雪女の幼い妹は特別級の天災でした
朝が来た。
僕が人間どもから注目を集める、記念すべきライブの日が訪れたのだ!
せんべい布団をめくり、がばっと起き出すと、窓を開け、屋根の上に声をかけた。
「あおいさん、朝だよ。もうすぐ暑くなっちゃうよ? 起きてる?」
屋根の上からあおいさんが顔をかわいくひょこっと覗かせると、瞬間移動するみたいに降りてきて、部屋の床に立った。
昨夜は外がかなり寒かったので、あおいさんは外で寝ていたのだ。
まだ空調服姿だった。
「わーい! 大学行くんだね? しっかり朝ごはん食べとかなくちゃ!」
そう言うと水道水をバケツに入れてごくごくと飲んだ。その後に冷凍庫を開け、冷気を吸い込む。
雪女は水と冷気さえあれば生きていられるのだ。
買っておいた菓子パンを僕が食べはじめると、付き合いのようにあおいさんも桃ゼリーを向かい合って食べた。
「では……」
「行きますか」
「雪女さま。お着替えを──」
「……ああ。はい」
あおいさんは着ているものをすべて脱ぐと、真っ白な光みたいになった。
光が形を持ちはじめる。
白い光が収まった時、あおいさんはあの家族写真で見た通りの、白い着物に身を包んだ、長い髪の雪女に姿を変えていた。怪異を目の前にして改めて僕は興奮した。
「へー! その姿になると髪、伸びるんだ?」
「へへ……。妖力高まるとね、髪も伸びるの」
「でも写真では黒髪だったのに、茶色いよね?」
「へへ……。人間界に来る前にね、染めたの」
よっぽど人間界に来るのが楽しみだったんだなぁ……。
その望みをこれから叶えてあげられる喜びと、僕だけのものだった雪女をみんなの共有物にしてしまう悔しさが、相変わらず僕の中で喧嘩している。
……いや、ライブだ、ライブ。
これは僕のライブのようなものなんだ。
準備は万端、整っている。筋書きはもう立っている。撮影してることがあおいさんにバレないように、ダウンジャケットの胸にウェアラブル・カメラも取り付けた。肝心なところで曇らないよう、メガネに曇り止めも塗った。
「じゃ、行くよ?」
緊張しながら玄関のドアを開ける僕に、雪うさぎみたいにピョンピョン跳ねながら、楽しそうに雪女がついて来た。
〇 〇 〇 〇
大学までは約7キロの道のりだ。
ゆえにバスに乗る。
産まれて初めて乗るバスに、あおいさんはキラキラと目を輝かせていた。
横に長い席の、真ん中あたりに二人で並んで座ったのだが、まるで子どものように後ろを向いて膝で座り、流れる外の町の景色を見て感動の甲高い声を漏らしたりするので、正直恥ずかしくて仕方がなかった。
「あのー……運転手さん」
お客さんの間からやがて苦情の声が上がりはじめる。
「……なんかめっちゃ寒いんですけど」
「暖房、ついてます?」
どうやらあおいさんが暖房と戦っているようだ。
運転手が暖房の温度を上げれば負けじとあおいさんも妖力を上げる。車内の温度が著しく上がったり下がったりを繰り返す。
怪奇現象に人間どもが振り回されてるのを見るのは面白かったけど、さすがに死人が出るとヤバい。フラフラになっている前の席のおばあさんを見ながら、僕らは3キロ手前のバス停で降りた。
「ここから1時間ぐらい歩くよ? いい?」
フワーッと飛ぶようにはしゃぎ回りながら、あおいさんがうなずく。
「楽しい! 楽しい!」
大学までの間、道沿いにさまざまなお店が立ち並んでいる。
わらじの底を舗道にぺたぺた鳴らしながら、あおいさんがいちいち店を覗き込むので、大学まで結局2時間かかってしまった。
〇 〇 〇 〇
今日はふつうの日だ。
学園祭の日とかではない。
でも、僕にとっては祭りの日だった。これからここで、怪異現象のライブを開催するのだ!
