老人と河童の感動の再会にあおいさんが怒りはじめました
宇宙人を動画に収めたのに、本物だと信じてもらえなかった。
それなら実況生配信だ!
「ねぇ、あおいさん。この町にも妖怪って、いるのかな?」
あおいさんは自分のスマホを力の抜けた目で見ながら、めんどくさそうに答えた。
「さぁ? いるんじゃない?」
伝承では河童が有名だ。
町の中を流れる川に、昔はよく河童が出現し、通りかかった人間の尻子玉を抜き取るいたずらをしていたらしい。
「外へ行こうよ、あおいさん。大学いも、食べに行こう」
僕がそういうと、なんだかとてもだるそうに、しかし大学いもはよっぽど食べたいのだろう、空調服のファンを回しながらあおいさんは立ち上がった。
○ ○ ○ ○
冬の川は凍てつくことなくサラサラと流れていた。
昔は綺麗だったのだろうが、緑色に濁った川の水は底なんて見えやしない。
河童が泳いでいてもこれでは気づいてあげることもできない。
「……こんなところに大学いも、ないよね?」
わかってたみたいな冷めた顔をして、あおいさんが言葉を漏らす。
釣り糸を垂れているおじいさんがいた。
こんな汚い川で何が釣れるのか知らないけど、ちょうどいい。このひとに、これから撮る動画が本物だということの証人になってもらおう。
釣った魚を入れるためらしいクーラーボックスがおじいさんの傍らに置いてある。中を覗くと、当たり前のように空だった。
「釣れますか?」
一応聞いてみた。
おじいさんは温和そうな笑顔をこっちに向けると、言った。
「昔は鯉とか鮒とか釣れてたんだけどねぇ……。たまにナマズやライギョも釣れてたよ。でも最近はちっともだねぇ」
「おじいさんだ!」
あおいさんが興奮したように声をあげた。
「人間のおじいさんだ! こんにちは!」
「まだ『おはよう』の時間だねぇ」
おじいさんはそう言ってあおいさんを見ると、ビクッと体を震わせた。
「お……、お嬢ちゃん……、妖怪か?」
「ええっ? わかりますぅ〜?」
あおいさんがへんなテンションだ。たぶん、初めて僕以外の人間と会話を交わしたのだろう。
「仲間からは『明かすな』っていわれてるんですけど、雪女なんですよ〜」
「わしには妖気を感じ取る能力がある」
そう言って、おじいさんは薄い白髪の一本をピンと立てた、アンテナのように。
「名前はジジジの嬉太郎じゃ! 聞いたことは?」
「……なんとなく」
あおいさんはそう言ったが、社交辞令が見え見えだった。
「雪女を見ても怖がらないなんて、おじいさんも珍しい種類の人間なんですね?」
僕がそう言うと、おじいさんは心外なことを言われたように、声を張り上げ反論した。
「おじいさんではないっ! 嬉太郎と呼べいっ!」
やっぱり珍しい種類のひとのようだ。
たぶん、いいトシした中二病だ。
パリピでもなさそうだし、まぁ、このひとならいいか、と僕はあおいさんがその老人とコミュニケーションすることを許可した。
「冷たいのう……」
ジジイがあおいさんの手を取り、その白い肌をすりすりと撫でながら、鼻の下を伸ばす。
「おまえさんの手は冷たいのう……。しかもカチカチじゃ。さすがは雪女じゃのう」
ただのスケベジジイのようだ。
わかりやすくて安心する。
でも、なんだか自分の胸の奥がモヤモヤするのはなぜだろう?
