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竜舎の長い一日(前編)

とある王国に、竜舎に勤めながら竜騎士に憧れる、一人の少年がいた。

彼が竜舎の戸を叩いたのは、五歳の時だった。

両親と一緒の楽しい旅行になるはずだった春の祭日の日、旅の途中で不幸にも魔物に襲われたのだった。

子を守ってこと切れた両親の下で、どんな思いをしていたのか、彼は今も思い出せない。思い出せない方がいのかもしれない。

思い出せるのは両親の亡骸を動かされ太陽の光を浴びてからのことだ。

陽の光に照らされて輝く鎧と、その傍らに凛と立つ青銀の竜の姿。天剣の竜騎士団だと名乗ったその騎士と竜は、周りを取り囲む魔物を薙ぎ払ってくれたのだった。

街の孤児院に連れていかれ、両親を亡くしたばかりの五歳の少年に周囲の大人は優しかった。

けれどあの美しい青銀の竜に魅入られた少年は、竜と騎士の居場所を探す。そして見つけたのだ、竜を育てる竜舎を。

残念ながら、そこは竜の飼育舎であって、憧れの竜騎士がいる場所ではない。だが幼い少年はそこが自分の求めた場所だと信じ込んでしまった。

その時からもう九年ほどをここで過ごしている。

勿論、幼い少年を救ったたった一つの幸運が竜騎士であり、この年になるまで霞むことのない憧れとして今も胸にあるわけで、自分の勘違いに気づいてからはもはや何度涙を流したかわからない。

騎士の道を歩み、いくつもの成果を上げて竜に認められる、それが竜騎士になるたった一つの方法だが、五歳の少年にそれに気づけというのは酷な話であっただろう。

それでも、今もこの竜舎に居るのは、竜が好きだから、の一言に尽きた。

舎の管理人である竜舎長や飼育員もそれをよく知っていて、泣き腫らした目をしながらも懸命に竜の世話をする年若い同僚は自分を律する鏡でもあった。


竜の幼生もご多分に漏れずとても手がかかる存在で、何につけてもまめな世話が必要となる。小さくても竜の力と速さで動き回り、限界になれば所かまわず寝てしまう、度の過ぎるいたずらなど日常茶飯事、体調に合わせた餌を何度も給餌が必要だったりと、起きている竜の幼生は人の子供などより遙かに大変である。

毎日が騒乱といっても過言ではない日々を心から笑って世話ができるぐらい竜が好きでなければやっていけない。生半可な気持ちで入ってきた人間は短期間で出て行ってしまう。

竜の飼育員はちょっとイカレた人の集団だという評判を根底から支えるのは竜という存在そのもの。



そんな竜舎の一日が今日も始まる。




「おはよう、皆」


まだ誰もいない竜舎に僕の声が響く。実は警備の人間すらいない。警備自体は放牧地を含めた巨大な敷地に対して行われてはいるけど、竜は敵意に対して敏感で、すぐ傍で守る必要があるほどか弱い存在ではない。


一番乗りはここ数年皆勤賞を続けている。ちょっとした自負もあるし、何より竜を見ていると和む。

どっちにしても昼からにならないと竜舎長は来ないので、今日の午前中は僕一人でここを回すことになる。

ねぼすけな竜たちはまだ皆夢の中だ。夢の中ってのは比喩じゃなくて、むにゃむにゃと寝言を言ってるからそうに違いないと僕は思っているのだけれど。それぞれ違う寝姿なのが面白い。片や几帳面に羽と足を折り畳んで寝床に丸まっており、片や死体みたいに小さい手足も羽もおっぴろげて仰向けに寝ている。


とはいってもあまり眺めてばかりもいられない。まずは卵の状態を見ておかなくては。

孵化している竜は現在二体しか居なくて、とても貴重だ。

卵は今竜舎に三つあるけれど、いつ孵化するのか前もって知る方法はない。孵化の数日前に殻にひびが入り始めるのを見て受け入れとお披露目の準備をする。これは親の刷り込みのためで、人の形を取れるようになった時にもう一度お披露目をする。この時のお披露目は竜が竜騎士を選んで絆を結ぶためにするものらしい。ただ残念ながら自分が生きている間に孵化を見ることができるのかは判らない。逆に明日始まるかもしれないと思うとわくわくするのだけど、同年代の友達に言うと、わくわくはするけど待ってられるか、と呆れた顔をされた。ひどい。


卵を一つづつそっと抱えて状態を確認する。一つ、二つ、三つ、四つ、いつも通り異常な……。


は? 四つ!?


