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3600秒

作者: 夏庭西瓜

 ここは最後の砦となるだろう。

 そう言ったのは、隊長だっただろうか。

『敵影確認。緯度50.6986217、経度11.7558453、高度151.55』

『了解。目的地点へ移動する』

 内線を通して仲間のやり取りが聞こえてきた。

『B-386。頭部の損傷はどうだ』

 呼ばれて、私は視線を鏡へと向ける。

「大丈夫だ。86400秒前のことは覚えていないが、3600秒前のことは覚えている」

 壁に納められた鏡の中に映る私の姿は、知っていたはずの姿とは大きく異なっていた。簡単に言えば歪んでいる。

 かつて、私を覆う銀の光沢を、大層に褒めてくれた者が居た。見栄えもするし何より強そうだと笑って、私の頭部を撫でてくれた。だがその人はもう居ない。私の記憶には残っていない。

『では3600秒ごとに指示を出す。ついて来い』

 その指示が的確なものかどうか、私には判別がつかなかった。だから従う。

 左腕に取り付けたままのレーザー火器は、調子が良くなかった。2400秒前には敵の進入を防ぐ為の扉の溶接も行えたが、今は最小限に出力を絞り込んだかのように押し黙っている。右腕には1600秒前に棒を取り付けた。この棒のことを何と呼んでいたのか、その情報は私の中にはない。300秒前までは時折電気も発していたのだが、やはり今は無言を貫いている棒だ。

 今の私が装備している武器はこの2つだけだった。3600秒より以前のことは覚えていない私だが、仲間の装備が似たり寄ったりだということは知っている。

『この砦は最後の砦だ。必ず、我々はここを守るのだ』

 内線を通して聞こえてきたその指令に、私は立ち上がった。


 膝の関節部分が時折音を立てる。

 走りやすいとは言いがたい廊下は各所に穴が開き、覗き込めば下階が見えるほどだった。穴が開いたときに飛び散った廊下を構成する素材の粉末が、穴の周囲にごろごろと転がっていると同時に、その時に損傷を受けたのか被害に遭ったのか。仲間とおぼしき腕や脚も散乱していた。

 3600秒前までは覚えていたかもしれないが、今やその腕が誰のものかも分からない。ただ、非常に移動しづらい障害物になっていることは確かだった。

『B-386。25度北だ』

「A-147か」

『そうだ。座標系も測定不可能なのだろう』

「測定器は全て動作していない」

『燃料の補充は』

「補充」

 内線を通して、仲間からの指示を聞いた。私からはどの仲間も見えないが、測定器が作動している仲間達には私の居場所が測れるのだろう。だが尺度すら測れない私には、残念ながら25度と言われても正確にそれを判断するのは難しい。

「補充が必要か」

『補充は必要だ』

「何が必要だ」

『燃料容器だな。90度西の道を10SI前進し。…3秒待て。辞書を出す』

 待てと言われたのでその場に静止する。

『辞書で翻訳する。…左の道を10歩進んで、左の扉を開ける。室内に入って右の壁側に棚がある。棚の右から3番目の扉を開く。上から2段目の棚板の上に袋がある。AからEまでの袋があるから、火器にはD。電子棒にはB。腰にはEを付ける。…翻訳は終了だ』

「理解した」

 視界に異常がないのは幸いだった。翻訳された方角へと視線を移し、その前に転がっている障害物へと足をかける。この3600秒の間には見たことがないほどの、巨大な円筒が倒れていた。それが完全に行く手を塞いでいる。そして両手を頂点に置き障害物を上ろうとした瞬間、その円筒が大きく横に揺れた。

「何だ」

 円筒に翻弄された私は廊下へと落ち、後ろ向きにひっくり返っている。

『PATEだ』

 それが何かは分からない。立て続けに振動があって、私の体は左右に転がった。

『敵影不明瞭。拡大する』

『B-214撃破。B-119撃破』

『敵影接近。緯度50.6986225、経度11.75…』

『磁気砲確認。解体に移る』

 仲間達の動きが内線を通して聞こえてくる。振動を感じる度に伝えられる、仲間が倒された報告も。

 私は立ち上がり、周囲を確認した。まだ脚は揺れているが、敵を倒さなければならない。右腕に取り付けてあるこの棒で。

『Bライン壊滅。Cライン防衛に移る』

『地階敵影確認。殲滅に移る』

『磁気砲解体失敗。発射に備えよ』

 次々と送られてくる情報は、私が行動する基盤とはならなかった。どれほど高度な情報を送りつけられても、私には目の前の敵を倒すことしか出来ないのだ。だが生憎周囲には敵も味方も居ない。ただ円筒が左右に揺れているだけである。

