第4話:通知オフの英雄
「ふぅ……。休憩も終わったし、残りの業務を片付けるか」
ピカピカに磨き上げられたダンジョンの深層で、灰坂ソウジは腰を上げた。
彼がモップを握り直したその時だった。
ブブブブブブブブブブブブブブブブッ!!!
腰のスマホが、壊れたマッサージ機のような勢いで振動を始めた。
同時に、彼の視界を覆うゴーグルの内側に、真っ赤な警告ウィンドウが大量発生する。
【警告:外部通信の過多を確認】
【着信数:9,999+】
【システム負荷:増大中】
「うおっ!? なんだ、ウイルスか!?」
ソウジは慌てて画面を覗き込む。
そこには、世界中の重要機関から送られたオファーメールが滝のように流れていた。
『件名:【至急】呪われた国宝の洗濯依頼について(差出人:王立博物館)』
『件名:核汚染迷宮の除染見積もりの件(差出人:米国政府)』
『件名:魔王城のトイレ掃除をお願いできませんか(差出人:魔王軍・総務課)』
だが、ソウジのゴーグルは、これら全てのメールを【業務外のノイズ(スパム)】として自動分類していた。
彼には、それが世界を揺るがす依頼ではなく、ただの迷惑メールに見えているのだ。
「参ったな……。どこの業者がメアド漏らしたんだ? 『魔王城のトイレ』とか、最近のスパムは手が込んでるな」
彼が呆れてつぶやくと、コメント欄がどっと沸いた。
『スパム扱いワロタwww』
『米国政府からの依頼だぞwww』
『魔王軍、トイレ掃除で困ってるのかよ』
『おっさん、その依頼受けたら国家予算レベルの報酬だぞ!』
視聴者の興奮をよそに、ソウジはふと思い出したようにカメラに向かって語り掛けた。
「ああ、そういえばさっきの汚れ(ドラゴン)のことですが。あれはキッチンの換気扇によくある『酸化した油汚れ』ですね。スライムキラーを原液で使わないと落ちませんでしたから、皆さんも掃除の際は換気を忘れないように」
『ドラゴン=油汚れ』
『名言きたwww』
『S級ドラゴンを換気扇扱いする人類、こいつだけ説』
『謙虚すぎるだろ……! 一生ついていきます!』
ソウジのゴーグル越しの認識と、世間の認識。
その決定的なズレが、新たな信者を生み出していく。
その時だった。
スマホの画面が切り替わり、通話着信が表示された。
ゴーグルが発信者IDを解析し、情報をポップアップさせる。
【発信者:元・雇用主(剣崎支部長)】
【危険度:D(無視推奨)】
「げっ」
ソウジは露骨に嫌な顔をした。
数時間前に自分をクビにした元上司だ。
出たくはないが、退職手続きの不備か何かだろうか。真面目なソウジは、渋々通話ボタンを押した。
「……はい、もしもし」
『おいソウジッ!! 今すぐ戻ってこいッ!!』
スピーカーから、鼓膜が破れそうな絶叫が響いた。
背景からは「ギャーッ!」「溶けるゥ!」という悲鳴と、何か(おそらく一億円のドローン)が爆発する音が聞こえる。
『大変なんだよ! ドローンが全滅した! 床は滑るし、罠は作動するし、装備は腐るし……もう限界なんだよぉ!』
剣崎の声は涙声だった。
エリートのプライドなどかなぐり捨て、必死に懇願してくる。
『給料は倍……いや、3倍出す! 幹部待遇で迎えてやる! だから今すぐそっちの掃除をやめて、こっちに来てくれぇぇぇ!』
その言葉は、常人なら心が揺らぐかもしれない。
しかし、ソウジの視界には、ゴーグルが映し出す「現在の業務ステータス」が表示されていた。
【現在のタスク:巨大粗大ゴミ(未知の鉱石)の研磨】
【進捗率:15%】
【警告:ここで中断した場合、汚れが再付着する恐れがあります】
職人として、仕事を途中で放り出すこと。
それは、彼にとって最も許しがたい行為だった。
それに、ゴーグルも「中断するな」と警告している。
「あー、すみません支部長」
ソウジは、まったく悪びれずに言った。
「今、ちょっと立て込んでるんで」
『はぁ!? ゴミ掃除と俺たちの命、どっちが大事だと思って――』
「ここの汚れ、かなり頑固なんですよ。あと3時間はかかりそうなんで、失礼しますね」
『待て! 切るな! おい、ソウジぃぃぃぃぃ――!』
ピッ。
ソウジは無慈悲に、通話終了ボタンを押した。
ついでに、ゴーグルのメニュー画面を操作し、【集中モード(全通知ブロック)】を起動する。
「ふぅ。集中力が途切れちまったな」
彼はスマホをポケットにしまい、再びモップを握り直した。
全世界が見守る前で、元上司からの「給料3倍オファー」を、目の前の汚れ仕事を優先して秒速で切り捨てたのだ。
『うおおおおおおおおおおおお!』
『ガチャ切りwww クソワロタwww』
『「立て込んでるんで(世界救済中)」』
『3倍の給料より掃除を優先する男』
『これがプロフェッショナルか……!』
『剣崎ざまぁぁぁぁぁぁぁ!』
コメント欄の興奮が最高潮に達する中、ソウジは眼前の巨大な岩山(と彼が認識しているもの)に向き直った。
ゴーグルが、その対象物をターゲットロックする。
【ターゲット:未鑑定の巨大鉱石】
【汚染度:表面に酸化被膜あり】
【推奨:全力研磨】
「さて、と。このデカい粗大ゴミも片付けないとな」
彼が見上げているのは、ただの岩山ではない。
ダンジョンの最深部に鎮座する、国家予算数年分の価値を持つ超レア素材――のちに彼を億万長者にする『オリハルコンの山』だった。
(続く)




