雪女がアルバイトを始めるなんて思ってもみませんでした
突然大学キャンパスに出現した大怪獣に、周りの人たちはパニックになるかと思いきや、ほぼ全員が身を乗り出してスマホを構えていた。
そういう時代のようだ。
昔なら通路が糞詰まりを起こすほどにみんなで逃げ惑い、特撮映画さながらの一場面となっていたことだろう。
しかし現代の人間どもは、学生も教授ももみんな、我先にこの怪異現象を世界に発信しようと競っている。
なんて時代だ。
人間たちの中で、恐怖しているのはどうやら僕だけのようだ。
その僕も、恐怖の対象は大怪獣ではなかった。
雪ん子が大怪獣を怖がって何をやらかすかと気が気ではなかったのだ。
大怪獣、誰も怖がってやらなくてごめん。
オロオロしながらあおいさんの背中の後ろを気にしている僕とは対照的に、あおいさんは落ち着いている。と、いうよりも、むしろ笑顔だ。
「ほら、きんこ。ゴ〇ラさんが出たよ」
そう言って、背中に隠れている妹に、わざわざ怖いものを見せようと勧めている。何考えてんだ!
雪ん子が、顔を出した。
低いところを見回していたが、空のほうを仰ぐと、嬉しそうに笑った。
「あ! ほんとだ、ゴ〇ラさん!」
そして姉妹揃って大怪獣に手を振る。
「ゴ〇ラさーん!」
「こっち! こっち!」
大怪獣がこちらに気づいた。
口から放射能を吹きそうな怖い顔のまま、短い右手を上げ、雪女の姉妹に手を振り返す。
「わーい! ボク、一緒に遊んでくる」
そう言うと、雪ん子が飛んだ。
まるで羽虫が飛ぶみたいに軽やかに、フワーッと飛んでいくと、大怪獣の顔の前で止まる。
何かお話してるようだ。
それを満足そうに眺めているあおいさんに、僕は聞いた。
「し……、知り合いなの?」
「うん。でも、会うのはかなり久しぶり。……一万年ぶりぐらいじゃないかなぁ」
何歳なんだよ、コイツラ……。
周りの人間どもが騒いでる。
「オイ! あの幼女はなんだ?」
「なんか雪ん子みたいな恰好をしているぞ」
「空飛ぶ幼女……! こいつは特ダネだ!」
かくして──まぁ、僕が準備していた筋書きとは違うけど、怪異は世界中にライブ配信された。
よかった、よかった──とは、ならない!
僕がやろうとしていたライブだぞ! 僕のライブだ、みんなのものにするな!
雪ん子が顔の周りを楽しそうに飛び回るのを、大怪獣もなんだか笑顔っぽい表情で、視線でくるくると追い回し、人間どもが大人しく静かにスマホでそれを撮影している。
なんて平和な光景だ──
なんとか壊したい!
僕が歯噛みしていると、後ろであおいさんに話しかける声があった。
「おっ? あおいじゃないか」
かなりのイケボだ。
あおいさんを知ってるのか? 誰だ?
振り向いてみると、うちの大学准教授で女子学生たちからモテモテの早川が、あおいさんと何やら親しげに会話している。
まぁ、早川准教授って、若くてイケメンだけどかなりの変わり者だという噂だからな。少なくともパリピではない、どちらかというと隠れ陰キャという感じだ。
もしかして、あおいさんを知ってるということは、コイツ、妖怪だったのか?