卵の数が合わない。そんなはずはないと何度目をこすってみても、一つ多い。そもそも竜の卵は王国の大事な資産で厳密に管理されていて、孵化、破損、盗難、そういった何事も起きなかったら、昨日数えた数から変動するはずがない。

はずがないんだけど……。

あるはずのない四つ目の卵が保温器に増えていた。青銀色なのは他の卵と同じ。これを竜の卵だと仮定すると風竜の卵なのは間違いない。ただ他とは微妙に色合いが違う。色合いというか表面の具合が違うっぽい。他の風竜の卵は少しざらついた感じで光沢感はないけど、これは光沢があってつやつやしていて、濡れている感じ……ってこれ産みたてってことじゃないの!?

なんなんだこれ、昨夜もちゃんと鍵締めて帰ったし異常なかったよ? え、責任とか追及されちゃうのか?

いやいや……もしかしたら僕はまだ寝てるのかもしれない。寝床から足を踏み出してちゃんと顔を洗って服を着替えてここに来たはずなんだけどもしかしてそれも夢なの? 夢の中で夢だと気付いたらなんかいいことなかったっけ? そうだ、夢を思い通りにできるんだっけ?



恐る恐る卵に近づいてみる。数の合わない卵が一つ。持ち主も判らない、入手経路も判らない、得体のしれない卵が一つ。

少し大きさは小さいようにも思うけど、見た目は風竜の卵にしか見えない。

憧れの天剣の竜騎士団団員が相方とする、一つ余った風竜の卵。こっそり部屋に持ち帰ってしまえば……孵ったあと最初に見る刷り込みは間違いなく僕……。

いやダメだろそんなことしたら僕はただの窃盗犯だよ、竜騎士になるどころじゃない。

なけなしの自制心が竜の卵と絶賛綱引き中。

いやこれは夢だし少しぐらい幸せな気分味わっても罰は当たらないんじゃない? そもそもこれは本当に風竜の卵なのかも判ってない。

また一歩足が勝手に卵に近寄る。




「おはよーございます」



おとなしい方の竜の幼生が起きてきたらしい。彼女の声帯から発せられた声のおかげで、一瞬で現実に戻ることができた。まさに救世主、主に僕の人生の。

とてとてとこちらに歩いてくる姿は可愛らしいけど、ごめんね朝ごはんはまだだから。

ああでも、それどころじゃないけど、朝の用意が先か。待っていてもそのうち竜舎長の親父さんも来るだろうけど、早めに謎の卵を報告に行こう。こういう不測の事態の報告は出来るだけ早くしろとうるさいのだ。



とりあえずまずは朝ごはんの用意だ。栄養のため何種類かの肉と野菜が備蓄されているので、鱗のつや具合を見ながら餌を決めていく。おとなしく後をついて来ている幼生はやや疲れている感じが見える。普段は朝一番からこんなことはないんだけどなあ。気にはなるけど時間がないので栄養価の高い肉と野菜の組み合わせを出しておこう。後は戻って来てからよく観察してみるしかないかな。というか肉の数が減っている。昨夜のごはんが足りなかったんだろうか? それとも成長期?