「さすが人間のおじいさんですね」
あおいさんは楽しそうに笑ってる。
「手があったかくて溶けそうです。少しだけ体温を下げてもいいですか?」
「うっ……!?」
ピキン、とジジイの顔が青ざめた。
「し、心臓が麻痺するところじゃったわい」
そう言いながら急いで手を離すと豪快に笑う。殺そうとしてもなかなか死にそうにないジジイだ。
「ところで」
僕は本題に入ることにした。
「この川で河童が出るという言い伝えがありますが、嬉太郎さんの妖怪アンテナでそれ、感じますか?」
僕がそう聞くと、ジジイの表情が急に悲しげになった。
そしてなんだか懐かしげに語りだす。
「あれは……もう、50年も前のことになるか」
川面を見つめながら、そこに過去の光景を映しだしているようだった。
「わしはここで河童に会ったのじゃ」
「あ。ちょっとストップ」
僕はここでようやくカメラを回しはじめた。
「もう一回、最初からお願いします」
動画タイトルは既に準備してある。
『生配信! 今から河童に会いに行きます!』として、10分前から待機中にしてあった。
「あれは……もう、50年も前のことになるか」
「川面を見つめながら、老人はそこに過去の光景を映しだしているようだった」と、僕がナレーションを入れた。実況生配信なので、後から編集では入れられないのだ。
「わしはここで河童に会ったのじゃ。そして河童の国へ行き、一年を河童たちと暮らした」
「まるで芥川龍之介の『河童』だな」と僕がナレーションを入れる。
「人間の国とは何もかもが違っておって、それはそれはわし好みの世界じゃった」
「もしかしてじーさん、人間嫌い?」仲間を見つけたような気持ちで僕が聞く。
「人間よりも、河童のほうが好きじゃのう」
『キモっ』と思ったが、それは口には出さなかった。うーん、同族嫌悪ってやつか? これは。
あおいさんはまるで介護施設に招かれたコンパニオン・アニマルのように寄り添って、ジジイの話を真剣に聞いてあげてる。雪女のくせにあったかい。
僕がジジイに話を振る。
「それ以来、河童とは一度も?」
「会っとらん……」
ジジイが前かがみになって、ウンコをこらえるように言う。
「また会いたいんじゃが……、どうしても出てきてくれん。ここに釣りに来ておるのも魚を釣るためというよりは、あいつらに会いたいからなんじゃが……。あの日一匹の河童を追いかけて落ちた穴がどこじゃったのか……どうしても見つからん。どうしてもあの懐かしい河童の国へ再び行くことができんのじゃ」
「おじいさん、かわいそう……」
あおいさんがもらい泣きしてる。
「……でもあたし、河童の知り合いいないからなぁ」
「大丈夫です、嬉太郎さん!」
ここで僕がメガネを指でくいっと上げ、ジジイの肩を強く叩く。
「ここに雪女がいます! この女性の存在は怪異です! 怪異は怪異を呼ぶ! あおいさんがここにいれば、きっと河童は現れてくれますよ!」
「ほ……、本当か?」
ジジイがそう言うよりも早く、川面にブクブクと何かが浮かんできた。
僕ら3人が注目する中、それは水の中から生える4本のキノコのように、直立の姿勢でだんだんと浮き上がってくる。
丸いお皿のまわりに毛の生えた頭が見えたと思ったら、4匹の河童たちが川の中から次々とその顔を現した。
僕は大喜びし、カメラをそっちに向けながら叫んだ。
「やった! やった! 河童です! 怪異との遭遇です!」
興奮して叫びながらも、僕の腰は引けていた。てっきりもうちょっとだけでもかわいいものだと思っていたのだ。
コンクリートをよじ登り、僕らの前までやってきた河童たちは、まさに異形の怪物だった。背は低いが柳の木みたいにひょろ長く、金色の目が鋭かった。背中の甲羅からポタポタと垂れる滴もなんだか不吉な感じで、その鉤爪みたいな手が今にも襲いかかってきて、尻子玉を抜かれてしまいそうな気配があった。
しかし僕のそんな不安をよそに、ジジイと河童たちは和気あいあいとした雰囲気で会話をはじめた。
「バック! チャッグ! ラッブ! トッグ!」
河童たちの名前らしきものを老人が涙まじりに呼ぶと、河童たちがゲゲゲと笑った。キモいけどフレンドリーなようだ。
「おまえ、もしかして嬉太郎か? トシとったなぁ」
「人間はすぐジジイになっちまうもんな、俺たちと違って」
「呼ばれた気がして汚い水を我慢しながら出てきてみたら……これは懐かしい顔に会えてよかった」
「元気だったかい? 再び会えて嬉しいよ」
「皆さん、見てください!」
僕はカメラを回しながら叫んだ。
「河童です! 本物ですよ! なんてキモいんだ!」
カメラの画面が突然、迷彩色で塞がれた。
見ると、雪女の着ている空調服の色だった。あおいさんが少し怖い顔をして、僕の前に立ち塞がっている。
『邪魔! 退いて!』と手を振る僕に、あおいさんが言う。
「感動の再会の場面なのよ? 見世物にしないであげて!」
ばかな!
こんなバズるに決まっている動画配信を見世物にしないでおくわけがないだろう!