僕がそう思っていると、あおいさんがその正体を明かしてくれた。
「ありゃー! まさかぬらりひょんが学校の先生やってるなんて思わなかったよー」
ぬらりひょん……
ぬらりひょんといえば、いつの間にか家宅侵入してるジジイの妖怪というイメージだったが、まぁその孫がイケメンとして描かれてる漫画もそういえばあったな。
意外と近いところに妖怪、いたんだ。
そんなことを思いながら、僕は黙って二人の会話を聞いていた。
「俺もまさか人間界でおまえに会えるとは思ってなかった。会うのは千年ぶりぐらいか?」
だからオマエラ何歳なんだよ。
「気づかなかったよー。前に会った時はシワシワのおじいちゃんの見た目だったじゃん、アンタ」
年齢重ねるたびに若返ってるのかよ。
「あれはおまえの妹か?」
「うん。きんこ」
「あの大怪獣は友達か?」
「うん。きんこのね、友達」
「楽しそうだな」
「めっちゃ久しぶりに会ったからね、嬉しいんだよ」
確かに……。子猫どうしがじゃれ合うみたいに遊んでる。
「ところであおい。なぜ人間界に?」
「だって憧れだったんだもん。ぬらちゃんはいつからここにいんの?」
「ほんの三年ほどだ」
「ちゃっかり人間界に馴染んじゃうのがアンタだもんね」
「ああ。ここには三年ほどだが、じつは五百年以上前から人間界にいる」
「じゃ、色々と詳しいよね? オススメのスイーツ店とか知ってる?」
「そういうのは知らん。俺が詳しいのは、茶菓子とエロいことはかりだ」
イケメンのくせに意外にショボい趣味だな。好感をもった。
僕は他人に話しかけるのは苦手だが、相手が怪異だとわかったら話しかけやすい。僕は早川准教授に横から話しかけていた。
「ぬ、ぬらりひょんなんですか?」
「ん? なんだね君は? ウチの学生か?」
「はい。佐奈田ひろゆきっていいます」
「さなだひろゆき!?」
プッと笑われた。
あおいさんが僕を紹介してくれた。
「ひろくんはね、あたしのお友達だよ。色々とよくしてくれるの。嘘つきだけど」
「へぇ! あおい、おまえ、人間の友達ができたのか」
ぬらりひょんはあおいさんにそう言うと、僕のほうを向いた。
「君も変わり者だな、メガネ君。妖怪が怖くないのか?」
「人間よりも妖怪のほうが好きなんです。その……、握手してくれませんか?」
「ああ、いいぞ」
早川准教授の手は味噌汁に入れた麩みたいにやわらかくて、あったかかった。
「あおいは俺の妹みたいなものなんだ。君、どうか人間界を色々と案内してやってくれ」
そう言うと、またあおいさんのほうを向く。
「何か困ったことがあれば俺のことも頼ってくれ」
「じゃ、アドレス交換しとこうよ」
「ああ、いいぞ」
ぬらりひょんはどこからスマホをぬらっと取り出すと、あおいさんの雪女スマホにそれを近づけた。
いいなぁ……僕も妖怪とならアドレス交換したいなぁ……と思ったけどスマホを壊されていて、なかった。あったとしても妖怪のスマホとそれが出来るのかもわからなかった。
「それじゃ、君もあおいに何か困らされるようなことがあったら俺を頼ってくれ、さなだひろゆき君……。プッ」
名前で笑われるのは慣れているとは言わないが、なんだかこの妖怪になら笑われるのは嫌じゃなかった。むしろ覚えやすい名前でよかったとすら思える。
「はい、お願いします!」
あおいさんに困らされるようなことなんてたぶん、ないけどな。
そう思いながらそう言ったけど──
まさかそれからすぐに彼を頼ることになるなんて、その時は思ってもいなかったんだ。
「ばいばーい!」
空の上で、雪ん子が大声でそう言うのが聞こえた。
メガネを上げながら見上げると、大怪獣が空を飛んでいた。特撮みたいな不自然な飛び方で、短い手を振りながら空へ帰って行く。宇宙怪獣だったようだ。
キラーンと真昼の星みたいになって大怪獣が空に消えると、学生たちは興奮した会話を交わしながらも、日常のキャンパスライフへと戻って行った。
〇 〇 〇 〇
「くっ……!」
「どうしたの、ひろくん?」
パソコンの画面を前に項垂れる僕に、後ろからバニラアイスを食べながら、あおいさんが聞いてきた。
パソコンの画面には今日の昼間の怪獣騒ぎの動画が映し出されている。
もちろん僕が撮ったもの……じゃない。
あの場にいたほぼすべての人間が、動画を投稿していた。TVのニュースにもなっている。
「僕の……僕の雪女だぞ! 大怪獣も僕の雪女が呼んだ怪異なんだ! わかるだろ?」
あおいさんが僕を無視した。と、いうより、産まれて初めてアイスクリームを食べるらしい妹とワイワイキャッキャしている。
「美味しい? きんこ」
「すごい……。噂のアイチュクリィム……ボク食べちゃった……」
「ふふっ。人間界って素敵でしょ?」
「しゅごい! 世の中にこげな甘いもんがあったなんて!」
まぁ……、いいか。
僕の望みは①僕が本物の怪異動画を投稿し、②愚かな人間どもに怪異の実在を証明してみせ、③僕による僕だけの僕の動画がインターネットでバズることだった。
でも、②は叶えられたのだ。悲しむことばかりじゃない。
世界中が怪異の実在を知った。
あとは僕がそれをリードして行けばいい。
ふっふっふ。何しろ怪異を呼ぶ雪女姉妹は僕の手元にあるのだからな。
今、世界中が怪異に注目している。
『怪異』は現在最もホットなキーワードなのだ。
パソコン画面の中に、雪女姉妹に手を振りながら宇宙へ帰って行く大怪獣を見ながら、僕はほくそ笑む。
人間どもに僕の大好きな怪異の存在をもっともっと知らしめてやる!
