↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
惟神-mors-  作者: イヲ
PR
18/18

春雨

 何時しか忘れられる物語





 真っ暗だ。

 只只暗いだけの空間。此れは己の心なのだろうか。

 何もない。ぱっかりと穴のやうに只あいているものは、自らの心なのだろうか。


<其れは純粋なる黒>


 ゆっくりと下へ下へと沈んでゆく。

 あぁ、己は地獄へ堕ちてゆくのだ。それも良い。


 己は「悪人」という人種になれたのだから。

 悪という名のもとに生きてきた証なのだ。



 この胸の傷痕の「意義」もなくなった。

 この、自虐でつけた傷痕ももう必要はない。


 「倭への復讐」を忘れぬために十五の時に父の刀でつけたのだ。

 痛みはない。

 痛みは既に消えたはずなのに、どろどろと胸の奥から、流れているものが「感じる」。


 このただ暗いだけの土の中「感じる」ものがある。

 あの桜の「根」だ。

 あの全てを投じるように土の栄養分を吸い取っているもの。

 その「根」が己の血を吸い取っている。

 むかしの笑い話のような「死人の血を吸い桜は紅色になる」成程確かに間違ってはいない。


 この桜という美しくも貪欲な生物にくれてやろう。

 汚れきったこの身体の血という血、肉という肉。

 どうせ地獄に堕ちてゆくこの身だ。地上への置き土産として遺すのも良いだろう。


 何故だろうか、手も足も胴も全て桜へと吸い取られていくような、そんな感覚に陥る。


 融けてゆく。

 身体だけではない。思考も何もかもが

 この桜へと混ざり、融けてゆくのだ。

 思えばこの桜の木は己が産声をあげた以前からあったもの。

 木に特別な感情を持っているわけではないが、何故かいつも傍にあるのが

 「当たり前」だったように感じられる。

 この存在は傍にあるだけで、それだけで安らげたのだ。

 徐々にうすぼんやりしてきた思考に、ふと考えるとがあった。



 全ての生物が生きるこの地上で俺は何かを残せたのだろうか。

 悪という忌み嫌われるこの存在がおこしたこの事を。

 地上にいる人間はどう思ったのだろうか。

 たぶん、神への冒涜だと、王を殺した極悪人だと罵るだろう。

 自分自身はそれで良いと思った。

 自己満足だとしても、良かったのだ。

 神を、王を殺したのだから次の王となるべく人間達が争っているだろう。

 其れで良いのだ。

 人間はみな醜い。その争いを見、「醜い」という人間のほうが愚かなのだから。

 人間は醜いからこそ美しいのだ。

 美しさを自覚している者は世で一番醜く、醜さを自覚している者は世で一番美しい。


 人間は醜さが在るからこそ、時折見せる美しさがある。

 そして正義もあれば悪も在る。

 正義という言葉は基より悪がある故に生まれるものなのだ。

 そして悪もまた然り。



 人間の世界、それは如何なるものなのか。

 その答えは多分、いくら探しても出てはこないであろう。

 しかしこれだけは言える。

 人間は昔から自分の足で立ってきたものだ。

 人間があり、信じるものがあり、それが神であろうと他人であろうと

 結局は自分で歩いていくしかないのだから。


 他人や神に寄りかかっていては「世界」は姿を見せてはくれない。

 自分の意思で行動し、考え、時には過ちを犯し、悩み、苦しみながら、そしてやっと自分の歩む道が開けるのだ。



 そう、今純粋に思った。

 融けて殆ど無くなった身体に唯一残った手を掲げる。

 どうやら、「地獄」には行けないらしい。

 ここで、全てと混ざり、融けてゆくのだ。

 それでも良い。この心地よい場所に留められるのだから。

 掲げた手をゆっくりと握ってみる。

 生きてきたこの人生の中で共にあったこの手。

 両親から分けてもらったこの手。

 やっと安らげる時が来た。

 そして、何時か安らげる日が来たらこう言おうと思っていた言葉が在る。


 悪い人生じゃなかった。


 「誇れるような、そんな人生だった」、と。







 ありがとう、と。








「春も、もう終わりですね」


 隣で桜の木を見上げる少女と、眩しそうに日を見つめる女性に語りかける。

 はらはらと落ちてゆく桜の花弁。


「この桜、斎王さんが引き取るんだってね?」


不如帰、という名の女性が微笑みかける。

その言葉に私は頷いてみせて、また桜の木を見上げた。


「この木は彼の置き土産だと、思っていますから」




 だから、安心して休んでください。

 悪と貫いたあなたから私は教えられました。

 これからこの国は滅びるかもしれません。

 しかしもしそうなったとしてもこの国の人々は、自分達の足で立ってゆけるでしょう。


 あなたがそう願い、信じたように。









 そうしてこの木は何年も咲き誇り続ける。

 優しく地を打つ春雨が降る、この季節に。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。