
疑問を口に出すと、ナナリーの表情が少しだけ曇った。あれ、何かまずいものなのかな。闇ってなんかかっこいいじゃない。闇の炎に抱かれてとかなんとか。
「闇属性はその名の通り闇に紛れたり、影を操ったりする属性です。その特質上、犯罪に使われることが多いのであまりイメージが良くないのです」
そう言われるとそうだな、と納得してしまう。気付いたら背後にいてザックリ、なんてことも可能ってわけか。使いようかもしれないけど、確かに明るい印象は受けないな。
なんとかオムライスも食べきれたし、ナナリーもパンとサラダスープセットを食べ終えたようなのでそろそろお暇するとしよう。
「色々ありがとう。お腹も膨れたし、そろそろ町長さんのところへ行こうか」
「そうですね。町長さんのお屋敷はこの町で一番大きな豪邸ですから、そこへ向かいましょう」
僕が席を立つと、それに倣ったナナリーが席を立ち、ポーチから小さめの麻袋を取り出して僕に手渡してきた。
支払いはもちろんナナリー……なはずがなく、僕だ。とは言っても二人で話し合って決めた共有資金から払うんだけど。
この共有資金とは奢られることに慣れていないナナリーのために採用された妥協案。前にご飯を奢るよって何気なく会計を済ませたら「命を救っていただいてパーティーにも加えていただいて依頼の報酬も半分ももらえているのにそこまでされては私どうしたらいいか」とめっちゃ泣きそうになったので奢りはなしになった。
それで提案したのが共有資金。二人で依頼を受ける時の宿代とか食費、雑費もろもろをここから出そうと言うものだ。そうすれば僕もナナリーもちゃんと貯金が出来て気にすることがなくなるだろうと提案したけど、やっぱり最初はすごく渋っていた。
どのみち一緒に仕事することが多いし、仲間なんだから自由に使えるお金と、経費は別にした方がいいんじゃない? と言うと、ものすごく渋々納得してくれた。
そして僕は、自分の分はきちんと自分で払うといった金銭管理がしっかりしているナナリーに共有資金の管理をお願いした。何故かこれは快く承諾してくれた。なんでだ。
◇
「申し訳ございません。せっかく来ていただいたのですが、旦那様は今ご多忙の身で面会できる状態では……」
本当に申し訳なさそうに頭を下げるメイド服の女性。
正直この人の話は全く聞こえてなかった。だって生のメイド服だよ? 本物のメイドさんだよ? 是非ともナナリーに着ていただきたい所存でございます……!
とか思ってたら気持ち悪い声が出ていたのか、メイドさんの顔が微妙に引き攣った。心なしかナナリーの視線も冷たい。分かってくれとは言わないけど、男の子は憧れるものなんですよ……。
冗談はさておき、これは困ったことになった。
一応挨拶を入れておいて依頼に向かうのが筋だし、いきなりモノを持ってきて達成したから報酬よこせはおかしい。と言うよりギルドの規定で禁止されている。
顔見せを行っていないと両者の間で同意が取れたと認定されず、依頼そのものが無効になってしまうからだ。
前に本人を騙って報酬を横取りした、なんてこともあったらしいので、依頼主に会いにいけるのであれば、依頼前の顔合わせは基本必須になっている。
この様子じゃいつになるかわからないし、日を改めるしかないかなと踵を返したところで、お待ちくださいと落ち着きのある低い声が僕たちを呼び止めた。
「お見苦しいところを見せてしまい、申し訳ありません。納品依頼を受けてくださる冒険者の方々でお間違いないですか?」
「あ、はい。フサオ・キワタです」
「ナナリー・ルミアーデと申します。あの、何かあったのですか?」
「身内事で大変恐縮なのですが……ダレン様のご息女エメロッテ様のお姿が見えず、使用人総動員で探しているのですが、まだ見つからず……。ダレン様はエメロッテ様を大変溺愛しておりまして、その、なんと申しますか……」
屋敷から出てきたと思われる男性は見るからに執事! と言うテンプレを当てはめたかのような初老の男性だった。
白の総髪に、穏やかさと厳格さを感じさせる深緑の双眸。 こめかみから顎下にかけて綺麗に切り揃えられた白鬚。
