暖冬の街で雪女が溶けそうになってたので、拾って帰りました
とても過ごしやすい冬の日だった。
太陽はぽかぽかで、冬とは思えないぐらい。
街を歩く人たちはそれでもみんな厚着をしてる。僕もあったかいとはいえ、着ているダウンジャケットを脱ぐほどではない。
そんな中で、汗で顔をびっしょびしょにしている女の人を見かけた。
「あつい……。あっつい……」
その人はひたすら呟き続けていた。
真冬に白い半袖Tシャツにジーンズという夏の装いで。
汗をアスファルトにボタボタと滴らせながら。
太陽を避けるように、書店の庇の陰に立って、Tシャツの襟をパタパタさせて、死にそうな目つきでショートカットの前髪をかき上げていた。
僕と同い年ぐらいか、少し年上だろうか? 物凄い美人だとは思ったけれど、僕はへんなひとに興味はない。っていうか女性に興味がない。僕が興味があるのは怪奇現象だけだ。
僕はうつむきながらメガネをくいっと指で上げ、その人をなるべく見ないようにしながら、お目当てのミステリー雑誌を買うため、書店に入っていった。
「あった、あった」
ミステリー雑誌『モー』の最新刊が棚に立ててあるのを取ると、僕はレジに向かう。
僕は女の子よりもコレが大好物なのだ。宇宙人、幽霊、UMA、妖怪──どいつも愛してる。
僕が大学でオカルト研究会に入らないのは、一人でコイツらを愛してやりたいからだ。ロマンは自分一人の胸の内で育てるものだと思ってる。
他人なんて邪魔なだけのものだ。
書店を出ると、あの女の人がまだそこに立っていて、Tシャツを脱ごうとしていたので慌てて止めた。
「何をしてるんですかッ!?」
そう声を上げてからすぐに後悔した。しまった面倒くさいへんな人なんか放っておけばよかったと思った。
でも、じつはそれがとても刺激的な、運命の出会いのはじまりだったんだ。
「あついからぁ〜……! 脱ぐのッ!」
僕が止めるのを振り切るように、その女の人はTシャツを胸下までまくり上げた。ブラジャーをしてないのがすぐにわかった。僕は柄にもなく公序良俗を重んじる正義感に駆られ、彼女の腕を掴んで下ろさせた。
その時、すぐに彼女が人間じゃないって、わかったんだ。
「冷たっ!」
凍傷を負いそうなほどの彼女の腕の冷たさに、僕は叫んでいた。
「死人より冷たい! あ……あなた、もしかして……」
「そだよー。雪女だよー……ほにゃらへ!」
彼女は思考の飛んだような表情でそう言うと、僕のほうへ倒れかかってきた。
「ギャアアアアーー!!」
液体窒素にのしかかられた感覚だった。
若い巳之吉さんの隣で雪女に息を吹きかけられて死んだ茂作じいさんはこんな気持ちだったのかなと思うほど絶対的に零度だった。
そんな僕の痛みなんかどうでもいいように、彼女は僕の胸の中で目を瞑り、そこで失神してしまったんだ。
○ ○ ○ ○
それでも僕が生きていたのはやはりダウンジャケットに守られたからだと思う。小泉八雲の描いた『雪女』の時代だったら茂作さんのように一瞬でカチコチに凍っていただろう。現代の技術に感謝だ!
失神すると途端に彼女の身体は気温と同じぐらいにぬるくなった。
しかも羽毛みたいに軽かったので、僕はお姫様抱っこして自分のアパートに持って帰った。すごく恥ずかしかったけれど、どうしても持って帰りたい衝動が僕にそれをさせた。
せんべい布団の上に彼女を寝かせた。
じっくり、ねっとり、つむじから爪先まで観察した。
正座して、メガネを手でまっすぐに保ちながら、その雪のような、白くて固そうな美しい顔に穴を開ける勢いで見つめた。
雪女だ。
本物の、雪女だ!
見た目はバラエティー番組に出てきそうな元気がよくてよく喋る人間のお姉さんみたいな感じだけれど、あの時の冷たさは間違いない──
僕の愛する怪奇現象だ!
Tシャツをめくって生乳も見てみた。ふつうに人間と同じのが二つ、ふつうについてたのですぐにそれには興味を失った。だってこんなの怪異でもなんでもない。
やがて暑いのか、彼女の額に汗の玉が浮き出してきた。
すると一瞬で、僕の部屋の中が真冬のアルプス山頂みたいになった。
窓ガラスが内側から凍りつき、床にも天井にもパキパキと、険しい氷の小山みたいなのができる。
一瞬で凍死するところだった。まだダウンジャケットを着たままで助かった!
