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奇面英雄  作者: 叢雲@ぬらきも
0章
1/37

プロローグ

 それは、いつからだろうか。

 逃げることを、甘んじて現実を受け入れることに慣れてしまったのは。

 

 それは、いつだっただろうか。

 全部諦めて、一つだけ、たった一つだけ譲れないものすら諦めたのは。


 足は震え、体は竦み、ただただ醜態を晒し続けるだけの僕。

 それでも尚、立ち続けるのはどうしてだろうか?


 誰かが叫んだ。逃げていいのだと。

 誰かが叫んだ。諦めていいのだと。


 そうしたいはずなのに、そうするべきだと頭ではわかっているはずなのに、どうしてか体が動いてくれない。

 そう言えば遠い昔、似たようなことがあったなと、不意に記憶が蘇る。

 あの頃の僕は―――確かに憧れていた。


 

 誰かを守れるだけの強い心と力を持った―――英雄ヒーローに。





           ◇





 その日僕は、今日発売の新作ゲームで遊ぶことを心待ちにしていた。

 それしか考えてなかったのか、鞄を教室に置き忘れてしまった。

 大して中身は入ってないけれど、また(・・)無くなったと知ったら父さんや母さんが悲しそうな顔をする。それは嫌だ。

 ただそれだけだったけど、うきうきしながら教室に引き返していた。普段ではありえないくらいに、気を緩めていた。

 だから気付かなかった。まだ教室に人が残っているかなんて、気付いてもいなかった。

 

「ただ家がお隣だからって、それはないよ。だってブサオ(・・・)だよ?」

「だよねー!」


 普段の僕なら、人の気配がしたらすぐに身を隠していたはずだったんだ。

 だから、これは僕の気の緩みが招いた結果だ。

 分かっていた。僕がどういう人間で、どんな評価を受けているかなんて嫌と言うほど思い知らされていた。

 それでも、それでも―――。


「あっ」

「―――っ」


 突然の闖入者に、今まで楽しそうに談話していた女子たちの会話が止まり、顔が引きつる。

 どれも似たような表情だ。醜いものを、虫でも見ているかのような嫌悪の眼差し。

 どれもこれも見慣れたものでしかなかった。

 それでも、君にだけは言って欲しくなかった。君だけは違うんだと信じていたかった。


「ちがっ、待って!」


 遠くから声が聞こえた。

 気付けば僕は走っていた。

 長年の運動不足、そして不摂生を繰り返して見る見る肥えた僕の体はあっという間に悲鳴を上げた。

 それでも走った。苦しい。あちこち悲鳴を上げている。もう限界だと体が叫んでいる。それよりも心が痛い。涙が止まらない。

 分かっていた。分かっていたからこそ、聞きたくなかった。だって彼女はもう、幸せを見つけているのだから。


「待って! 違うの! お願い、待って!」


 すぐ後ろから声が聞こえた。聞きなれた声だ。

 彼女の足はそんなに速くない。となれば、僕が遅くなったのか。

 それでも止まる訳にはいかなかった。僕は、僕は―――。


「あっ」


 背後から迫る足音から必死に逃げようと足を動かした結果、こきゃっ、と足を挫いた。

 僕の体重は今100キロを超えている。その自重が挫いた足一本に集中する。

 それはもう凄い痛みだった。痛みと足を挫いたせいで崩れたバランスを立て直せるはずもなく。


「ぴぎゃあああああああああああああぎッ⁉」


 なんとも言い難い悲鳴が口から滑り出し、階段から真っ逆さまに転がり落ち、壁に頭を打ち付けたところで、僕の意識はぷつりと途絶えた。



           ◇



「……あれ?」


 気付けばそこは、暗い世界だった。

 何もない、ただただ闇が広がる静かな世界。

 明かりもないのに自分の手足がはっきりと見えるのだから不思議で仕方ない。

 ここがどこかも気になるけれど、僕はどうなったのだろうか。

 覚えているのは階段から落ちて、それから―――。


「お目覚めのようね」

「ふぁっ⁉」


 びっくりした。びっくりしすぎて気持ち悪い声が出た。慌てて辺りを見回すも、辺り一面に広がる黒の世界は何一つ変化が見えない。

 けれども、くすくすと小さく聞こえてくる笑い声は消えない。何だろうこの声は。

 辛うじてわかるのは女性だろうと言う事。だけどそれは子供のようでいて、大人のようでもあり、とても違和感を覚えるものだ。

 何より、こんなおかしな場所に人間がいるのだろうか? 

 

「何今のふぁって。キモイんですけど。てか何そのぶっさいくな顔! チョーウケルんですけどー!」

「……」


 声の主は闇の向こう側から姿を見せたと同時に、お腹を抱えてけたけた笑い始めた。

 なんだろう、ちょっと怖くなってきたとか真面目に考えていた僕が馬鹿だったようだ。

 それにしても初対面の人にここまで怒りを覚えたことはない。怒りに震える拳が迸ることはなく、僕はただただ無言で俯いた。

 こういう人種の女子は苦手だ。自分が面白ければなんでもあり。ネタじゃんの一言で他人を傷つけることすら厭わない、そんな人種だ。


「あれ、反応なし? 怒ったの? もしかして怒ったの? ねえブサメンくーん、もしもーし」


 俯いたまま黙っている僕に、謎の少女は煽るように声をかけてくる。リアルでねえどんな気持ちをされるのは初めてだ。

 俯いた僕の前で爪先でとんとん鳴らしながら左右に移動している。多分顔を見たら大層腹が立つ表情を浮かべているのだろう。

 ぱっと見、すごい可愛い女の子に見えたけど、それとこれは話が別だ。であれば、僕の取るべき行動はただ一つ。


「ああ、出口なんてないよ。だって君、もう死んでるんだし(・・・・・・・)

