大嫌いだった彼女が辿り着いた夢のような人生
「あああああああああ!!!」
叫びながらガタリと音を立てて立ち上がった女性。
「あたし、あのピザ女じゃん!」
「リタさん、お食事中ですわ。席に座ってお静かに召し上がって」
義母のイルダが困ったような顔でリタを見た。
「ごめんなさい、お義母様」
貴族然とした動きで椅子に座る。マルガリタ・リムドル子爵令嬢、八歳の冬。目の前では二歳下の義弟ラファエルと四歳下の義弟サミュエルが優雅に朝食を食べている。
(間違いない。これ星道のifだ。え。これってどういうこと?いや、まず落ち着こう。直ぐには何も起きないはず。ああ、文字で書いて整理したい……)
「リタさん、先程、何と言っていたのか教えてくださる?」
イルダはフルーツを食べる手を止めて口元をナプキンでお上品に押さえた。
「あの、課題を忘れていたのを思い出して、つい取り乱してしまいました。申し訳ありません」
上目遣いでイルダを見る。ifルートのイルダはリタのこの表情に弱かったはず。
イルダの表情が和らぐ。リタはifルートを確信して小さくガッツポーズをした。「yes!」思わず小さく呟く。
「早速課題に取り掛かります。お先に失礼します」
カーテシーをして食堂から出る。いつもより歩くのが速い。前世の記憶が曖昧になる前に早く書き残したい!
既に前世の自分の名前も『星道』の正式名称も思い出せない。『星道』は大好きだったバトル系恋愛シミュレーションゲームで、本編はディー様が最愛のベア様の過労死をきっかけに闇堕ちしてから本格的に動き出す。リタは本編のヒロインで、攻略対象者と戦う中で恋愛をしていく。
ifルートはDLCで、ディー様の最愛の女性ベア様が過労死しないルート。幸せなディーベアを見たかったらこのルートへ進むしかない。ヒロインがモブの立場にはなるものの、このルートの後半はほぼムービー、というか映画並みのクオリティで幸せそうなベア様を堪能できる。
リタは前世でほぼ全てのルートを攻略した。そのほとんどで最推しのベア様は死んでしまう。DLCの攻略サイトにベア様生存ルートを見つけた時は泣いた。まだクリアしてもいないのにまず献杯した。これまでに死なせた何人ものベア様に。
それなのに、攻略目前でバイクの事故で命を落とした。ムービーを観る直前、乾杯したいと思った彼女はコンビニに買い物に出かけ、目の前が急に明るくなったと思ったらトラック。ヘルメットを被っていなかったのも良くなかった。ストックが切れていたのも不運だった。
そんな彼女がせっかく『星道』の世界に生まれたのなら、あのエンディングを観てみたい。お二人の結婚式。もちろん今回はムービーではないけれど目の前でツーショットが見られるかもしれない。それに健康的な成長したお姿のベア様も。
本編のリムドル子爵家は義母も義弟も最悪な人間なのだが、ifルートは別人かと思うほどに良い人。表情も所作も口調も全て違う。
最初の婿養子だったリタの父親が亡くなった後、次の婿養子を取ったリタの母はしばらくすると病に倒れ亡くなってしまう。婿養子に入った義父と再婚したのが子連れだったイルダ。
本編では息子を子爵にしたくてリタをイビリ倒すのだが、ifルートでは教育熱心で善良な母親になる。ifイルダに育てられたラファエルとサミュエルも真っ直ぐな良い子に育つのだ。
この義弟二人は本編の方ではバトルに巻き込まれて命を落とす可能性が格段に高い。ルートにもよるがどちらかは必ず死ぬ。二人共生き残ることができるのはベア様ご存命ルートのみ。ベア様ご存命ルートはとにかく平和なのだ。
本編の彼らは家族でも何でもない、ただのお家乗っ取り犯。ifルートの方は死ぬなんて考えたくもない良い人たち、素敵な家族。
「ディー様はまだやさぐれている頃のはず。ベア様を早く解放したいけど、タイミングは重要だからなぁ。今あたしが八歳だから準備出来んのは六、七年くらい?あー、何とかなると思いたい」
ディー様とはディディエ・アレンドル侯爵令息、ベア様とはベアトリス・ライテルノ公爵令嬢。お二人は花畑で星が降る夜に結婚を約束した。その後正妃の息子の第二王子ジュスタンに見初められて引き裂かれてしまう。
ゲームにハマるきっかけとなったこのスチルはとにかく美しい。「ベア様生存ルートこそが正史派」が生まれたのも自然の成り行きだと前世のリタは考えていた。タイトルもそれを示唆していると言われていた。覚えてないけど。