手を頭に伸ばしてぐりぐりと撫でてやる。

見た所機嫌は良さそうな感じなので心配はないような気もする。

もう一体は……と寝床を確認しに行けば、未だおなか丸出しで寝ていた。

なんてお気楽な竜生なんだ、こっちは正体不明の卵の出現で朝から一杯一杯だっていうのに。

この子にはいつも通りの朝ご飯を用意して、おなかをくすぐってやった。

竜の鱗は起きているときは基本硬い手触りだが、人に触れるときと寝ているときは柔らかい不思議な鱗をしている。成体になるころにはまた違うらしいが、幼生の間は人と触れ合うのに好ましい外殻を本能的に選択している、というのは親父さんからの受け売りだ。

寝息があくびに変わったところでくすぐる手を止めた。このまま続けると目覚めて即朝ご飯も食べずに遊べ遊び倒せ構ってくれと纏わりつかれてしまう。僕の体力はそこまで無尽蔵じゃないのだ。


二体の幼生たちの前に配膳して声をかける。



「ちょっと用事があって親父さんのところに顔出してくる。出来るだけ早く戻るからごはん食べ終わってもおとなしく待ってるんだよ」


「まかせてー」

「ぎゃぎゃ!」



期待はしていないけどやぱり不安になる返事だった。

おとなしい方の幼生にしたってやっぱり幼生には違いなくて、お姉さんぶってるだけの暴嵐の姫君なのだ。今はかなり懐いてくれているけど、何度引っ掻き回されて散らかった竜舎を片付けたことか。叱ることも数知れず、手がかかることにかけてはどっちも大差ない。それでも可愛くて怒ったり放り出したりはできないのだから僕も大概イカレているってことなんだろう。

わふわふと肉に噛みつく幼生たちを背に、後ろ髪をひかれる思いで竜舎を後にする。きっと戻ってきたときにはまさしく嵐の過ぎ去った惨状になっている、外れることのなさそうな予想をしながら。




竜舎長の居室に着いて扉を叩き、部屋の主に声をかけた。



「至急の要件があります竜舎長。お時間を頂きたいのですが」


「坊主か、入っていいぞ」



入室許可の言葉を聞くのももどかしく思いながら戸を開けて室内に入った。

この竜舎長はいつになったら坊主から卒業させてくれるのだろうか。あと一年もすれば成人なんだけど……。とはいえ僕の4倍も生きてきた人からすればまだまだ毛も生えそろわない坊主には違いないんだろう。いや生えてるけどね?



「んで何の用だ? 今日は午前中は坊主一人だからここに来るなら相応の要件なんだろう?」


「そ、そうです、大事なんですよ! 竜の卵が増えてるんです!」


竜舎長が訝しげな顔でこちらを見るが、そんな顔をしないでほしい。寝ぼけてるわけじゃないんだってば。

このままだと正気を疑われるか顔を洗って出直して来いという有難いお言葉を頂戴してしまうので慌てて状況を説明する。


昨夜帰宅前に保温器の卵の状態を見たときには三つだった卵が、今朝舎に着いて確認すると四つに増えていた。

幼生たちについては、年上の方がやや疲れているように見えたけど機嫌は良さそうで、下の子はいつも通りの様子だった。

……だめだこりゃ。何の説明にもなってないぞ。僕にも何を言ってるのかちょっと判りません。


「すみません。見た以上のことは判らないです」


と謝罪したが竜舎長は軽く手を振った。


「いやいい、なんとなく判った、卵の出どころはな。そっちは安心していいぞ。どっちにしても事情は確認せねばならんが」


「聞くって誰にです?」


「勿論卵の持ち主に決まってる。……ああ、卵の持ち主はほぼ間違いなく俺の昔の相方だろうよ。話はしに来るだろうから、見かけたらここに通しておいてくれ」


えと、どうにも話が見えないのですが。


「俺は昔竜騎士だったんだよ。怪我で引退せざるを得なくなって辞めたんだ。そのあと、今坊主が働いてるこの竜舎を任された。相方の方は世界を見てくると言い残して旅に出たが時々こうやって帰ってくるのさ」


初耳なことばかりで頭が付いてきません。

竜騎士だったとか、怪我したとか、相方がいたとか。というか相方だという竜を見かけたことがないんですが?