おそらく180センチ以上はあるだろう高身長にも関わらず濃紺の燕尾服を見事に着こなし、しゅっとした体格も相まってそれだけで気品と出来るオーラを醸し出している。
執事さんが深々と頭を下げたので僕も慌てて頭を下げると、同じように頭を下げていたナナリーがおずおずといった様子で屋敷内の慌ただしさについて聞いてくれた。
すると執事さんは年季の入ったダンディズムな表情を少しだけ歪め、疲れた人特有のため息をついて小さく首を左右に振った。
言いたいことは察した。要は親馬鹿なんだろうなと当たりをつけ、苦笑するしか出来なかったけど。
「大変な時にすみません。日を改めた方がいいですよね?」
「ああ、これは大変失礼致しました。申し遅れましたが私はクラインハート家に使える執事、セバスチャンと申します。どうぞお気軽にセバスとお呼びください」
「え、あ、はい。どうも」
失念していた、とばかりに名乗り、左手を腹に当て、右手を後ろに回してお辞儀をして、45度の位置でぴたりと静止するセバスさん。
今の流れで突然自己紹介されたものだから少しテンパってしまい、わたわたと手を遊ばせてしまった。
「引き留めたのは他でもない依頼の事でして、差し支えなければ私まで卵をお持ちいただけないでしょうか。そうしていただければ私が旦那様に―――」
「どうかしましたか?」
「……いえ、何でもございません。もうヘリオ平原に向かわれるのですか?」
すぐに本題に入ってくれのだが、話している途中で何かに気付いたようにはっとした顔で言葉を止めた。
僕とナナリーの怪訝の目を受けたセバスさんは小さく首を振って何かを打ち消し、最終確認に入った。
僕はナナリーと顔を見合わせ、大丈夫だよねと目で意思確認し、小さく頷いてからセバスさんに向き直った。
「そちらの都合がよければ、すぐに取りに行きます」
「かしこまりました。では、後ほど」
そう言って恭しく頭を垂れるセバスさんのお辞儀は、何度見ても惚れ惚れする綺麗な角度だった。
◇
「か、可愛くない……」
「ええ? 愛嬌があって可愛らしいじゃないですか」
ナナリーの案内の元、割とあっさりギーグを見つけた僕は開口一番にそれを口走った。
隣でギーグの背中をよしよしと撫でているナナリーは何やら不満気だ。
道中でどんな外見なのか聞いていたので多少期待していたんだけど……全然可愛くない。
だってこれはどう見ても―――。
「どう見てもペリカンをくっつけた土佐犬なんだよなあ……。と言うかでかすぎて気持ち悪い。いたっ、あだだっ⁉ ちょ、ナナリー大人しいんじゃなかったの⁉」
「気持ち悪いと言われて怒ったんじゃないですか? どうどう、よしよし」
ギーグは基本無害な魔物で性格も温厚で滅多なことでないと人に害を及ぼさないと言われている。ついさっきペリカンのような嘴で突かれたので信憑性が皆無になったわけだけど、それは置いておこう。
環境適応力も高く、割とどこでも暮らしていける魔物だが、水辺があるところや、こういった平原を好んで群れを成すそうだ。
依頼にもあった通り卵生類で別に雄がいなくてもきちんと孵化するそうだ。雄の存在が不遇すぎて少し同情する。
卵の他にも分類上、鳥になるものらしく、羽や嘴も立派な加工品として役立つ。肉もあっさりとして食感もよく、値段もお手ごろなので貴族、庶民問わず人気の食料なのだそうだ。
見た目は完全にペリカンっぽい。ぽいんだけど首から上、嘴以外が土佐犬そのものなので全くもって可愛さが感じられない。しかも人間の成人とほぼ同等のサイズなので大きさも相まって最早気持ち悪い。
何とも言えない微妙な表情で僕がギーグを見つめていると、ナナリーによしよしされていたギーグがこちらを向き、はんっ、と鼻を鳴らした。
ぴきっとこめかみ辺りに沸き立つものを感じ、僕はゆっくりと腰に携えた荒削の柄に手を伸ばした。
「ほう……貴様いい度胸をしているな。そこに直れ、叩っ斬ってやる」
「フサオさん、めっ、です。今回は討伐じゃなくて卵の採取ですからむやみやたらと狩っちゃダメですよ」
「……」
眉根をきりりと吊り上げ、頬をぷくっと膨らまし、人差し指をぴんと立てたナナリーからお叱りを受けてしまった。