クリア直前で事故死したリタの想いが報われるかもしれない。身命を賭して生存ルートを目指すことに迷いはなかった。ついでにと言ってはアレだが義弟二人の生存ルートでもある。
初めてベア様が過労死した時はショックでジュスタン王子のことを呪った。今もこの国のどこかでクジュスタンが生きていると思うと潰してやりたいと思う。そう、あれを。長じると様々な女の子を苦しめる存在になる彼を消してやりたい。
でもそれではベア様は救われない。生存ルートに入るためには、胸がたわわな女性がジュスタンと自習室にしけ込むところをベア様に見せる必要がある。これを見つけた人、マジですごい、と前世のリタは震えた。
そんなどうでも良さそうな行動から生存ルートに入るのだ。そのあとディディエが女装する必要があるがそちらは大したことはない。彼程の頭脳があれば辿り着く答だ。いや、その瞬間に備えてアドバイスができるくらいの関係性にはなっておきたい。
うろ覚えの攻略サイトの情報のみで一回きりの挑戦。やり直しができない。ひりつく。今覚えている限りのことを書き殴ったリタは椅子から立ち上がった。
「っしゃ!やってやんよ!」
と勢い良く拳を天に掲げた。
やる気を漲らせたものの、リタを一番悩ませているのは、どうやってディディエと親しくなるか。ヒロインパワーでは押し切れない。ディー様はベア様オンリーなのだ。チャンスはきっと来ると信じたい。でもギリギリまで待っても来ないかもしれない。
あるかもしれない一瞬のチャンスを掴むために、ディディエとの会話のキッカケにできるように、様々なジャンルの知識を持つことにした。ディディエが何に興味を持つのか分からない。リタは義弟も巻き込んでとにかくアクティブに過ごした。
if条件の「胸がたわわな女性」には心当たりがあった。リタ自身だ。本編ヒロインなだけあってジュスタンが気に入りそうな体つきをしている。リタにとって自分はモブ。ヒロインムーブをする予定はない。
決行日も覚えている。クジュスタンのせいで忙しくてボロボロになったベア様が学園に現れる日。覚えていて良かった。いや、忘れるはずがない。何度失敗して無駄にベア様を死なせてしまったことか。
ゲームのシステムのせいで、妙に難しかったのを覚えている。ランダムに現れる選択を調整していかないとその日を通り過ぎてしまう。やり直しができず、次に操作できる時にはベア様は過労死している。
しかし今は現実。その日にそこに行けば良いはずだ。クジュスタンを動かさなければいけないが、ゲームを操作することに比べたら問題は小さい。彼だけは本編もDLCも一貫して女好きなのだ。
胸を押し付けるだけで寄ってくる。後はリタの精神力の問題だ。クズだと思っている男に誘いを掛けられるかどうか。演技もできるようになっておくか……と劇団の門を叩いた。
劇団に入ってしばらくすると、舞台から客席に見つけた。リタはキレイな二度見。いや、三度見。不自然な動きをした端役に主役の鋭い視線が飛んだ。そんなことはどうでもいい。だっていたのだ。ディー様が。
リタは出番が終わるとすぐにディディエを出待ち。舞台が終わって扉から出てきた彼に駆け寄った。
「ディー様!」
リタは失念していた。彼が侯爵家の令息で、自分はしがない劇団員。見目麗しい男性に群がる女性の一人に過ぎないことを。
ディディエは不愉快そうな視線をリタに送ると側にいた男性に耳打ちをした。(ヤバイ!消される!)焦ったリタは楽屋に走って逃げた。
本編では魔王的立場でプレーヤーを苦しめる存在だったディディエ。前世のリタにとっては心の師匠と呼ぶほど何度も立ち向かい、何度も拳を交わした仲。
ディディエにとっては初見の、しかも愛しいベスしか呼ばないはずの愛称を呼ぶ謎の女。やらかした。リタは荷物を纏めると、急いで逃げようと控え室の扉を開けた。そこには先程ディディエが耳打ちをした男が立っていた。
馬車に乗せられたリタは冷や汗が止まらなかった。荷物を胸に抱いてなるべく小さくなって座る。リアルディディエは前世のリタが習っていた合気道で戦える相手なんだろうか。
隣の男はいなせると思うが、劇団に聞けば自分がどこの誰か分かってしまうだろう。そうなると義弟の立場が悪くなる。せめて自分だけの問題として終わらせたい。
「……ベア様……」
このまま志半ばで終わるのかもしれない。リアルベア様のお姿を見れないかもしれない。この世界に生まれて、まだ一度も生ベア様を見ていない。涙が出てきた。前世でくぐった修羅場は数知れず。それでもこんなに涙が出たことはなかった。