「んなもん来るときはいつも夜に来てるからだ。

 天剣所属の竜以外の竜が王都周辺を飛んでるなんて一般の人に知られたら面倒だろうが。

 ……まあ細かいことが気になるんなら今度酒でも飲みながら話してやる。成人したらな」


成人するまで言わないとか言い出したよこの親父さん。意趣返しにちょっと突いてみよう。


「正直、謎じゃなくなった卵よりそっちの話の方が興味惹かれるんですけど。というかですね、その方のお顔を知りませんから連れてくるなんて無理ですよ」


「お前は自分の管理してる竜舎で見慣れないものの区別もつかんほど耄碌してるのか。卵しか見えてないのか。判らなかったらその口で聞いて確認するぐらい頭をつかえ、むしろ頭使わなくてもそれぐらいできるだろう」


一つ意趣返ししようと思ったら猛毒の詰め合わせが返ってきた。ああもう、いい年してこの人は。

考えずに発言した僕が悪うございましたよ!



「んじゃ任せたぞ。判らなかったら美人のお姉さん捕まえてくれば問題ない」


しっしっと手を振られた上に見送りの言葉まで適当だった。ほんとに美人のお姉さんだったら喜ぶけど、親父さんの相方なんだし僕のお母さんぐらいなんじゃないかなあ。

それにしても、一体どういう事だろうか。卵の持ち主は昔の竜舎長の相方で、今も縁のある竜ってことだ。風竜なのは間違いない。じゃあ次、何故親父さんは卵が産み落とされるのを知らなかった? 連絡ぐらいありそうなものだけどいつもこんな感じなのかな? 世界を見てくると言って旅に出るような竜ならそれもあり得る話なのかもしれない。

もうすぐ成人だってのにいまだに一人前に扱ってくれない切なさに、はあ、とため息がこぼれた。



とりあえずは幼生たちの様子を確認しよう。忘れてたけど、大暴れしてなきゃいいなあ。一人で片づけるのはさすがにきつい。

頑丈に作られた扉を開ける。もちろん竜の力で体当たりしても吹き飛ばないように、だ。ちなみに対象は幼生のみ。成体の竜になると城壁ぐらいの作りでもなければこんな扉はあってもなくても同じらしいから恐ろしい。


中は静かだった。おや? と思いながら足を踏み入れ、姿を探す。視界に収まる範囲にはいない。

何かを壊してしょんぼりしたり隠れたり知らん顔する犬のような、そんな殊勝なことは彼らはしない。えっへん、ってな顔をしている。態度もだ。

じわりと冷や汗が浮かんでくる。この静けさは何か嫌な兆候だ。野生の勘と言えば聞こえはいいけど、彼らの相手をしているうちに磨かれたものだから悲しさ無限大。


舎の作り上、物陰になっている辺りを近くから一つずつ確認していく。脳内地図に×印を増やしながら奥へ進む。


残すところ、あと一か所しかない。食糧庫。落とし鍵は上げられている。ということはやはりこの中ってことか。

朝ごはん食べたばかりなのにまた食べてる? やっぱり足りなかったとか成長期なんじゃないの?

どっちにしてもこういうことはちゃんと叱らないと。

そう思って扉を開けた僕の目に飛び込んできたのは、引き裂かれ襤褸布のようになった服を身に纏う、肌も露わな妙齢の美女の姿だった。


一瞬思考が止まって呆然と立ちすくんだ僕の顔の前に、竜の幼生が飛び込んできた。


「ぷはっ、ちょっ危ないから止め――」


「お母さん見るなあっ!」


な、今なんて言った!?