それだけで僕はすべてを忘れ、悟りを開いて即身仏になった。ほっこりで胸がいっぱいになった。
なっていたはずだったのに、犬かペリカンかわからない生き物がじゃれているフリをしてナナリーのたわわな胸元に頭をぐりぐり押し付けていたのが見えたので僕の怒りは有頂天。
そっとナナリーに見えない位置に移動し、思いっきり尻を蹴飛ばしてやった。
「コケェ⁉」
「フサオさん!」
「あ、はいすみまうげほっ⁉」
鶏のような鳴き声を上げ、ぴょんとその場で飛び跳ねるギーグ。見てくれに対して存外俊敏のようだ。まあどうでもいい。お前はギルティだ。
粛清してやったつもりの僕が満足していると、ナナリーからさっきよりも強めのお叱りが飛んだ。
怒った顔も可愛いなあと鼻の下を伸ばしていると、真正面からギーグが強烈な体当たりをぶちかましてきた。
間に合わせの革の鎧なので簡単に衝撃が貫通し、肺の中の空気が全部押し出され、軽く吹っ飛ばされてしまう。
「こいつ意外にタックル強い! やっぱ狩ろう! 狩って焼き鳥にしようそうしよう!」
「フ、サ、オ、さん‼」
のろのろと起き上がると、僕に体当たりしてきたギーグと目が合った。ギーグはやるんかワレ? みたいな挑発的な目で僕を見下ろしていた。
もはや僕の怒りは有頂天どころではなく、本気で焼き鳥にするべく抜刀するとナナリーが一文字一文字強調するように区切って怒りを表してきた。
おのれギーグ小癪な手を使いおって……! 結局僕はナナリーの手前で怒りをぶつけることも出来ず、黙々と卵集めに勤しむのだった。
「むう……まだら模様のもの、なかなかないねえ」
「普通のはあるんですけど、なかなか見つからないですね……」
あれから結構な時間ヘリオ平原を探し回ったけど一向にまだら模様の卵が見つからない。
さすがに飽き……もとい、疲れてきた。ナナリーは田舎育ちのためか、ギーグの群れに入るたびに個体の健康状態を確かめていた。
僕から見ればどれもブッサイクなペリカンもどきにしか見えない。まあ、言ったら怒られるので口にはしないけど。
「と言うかなんで僕だけタックルされたり嘴でどつかれたりするんだ。やっぱり焼き鳥にしようよ」
「フサオさん? 怒りますよ?」
「あっはいすみません」
目が笑ってなかった。それでもギーグを撫でる手は止めないので相当愛着があると見える。
そそくさとナナリーから離れ、まだら模様を探す。まだら、まだらっと……そういえば縞模様はあるけど、まだら模様ってあるのだろうかとナナリーを眺めつつそんな事を思ってしまった。
思った瞬間ギーグの体当たりでぶっ飛ばされた。今のはありがたい。おかげで頭が冴えたようだ。
ギーグを撫でつつ、笑顔で話しかけているナナリーに頭を下げつつ、不遜な面してこちらを見やるギーグに荒削をブン投げたくなる衝動に駆られる。
無論そんなこと出来るはずもなく、悔しいけどもギーグから視線を切ってまだら模様の卵を探す。
「あいつらいつか絶対締め上げちゃる……お?」
洞穴っぽいところの近くに群れがあり、どれどれと様子を見に行けば……当たりだ。
そこには白い普通の卵の他に、一つだけまだら模様の卵があったのだ。
「おおおおおお……あったあああああああああああ! ほぐあっ⁉」
「だ、大丈夫ですかフサオさん⁉ 卵は無事……ですね。どうどう、落ち着いて。ごめんね、一つだけ卵を譲って欲しいの。一個だけだから。譲ってくれる? そう、ありがとね」
「卵より優先順位が低いのか僕は……あいたたた、やっぱり革の鎧だと結構痛いなあ」
嬉しさのあまり卵を天に掲げて歓喜の声を上げたと同時に、ギーグがまたも僕に体当たりをかましてきた。その衝撃のせいで卵を手放してしまったが、ナナリーがうまいことキャッチしてくれたおかげで事無きを得た。散々探し回って割ってしまったら元も子もないからね。
でも僕より卵を心配していることが分かってしょんぼりしてしまう。そんな僕にお構いなく、ナナリーはせっせと卵を麻袋に詰め込んでいく。
卵の大きさは拳一つ分と割と大きめだけど、卵を保護する専用のスポンジみたいなのがあるのでそれに入れて袋に入れれば邪魔にならない。
