最終話:さよなら、あおいさん
「あ……アイス・スラッシャー……?」
僕はカイの背中を見ながら、思わず呟いていた。
「……って、何?」
カイが立ち止まった。
不貞腐れたように、僕を振り向く。
カイの雪女必殺技『アイス・スラッシャー』は発動しなかった。格好だけで、なんにも出なかった。
凄まじい足の速さに期待したけど、どうやら中途半端な雪女の子どもにそんな力はなかったようだ。
二人組のパリピどもは逃げて行った……
かと思いきや、その前方に三人のおばさんたちが立ち塞がる。
「見てたわよ」
「なんてひどいことするの、あんたたち!」
「警察呼んだわよ」
「どけや、ババァ!」
「喰らわすぞ!」
荒ぶる二人組。しかしおばさんたちは強かった。
まるで黒王號に乗ったあの強い北斗の拳の王様みたいに前を退かない。
「退かぬ!」
「媚びぬ!」
「かえ……あっ、帰りに大根買って帰らなきゃ……!」
そこへサラリーマン風の男の人がコツコツと靴音を鳴らしてやって来て、後ろから二人組に言う。
「雪女の子どもたちがかわいいので、失礼だとは思いながら動画を撮影させてもらってたんですけどね、ちょうどあなたたちのしたこと、映ってますよ」
二人組の態度が急に変わった。
「あ……。すんません」
「ほんの出来心なんで……、勘弁してください」
あおいさんのほうを振り向くと、イーはすっかり元に戻っていた。
周りの人たちが集まって、イーの着物についた麺を取ってくれたり、あおいさんに優しい言葉をかけてくれたりしているようだ。
警察がすぐにやって来て、二人と言葉を交わしている。二人は「だって妖怪ッスよ?」「人間じゃないんッスよ?」と笑って済ませようとしているようだった。
僕が殴りに行こうと一歩踏み出すと同時に、警官が二人をパトカーに連れ込んだ。
「……チッ」
僕はイーの様子を見に、カイを連れて駆け戻った。
「大丈夫!?」
「うん、もう大丈夫」
あおいさんがイーを抱きしめ、頬ずりしていた。
「あたしの水分と冷気を分けてあげたから……。でも……」
「うえぇん……! うえぇん……!」
イーが泣き止まない。
「よしよし、怖かったね」
「もう大丈夫だよ、メガネ雪女のお嬢ちゃん」
「悪いやつらは捕まったからね」
そこにいた人たちがみんな集まって、イーとあおいさんに優しい言葉をかけてくれる。
「お怪我はないですか?」
婦人警官が駆けて来て、あおいさんに聞く。
あおいさんが体をびくっと震わせた。
人間が怖くなってしまったかのように──
僕の出番だな、と思った。
僕にとって、怖くない怪異があおいさんしかいないように、あおいさんにとっても、怖くない人間は僕しかいないんだ。僕がなだめてあげないと!
「あおいさん……」
にっこり笑って、カイと一緒に顔を覗き込んであげた。
「もう大丈夫だよ」
あおいさんが顔を上げた。
綺麗なその茶色の髪が揺れる。
碧い瞳を潤ませて、僕を愛しそうに見つめた。
抱きついてきた。
僕も抱き返した。
イーも一緒に抱きしめてやった。
カイが危険を察したように後ろへ飛んだ。
ピキピキピキ……
僕を閉じ込める氷の音を聞きながら、僕は気を失った。
○ ○ ○ ○
「──ろくん」
誰かが夢の中で僕の名前を呼んでる。
「──ろくんっ」
いい声だ……。心が落ち着く。
「ひろくんっ!」
はっとして目を開けると、あおいさんと子どもたちが上から僕を覗き込んでいた。
「……あれっ?」
顔を起こし、周りを見ると、なんだか病院のようだ。
「僕……、どうしたの?」
「ごめんね! ごめんね! 思いっきり抱きしめちゃったから、ひろくんのこと氷漬けにしちゃって……」
なるほど……。
あの時、カイが後ろに飛び退いたわけだ。
パパを見殺しにしかけやがって……。
僕は重度の凍傷でしばらく入院することになった。あおいさんが思いっきり飛びついて、100%の妖力をぶっ放してしまったらしく、僕は危うく死ぬところだったそうだ。またダウンジャケットに助けられた。
皮膚が焼けただれたみたいになってて、とっても痛む。
