7話 理術
理。
それは全ての物体の根源であるエネルギー。
水や草、空気に至るまでの全てがこの理から構成されてあり。この世界は理の力で作られている。
にわかに信じ難い話しだけれども、まずはこれを理解しなくては始まらない。
だからまずはそう理解した。
世界はそういうものだと、素直に適応した。
理から始まり、理に返る。
そんな全ての元となる理の力。
理力にはある一つの性質がある。
それは魂と結びつく性質だ。
正確に精細に言うならば、理力は魂の信号に忠実なのだと。
言っている意味がわからないと思うが、安心して欲しい。
俺もわからない。
だから、自分なりに嚙み砕いて理解する。
理力は誰の内にでもある力。
水、草、動物…人間だってもちろん持っている。
そしてそれは操ることができる力。
RPGでいうところのMPみたいなもんだ。
それは人の魂。
つまり思考で操ることができる。
それこそ理術は魔法のようなもの。
手から火を出したいと願えば、その心の動きが魂と連動して身体に巡る理力が火を形づくってくれる。
だから水を生み出したいと思うなら、水を作りたいと魂に強く願えばいい。
理力は何にでも姿を変えるコインってことだ。
その使い道は、人(理術)で多種多様に変わる。
で、その理術。
ぐだぐだ言ったが、結局どうやってやるのか?
そりゃあ、いきなり何もなしに火を生み出せーと言って手から火がぼっと出てきたらそんなの苦労はない訳だ。
それが簡単にできないからこそ、分からないからこそ、
こうして理術書と睨めっこしている。
本には、理術を扱うにはまずは身体で理を感じ取ることが必要不可欠だと書かれていた。
理を感じ取るってなんだよ。
もっとわかりやすく書けよと思った矢先。
その答えは捲った次のページに書かれていた。
理術を体得する最も効率的な方法は、理術者から学ぶことだ。
・・・
チャンセバ・ホルク。
彼はこのグレイシアの館のたった一人の男の使用人。
そして、今この世界でおそらく唯一、
俺の内人格を知っている存在である。
一時期である。
一時期。
俺は自分の在り方に迷っていた。
この家での生活も多少長くなってきたことで、
家族に嘘をつき続ける生活に罪悪感を感じ初めていた。
俺は子供のふりをして、母や祖父
大切な仲間と呼べるそんな人たちを騙している。
それでいいのか?
人格がおかしくなってしまったこと。
ユキ・グレイシアという少年の身体を、
『俺』が乗っ取ってしまったこと。
この事実をちゃんと話すべきじゃないのか?
母や祖父は俺の家族として、俺を産み出した人間として
それを知る権利があるんじゃないのか?
でも言えない。
俺にはそれを言えなかった。
怖い。
拒絶されることが怖いんだ。
きっと母がこれを知れば母は俺にこう言うだろう。
いや母は優しいから口には出さないだろうが、心の中で少しはこう思うだろう。
なぜ私の息子が得体の知れない何かに乗っ取られなければいけないのか。
そんな目に遭わなくてはいけないのか。
私の息子を返せ。
出ていけ。
息子の身体から出ていけ悪霊と。
俺に敵意を向けるだろう。
母だけじゃない。
皆が俺に求めているのは無邪気な子供の俺であって、
心の内の俺は誰にも必要とされていない。
そんなことは分かっていた。
分かっていたけど、愛を受けてしまったから。
ここは、居心地が良かったから。
例えその愛が俺に向けてのものじゃないって分かっていても。仮初のものだと分かっていても、手放すことが恐ろしかった。
けど、だからって、
言わないことは家族に対する裏切りだ。
結局俺は自分本位。自分のことしか考えていない。
誰かのことを考えているふりをして、
思ってるふりをして、自分が傷つかない方法ばかり考えている。
そんな保身ばかりの保身野郎だった。
ああそうだ。
俺は今。