と思いながら、僕は幼生を抱えたまま後ろにすっ転んだ。


それから必死の思いで暴嵐の姫君を引き剥がし、急いで予備の作業服を別の倉庫から持ってきて手渡して。


「もう大丈夫だ、手間を取らせてすまなかった」


中から聞こえてきた声に、ようやく食糧庫の扉を開けることができたのだった。




「初めまして、この竜舎で飼育員をやっています。いろいろお伺いしたいのですが、まずは申し訳ありませんが貴方はどちら様でしょうか?」


いや、さすがに何となく予想は付いたけど。情報は与えず奪うものですからね。それに僕の心臓がまだバクバク言ってるから時間稼ぎしないと。


「たいそう驚かれたと思う、突然お邪魔してしまって済まぬことをした」


礼儀正しく頭を下げられた。その上あっさりと情報も与えられてしまった。


「私は風竜でな、昔の話だが、ここの長の相方をしていた。その縁で時々こちらに寄らせてもらっている」


そうであろうことを僕は予測していました。


「元々近いうちに寄るつもりではあったのだが、旅の途中に卵を抱いてしまってな。その卵を狙って帝国の人間とその者が使役する地竜に追い立てられたのだ。普段であればこのような醜態を晒すことはないが、卵を産んだ直後でどうしようもなかった。で、逃げ回って何とか巻いたところで体力も尽き果てて、ほうほうの体でここに逃げ込んだ、というわけだ」


そんなことは僕は予測できませんでした。

そういえば朝ここに来た時には見かけませんでしたがどちらに?


「ここに来たのは君があちらの建物に向かってからだな。それまでは動く気力もなかったから、卵だけこの子に預けて通用口の外にいたのだ」


なるほど……ということは、保温器に一つ増えてた卵は貴方の産んだ卵、ということで合ってます?


「その通りだ。夜中に飛び込んで、保温器を使わせてもらった。許可ももらわず済まなかった」


僕は大丈夫です。わくわくさせていただいたのでむしろお礼を言いたいぐらいです。それにその辺りは竜舎長もどうこう言うこともないと思いますしね。

おちびちゃんたちは……と視線を移すと、下の子はすでに寝ていた。早いな。

上の子はじっと美女を見つめている。


「ああ、なるほど。君が竜騎士に憧れてここの門を叩いたという少年なのだな」


ぎゃあ、何故それを。って竜舎長ですよね。度々来てたという事であれば、きっと酒の肴に話していたに違いない。許すまじ。

美女さんはからからと笑った。


「なかなか鋭い。我らを好いてくれていると何度も聞かされたよ。ここで長く勤めるだけはある」


恥ずかしいのでその話題はその辺りに……。


「そんなこんなで僕はここでお世話になっていまして、この二体の幼生は僕を含めた飼育員が大切に育てています」


強引に早送りを試みてみた。


「うむ、鱗のつやを見ればよくわかる。天剣の竜にも負けぬな」


むしろ巻き戻ってしまった。


「と、ところで、先ほどこの子がお母さんと言ったように思うのですが……?」


冷や汗をかきながらさらに切り替える。


「うむ、間違いない。私がこの子の親だ。といっても預けっぱなしで親らしいことはできていないがな。その分、君のような者に育ててもらって感謝しているぞ、竜騎士に憧れる少年よ」


真面目な顔をしているふりをして、目が笑っていた。

やられた、すっかり弄ばれてたよ僕。


「あたしのかわいいおとうとだもんちゃんとしてるよー!」


あれ、暴嵐の姫君が突然会話に加わってきた。そりゃじっと聞いてても楽しくないよね。

ていうか君の弟なら横で寝てるよ。大声出すと起きるから静かにね。


「おとうと!」


と言って小さくても鋭い爪の生えた手をびしっと僕に突き付けてきた。

後ろを振り返ってみたが誰もいない。もしかしたら弟の意味がまだ判ってないのかな?