「ちょっと何言ってるかほんとわかんない」


 視線を足元に縫い付けまま少女に背を向けると、背後からそんな事を宣うので思わず振り返って突っ込んでしまった。

 そして改めて少女の全貌を目に焼き付ける。おそらくは同年代の女子と思われるが、今まで見たこともないとびっきりの美少女だった。

 それも驚いたけど、何より見たこともない衣装を着ていた。ゲームの中でしか見たことのないような、神秘的なヴェールがふわふわと宙に踊っていた。


「あらら、記憶飛んじゃったかな? あんた、幼馴染ちゃんにまでブサメンって言われてショックで逃げちゃったんだよ。ブヒブヒ泣きながら走って、何もないところで足を挫いて階段から真っ逆さま。てか何よぴぎゃあああって! 今までで一番笑える死に様だったわよアッハハハハハハハハハ!」

「……そうか、僕、死んだんだ」


 固まっている僕に、少女は何やら思案顔だったが、すぐに表情を変え、神経を逆なでするような表情で僕を嘲笑い始めた。

 耳障りな笑い声を聞き流しながら、今しがた起こったことすべてを思い出す。

 不思議と何も感じない。痛みはなかった。恐怖も感じなかった。あるのはただ、刺すような胸の痛みだけ。


「……まあ、痛みを感じずに死ねたのは幸せだったかもね。いや、逆なのかな? まあどっちでもいいや」


 一頻り笑い終えた少女が何事かを呟く。僕にとってはもうどうでもいいことだけれど。


木綿きわた 英雄ふさお。ついたあだ名はキモメン、キメエブサオ、ブサオ、ブサメン。まあどれも顔に関わるものばかりね」

「大手IT企業CEOの父、海外ブランドデザイナーの母、若手実力派俳優の兄、トップモデルの一角である姉。誰もが羨む裕福な家庭に生まれたあんたは、何も持っていなかった」

「剣の道を諦めた頃からだっけ? あんたが本当に何も持っていない人になったのは」

「どうして、それを」

「まあ腐っても女神ですし? こんなものお茶の子さいさいですよ」


 思わず顔を上げた。僕が僕でなくなったあの日の事を、家族以外誰も知りえない過去を、どうして知っているのかと。

 ふふんとどや顔を見せる自称女神の少女。一瞬だけ驚いたが、それも興味を失っていく。何もかもがどうでもいい。

 だって僕はもう、死んでいるのだから。


「……もういいんだ。どうせ僕なんか」

「いなくなっても誰も何も思わないって?」


 一面黒の世界に、映画のスクリーンのようなものがぶわっと浮かび上がった。

 そこに映し出されているものは―――。


「……なんだよ、これ……」

「何って、あんたの葬儀。死んじゃったんだから弔いは必要なんじゃないの? あんたの世界では」


 棺にしがみついている女の人は見覚えがある。その肩を辛そうに持っている男の人も。寄り添って、涙を静かに流している初老の男女も。

 だって、あれは僕の―――。


「お兄さんはあんたと酒を飲む日を本当に楽しみにしてたよ。苦しい時は必ずあんたからもらったメールを読み返してたみたい」


「お姉さんはあんたに彼女ができる日をそれはもう楽しみにしていた。一緒に料理したり、買い物に出掛けたり、自慢の弟の武勇伝を聞かせたいってね」


「お父さんはあんたと、お兄さんとで飲み明かしたいと楽しみにしていた。そして、昇格した事も伝えたかった。あんたに一番に報告したかった」


「お母さんはね、あんたを誰よりも愛していた。あんたが彼女を連れてきて、料理をしながらどこを好きになったとか、他愛ない話をしたいと思っていた。その日はまだかとずっと待っていた」


「彼女はあんたに嘘をついていた。あんたに気付いて欲しくて。その嘘がこの結果を生んだ。だから彼女はこの先ずっと忘れないでしょうね」


「本当にあんたは、誰も何も思わないと。本気でそう思っているの?」

「僕は……ぼく、は……」


 違う。あれは真実なんかじゃない。みんな僕を醜い者として、腫物扱いして爪弾きにしていた人たちなんだ。

 そうじゃない。現実はそうじゃないんだといくら言い聞かしても―――決して涙は止まらなかった。

 愛されていないと、醜い者だと壁を作っていたのは僕だったんだ。

 そんなことはわかってた。わかっていたけど、僕はもうどうすることも出来なかった。

 僕はただ、逃げていただけだったんだ。


「貴方は愛してくれていた人に背き、消えない傷を残した。その罪は死して尚、贖えるものではないわ」


 僕が悪い。そうかもしれない。だけど仕方がなかった。仕方がなかったんだ。だって、どうすることも出来やしないんだから!

 いるだけでみんなが僕を否定するんだ! 逃げて何が悪いって言うんだ!


「本来であれば、貴方はここで死ぬべきではなかった。彼女が吐いた嘘も、すべては貴方の弱さが招いたもの。貴方は裏切り、傷付け、そこにあるべきだった未来を砕いた。その咎を背負いなさい。そして―――」


 何を言っているのか本当にわからない。僕は悪くない。悪くないんだ。どうして僕が、僕だけがこんな目に―――!


「……時間のようです。往きなさい。そして、見つけなさい。そこで貴方と言う命の意味を―――知りなさい」


 光が僕を包んでいく。光に包まれながら、あれだけ込み上げていた激情はすうっと溶けて消えていった。

 この暖かさを僕は知っている。これは、まるで―――。


「何も出来なかった女神ははを恨みなさい。これから貴方を苦難の道に突き落とす私を憎みなさい。―――願わくば貴方の旅が、幸多きものであらんことを」


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