でも僕は引っ込み思案だ。
構想では中庭をどーん! と特設ステージみたいにして、派手に観客を呼び込んで、あおいさんの妖力を披露しようとしていたのだが、そんなのはとても無理だった。
準備は万端整ってたけど、自分の引っ込み思案を計算に入れてなかった。
すれ違う学生たちが皆、あおいさんを横目で気にしている。
中には堂々とまっすぐ見ながら、「かわいい!」とか言っているやつもいる。それを受けてあおいさんも手を振ったりしている。
どうでもいい、そんなことは。これは僕の雪女だ。それだけだ。
しかし遂に声をかけてきたやつらがいた。
「わぁ! お姉さん、かわいい!」
「それ、コスプレ衣裳? なんか雪女のキャラ?」
「ちょっとスナップ撮らせてもらってもいいですかぁ?」
3人のパリピだった。
僕のもっとも嫌いなタイプの、チャラチャラした男どもだ。やつら遂に僕の雪女とファーストコンタクトとりやがった。
さて、どうなるか……と思ってドキドキしながら見ていると──
「キャラじゃなくて本物の雪女なんですぅ〜」
あおいさんが心から嬉しそうに、自分の正体をあっさりバラした。
「お兄さんたち、楽しいこといっぱい知ってそう! この町でオススメのスイーツとか知ってます?」
おいおいそいつらイケメンじゃないぞ、どっちかっていうとブサメンのほうだぞ、いいのか? と思っていたが、どうやらあおいさんの目的がチャラ男どもではなくスイーツらしいと知って、僕は少しだけ安心した。
しかしチャラ男たちは手強かった。
「あー、いい店、知ってるよ」
「女の子に大人気の」
「おまけに個室つきで隠れてちょっとエッチなこともできるよ。行く?」
あおいさんの目がめっちゃキラキラになった。どうやら最後のほうの話は聞こえていないようだ。
僕は使い古されたあの手を使うしかなかった。
「何ナンパしてんだよ、お前ら。これ、俺のカノジョなんだけど……」
誰も聞いてくれなかった。むしろ聞こえていないようだった。まるで自分が透明人間という怪異になった気分だった。
「ねぇねぇ、行こうよ」
「いいでしょ?」
「楽しいよ〜?」
「うーん……。どうしよっかな……」
そう言いながら、あおいさんが僕を見てくれた。
「だめだめ! こんなやつらについて行ったら、初めて人を殺すことになっちゃうよ!」
ようやくチャラ男たちが、僕の存在に気づいてくれた。
「あれ?」
「何、このチンケなメガネ」
「こんなやつ、いた?」
「これは僕のだ! ……あおいさん、行くよ?」
白い着物の裾をつまんで歩きだそうとした僕の前を、チャラ男たちが塞ぐ。
「いや! どう見ても似合わねーから!」
「そんなかわいいお姉さん、あんたには似合わねーよ!」
「大人しく俺らに譲っとけって」
僕は使い魔に命令をした。
「……あおいさん。やっちゃって」
「何を?」
しかし使い魔は呑気に首を傾げている。
「「「ゲヘヘへ! なぁ、行こうよ、お姉さん!」」」
チャラ男たちがしつこい。しつこすぎる。
これは僕の雪女だ。僕が守るんだ!
「アァ!? 何、前に立ち塞がってんだよ、チンケな坊や!」
「引っ込んどけ! 〇〇すぞ!」
「退けや!」
怖い!
あおいさん、助けて!
僕がそう思うと同時に、3人のチャラ男が目の前で氷漬けになっていた。
一瞬だった。もう彼らは動けないし、息もできない。
……いや、これ、殺しちゃうよ? あおいさん?