あくまで衝撃緩和剤なので、ギーグのぶちかましみたいな激しい衝撃だともちろん割れる。
「良し、卵も集まったし、ハーメルにもど―――」
無事に採取できたし、戻って報告しようとナナリーに声をかけようとしたとほぼ同時。
耳を劈くガラスを引っ搔いたような音が大気を震わせ、大地をも揺るがした。
「な、なんだなんだ⁉」
「―――飛竜の巣。いつの間にかこんなに近くに来ていたなんて……フサオさん、急いで戻りましょう。今の私たちじゃどうしたって勝てる相手じゃありません」
音が鳴り止んだので耳から手を離し、周囲を見回しても特になんの異常も見当たらない。
するとナナリーが険しい表情で洞穴っぽい場所を見つめて、麻袋をぎゅっと抱きしめてくるりと踵を返し、走り始めた。
「―――きゃああああああああああああああああっ‼」
いきなり走り出したナナリーの後を慌てて追いかけるため、駆けだそうと足を踏み出したまさにその時。
洞穴が轟音と共に弾け飛び、土砂と大小の飛礫、悲鳴を上げる少女が巻き上がった。
それを視界の端で捉えた僕の反応は条件反射に近しいものがあった。
あの高さから落下すれば間違いなく大怪我する。最悪死ぬ可能性もある。
そんなことを考えるよりも先に、体が反転して駆け出していた。
「なんっ……で空から女の子が降ってくるんだよ!」
巻き上がった土砂と飛礫が、落下してくる少女よりも速く降り注ぐ。
あちこちにぶつかって痛い。割と大きいものが兜に当たって、一瞬だけ意識が飛びかける。
それでも絶対に目を逸らさない。駆ける速度を緩めない。
少女の落下地点に滑り込んだ僕は飛礫が直撃するのも構わず、しっかりと少女を捉え、受け止めるために両腕を前に構えた。
「お、っとぉ! なんとか間に合った……大丈夫? 怪我はない?」
ドンピシャのタイミングで抱き留め、勢いを殺すためにくるくるとその場で回る。少女に飛礫が当たらないようしっかりと抱きしめ、完全に勢いが殺せたところで大きなため息を吐く。間に合って良かった。そして教わっといて良かった。ありがとうクレイヴさん。絶対に使わないと思ってた技術が役に立ちましたよ。
ほっと一息吐き、腕の中で目を丸くして固まってる少女に意識を向ける。よく見ると魔法使いっぽい服装をしており、卵を大事そうに抱きかかえていた。
ただギーグのものとは異なり、サッカーボールくらいの大きさの黄色がかった白い卵。
これはなんだろうと首を傾げると、腕の中の少女がはっと我に返ったように目を見開き、顔がみるみる真っ赤に染まっていった。
「っ、気安く私に触んないでよ変態! 離せこのケダモノ!」
「おぶっほ⁉ え、なんで……? 僕助けちゃダメだったの……?」
あ、これあかんやつやと思った矢先、少女の肘が鳩尾に埋没した。
そしてするりと僕の腕から逃れ、綺麗に着地したと同時に凄い速さで走り出した。
見返りを求めたわけじゃないけど、心にぐさっと来たので両手両膝を地面に突いてがっくりと項垂れる。
「フサオさん何やってるんですか⁉ 早く逃げてください!」
「ちょっとそこの! 早く逃げなさいよ、死ぬわよ⁉ 相手は竜よ竜!」
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼」
遠くから聞こえた声と重なるように、耳を劈く咆哮が響き渡った。
崩れ落ちたはずの洞穴の入り口をぶち抜き、悠々と姿を現したそれは―――紛う事なき竜だった。
蛇のような縦に割れた金の双眸。全身を覆う鱗の鎧。ゆっくりと、一定のリズムではためかせる巨大な双翼。
人を丸呑みすることなど容易にできるだろう大きな顎。その口内からは赤く燃ゆる紅蓮の炎がちらちらと吐息と共に漏れ出していた。
優に5メートルはあろうその巨躯の前に、僕は息を呑み、言葉を失った。
対峙したその瞬間からもう分かりきっていた。絶対に勝てるわけがないと。
それでも僕は背中を向けるわけにはいかなかった。僕の背後には見知らぬ女の子がいて、守るべき仲間がいる。
死にたくない。だけどここで僕がやらなきゃ皆やられる。だったら意地を、根性を見せてやるだけだ。
