神殺し
「……何か用」
できるだけ不機嫌そうな声を出す。
「あの、先刻は……」
気圧されてか何処となく声が小さくなっていて、視線も下を向いていく。
「用がねえんなら俺帰るけど」
(ああ、腹が立つ。 )
さっさとここから立ち去ろうと、目の前で固まっている斎王に背を向けた、その直後。
「お待ち下さい!」
何なんだ、こいつは。
とおくでカラスの鳴き声が聞こえ、余計にこの空間が間抜けに思えてくる。
「……用があんならさっさと言えよ」
こちらは胸の傷が痛むというのに。
斎王はおどおどとした表情で、こうささやいた。
「お話をしたいのです」
「俺はあんたと話なんかしたくない。話があんなら倭の姫さんにしな」
あんたを慕ってる他の連中なんか腐るほどいるだろうに。
そう言おうと顔を上げ見ると、斎王は困りきったようなそんな表情で、意味の分からぬことを口にした。
「わ、私は貴方の考えが聞きたい」
「は?」
「貴方の……倭姫様に対する……、その、考えを……」
どうやら惟神が倭姫をどう思っているか、ということを聞きたいらしく、斎王はもごもごと口篭もっている。自分が倭姫の側近だからか、言いづらいのだろう。
「何、それでどうするわけ。倭姫サマを侮辱した侮辱罪で俺を牢屋にぶちこむ気?」
「ち、違います! 私は…ぎ、疑問に思ってしまったんです」
全く会話が合っていないような気がする。が、斎王は何かを必死に伝えようとしているらしく、胸に手をあてながら、端正な顔をくもらせて呟く。
「その、何故…倭姫様を…そんなに?」
――胸クソ悪い。
「俺は最初からあの人間が嫌いだったよ」
月が出て、ぼんやりと影が足下に広がる。
「あんな人間さえ居なけりゃ…俺の一族は死なずにすんだのにな」
古傷が痛み、知らず顔をゆがめた。
するりと口からこぼれたのは、昔々の真実だった。
「え……?」
意味が分からないのか、聞き返す。
(反吐が出る。)
「……やっぱりな。側近のあんたにも知られていねぇか」
ふいに月にかかった雲で、目の前の斎王の姿が見えなくなった。黒くぼんやりとした姿は、まるで過去からの影法師のようだ。
じりじりと這い寄って、やがて過去も未来も飲み込む。
「俺の家系は神殺しの一族だ」
「か、神殺し?」
「つまり、だ。あんたらの敵なんだよ、俺たちは」
敵。
そう。天敵そのものなのだ。
神を崇拝し、自ら歩むことをやめた人間ども。その人間どもの敵が、自分たちなのだ。
「だから神を殺す事に罪悪感はねえ。その事に誇りだって持っているつもりだ。だからこそ、あんたらが憎いんだよ」
「……何故、神をそんなに憎むのですか? 神は私達に多くの恵みを下さっているではありませんか。それを、何故……」
考えていた通りの、国の人間の手本のような質問が返ってきた。思わずふざけるな、と罵倒してやりたい衝動に駆られたが、何とかおさえる。
想像していたとおり、善人の塊のようなこの男には、わからないのだろう。
惟神の一族がたどった、残された唯一の道を。
「多くの恵み……?それが如何いう事なのかあんたは知らないのか? 神が無償で恵んでくれるとでも思っているのか!?」
斎王の顔が困惑に満ちている。それはそうだろう。今まで考えた事もないだろうから。
この世に、無償というものなどどこにもない。何かを得るためには、何かを捨てなければならない。
その代償は重いものだった。
「生贄だ」
「い、生、贄?」
おもしろいほどにこの男の喉が震えている。
恐怖を今、初めて知ったというような表情をしていた。それがどこか愉快で、口はしをゆがめる。
「そうだ。神殺しの家系は全て神への生贄にされている。 当たり前の判断だろうよ。倭が毛嫌いしている俺たちを贄にするのは。無論、俺の両親はもう死んだよ。最後の最後まで神殺しの一族を主張しながらな」
まるで信じられない、そんな顔をした斎王に目をやり、笑ってみせた。
同時に、この男への失望が余計ににじみでる。
「はっ、信じられないか。なら聞いてみるんだな。あんたの慕っている倭姫サマに」
「ひ…ひとつ、聞きたい…」
やっと搾り出したような声で呟くように尋ねる。
無様に震えている斎王を冷ややかに見つめながら、次の言葉を待った。
「貴方は…何なのですか」
一見意味の分からない問いに、こう答えてやる。
「俺は、必要悪だ」
と。