だけど不思議とあおいさんを恨む気持ちはなかったんだ。
それどころかいい気分だった。
「はい!」
あおいさんがみかんを剥いて、それをスプーンに乗せて、僕の口に運んでくれる。
「手で食べさせてよ」
「だってそんなことしたらまたひろくんの凍傷がひどくなっちゃう……」
仕方なくスプーンから口で受け取りながら、僕はあおいさんに聞いた。
「人間、嫌いになった?」
娘を殺されかけたんだ。人間を憎む凶暴な雪女に変化してもおかしくはなかった。
しかしあおいさんは笑顔で首を横に振った。
「みなさん、優しかったよ。あの二人みたいな人間もいるけど、助けてくれた人間のほうが多かった」
まぁ……、そうだな。
僕も『人間、捨てたもんじゃない』って、思わされたもんな。
「パパー……、いたい?」
イーが僕の掛け布団にちいさなお手々を乗せて聞いてくる。メガネの奥の目が心配そうだ。
「大したことないぞ」
僕は笑ってみせた。
笑うと顔が痛いけど、この凍傷はあおいさんだけじゃなく、イーからも喰らったものなので、心配させたくなかった。こんな誰かを気遣う気持ちなんて、久しぶりだ。
どれくらいぶりだろう……
「──カイ」
花瓶に向かってなんだか一生懸命カッコいいポーズをキメているカイに、僕は話しかけた。
「出なかったな、アイス・スラッシャー」
「まだ出なかっただけ!」
憎むようにカイが僕を見る。
「そのうち出せるようになるから!」
どうやらさっきから花瓶の水を凍らせようと頑張っているようだ。
そんなカイを見ていたら、僕は昔の自分を思い出した。
「……そうだ。子どもの頃、僕、正義のスーパーヒーローになりたかったんだ」
誰に言うともなくそう呟いた僕の言葉に、あおいさんが笑った。
「知ってる! スーパーヒーロー! 妖怪とかをやっつけるやつだよね!」
「わ……、悪い妖怪を、だよ。あおいさんみたいないい妖怪はやっつけない」
「へー! カッコいい」
そう言ってから、意地悪そうな顔をあおいさんがする。
「……で、どうしてそんな人になっちゃったの? 今のひろくん、どっちかっていうと悪い妖怪のほうだよ? 宇宙人さん怒らせたり、河童とおじいさんの再会を見世物にしようとしたり、大学を南極みたいにしようとしたり──」
「うん」
僕は素直にうなずいた。
「たぶん……きっと……反動だよ」
イーが聞く。
「はんどうって、なにー?」
「パパは正義感が強すぎたんだよ」
イーの頭を撫でようとして、娘の体温が氷点下なのを思い出し、慌ててひっこめた。
「だから人間に期待しすぎて、裏切られてばっかりで……それで……」
人間を嫌いになったんだ。
中学、高校と、僕をいじめたやつらを思い出した。要領よく、自分の得だけを考えて行動するのが『ふつうの人間』だということに気づいた日のことを思い出した。
この世にはスーパーヒーローなんていないんだと思い知ったあの日のことを──
その反動で、僕はひねくれたんだ、たぶん。
「ふふ……」
あおいさんが僕を見て笑う。
「ひろくん……人間だけど妖怪に近いって、あたし言ったよね?」
「まぁ……、自分でもそう思うし」
そんな僕だからあおいさんが『好き』と言ってくれるんだしと、素直に認めた。
「なんの妖怪に似てるか、わかる?」
「うーん……」
考えた。
「カッコいいやつ……じゃないよな。目玉おやじとか? ……あ、ねずみ男かな」
「違うよ」
「じゃ、何?」
くくっと笑いながら、あおいさんは教えてくれた。
「天邪鬼」
思い浮かべた。
歪んだ醜い顔をした、赤鬼だ。
「それは違う!」
抗議した。
「鬼ならもっと堂々としたやつにしてよ! 茨木童子とか!」
「ふふふ。あまのじゃーく、あまのじゃく」
「雪女のハズバンドが天邪鬼って……おかしいだろ! いいのかよ!?」
「ふふ……。あっ?」
あおいさんが急に窓の外を見つめた。
「どうしたの?」
「……来る」
「来る? 何が?」
「ゲリラ雪」
「ゲリラ雪?」
聞いたことない言葉だった。
「ゲリラ豪雨みたいなやつ? ……あっ!」
思い出した。