話したいと思っている。
これを全てぶちまけてしまって、
いい加減に楽になりたいとそう思っている。
でも同時に強い不安も感じている。
拒絶されることへの恐怖を感じている。
心が矛盾している。
話したいのに、話したくない。
楽になりたいのに、楽になりたくない。
考えもループしている。
ずっと。
答えも出せないくせにずっとずっと。
ひたすらにループさせる事で、現実から逃げている。
そうか、そうだな。
逃げているってことは心は決まっているのだろう。
俺は話したくないのだ。
こんなこと、誰にも話したくない。
けどそうしたら、今度は罪悪感が俺を追いかけてくる。
追いかけてきて俺の心をズタズタに引き裂いてくる。
それはとても辛くて、痛くて、苦しくて。
楽になりたい。
その為に話したい。
ああ、もう。
…俺には俺が分からない。
まるで自分が二人いるみたいだ。
二人の自分が顔を合わせて討論しているみたいだ。
そんなことばかり考えていた、その頃。
「ユキさま。最近悩んでらっしゃいますか?」
そう俺に語り掛けてきたのがチャンセバだった。
チャンセバは無口な男だった。
それはグレンのような硬く表情の読めない無口ではなく、俺と似ている口下手というタイプの無口。
必要最低限のこと以外は決して話さず、けれどもその表情コロコロよく変わるそんな人間味ある男がチャンセバで、
きっとその時の俺は、
精神的に弱っていた事もあったのだろう。
自分の弱さに負けた。
吐露してしまった。
神父に懺悔するみたいに今までの全てを、である。
頭を打ったあの日から、心がどうにもおかしいこと。
元の自分にはどう足掻いても戻れそうもないこと。
これを母に話すべきだとは分かっている。
でも、母に嫌われたくはない。
俺にはもうどうすればいいのかわからない。
と、そう全部話してしまった。
何か、チャンセバになにか答えを求めていたわけではなかった。弾劾されたいわけでもなく、ただ話したかった。
自分以外の誰かに打ち明けてみたかった。
少しだけでもいいから楽になりたかった。
それだけだった。
チャンセバは俺の話をただ静かに聞けば、頷いた。
「…ユキさま。
私には難しい事はよく分かりませんが。
…けれど、貴方は貴方だと思います。
それがたとえ、前世の記憶を持っていたとしても。
この世に貴方として生まれた貴方はユキ・グレイシア以外の何者でもない。
貴方が考え、感じ、そうして悩んできたこと、それが貴方を作っている」
「…」
「たかが前世の記憶を思い出した程度で、
誰が貴方を否定出来ましょうか」
チャンセバのその時のその言葉は。
俺が欲しかった一番の答えだった。
「チャンセバ…」
「貴方の母親であるお嬢様も、
エドもそう言うことでしょう。
そしてもちろん我らも貴方を否定しません。
安心してくださいユキさま。
貴方を害する人間はここにはいないのです」
チャンセバの言いたいことは分かる。
そんなに心配をしなくても、皆は俺を受け入れてくれる。
だから、
この事実を家族に伝えるべきだとそう言っているんだ。
でも。
でもだ。
「ごめん…。
このことは内緒で頼むよチャンセバ。
墓まで持っていくと一度は決めたんだ。
今は、ちょっと自分に負けたけど。
でも、母さんの前では普通の息子でいたい。
後にも先にも。
この事実を知っているのは俺とお前だけでいい」
「…分かりました。
貴方がそこまで考え、言うならば、もう何も言いません。
私もそうしましょう」
「うん、そう言ってくれると助かる。
ごめんな、変な秘密を語っちゃって。
ほんといつも苦労をかける」
「苦労、ですか」
チャンセバはそんな俺の言葉に少しだけ笑っていた。
「そうですね。
でしたら。
私からもユキさまに一つお願いをしてもいいですか?」
「え?…お願い。
えっ…ああ。
まあ、いいよ?