彼女が目を開けた。
南極の氷のように碧い瞳で僕を見つめる。
僕は『気がついた?』と言おうとして歯を鳴らした。口から出たことばは「ギガググググ……」になった。くっついてた唇を動かしてしまったので、切れた。
「見たな?」
仰向けに寝たまま、彼女が目つきを獣のように険しくして、僕を睨む。
「グゴゴゴゴ……」
『ごめんなさい』と言おうとして、ただ歯がガチガチ鳴った。
しばらく無言で見つめ合っていた。
「あっ!」
急に彼女の表情が驚いたように、かわいくなった。
「ごめんなさい! 殺しちゃうとこだった!?」
真冬にクーラーをつけた。
設定温度はCoolだ。寒いけど絶対零度よりは遥かにましだ。
「ふ〜……。いい心地」
僕が氷を入れた水を勧めると、それをくぴっと飲んで、彼女が笑う。そして謝った。
「ごめんね〜? あたし、汗かくと周囲を凍らせちゃうんだ。暑さを自分の冷気で調整するっていうか、カラダに備わってる防衛機能? そんなんで、こういう狭い空間だと南極みたいにしちゃうの……」
「そ、そうなんだ?」
僕はどう答えたらいいのかわからいので、笑った。
「でも……外ではだめだった」
彼女が氷水の表面を見つめて呆然と呟く。
「こんなの初めて……。あたしの妖気が外気温に負けるなんて……」
相当ショックだったようだ。沈黙してしまった。
なんだろう。たとえるなら、サウナで汗が止まらなくなって干からびて死にかけたみたいな感じなんだろうか?
僕にはあったかいとはいえ外の気温は一応冬だと感じられる。でも雪女にとっては異常なのだろうか。
彼女の感覚はわからないけれど、あの書店の庇の下で、雪女は外気温に負けて死にそうになっていたのだ。
「ねぇ、冬なのに、なんでこんなに暑いの?」
彼女の問いに正直に答えようとして、僕は口をつぐんだ。
『人間が環境を破壊して、地球が温暖化してしまったからだ』なんて答えたら、人間を滅ぼされてしまいかねないと思ったからだ。まぁ、そんな愚かな人類など滅んでしまえとは思うが、自分の身の安全だけは守りたい。
「さぁ? 今年の冬はなんか異常だよね。なんでかはわからない」
僕が誤魔化してそう言うと、彼女は納得してくれたようだった。
「助けてくれてありがと……。あたし、『あおい』っていうの」
「え……。名前?」
「うん」
「『お雪』とかじゃないんだ?」
彼女がプッと吹き出した。
「そんな古臭い名前、今どきの雪女はつけないよ」
「そ……、そうなんだ?」
なんか夢を壊された感じだった。
「ぼ……、僕は佐奈田ひろゆきです」
本名だ。
いつものようにツッコまれるかと思ったが、あおいさんは真田広之を知らないようだった。
「じゃ、『ひろくん』って呼ぶね?」
そう言うとあおいさんは手をぽんと合わせて、喜んだ。
「やった! 人間の男の子と友達になれちゃった……」
「ぼ、僕も嬉しいです」
怪奇現象と友達になれて──という言葉は呑み込んだ。
「あたしね? いつもは北国の山奥の雪の中で暮らしてるんだけど、飽きちゃって……。人間の世界は楽しそうだなぁって、色々ネットで見ながら憧れてたの」
雪女の世界にもネットあるんだ……と思いながら、僕は黙って聞いていた。
「それでお母さんが止めるのを振り切って、原宿とか秋葉原とか行ってみたくて……でも東京まで程遠いこんなところで暑さにやられて動けなくなっちゃってたの」
東京まではまだ300km以上ある。
その距離を歩くつもりだったんだろうか……。
それとも雪女だから、もしかして飛べたりするのか? 僕は彼女の話を聞きながら、どんどんワクワクが止まらなくなっていた。
「ところで……あたしが妖怪だって知ったのに、怖くないの?」
怖がられるのを恐れるように弱々しい表情になった彼女に、僕は即答した。
「怖くないです。だって、見た目は完全に人間じゃないですか」
「もしかして……人間って、みんなそうなの?」
「え?」
「あたしが妖怪だってわかっても、みんな仲良くしてくれるかな?」
「あっ……」