そう思って振り返ると、あおいさんはなんだか下のほうを見ている。そして、声をあげた。
「きんこ!」
あおいさんの足元のほうに視線を落とすと、藁で編んだ三角の雪帽子をかぶった、白い着物姿の幼女があおいさんの着物に掴まり、ぷるぷるカタカタと震えている。
「怖くない、怖くないよ! あのお兄さんたちを助けてあげて」
チラッと幼女が僕のほうを見た。
あの写真で見た通りの幼女──きんことかいう、あおいさんの妹だ。
「怖くないっ!」
あおいさんが物凄い笑顔で慌てて叫ぶ。
「そのお兄ちゃんは全然怖くないからっ! 殺さないで!」
「こ……、ころ……?」
幼女があおいさんの後ろにサッと隠れた。
顔を半分だけ覗かせて、僕をじっと見ている。
あおいさんが冷気と水分を口に吸い込むと、チャラ男たちを閉じ込めている氷が消えた。
何が起こったのかわからず、悲鳴をあげて逃げ出してくれた。
「ふぅ……。よかった」
僕は自分の力で追い払ったように汗を拭うと、あおいさんに聞いた。
「その子、妹の?」
「うん、きんこ」
背中に回した手で頭をなでなでしながら、あおいさんが紹介する。
「雪ん子の『きんこ』だよ。雪ん子は雪女にまだなってない子どもだから、力はふつう弱いんだけど、この子は特別級っていうか……、怖がると物凄い妖力を出しちゃうの」
「そ……、そうなんだ?」
「しかも物凄く怖がりなの。……ひろくん、この子を絶対に怖がらせちゃダメ」
「わ……、わかった」
そう答えてうなずきながら、僕は心の中でニヤリと笑った。
コイツは使える。
姉ちゃんと違って理性の欠けた妖怪だ。
本当に大学のキャンパスを南極大陸に変えてやろうか。
いや、考えたら僕まで死んじゃうじゃん。
他の人間なんかどうなってもいいんだけど、とりあえず僕は自分が死なないよう、雪ん子を怖がらせないよう注意を払うことに決めた。
「き、きんこちゃん、よろしくね」
僕は子どもを安心させようとしゃがみ込み、目線の高さを合わせた。
「僕のことは『ひろくん』って呼んで? お姉ちゃんともども人間界の楽しいことをいっぱい教えてあげよう。……と、とってもかわいいねぇ」
僕は心にもない褒め言葉を口にした自分に苦笑いをした。
確かに目の前の雪ん子は、そういう趣味のやつにとってはかわいくてたまらないだろう容姿をしている。おかっぱ頭にちっちゃい着物、何より人見知りしすぎるその表情がたまらないことだろう。
しかし僕は幼女どころか女性に興味がない。僕の興味の対象は怪異だけだ。
最近、あおいさんのことは、なんだか『かわいい怪異』だと思えるようになってるから、あおいさんに対して「かわいいね」という褒め言葉はまぁ、本心だ。でもこの幼女に対する正しい褒め言葉は「おそろしいね」と言うべきだろう。
見た目はふつうに人間の幼女だが、そのオドオドとした目の奥には天変地異が宿っている。
コイツを怖がらせちゃダメだ。地球温暖化があっという間に氷河期に変わってしまう。
何もさせるな。その力を使わせるな。
あれ?
これじゃライブ、出来ないじゃん!
雪女ショーなんかして目立っちゃったら、みんなの視線がこっちに集まっちゃったら、その視線に怯えた雪ん子が集団冷凍殺人事件起こしちゃうじゃん!
「このひと……」
雪ん子が初めて喋った。僕をじっと見ながら、お姉ちゃんに聞く。
「なんでボクのこと、妖怪だって知ってるの?」
「あっ。このひとはね、大丈夫なの。珍しい種類の人間だから、妖怪のこと怖がらないの。だからきんこも怖がらないであげて?」
僕がにっこりと笑うと、またあおいさんの背中にスッと隠れてしまった。
まぁ、いつものことだ。慣れてる。僕は子どもにも動物にも好かれたことがないのだ。
しかし、うーん……。この幼女、邪魔だな。帰ってくんないかな。
派手なライブをぶちかまして、みんなに怪異の実在を知ってもらって、それをウェアラブル・カメラを通じて世界中に発信して、その発信者として承認欲求を満たそうと思ってたのに……。
また失敗かな?
そう思っていた僕が間違ってました。
僕は気づかなかったんだ。ここに雪ん子がやって来たことによって、怪異が二体になっているということ。
しかも天災級の怪異が加わったことで、怪異が怪異を呼ぶ力は二倍では済まない状態になっているということを。
周りの学生たちが突然、騒ぎ出した。
「な……、なんだ、あれは!」
「キャー!」
「ひえぇぇえ!?」
「怪獣だ!」
空を仰ぐと、大学の建物の中で一番高い塔よりも高いところから、冬の青空を背にして、ギョロッとした目の、真っ黒な大怪獣が僕らを見下ろしていた。
〇ジラだ!
きっと大学施設の地下に眠っていたのが、天災級の怪異エネルギーを感知して、目覚めたのだ!