できればこんなほんわかした平和なのじゃなくて、もっともっと刺激的なやつを!
誰か死んでもいい! 僕さえ死ななければ……!
「ひろくん、おかわり」
無邪気にそんな声をかけてくるあおいさんに、僕は即答した。
「ないよ!」
「えー……。じゃ、買ってきて?」
「お金がないよ! もう今月、ずっと食パンの耳で生活しなきゃいけないことになってんだよ! あおいさんがスイーツ欲しがりまくるせいで! しかも妹まで来てそれが2倍になったんだよ!」
まくし立てる僕を見て、雪ん子が明らかに怯えた表情をしたので、僕は慌ててにこっと笑った。
「うん……。正直、迷惑かけてるの、わかってる」
あおいさんがしおらしく、そんなことを言い出した。
「人間界って、お金ってのがないと生きていけないんだよね? 水分と冷気さえあれば生きて行けるあたしらとは違う生き物なんだもんね」
「それなら我慢して水道水と冷気だけ食ってろよな。金かけさせんな」
「……でも、それじゃ人間界に来た意味ないじゃん」
「贅沢言うなよ!」
「雪女が贅沢言っちゃ悪い?」
「悪かないけど……、贅沢するなら自分の金でしろよ! 僕に迷惑かけるな!」
「なるほど……」
あおいさんはそれだけ言うと、雪女スマホをキラリンと取り出し、黙って何かを閲覧しはじめた。
しまったな、これから僕に動画収益を呼び込んでくれる雪女なんだから、借金してでも養ってやるべきだったかな、と思ったが、遅かった。
「わっ! これ、楽しそう」
そう言って、あおいさんが、にこっと笑った。
あおいさんが見ていたのは、人間界のアルバイト募集サイトだった。
まさか雪女がアルバイトを始めるなんて、僕は思ってなかったんだ。
〇 〇 〇 〇
「さなだひろゆき君……。プッ」
僕の部屋の食卓を挟んで、ぬらりひょんが笑う。
「フルネームで呼ぶからおかしいんですよ。いちいちやめてください」
「じゃ、ひろゆき君……。プッ」
「あおいさんと同じ『ひろくん』でいいでしょ。いちいち笑うなよ」
やっぱり不思議だ。
人間とは会話が続かないこの僕が、妖怪とだったらすんなりと言葉を交わせる。
でも雪ん子だけはダメだ。
あっちはこっちを相変わらず怖がってるし、こっちは怖がらせないようにと緊張してしまう。
あおいさんがアルバイトに行っている間、ぬらりひょんが一緒にいてくれることになった。雪ん子は初対面らしいが、妖怪が同じ部屋にいると安心するらしい。今、隣の部屋ですやすや寝てくれてる。
僕とぬらりひょんは向かい合って緑茶を飲みながら、まったりとした夜の時間を過ごしている。人見知りな僕がリラックスしている。が、退屈ではある。というか、落ち着かない。
「ひろくん……プッ。君はここにいる必要はないんだぞ? 雪ん子の世話は俺に任せて、外で遊んで来ても構わないよ」
「遊びに行きたいところなんてないですよ」
僕は緑茶をズズッと啜ると、恨み言を口にした。
「……あおいさんに余計な入れ知恵を……よくもしてくれましたね」
「アルバイトがしたいと言うから親切に面接などの手順を教えてやっただけだよ。もしかして迷惑だったかい?」
「僕に聞いてくれたら手を尽くして阻止してやったのに」
「それでは君が困るだろう? 金がもたないぞ」
あおいさんは居酒屋でアルバイトをしている。
スイーツ店が希望だったらしいが、いかにも理性を失って問題を起こしそうなので、ぬらりひょんが止めたらしい。
今、あおいさんは、人間どもに囲まれて、どんな顔で働いているんだろう。
それを考えると落ち着かない。
気が焦る。
「……僕の雪女が……みんなの雪女になってしまう」
「ほう。あおいは君の雪女だったのか」
「そうですよ。だって……僕のだ」
「そんなに心配なら様子を見に行けばいいじゃないか」
言われるまでもなく、そうしたいと思っていたが、場所が場所だ。パリピだらけの居酒屋なんて、一人で入って行けるわけがない。
「賑やかな場所が苦手なんです」
「ははは。怪異と同じだな」
ぬらりひょんはそう言うと、教師の顔になった。
「しかし俺は違う。ぬらりと賑やかな場所にでも入って行け、ひょんといつの間にかそこにいることが出来る。人間社会に紛れ込める怪異なんだ。どうだ? 教授してやろうか? ぬらりひょんの極意」