あおいさんはたぶん、パリピの中へ飛び込んで、たくさんの人間と仲良くなりたいと思っているようだ。
僕は嫌だった。怪奇現象を一人占めしたかった。
それで釘を刺しておくことにした。
「僕は特別なんです。人間でも妖怪でもみんな友達だって思うほうだから。でもそんな人間ばかりじゃないですから気をつけて。むしろ妖怪は敵だって思ってる人間のほうが多いです。正体がバレたら退治されかねないですよ? だから黙ってたほうが……」
「退治だって?」
あおいさんの背後のオーラが険しい吹雪になった。
「人間風情が雪女を退治できると思ってんの? 返り討ちにしてやる」
僕が「はわわ……」と怯えた声を出すと、それに気づいて、あおいさんはまた申し訳なさそうに謝った。
「あっ……また怖がらせてごめんねっ! あたし、フレンドリーな雪女だから。安心してちょ!」
そしてかわいく舌を出してみせた。
舌は見事に綺麗な紫色だった。
○ ○ ○ ○
僕はあおいさんにプレゼントをした。
『ピタッとひえひえシート』、『太陽の光を遮るキャップ』、そして『空調服』だ。
「これ、いいわー!」
気に入ってくれたようだ。
「特にこの空調服! 意外とダサくないし、何よりぬるい外気を口をすぼめたみたいに冷たくしてくれる! これなら自分の妖気を使ってカラダを冷やさなくても済むよ。ありがと!」
昼間はあったかかったとはいえ、夜はさすがに冷えた。クーラーをつけっぱなしにした部屋で、僕は布団三枚に埋もれて眠った。あおいさんはTシャツ姿のまま雑魚寝した。
夜更けに目が覚めてチラッと見ると、あおいさんは口を開けて豪快に眠っていた。かわいかった。
いいもの拾っちゃったな、と幸せになった。
買ってきたばかりのオカルト雑誌はまだ読んでない。本物のオカルトを拾ってしまったのだ。こっちのほうが興味深いに決まってる。
○ ○ ○ ○
次の日は一転、冬らしい一日になった。
ヒュウヒュウと冷たい風の吹く街に、あおいさんに手を引っ張られて出た。
「ねーねー、ひろくん! 人間の街を案内してよ! 色々行ってみたい」
気温が低いとあおいさんの手はそれほど冷たくない。気温と同じぐらいなので、手袋をしていれば凍傷になることはなかった。
迷彩柄の空調服についたバッテリー駆動のファンをくるくる回しながら、あおいさんはとても楽しそうに、僕の手を引いて元気に先を歩いた。
しかし僕の案内できるところなんて、女の子の喜びそうな場所じゃない。
僕の住む田舎町じゃ、原宿や秋葉原みたいな賑やかなところといえばエオンのショッピングモールぐらいだ。
僕は街から少し離れたところにぽつんと建つボロボロのおおきな建物へ、あおいさんを案内した。
「何……? ここ……」
「江古佐病院だよ」
「どういうところ?」
「廃病院だよ。有名な心霊スポットなんだ。昼間でも出るっていうけど、僕は見たことがなくてね。何度も来てるんだけど」
「それで……なぜ、ここに?」
「あおいさんと一緒なら出てきてくれるかなって思ってね。怪異は怪異に釣られるものだと思うから」
「や……、やだよ! 絶っっ対入んない!」
そう言いながらも、お気に入りの空調服をプレゼントしてもらったからだろう、あおいさんは渋々ながら僕に手を引かれて一緒に入ってくれた。
ドアのない玄関を潜ると、中はひんやりとしていた。それであおいさんの機嫌がちょっと直ったようだった。
それでもあおいさんがつまらなそうに言う。
「ねぇ……、かわいいものとか、あるかな」
「あるある、あるよ。ぬいぐるみとか。ここ、元々精神病院だから、患者さんのメンタルを癒すようなものがいっぱい転がってる」
「かわいい服とか、スイーツとかは?」
「ナースが着てた服がかけてある。スイーツは……そうだな、ここが終わったらかき氷でも食べに連れて行ってあげるよ」
さぁ、雪女と一緒なら、怪奇現象に出会えるかな? 出会えるような気がする。
僕はスマホで動画撮影の準備をして、ワクワクドキドキしながら建物の奥へと入って行ったんだ。