5歳児に出来る範囲でいいなら、なんでも言ってくれ」
「今後もし。
またこのように悩むことがあれば、
ため込まずこのチャンセバに吐き出して欲しいのです。
貴方との秘密を共有する者として、愚痴くらいなら聞けますから」
…愚痴か。
…。
そうか。
なんか、分かった気がする。
なんで自分がこんなに乱れていたのか分かった気がする。
俺は、今の自分を誰かに肯定して貰いたかったんだな。
「……ああ…うん、そうかも。
ありがとうチャンセバ。
お前にこれを話せてよかったよ」
心の底からそう思う。
チャンセバのおかげで楽になった。
もっとカッコつけた言い方をするなら。
これからも嘘を吐き続ける心構えができた。
・・・
俺は屋敷をうろつくチャンセバを捕まえた。
早速新たに出来た、理術という悩み事を解決するために。
「理術…ですか?」
「そうなんだよ。
教えてくれよ、理術。
どうにも1人じゃ行き詰っちゃってさ」
チャンセバは使用人ではあるが、
この館の用心棒としての役割もある。
俺は温室でぬくぬくと育っているので直接チャンセバの戦闘シーンなんてものを見たことはないけれど、この男。
噂に聞けば、かなり強いらしい。
なんでもかつて、街一つを壊滅させたほどのワイバーンを1人で討伐したとかなんとか。
「そんなチャンセバなら、理術くらい使えるだろ?」
使えるとは、
聞いていないが。
そんなに強いなら多分使えるんじゃないかなーって勝手な期待と憶測。
「…ええ。
たしかに私は理術を使えますよ。
けれど理術なんてものは大抵10歳を超えたあたりで習い始めるものです。
ユキさまはまだ5歳、習うには早いかと」
「理術書には5歳だと使えないとは書いてなかった。
つまり、
この歳でも理術は使えるんだろ?
だったら使いたい。
いつか習うなら今がいい。
なにごとも早いに越したことはないだろ?」
早くルイナに追いつきたかった。
あの時、ルイナが門番2人に使った摩訶不思議な技。
モルガン達を殺したあの悪魔も、
俺を癒した女神を全てそう。
あれらはおそらく理術だ。
ルイナは6歳という歳で理術を使いこなしていた。
俺には転生というアドバンテージがあるのにも関わらず、同年代くらいのルイナにそれができていて俺にできないのは、
ただ単純に悔しかった。
また今度会ったときに彼女を驚かせてやりたい。
俺だって、それくらいはもう分かるだぞ。
もうお前と同じことをできる。
並べるくらいできるんだぞと、言ってやりたかった。
「しかし…。
ユキさまは他に習うことがあるのではないですか?
ここ最近はお嬢様から共通語を習っていると聞きました。
そちらが疎かになっては…」
「共通語のことならもう大丈夫、完全にマスターした。
母さんの前ではちょっと演技入ってんだ。
ほら、あまりに息子が優秀すぎると気持ち悪いし、
いろいろと勘づくだろ?」
チャンセバは指を顎に置いた。
「…ふむ、僅か1ヶ月で共通語をマスターですか。
それはなかなか…。
では、算術の方は?
やがて家を継ぐユキさまが算術ができないようでは…」
「おいおい、なんならそっちの方が得意分野だぜ?」
数学なら前世の記憶を使える。
共通語よりぜんぜんできる自信がある。
「なら、ユキさまは、九九は全て言えますか?」
んー?
九九?
あーそっか。
そうね、そういや、そんな年齢レベルだったね。
俺。
「言えるよ
じゃあさ、
そんなに疑うなら手っ取り早くテストで決めよう。
共通語と数学のテストだ。
そんで、俺がチャンセバの決めた合格点を上回ったらチャンセバは俺に理術を教える。
そういうので、一つ、どう?」
「では、もしも下回ったら?」
「そん時は大人しく、チャンセバの言う通りにもう一回学び直す。
実力のない背伸びなんてそんなカッコ悪い真似はしない。
その代わり、また1ヶ月後の再戦はアリにしてくれ」
ふむ。
とチャンセバは自身の顎髭をすりすり撫でれば、
「………分かりました。
では、3科目でいきましょう」
そう3本指を立てた。
「3科目?」
「はい、共通語、算術、そして道徳です」
道徳。
ん?
道徳ってなんだ?
え?あの道徳?
小学生とかがやる、あの謎の科目?
「あっ、ああ。
まