プリンとぴよぴよシフォンケーキで1,110円もするんですが
「わあっ……!」
あおいさんの碧い目が輝いた。
彼女の前にはプリン。ここは洋菓子屋さん『ぷりも・べるの』の店内飲食スペースだ。
「かわいい! これが『プリン』なのね!」
動物プリンはなかったけど、プリンの表面にカラメルソースでハートが描いてある。
産まれて初めて見るらしい実物のプリンを目の前にして、雪女は感動にとろけそうになっていた。
「まずは写真! 写真……っと!」
雪女スマホでテーブルの上のプリンを撮る彼女に、僕は聞いた。
「……それ撮影して、どこにアップすんの? 雪女の世界にもインスタみたいなのがあるの?」
「うん。雪女は大抵人間嫌いだけど、他の妖怪には結構人間世界に憧れて感化されてる子がいてね、『妖怪インスタグラム』を開設してる。結構流行ってるんだ」
そういってスマホをてのひらにしまうと、あおいさんがスプーンを持った。
「では、いっただきま~す!」
正直、親からの仕送りだけで生活してる僕に480円もするプリンは痛かった。それだけに大切に食べてほしかった。「おいしい」って感動する表情を見せてほしかった。
「ん……」
あおいさんがプリンを口に、含んだ。
「……お、い、し〜いっ!」
その満面の笑みを見た時、僕は自分の中に産まれた気持ちに戸惑った。産まれて初めて感じる、それはなんというか……へんな気持ちだった。
僕は人間だけじゃなく、動物も嫌いだ。でも、大好きなおやつを与えられて幸せそうに味わうペットを見て、飼い主が自分も幸せになるという、そんな気持ちが、初めてわかったような気持ちだった。
「おいしい? あおいさん」
僕は自然に口にだして聞いていた。
「おいしいかい?」
「んもうっ! とろっとろのぷりっぷり!」
あおいさんは落ちそうなほっぺたを左手で押さえて、とろけるように笑った。
「んで、甘ぁ〜いの! しかも冷たくて、夢みたい!」
「そうか、そうか」
僕も知らず知らずに顔がニヤけてしまう。
「たんとお食べ」
「スマホで動画とか見てね、真似して妖気でじぶんで作り出して食べたことはあったの。でも全然違う! こっちのが美味しい! っていうか食べ物が甘いなんて信じらんない! あぁ……、これ、きんこにも食べさせたいなぁ……!」
「金庫?」
「妹の名前! まだちっちゃい雪ん子なんだけどね、あの子もスイーツに憧れてたから……」
「スイーツは好きだけど人間嫌いなの?」
「うん。人間界のものには憧れるけど、人間は怖いって。……でもひろくんに出会って、あたしは怖くないって身をもって知ったから、あの子にも知ってほしいな。で、プリンも食べさせたい」
「スマホに写真ある? 妹の」
「あるよ。見る?」
あおいさんのてのひらに霧が生まれる。それがスマホの形に固まる。
「妖源立ち上げるね」
『電源』ではなく『妖源』で動いているようだ。
待ち受け画面はベリーベリーパフェを食べている人間の有名女性芸能人の写真だった。どうやってダウンロードして使ってるのかは知らない。
妖怪フォトアプリを開くと、そこには背景が雪で真っ白な写真が並んでいた。その中に、ちっちゃいなまはげみたいなのや、巨大な猿人みたいなのが色々写っている。目の当たりにする本物の妖怪どもに、僕は感動した。わくわくした!
藁で編んだ三角の雪帽子をかぶっている、あざといぐらいにかわいい五歳ぐらいの女の子の写真を指さして、あおいさんがいう。
「この子がきんこ」
「ふーん……」
ふつうだった。ふつうにかわいい人間の幼女みたいだ。
明らかに異形の存在といえる他の妖怪の写真を見たあとなので、僕にはまったく興味がもてなかった。
「……で、コレがお母さん」
あおいさんが雪女のボスみたいな女性の写真を指さしていう。
確かにあおいさんや妹よりは雰囲気が妖怪っぽいけど、これもふつうの人間に見えないこともない。違うといえば表情が穏やかながら怖そうで、息の一吹きで茂作さんを凍らせることに躊躇もなさそうな、そんな冷酷さを感じさせるところだけだった。
「ねぇ、ねぇ」
スマホをてのひらにしまいながら、あおいさんがいう。
「あたしたちのことばっかり聞いてズルいよ。ひろくんのことも教えてよ」
「え……。僕のこと?」
そう言われても、困った。
僕は自分自身のことにあまり関心がない。ファッションにも無頓着で、ただ暑さ寒さをしのげればいいと思ってるし、オカルト以外には特に趣味もない。何より──
「ねぇ、どんな友達がいるの? 人間の友達って、どんな感じ?」
そう聞かれて、素直に答えるしかなかった。
「友達はいないよ?」
「ええっ!?」
あおいさんがやけに大袈裟に驚いた。
「人間界の漫画とかよく読むけど、大体みんな友達いるよ? で、友情、努力、勝利で物語を作っちゃう人間っていいなあ……って、思ってたよ!?」
「うるさいな」
僕はあからさまに不機嫌になってみせた。
「友達なんかいらないんだよ。珍しい人間だから」
「えっ? でも、あたしも珍しい雪女だけど、友達めっちゃ多いけど?」
「うるっさいな!」
ちょっと不機嫌になりすぎたかもしれない。
あおいさんがプリンを食べる手を止めて、うつむいてしまった。
「……とりあえず、学校には友達いないけど、ネットで親しいやつならいるよ」
僕が取り繕うようにそういうと、あおいさんは顔をあげ、元気にいった。
「次、この『ぴよぴよシフォンケーキ』がいい!」
うつむいてると思ったらメニューを見てたのかよ!
あおいさんが『ぴよぴよシフォンケーキ630円』を注文した。
僕はちょっと泣きそうになりながらブラックコーヒーを口へ流し込む。
「……でもいいな」
シフォンケーキを待つ時間を埋めるように、あおいさんがいった。
「学校って、いいな。友達いなくても、学校行けるのって、いいな」
「雪女の世界に学校はないの?」
「ないよ。なんでもかんでもお母さんや周りの妖怪さんたちに教えてもらうの」
羨ましかった。
すぐに就職したくなかったから大学進学したけど、僕はずっとこのモノトリアム状態を続けていたい。
ネットでオカルト話を楽しんで、ゲームして、ずっとそんな生活をダラダラと続けていたかった。
「ね、ひろくんの大学に連れてってよ?」
あおいさんが物騒なことをいいだした。
僕の生活に波風を立てないでほしい! 大学なんてただ単位を取りに行くだけのところでいいんだ!
いつもは誰にも気づかれずに影のように歩いてる僕が、こんな美人を連れて大学構内を歩いてたら、何が起こるかわからないじゃないか! ドラマなんかいらない!
「うん、いいよ」
僕はにっこり笑ってうなずいた。
「じゃ、今日の夕方から連れていってあげよう」
「わっ! 楽しみ!」
シフォンケーキがやってきた。
かわいいひよこの絵が描いてある。
こんなふざけたイラストで630円も取る人間のやることが僕はきらいだ。
「かわいい! いっただっきまーす!」
あおいさんがフォークを刺すと、シフォンケーキがぷるぷる揺れた。
口に入れ、咀嚼すると、しかしまるでかき氷を食べているような音がする。シャクシャクと。そういえばさっきプリンを食べていた時も、せんべいでも咀嚼しているような音を立てていたっけ。
「おいっしー! ふわふわのもっちもち!」
彼女の口の中でほんとうにそんな食感が巻き起こっているのかどうか、怪しいものだった。口に入れた瞬間に凍ってるんじゃないか? って、いうか──
僕は聞いた。
「雪女って、水と冷気さえあれば生きていられるんだよね?」
「う……」
シフォンケーキを口に入れながら、あおいさんの表情がうろたえる。
「……でも、美味しいものはさ、食べたいじゃん」
「雪女は雪の精霊──あるいは自然現象が意思をもったものだ」
「そ……、そうなの?」
「いわば今、僕の目の前で起こっていることは、雪がシフォンケーキを食べているようなものだ。雪の中にシフォンケーキを投げ捨てているようなのなんだ。そんなことのために僕は1,110円も使わされてしまった。なんという無駄遣いだろう?」
「ご……、ごめんなさい……」
いいすぎたかな? まぁ、でもこれ以上何かを注文されたら今月の生活を乗り切れない。
美味しそうにする彼女を見ているのは悪い心地ではないのだが、じぶんの財布の心配をする必要はある。
何より僕が撮りたいのは、こんな動画ではないのだ。
さっきからスマホであおいさんを撮っているのだが、雪女らしいところはちっとも見せてくれない。このまま動画サイトに投稿してもつまらないし、食べた瞬間にシフォンケーキが凍る音を録音しても「編集で加工したん だろ」と言われるのがオチだ。
迫力のある本物の動画を撮らなければ!
そしてそんな動画を撮るための計画を、僕は既に今までの会話の中で仕組んでいた。
今夜は楽しいことになりそうだぞ。
○ ○ ○ ○
「プリンを初めて食べた彼女」と題してSNSに投稿したら、いきなり爆発的な反響があった。
『かわいい!』
『芸能人?』
『空調服が似合ってる!』
『プリンを初めて食べたって、本当?』
『名前教えて!』
『チャンネル登録しました!』
くだらないな、人間どもは……。
こんな、女の子がプリンを美味しそうに食べているだけの動画ごときで何を騒いでいるんだ。
そう思いながらも、僕はホクホクしてしまった。今まで僕のチャンネルでこんなに再生回数も『いいね』も稼げた動画はなかった。雪山で空にUFOらしき光を映した『これ何だかわかりますか?』が打ち立てた132回再生の最高記録を100倍以上上回ったのだ。
内心嬉しかったが、こんなものをあおいさんに見せるわけにはいかない。『ほら、人間さんたちみんな、あたしと仲良くしたがってくれてるじゃん!』とかいって、パリピの中へ飛び込んでいったりしかねない。
フフフ……。
しかし、あおいさんが笑顔でプリンを食べてるだけの動画でこれなら──
『雪女と宇宙人、未知と未知との遭遇』なんて動画を投稿したら、どれだけ世界中で反響が巻き起こるやら。
僕は自分の顔に浮かんでいるであろう悪い笑みを隠すように、メガネを顔に押しつけた。
今夜が楽しみだ!