最推しの最愛であり、心の師匠ディー様に、たった一回きりのチャンスで勝てる気がしない。ゲームでは何度も挑むことでディディエにデバフがかかり、それでやっと勝てるような相手なのだ。それに当時は攻略対象者を五人連れていた。ハーレムルート以外ではデバフがカンストしないと勝てない強者ディディエ。
どこかの屋敷に着いた。ポロポロと涙を流すリタは案の定ディディエの前に連れて来られた。
「なぜ泣いている」
ディディエのイケボが響く。
「ディー様、イケボ!ゲームそのままの声を持っているなんて最高です!あー、ベア様と話すところを聞いてみたかった。でも心の師匠ディー様にやられるなら本望です。ベア様生存ルートでしかみられないディーベアのツーショットを拝みたかったけど、ディー様の手で死ねるのならそれでもかまいません!いや、でも可能なら見逃していただいてベア様の生存ルートに入った後にやってもらえたらありがたいんですけど。ベア様が過労死されるのは今から二年後のことで、数年待ってもらう必要があって心苦しいのですが、ディー様にとってもベア様が生存している方が喜ばしいことですよね?どうかどうかご猶予をいただけないでしょうか?」
一気に言い終わったリタはスライディング土下座を決めた。
「僕が君を処分するような話をしていた?」
「違うんですか?無礼打ちじゃないんですか?」
「僕が?君を?」
「ええ。ディー様があたしを」
「ちょっと待て。その前にディー様と呼ぶのはなぜだ。ベスだけが僕をディーと呼ぶ。今では両親も気を遣って僕をそう呼ばないというのに、今日初めて会った君がなぜ僕をそう呼ぶんだ。ベスの関係者なのか?」
「ベア様の関係者だなんて恐れ多い。あたしはこっそりと黒幕のようにベア様を幸せに導きたいと考えているしがないモブです。ベア様の幸せ、それ即ちディー様との未来。ベア様の過労死を回避して生存ルートへと進む扉を開こうとしているだけの影のような存在ですよ」
「ええと、君が言っているベア様というのは僕のベアトリスのことで合っているか?ベアトリス・ライテルノ公爵令嬢、僕のベス」
「はい。ベアトリス様に相違ありません」
「ベスが過労死するって言った?」
リタは自分の前世の話を交えて、ディディエの質問に答えながら一生懸命に説明をした。必死になるあまりしどろもどろになってしまったが、その都度ディディエが的確な質問をしてくれる。言いたいことが全部言えたし、伝わった感があって胸がいっぱいになった。
「ディー様の理解力凄いです!ディー様はお強いだけではなくて頭もキレッキレです。さすが師匠!」
「ええと、君の師匠になった覚えはないけど、まあいいか。とにかく君が言う通りに動けばベスが僕のところに戻ってくるんだね。上手くいかなかった時は命を賭して償う、それで合っている?」
「はい」
ニコニコとした表情で何の迷いもなく命をという少女。怖い。
「ベア様が過労死した未来に興味はないので。あ!いえ、それでも何とかリムドル子爵家は存続させていただきたいのですが、何とかなりません?すごく良い人たちなんです。あたしと血の繋がりもないのに、ちゃんと育ててくれた良い家族なんです」
「分かった。それが交渉の条件ということで良い?子爵家の存続は僕には利害はないから、僕に夢を見せてくれる礼に叶えよう」
「ありがとうございます!」
「ところで君の名は、マルガリタ・リムドルで合っている?」
「はい。でもリタとお呼びください」
「リタ?なぜ?」
「マルガリタというピザ女がいるせいでベア様は何度も死ぬことになったと言っても過言ではないのです。あたしは結果的にベア様の幸せを害するピザ女を憎んでいました。まさか自分がそのマルガリタとしてこの世界に生まれるなんて……ヒロインルートは捨て、モブとして生きることでベア様を生存ルートへと導く所存です!」
「まあいいや。ディー様呼びもベア様呼びも許そう。そして君はリタ。うん。これから数年間よろしくね。ああ、うまくいった場合の話をしていなかった。何か希望がある?」
「あります!あの、ディー様とベア様が並んでいるところを生で見たいです」
「それだけ?金銭や地位、結婚相手とか要らないの?」
「ディーベアが幸せそうに居並ぶ姿こそがご褒美。最上の喜び。そんな努力すれば手に入るかもしれないものなど比べ物にもなりません。生きる喜び、生きる希望。この世界に生まれたあたしが生きる意味。それはベア様です!」
「なる、ほど。まあいいや。全てが終わったら間近で見せると約束しよう」