竜が唸り声をあげ、息を吸い込むような動作と共に大きく顎を引く。
次に何が来るか、初見の相手だと言うのに不思議と分かっていた。分かってはいるが、見えるかどうかだ。
ぐっと盾を構えて腰を落とす僕目掛けて、竜がその顎を開き、燃え盛る炎の塊を吐き出す。
吐き出したのがはっきりと見えた。こっちに向かってくるのも完璧に捉えている。
―――だったらやることは一つしかない。
「ぜぇい!」
盾を使った受け流し。真っ直ぐ飛んでくるのであれば後は簡単だ。軌道を少しだけズラしてやるだけ。
それだけで火球は僕を避けて飛んでいき、着弾と同時に爆発した。
「……うっそでしょ……」
ごっそり抉り取られた大地を横目で確認し、冷や汗がぶわっと吹き出る。
盾の表面も念のため確認すると、少し焦げ目がついた程度でなんともないようだった。流石アルフレッドさんの作品だ、と意識を竜に向けなおし、盾を構え直した。
「僕が時間を稼ぐ! 二人は早く逃げて!」
「は⁉ 何言ってんの馬鹿なの死ぬの⁉」
「フサオさん、無茶です! 鋼殻熊とは比べ物にならないほど強力な魔物なんですよ⁉」
「いいから早く! そんなに長く保たない!」
僕の叫び声を皮切りに、雄叫びを上げた竜が次々と火球を吐き出してくる。
一回だけでもかなり神経を擦り減らす受け流しを、こうも連続で強制されると体力の前に精神が持たない。
避けれるものは避け、受け流しできるものは受け流す。
一瞬の油断も許されないこの状況下で、二人の安否を気に掛ける余裕はない。
二つの駆ける音が遠ざかっていくのを意識の端で確認し、未だ低空をホバリングしている竜を強く睨みつける。
咆哮が上がり、連続で火球が吐き出される。一発、二発といなしたところで脇腹から激痛が走った。
あの時の落下してきた飛礫のせいか。そのわずかな思考と痛みで硬直した体では、最後の火球を捌き切ることは不可能だった。
盾で受けることを覚悟し、衝撃に備えて全身にぐっと力を入れる。―――が、いつまで経っても衝撃は訪れず、おかしいと思って盾を下げて視界を確保すると。
「その心意気や、お見事。お待たせして申し訳ございません」
「セバスさん……⁉」
目の前にセバスさんが立っていた。立っていただけでも驚いたのに、セバスさんに気付いたとほぼ同時に、左右後方から小さな爆発が起こった。
何だ、一体何が起こっている? どうしてセバスさんがここに? 最後に飛んできていた火球はどこに消えた?
わからないことだらけで思考が追い付かない。そんな僕を他所に、セバスさんは堂々と、落ち着き払った様子で片手を後ろに回し、ぴんと背筋を伸ばして遥か上空を浮遊している竜を見上げ、ふむ、と何故か一つ頷いた。
「棘翼火竜ですか……さすがにこれでは荷が重い。致し方ないですな」
何を、と言いかけて、全身がぞわりと粟立った。まるで僕の周りだけ空気がなくなったかのように呼吸ができなくなる。手足の震えが止まらない。
これが目の前に立つセバスさんの仕業とわかったのは、彼の背中から感じ取れる気配が殺意に満ちていたことからだ。
クレイヴさんやテレシアさんの比じゃない。人がおよそ出せるものじゃない。この人は一体何者なんだ。
地獄のような時間に僕が喘いでいると同じように、竜―――棘翼火竜もセバスさんの殺気に圧されて怯えきっていた。
ぴく、とセバスさんの腕が微かに動いたと同時に、棘翼火竜が悲鳴に似た鳴き声を上げて遥か上空に飛び去って行く。
「ふむ、虚勢が通じたようで何よりです。さ、フサオ様。お嬢様も無事のようですし、このような危険な場所に長居は無用。ダレン様のお屋敷へ戻ると致しましょう」
棘翼火竜の姿が見えなくなったところで、ようやく呼吸がまともに出来るようになった。
僕は酸素を求めて必死に呼吸を繰り返し、がくりと両膝を折る。死ぬかと思った。否、殺されるかと思った。
あれは言葉で説明できる感覚じゃない。それくらいやばいものだった。本当に、本当に何者なんだこの人は。
体の前で構えていた細剣を鞘に納め、穏やかな深緑の瞳で僕を見つめ、そっと手を差し伸べるこの初老の男が―――僕は恐ろしくてたまらなかった。




