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刻の病  作者: 旭日葉乃
1/1

一枚

 庭に咲いている桜の木。それが満開に咲き誇り、目を奪われるほど美しく花を開かせている。はらりと花びらが散り、キヨの髪の上に落ちる。そんな薄紅の花びらを見てキヨは思う。葉桜になるのも、時間の問題だと。散りって来た桜を摘み、ふっと息をかける。それはまだ冷たい風に乗り、どこか遠くへと行ってしまった。指に残る、花特有の感触。指の腹を見つめ、口に弧を描く。縁側に立ち、持っていた扇を広げ、舞の練習を再開する。

 ふと、耳を見ますと遠くの方からドタドタと足音を立てやって来る、ばあや。

「おおおおっお嬢様あああ!! あんなに風に当たられては駄目だと申したでしょう!? 旦那様もご心配なさっているのに!! これ以上、お体を崩してしまったらどうするのですかっ!! 能のご練習をするのには感心しますが、お体にもお気をつけなさいませ!!」

大声で怒鳴るばあやにキヨは耳を塞ぐ。

「…そんな声で喋られたら、耳が潰れてしまう」

「そうしませんと、お嬢様は聞かないでしょう!?」

「……。」

「貴女様は本条家の跡継ぎでいらっしゃるのに…! まったく…」

やれやれと首を横に振り、婆やはキヨを呆れた目で見る。

「…そんなに心配しなくたって良いのに」

ポツリと本音を漏らせば、ばあやに怒鳴られる。これ以上、無駄な説教を聞く前にキヨは自分の部屋へと向かった。

 ふすまを開けようと手を伸ばす。が、キヨは止まったまま中へと入ろうとしない。ずるずると襖を背にして座り、ばあやに見つかったら大目玉を食らうなと思いつつも、キヨは動こうとしない。上質な着物と、腰でそろえてある髪が鮮やかに広がる。

「…! お嬢様っ! 何をなさっているのです? こんなお姿を旦那様に見られてしまえば…」

頭上から掛かった声に、閉じていた瞼を開く。

「――豊? 貴方、何しに…」

「紅茶を、キヨお嬢様にと…。お菊さんから、縁側に居たというのを聞いて…」

お菊さんというのは、ばあやの事。

「そう。ありがとう」

ふわりと微笑み、着物に付いたほこりを手で落す。

「部屋で飲むわ。持ってきて頂戴…」

「はい、では…失礼致します」

部屋へ入り、紅茶を持ってくる豊を待つ。

 彼の小さな気遣いが、心を暖かくしてくれる。豊が側にいてくれるだけで、キヨは満たされる。かなわぬ恋だと知りながら、この思いが届くという事をどこかで待っている自分がいる。

 ため息を吐くと同時に遠慮がちに聞こえた豊の声。

「キヨ様。紅茶を持って参りました…」

「入って…」

お盆にティーカップとお菓子が乗せた豊が入ってくる。

「お待たせ致しました」

カップを受取り、砂糖も何も入れていない紅茶を喉に流し込む。少し熱いが体は温まる。

「…おいしい」

やっぱり、紅茶やお茶を淹れるのが豊は上手い。この家で一番だ。

 ありがとうございますと言った彼の声を聞き、ぽつりと呟く。

「私、豊の淹れる紅茶が一番すきよ…」

手元の紅茶を見ながら言う。

「そ、そうでございますか。勿体無いお言葉です…」

幸いながら、キヨは豊の方を見ていない。赤くなっている顔を見れずに済んだ。ほっと息をつき豊は己の口を押さえる。嬉しくないはずが無い。想っている女性にそんな事を言われれば、誰だって嬉しい。そうして、豊は必死にキヨへの想いを隠す。

「…では、私はこれで食べ終わりましたら、呼び鈴を」

豊は背を向け、襖に手をかけ部屋から出て行った。そんな彼を引き止める事もできず、冷め切った紅茶を見つめる。残ったそれを喉へと流す。ことりとお盆にカップを置き、お菓子には手を付けず、彼が居た場所に手を伸ばす。温さは無いけど、確かに豊は此処に居た。

「…豊っ」

ばたりと倒れこみ、着物の裾に顔を伏せる。

 引き止める事も、思いを伝えられる事も、何も出来ない。いつまで自分達はこんな事を続けなければいけないのだろう。近くに居るのに触れる事さえ出来ないなんて、悔しいし、辛い。身分の違いだけでこんな思いをしなければいけないのか。

 目尻に溜まった涙が溢れ、着物に落ちる。涙を拭いてくれた存在が今は居ない。ただ、零れ落ちる雫。そして、喉から出てくる嗚咽。それが惨めで、悲しくて、キヨはぎりっと着物を握った。

 その嗚咽を襖一枚ごしに聞いていた豊。叶う事なら、抱き締めたい。涙を止めてやりたい。でも、それは出来ない。自分は使用人の身、彼女を抱き締め、触れる事など到底出来ないのだ。出来たとしても、皆に反対される。強く、手を握り締めキヨの部屋を背に豊は廊下を歩いていった。


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