「退いて! 退いてよ、あおいさん! 視聴者たちに見せつけてやるんだよ! ジジイと怪異どものキモい再会の場面を!」
「人間て、みんなそうなの? 自分の目的のためなら他人の気持ちとかどうでもいいわけ? あの宇宙人さんの時にしても──」
「そうだよ! 自分さえよければ他人なんてどうでもいいんだ! 退けよ!」
あおいさんの瞳が、冷たく青く光った。
赤かった唇が一瞬で紫色になり、そこから僕にむかって冷気を吹きかけてくる。
「ぎゃあっ!?」
これを喰らったら、さすがにダウンジャケットを着ていても死ぬ!
……そう思ったら、あおいさんが凍らせたのは、僕が手に持っているスマホだった。凍傷になりそうな痛みに慌てて手を離してしまった。それは地面に当たって、氷の板のように粉々に砕けた。
「ああっ……! スマホが……!」
「ふふっ……。これで邪魔者はなくなった」
そう言うとあおいさんはジジイと河童たちのほうへ振り返り、機嫌よさそうに笑う。
「再会できてよかったね、おじいさん」
ジジイは涙を浮かべて河童たちと体を叩きあっている。
「また河童の国へ連れて行ってくれるかい?」
「ああ、いいぜ、嬉太郎」
「オレたちもおまえのことが好きだからな」
「汚い人間の世界にうんざりしてたんだよね? また私たち河童の、知性と野性味の溢れる国で暮らし給え」
「また存分に詩や音楽、映画などの芸術について、また哲学や共食いについても語り合おう」
そんな言葉を交わすと、いきなり河童たちがジジイの体にまとわりつき、そのままジジイを連れて川へ飛び込んだ。
不思議と激しい水音は起こらず、まるで穴にすっぽりと吸い込まれるように、ジジイと4匹の河童たちはこの世からいなくなった。
「ああ……」
僕は悲嘆に暮れるしかなかった。
「せっかくスクープ映像撮れたとこだったのに……」
「ひろくん……。友達いないって言ってたよね?」
あおいさんが相変わらずの冷たい青い目で僕を見る。
「それってもしかして……、ひろくんがそういうひとだから? 珍しい種類の人間っていうより、人としてどうかしてるから?」
恨み言を叩きつけてやろうと思ったが、そんな図星を突くような……いや、冷たい言葉を吐かれたら、嫌われたくなくて……いや、心外すぎて笑ってしまうしかなくなった。
「ハハハ……。何を言ってるんだい? 他人のスマホ壊すほうが人としてどうかしてると思うぜ?」
「あたし、人じゃないから」
「確かに」
まぁ、動画は途中までは撮れていて、そこまでの配信は出来ている。パソコンで確認しようと、アパートの部屋へ帰った。
〇 〇 〇 〇
「な……んだって……?」
パソコンの画面を前に、僕は声を漏らした。
視聴者数はゼロだった。
こんなにセンセーショナルな、世紀の場面を映した生配信だったというのに……。誰も観てくれてなかった。
3人の僕のチャンネルのフォロワーたちは何をしてたんだ! ちゃんと観て、拡散しろよ!
ちゃんと時間表示もして、コメントあったら生で返信できるようにしてたのに……。後からアーカイブを視聴されることはあるかもしれないが、『どうせ加工だろw』とか疑われることだろう。
生配信にも失敗したことに、僕はがっくりと項垂れた。メガネが鼻からずり落ちた。
最悪だった。
動画がまたバズらなかったことももちろんだが、それ以上に、あおいさんに嫌われたらしいことが……
そんな僕を、後ろで練乳アイスを食べながら、あおいさんが見ている気配がする。
冷たい視線で見られてるんだろうな……。
確かにあの宇宙人の時はやりすぎた。
軽蔑されて当然だ。
そう思っていると、ふいに声をかけられた。
「ねぇ、ひろくん……。友達いないっていってたけどさ……」
今度はどんなことを言われるのだろう。
どんな、心を抉るような冷たい言葉が飛んでくるのだろう、と見構えていると、あおいさんは言った。
「あたしのことは友達だって思ってくれてないの?」
「……へ?」
思わず気の抜けた声が出た。
「あたしはひろくんのこと、初めてできた人間の友達だって思ってるよ。だからさ、もっと仲良くしよう」
そう言いながら急に後ろから抱きついてきた。
ダウンジャケットを着ているとはいえ、背中におおきなピタッとひえひえシートを押しつけられた感覚だったのに、僕は悲鳴をあげるどころか、なぜか心が急にポカポカしてきたのだった。