『自爆する』

 そして次々と告げられる劣勢の情報の中、唐突にA-147の言葉が響いた。

『敵の損壊率を上げる為自爆する』

「待て。自爆はするなと言われているはずだ」

『3600秒の記憶の中でいつ言われたのだ』

 この砦を守れよ。

 そう笑って、私の頭部を撫でてくれた。あれは誰だったのか。

「必ず砦を守れ。砦を壊すなという命令を受けていたはずだ。自爆は許さないと」

『そのような命令は受けていない。砦を守るためだ』

「自爆すれば砦を壊すことになる。砦が壊れれば、敵は雪崩れ込む」

『A-147。自爆を許可する』

「待て。隊長が、告げたはずだ。砦を守れ。砦を壊すな。お前達の…」

 命も、粗末にするんじゃないぞ。

『隊長とは何だ』

 私の頭部に保存されていたはずのものは、殆どが損なわれたはずだった。

 だがこうして思い出している。隊長が私達を配下に収め、指示を出し、時には褒めたり叱ったりしてくれたのだ。

「覚えていないのか。我々の主人だろう」

『B-386。作戦の妨害を禁止する。以後内蔵通信機の使用を禁ずる』

「待て。何故覚えていない。我々は隊長に命じられた。だからこの砦を守っている。隊長が戻るまで、我々は」

 全てを告げることは出来なかった。不意に廊下が割れるほどの振動が起こり、天井から岩のような塊が次々と落ちてくる。何かの衝撃で一斉に窓が割れ、その破片が光を受けて乱反射しながら降り注いだ。窓の破片が無数に降り注いだところで、私の胴体に傷をつけることなどない。だが天井を支える柱には大きく亀裂が入り、この砦が明らかに半壊したのだということを告げていた。

 何故、覚えていない。

 私の体は、どこかに向かって走り出した。もう、仲間の動向は聞こえてこない。ならば直接前線に行って、阻止しなければならない。自爆など無意味だと伝えなければならないのだ。

 あれほどに優しかった隊長を、何故誰も覚えていないのか。一体皆に何があったというのか。この3600秒のことしか覚えていない私が、こんなにも思い出せていると言うのに。

 幾つもの瓦礫を超え、砦の外へと足を踏み出す。大きく抉り取られた砦の一角は外の世界の一部となり、ぽっかりと空いた天井からは、広い空が見えていた。

「あぁ…隊長が好きだった、青い空だ…」

 この砦を守る必要が無くなったら。

 皆でこの空を越えて次の砦に行こうと。

 そう、言っていた、あの空だ…。


「蜘蛛を見つけました」

 だが不意に。青い空は黒い大きな影に覆われた。否。これは人だ。全身を防護スーツで覆った人間だ。私に向かって銃口を構えている。即ち敵。

「潰せ」

 だが、何故だろう。

 その隣に懐かしい声がするのは。


 その砦は、既に全壊に近い状態にあった。

 大量に大地を覆う瓦礫の山の上に上りながら、男達はうんざりしたような表情を見せている。

「全く…。蜘蛛共が連鎖自爆などしおって」

「どなたかがいらっしゃったから、誘発したのでは? こう言っては何ですが、かつての『部下』でしょう?」

「ウイルスに侵されるまではな」

 苦虫を潰したような顔で、1人の男が足元の機械を踏み潰した。

 それは、二足歩行の小型のロボットだ。二足歩行だが腕の部分は6本あり、場合によっては蜘蛛のように8本足で動く。二足歩行状態でも高さは子供くらいしかないが、頭部に埋め込まれた『頭脳』部分は子供よりは遥かに明晰だ。だが人間に逆らうことなどなく、指示通りに群れを成して行動する。

「しかしこの蜘蛛。手足が4本しかありませんね。しかも単独行動中だ。…何かの任務だったのかな」

「ウイルスに侵されれば、何でも有るだろう」

「確かに。そういえば、新型の守備型兵器は、ネコ型らしいですよ。集団行動がルーチン化されていると、ウイルスが一斉に広まりますからね」

「ネコは守備に向かんだろう。大体、毎回主幹研究員の趣味で作られているのはどういうことだ」

「習性がネコ型ってだけで、別にネコの形じゃないと思いますよ」

「習性がネコというだけで、嫌な予感しかしないな」

 話しながら、彼らは瓦礫の山を降りて行った。

 その上空に広がる青い空の下。

 細い銀色の金属で出来た手足を持った、4本手足のロボットだったものは。

 瓦礫の一部と化して、そこに転がっていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なかなかクールな作品でした。 僕個人としては読みやすく、またわかりやすい作品だったことも、高い評価に繋がっています。 ありきたりなオチとも言えますが、しかし納得でき、すっきりとコンパクトに…
[一言] なんだか無常感がにじみ出ていて良いな、と思いました(小並感)
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