「この上ない幸せでございます!」
「で?僕はまず何をすれば良いの?」
「弁護士が最適かと」
「僕が弁護士?」
「はい。いずれある人を追い詰める必要があるので」
「ジュスタンあたりが何かやらかすのかな?正妃はルーシス殿を策に嵌めたやり手だからな。ルーシス殿は分かる?ベスの伯母の」
「はい。現王の最初の婚約者の方ですよね?あのような目に遭われたのに教会で他の被害女性や虐げられた女性のために働いていらっしゃる健気なお方です。ルーシス様が正妃になられていたらベア様の過労死はあり得ませんから、仲間と何度正妃を呪ったことか」
「その話、関係者以外は知らないことだから他所で軽々しく口にしないようにね」
「御意」
「何だか調子が狂うなぁ。まあ良いや。弁護士ね。分かった。他には?」
「女装の準備でしょうか」
「女装?僕が?なぜ?」
「ベア様の生存ルートに入れた場合、ベア様はルーシス様の教会に入られるのです。男性は入れないのでディー様には女装してベアさまに面会に行っていただきたいのです」
「女装で?ベスに会いに?やだよ。恥ずかしい」
「でもそのタイミングで会いに行きませんと第二王子が失脚した後王太子になる第一王子の横槍が」
「はあああ。なるほど。そういうことか。王子妃教育が済んでいて仕事もできるベスを逃さないということか……、逆に詫びのつもりかもしれないな」
「ベア様が教会にいらして二ヶ月の間でしたら間に合います」
「いや、リタがいなかったらベスを取り戻すのは無理だったな。で?女装の準備って何をするの?」
「筋肉をつけ過ぎないでいただきたいのです。あとはウィッグとドレスでしょうか」
「え。なぜ鍛錬を始めたことも…って言ってても仕方ないね。リタはこの世界の幾つもの可能性を見てきたわけだから」
ディディエはスッと立ち上がって右手を出した。
「よろしく」
リタも立ち上がって勢いよくその手を掴む。
「こちらこそよろしくお願いします!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ついに決行日が来た。リタは緊張していた。何度も動きはシミュレートしたが、現場は何が起こるか分からない。舞台経験を積んでおいて良かった。アドリブだっていけちゃうもんね。
数日前からクジュスタンには粉をかけておいた。彼は自習室に連れ込むのがお気に入りだ。こんなところで散らされるのはお気の毒だが、散らされる側も側妃になる夢を見ている。クジュなりに矜持があるからか、面倒だからか、無理には迫らないらしい。
来た!ベア様だ!やっとお姿を拝見できた。歓喜に震えるリタ。if条件のセリフをクジュスタンに聞こえるように呟く。
「睨まれた」
本心では目があって喜びに震えるリタ。嬉しさで腰が抜けたのかうっかりクジュスタンに支えてもらう。腰に手を回されて体を引き寄せられる。不快だが仕方がない。足が緊張でガクガクしている。
窶れているベア様がお労しい。今すぐ休ませてあげたい。癒してさしあげたい。でもそれは今じゃない。尊いベア様との接触は早々にクジュスタンに終わらされ、自習室に連れ込まれた。
そもそもなぜクジュスタンはベア様の魅力に気づかないのか。いや、見初めたのはクジュスタンの方だったはず。ディーベアを引き裂いたのはこの男なのだ。今その男に口付けを迫られている。
「あら、うっかり」
床に倒れているジュスタンを見て、本能的にやってしまったことに気づいた。考え事をしている時に顔を近づけられたものだから、前世の修行で身についていた動きをしてしまった。
「いてててて、お前もその気だったのではないのか」
腰を摩りながらクジュスタンがリタを睨む。
「自習室で学習以外の何をなさろうとおっしゃるのですか?」
「はあ?そんな体つきで何を言っている。お前が誘ったんだろう?」
「数学で分からないことがあるのでお尋ねしたい、というあれですか?」
「そうだ。それは俺をここに誘う隠語だ。俺に数学が分からないことなど周知の事実だろう?」
「成績は上位でしたよね?」
「あれは先ほどのみっともない女が課題をやっていたからだ。皆知っているぞ」
(ベア様の過労の原因は仕事だけではなかったのか。自身が望んだ婚約者を過労死に追い込む男。マジ許せん)
「まあいい。気にせず続きをしよう。お前も俺に抱かれたいのだろう?」
「はあ?ふざけんなクズが!んなわけあるかボケ!」
(あ。イラついてつい。……終わった)
