第6話:魔王城のトイレは、世界の終わりの入口でした
株式会社クリーン・ファンタジーが設立されてから数週間。
社長となった灰坂ソウジは、新しいオフィスのデスクで頭を抱えていた。
「……なぁ、コアちゃん。なんでウチへの依頼は、こうも『特殊案件』ばかりなんだ?」
ソウジが指差した書類には、『S級ダンジョン・パンデモニウム』からの依頼書があった。
依頼主の欄には、禍々しい血文字で『魔王』と署名されている。
「えへへ、やっぱり社長の腕前を見込んでのことですよ! 『城の水回りが限界だ』って、魔王様が泣きついてきたんですから!」
元ダンジョン・コアであり、現在は社長秘書を務める青髪の少女――コアちゃんが、胸を張って答える。
彼女はソウジによってピカピカに磨き上げられた経験から、彼のことを「掃除の神」として崇拝していた。
「水回りか……。一番汚れやすい場所だからな。放っておくとカビの温床になる」
「はい! というわけで、今回の現場は魔王城の最深部、『開かずの間』です!」
ソウジは観念して立ち上がり、愛用の道具袋を確認した。
中には、今回のような水回りトラブルのために新調した、頼れる相棒が入っている。
「よし。行くか」
彼はヘルメットを被り、アクションカメラ『ComePro』のスイッチを入れた。
今回も「業務記録用」としての録画だ。
……もちろん、彼が気づかない間に、コアちゃんの手によって「全世界生配信モード」に設定されていることなど知る由もなく。
***
S級ダンジョン『パンデモニウム』最深部。
そこは、常人なら足を踏み入れただけで発狂するほどの瘴気が渦巻く魔境だ。
「よ、よくぞ参った……人間よ……」
玉座の間でソウジを出迎えたのは、絶世の美女――魔王だった。
しかし、その美しい顔色は土気色で、目の下には濃いクマができている。
ストレスによる肌荒れが深刻そうだ。
「お待ちしておりました。こちらが現場です」
魔王が震える指で示したのは、玉座の裏手にある厳重に封印された扉だった。
扉の隙間からは、ドス黒い紫色の液体がドロドロと染み出しており、何かが腐ったような異臭が漂っている。
『うわ、なんだあの液体』
『魔王城から生中継とかマジ?』
『魔王ちゃん、やつれてね?』
『このオッサン、またとんでもない場所にいるな』
コメント欄がざわつく中、ソウジはゴーグルを装着し、冷静に現場を解析した。
【警告:高濃度の汚水漏れを検知】
【発生源:個室トイレ】
【原因:配管の重度な詰まり】
「うわぁ……これは酷い。逆流してますね」
ソウジは顔をしかめた。
彼には、魔王城を侵食する「深淵の瘴気」が、単なる「下水の逆流」に見えている。
「あの、魔王さん。最近、トイレに『溶けないもの』を流しませんでした? ティッシュ代わりの羊皮紙とか」
「は? い、いや……反逆者の首(生贄)なら幾つか捧げたが……」
「あー、それですね。固形物はちゃんとゴミ箱に捨てないと、配管が詰まるんですよ」
ソウジは説教しながら、ドロドロの汚泥(瘴気)を長靴で踏み越え、扉を開け放った。
――ギィィィィ。
その奥にあったのは、地獄の光景だった。
黄金で作られた便器の中から、無数の触手と目玉を持つ、不定形の怪物が溢れ出していたのだ。
『深淵の邪神』。
魔界のさらに奥底、次元の狭間から現れた、世界を喰らい尽くす絶望の権化。
「我は……深淵の……全てを無に帰す者……」
邪神が重苦しい声を上げ、触手を伸ばす。
魔王が悲鳴を上げて腰を抜かす。
「ひぃっ!? 封印が破られている!? もうおしまいだ、世界は闇に飲まれる……!」
『出たあああああああああ!』
『邪神じゃん! ラスボスじゃん!』
『トイレから邪神www』
『終わった、これ流石のオッサンでも無理だろ』
だが、ソウジの反応は違った。
【解析:有機物の詰まり(特大)】
【推奨:真空式パイプクリーナーによる吸引】
「うーん、やっぱり詰まってるな。ゴボゴボ言ってるし」
ソウジには、邪神の呪詛が「排水溝が詰まった時のゴボゴボ音」にしか聞こえていない。
彼は躊躇なく怪物(便器)に歩み寄ると、背中の道具袋から「伝説の剣」を抜くようにして、あるアイテムを取り出した。
黒いゴム製のカップがついた、木の棒。
通称、ラバーカップ(スッポン)である。
「そこ、退いてくださいねー」
ソウジは無造作に、邪神の顔面(と彼が認識している排水口)にラバーカップを押し当てた。
ムギュッ。
「愚かな……我に触れれば、貴様の魂など瞬時に――」
「よし、セット完了。こういうのはね、押し込むんじゃなくて、引く時の真空圧で抜くんですよ」
ソウジは腰を落とし、職人の構えを取った。
スキル【完全清掃】発動。
彼の腕に、物理法則を超越した「清掃力」が宿る。
「せーのっ!」
ズポンッ!!!
空間が歪むほどの吸引音が響いた。
「GYAAAAAAA!?!?!?」
邪神が情けない悲鳴を上げる。
ラバーカップが生み出した局所的なブラックホール(真空圧)によって、溢れ出ていた触手や目玉が、猛烈な勢いで便器の奥へと引きずり込まれていく。
「お、おのれぇぇぇ! 貴様、何をするぅぅぅ!?」
「まだ流れが悪いな。もう一回!」
ズポンッ! ズポンッ!
「や、やめろ! 吸うな! 戻りたくない! 我は地上を支配するのだぁぁぁ!」
「しつこい汚れだな。……ふんっ!!」
ソウジが渾身の力で柄を引き上げた、その時だった。
ゴッッッッヴォォォォォォォォ……!
凄まじい轟音と共に、邪神の巨体が完全に便器の穴(次元の裂け目)へと吸い込まれた。
直後、ソウジはすかさず洗浄レバーを回す。
ジャーーーーーッ。
清らかな水流の音が響き渡り、邪神の断末魔は水音と共に彼方へと消え去った。
【タスク完了:配管の詰まり解消】
【水流:正常】
「ふぅ。やっと流れた」
ソウジは額の汗を拭い、満足げに頷いた。
後に残ったのは、ピカピカに輝く黄金の便器と、さわやかな洗剤の香りだけ。
魔王は、開いた口が塞がらないまま、呆然と便器を見つめていた。
「あ……あの古の邪神を……流した……?」
「ええ、流れましたよ。今は水圧も正常です」
ソウジは爽やかにサムズアップした。
その背中には、後光のような光が差している(※ただのトイレの照明です)。
『流 し た』
『水に流していい相手じゃねえwww』
『邪神の尊厳ブレイクwww』
『「トイレの神様」ってそういう意味じゃねえよ!』
『世界を救う音が「ズポンッ」だった件』
世界中が笑いと衝撃に包まれる中、ソウジは魔王に向かって業務日報を差し出した。
「それじゃ、作業完了のサインをお願いします。あ、これからは定期的にパイプクリーナー使ってくださいね。詰まると厄介なんで」
震える手でサインをする魔王の目には、もはや恐怖ではなく、深淵なる神を見るような畏敬の念が宿っていた。
こうしてまた一つ、灰坂ソウジの「掃除伝説」に、新たな1ページが刻まれたのだった。
(続く)