次に雪の降る日があったら、雪雲に乗って、故郷の雪山に帰るって、言ってたことを──
「……帰っちゃうの?」
「うん。あたし一人ならまだいられるけど……、イーはまだ弱いしね。これを逃したら帰れなくなっちゃうかもしれない」
窓の外を見つめるあおいさんの横顔を、僕は見つめた。丸くて、白くて、愛しかった。まばたきするたびに白い光が舞う。
「帰っちゃんうんだ……」
「ふふ……。あたしに傍にいてほしい?」
「うん! ずっと傍にいてよ! だって僕、あおいさんのこと……」
愛してるから、と言おうとして、笑い飛ばしてしまった。
「──なーんて、言うと思うかよ? バーカ!」
「うん、それでこそひろくんだ」
まるで僕のことならなんでもわかってるみたいに、あおいさんがにこっと笑う。
「また、雪が降ったら会いに来るよ、ひろくんにも、カイにも」
「ママ……」
カイが不安そうに聞いた。
「どこ行くの?」
にっこり笑ってあおいさんがカイに言う。
「ママとイーはね、人間界では生きられないの。また会いに来るから──」
「ぼくも行く!」
「……カイは反対に、そこでは生きられないの。寒すぎるし、なんにもない場所だから」
「行く! 行く! ぼくも行くよ!」
そう言いながらママに抱きついて、軽い凍傷を負うと、カイは不貞腐れた顔をして離れた。
「入院中の僕を置いて行くのかよ。ひでぇ……」
「ひろくんのお世話はぬらちゃんに頼んでおいたから」
あおいさんが立ち上がった。
「……来た」
窓の外を見ると、突然暗くなって、ものすごい雪が降り出していた。
「イーちゃん、行こう」
あおいさんがイーの手を繋ぐ。
「おいっ! 雪女!」
僕は罵声を浴びせてやった。
「ふざけんな! 責任取れ! 僕をこんな気持ちにさせておいて……!」
「また……会えるって」
にっこり微笑んだあおいさんの姿が、イーとともに白い光になって、消えた。
止まることなく雪の降る空を見上げると、その中を飛んで行く二人の姿が見えた気がしたんだ。
○ ○ ○ ○
春になった。
すっかり雪の解けた山に登り、僕はカイに修行をつけていた。
ブナの木に向かってカイが構えをとる。
胸の前で組んだ短い両腕を、前に振りながら、技名を叫ぶ。
「アイス・スラッシャー!」
ブナの木が揺れた。
カイの攻撃が当たったのか、それとも風で揺れただけなのか、わからない程度に──
「ふぅ……。今日はここまでだな」
「まだまだ! やるよ、パパ!」
「おまえはまだ小さい。無理をすると腕を壊してしまうかもしれん」
「ぼくはスーパーヒーローになるんだ! やらせてよ、パパ!」
「パフェ食いに行こう」
「うん!」
「俺も一緒にいいか?」
いつの間にかそこにいたぬらりひょんが言った。
親子二人水入らずのパフェ・タイムにコイツははっきりいって邪魔だが、いろいろ世話になってるからな。仕方なく僕はうなずいた。
カイの戸籍もぬらりひょんが作ってくれた。金銭面での援助もしてくれる。おかげでもう少し育ったら幼稚園に行かせてやれる。
「もうちょっ! とで……つかめそうなんだけどなー……」
歩いて山を降りながら、悔しそうにカイが言う。
「でもぜったい! いつか! ぼくはスーパーヒーローになってみせる!」
「よし、その意気だ!」
僕は息子を励ました。
「アイス・スラッシャーが出せるようになったら、次は飛空術な!」
「カイをスーパーヒーローに育ててどうするつもりだ、ひろゆき?」
ぬらりひょんが聞いてくる。
「その力を使って、人間を滅ぼすつもりか?」
「困ってる人がいたら助けるために決まってるだろ」
「サナダムシらしくないな」
悔しかったんだ。
イーがカップヌードルを浴びせられた時、なんにもできなかった自分が。
そして感謝したんだ。
あの時、あおいさんとイーを助けてくれた人間たちに。
それに──あおいさんが大好きな人間界を、僕は守りたい。
カイをすごい雪女ハーフに育てあげて、世界の平和を守りたいんだ。
僕は目覚めたんだ。
そう、これは、人類愛──
なんてな! 本当は自分の息子を自慢したいだけだよ、バーカ!
(おわり)