修羅場時代、多くの方を黙らせてきた眼差しでうっかりクジュスタンを見てしまった。怯えるジュスタン。
「あら、床に水が。護衛の方を呼んできますね」
リタは急いで出口に向かった。護衛の方に殿下の粗相を告げると急いで帰宅した。後日リムドル子爵家に王子から慰謝料請求が届いた。
「リタ、ジュスタンから慰謝料請求されたんだって?何をしたの?」
リタは美しい女性を前にして、ソファの上で正座をしていた。
「あの、ただでさえお忙しいベア様にクジュスタンが課題をさせていたと聞いて、苛立っていた時に顔が迫って来たものですから、つい」
「え?ベスに課題を?成績が良いからおかしいとは思っていたんだ……過労の一因か。なら仕方ない。他の女性の分と一緒になんとかしとく。僕は許すよ」
「ありがたき幸せ!」
リタはソファに座り直した。女装姿のディー様にお説教されるなんて何のご褒美かと思う。
「じゃあ、僕はベスに会ってくるから。次にリタと会うのはベスの体調が良くなってからだね。多分数ヶ月後かな。これまで本当にありがとう。君のおかげで最愛をこの手に取り戻せる可能性が出てきた。うまくいくかはまだ分からないけど、ベスの気持ちを直接聞く機会を得ることができて感謝している。最初は信じて良いのか迷ったけれど、過去の自分の決断を褒めてやりたい」
「いえ、あたしこそ荒唐無稽な話に耳を傾けていただいてありがとうございました。感無量です」
二人は握手を交わして別れた。
次に会う時は前世からの念願が叶う日。うっかり死なないように気をつけなければいけない。ディー様から頂いたずっしりと重い『お気持ち』をバッグにしまい、どんな服装にしようかとウキウキしながら家路についた。
帰宅したリタを待ち構えていたのは長弟のラファエルだった。彼はリタのことを初恋だ、愛していると告げ、何があったのか自分に伝えるように迫った。王家からの封筒を受け取った時すぐに隠してディディエに連絡を取ったのだが、ジュスタンからの慰謝料請求が家族にバレていた。
早速家族会議が行われ、何と説明して良いか分からなかったリタは師匠ディー様を召喚した。ベアトリスに良い返事をもらってご機嫌だったディディエはすぐに駆けつけてくれた。彼の上手すぎる説明を聞いた家族は最終的になぜか感動の涙を流していた。
あっという間にラファエルとの婚約が整い、リムドル子爵家の明るい未来も決められた。ディディエに気に入られたラファエルは第三王子の側近に取り立てられ、彼が粗相をしない限りは王宮勤めの少なくないお給料が家に入る。リタの身元を洗った時から目を付けていたのだとか。
婚約が整うとラファエルはリタをデロッデロに甘やかし始めた。前世でも今世でも初めてのことで最初は挙動不審だったリタも、ついには恋に落ち、周囲が砂糖を吐くような空気を纏うようになった。
最高の家庭教師を送り込まれたサミュエルは教師の指導でメキメキと力をつけた。サミュエルの反応の良さに、興に乗った教師は領地経営のノウハウを叩き込んだ。執事となったサミュエルはリムドル子爵家を更なる繁栄に導く。
思いがけず高給取りの妻の座を得たリタはディディエからの謝礼金を元手に商会を立ち上げ、前世でやりたかった美容系の道を邁進。何が直接のきっかけなのかは分からなかったが、リムドル子爵家は伯爵家へと陞爵することになった。
その陰にディーベアの画策があったことをリタは知らない。無事生きて最推しのベア様の美しい姿と推しカプのディーベアのツーショットを間近で眺めさせてもらっていた時、興奮してタメ口になっていたことにリタは気付いていなかった。
後日ディディエに指摘されて青褪めたが、なぜかベア様が喜んでいたと褒められた。友だちみたいで嬉しかったらしい。敬語禁止を言い渡されたリタは戸惑いつつも『ベア様のお友だち』として頑張った。
初めての友だちとの距離感を思うように詰めきれなかったベアトリスは、リタと対等な友人になりたいとディディエに願った。結果、同じ伯爵夫人になった二人はより親しくなり、ベアトリスはご満悦だった。
生涯リタのベア様呼びは変えられなかったものの、ベア様の親友ポジのまま。もちろん念願の結婚式にもベスポジで参列。溺愛してくる夫の愛情と最推しカプの友情に溺れながら、リタは夢のような人生を精一杯楽しんだ。
完
*ご指摘いただいたのに申し訳ないのですが、「クジュスタン」は「クズ」と「ジュスタン」を合わせた「クズなジュスタン」を意味するあだ名です。今のところ変更の予定はありません。申し訳ありません。