元気のいい娘を見る美女さんの目が優しくて、少し懐かしくて羨ましい。


「僕もいろいろお話したい所なのですが、竜舎長から貴方を見かけたら連れて来てくれと言われています。一緒に来ていただいても大丈夫ですか?」


先ほど伺った事情では、身動きするだけでもつらいかもしれない。そう思いつつ確認してみた。


「実は食糧庫からおこぼれを頂いたのでな、だいぶ体力も戻ってきた」


「あたしの朝ごはんとおんなじー!」


って栄養価の一番高いやつか! あれお値段も高いんだよ、君は知らないと思うけど。

この人に出したんなら竜舎長も文句は言わないだろうからいいか。


この子が朝から疲れているように見えたのは夜中にこの美女さんが訪れて目が覚めたからなんだろう。食糧庫も開けて一番おいしいのを出したって言うんだからほんとすごいなあ。こうやって成長が判るのは楽しい。



「久しぶりの我が子とも語らいたい所だがあっちを先に済ませるとしようか。卵を預かってもらうこともあるしな。ただ案内はいい、この子たちを頼む」


そういえば何度もこちらには来ていると仰っていたから道は判るか。もう少し話してみたかった気もするけどしょうがない。


「夕刻にはまた会えよう。少年に手間をかけさせるでないぞ」


と母親らしい言葉をかけて立ち上がり、出口に向かう姿を慌てて追いかける。


「やっぱり舎の外柵までは送ります」


と一声かけた。外柵は竜を遊ばせておくための結構広大な敷地を囲む柵のことだ。

彼女は振り返って立ち止まり、はあ、と盛大なため息をついた。そ、そんなお嫌でしたか?


「いや、君ではないよ。あ奴は昔から変なところで過保護だったと思い出していた所だ」


そうでしたか。何度も来てる方を連れてこいなんて確かに変でしたもんね。一ついいことを聞かせていただいた気がします。そもそも竜舎の長なんて立場をもう長く勤めてるぐらいですから、竜への愛も極まれりと言うしかないでしょう。

……だけど、その話を親父さんの前で戯れにでも口にしたら、自分が不幸になりそうな、そんな予感が脊髄を駆け上った。



外柵に着くまで、いろんな話をした。

竜を育てる仕事に就いて、竜を相方とする竜騎士団の方々と話す機会もある。でも、どうやっても今までは又聞きの知識でしかなかったのが、本物の竜と個人的に話せるなんて夢のようだ。

あくまで、自分が竜騎士団に所属していたころの話、と前置きしたうえで、自分を含めた風竜の生活や生態であったり、同じ竜でも傾向はあれど好みも価値観もばらばらであること、竜から見た人間のこと、空を舞う高揚感、今まで窺い知ることのできなかった生の言葉を聞かせてくれた。十分にも満たない物足りない時間ではあったけれど、どの事柄も深く聞くなんてできなかったけれど、生まれて初めてのものすごく濃密で得難い貴重なひと時だった。

この一瞬で、自分が違う人間になったような気さえした。自分は変わっていないけれど、外から竜を眺め好きで関わってきたのが今までなら、今感じるのは竜という領域の内側に入り込んだ感覚。

勿論そんな思いは勘違いも甚だしいし失礼だし不遜だということぐらいは自覚しているけれど、それぐらいに琴線を掻き乱され違う在り方に身を晒したと思う。


外柵の前で深く頭を下げてお礼を伝えた。


「貴重な話を聞かせていただく時間をくださってありがとうございました。目の覚めるような思いです」


自分の持ってる言葉じゃ今の気持ちをとても伝えられないのがもどかしい。


「君は根がとても真面目なのだね」


少し空を見上げるような後ろ姿のままで、さらりと返事が来た。


「とても好ましい資質だと思うが、夕刻にどんな顔をして私と会うのか楽しみにしておくよ」


一拍置いて振り返って、悪戯っぽい色で微笑んだ。


しまった、と思ったがもう遅かった。何このもうしばらくは会うこともできませんけどお元気で的な空気。やっちゃったよ!


「ほれ、我が娘が首を長くして待っておる、見送りはいいからはよう行け」


しっしっとばかりに手を振る姿は似たもの夫婦。

では後程、と言葉少なに背を向けた僕は、足取りも重く竜舎に帰るのだった。





そして帰り着いた竜舎で僕は大騒動に巻き込まれる。


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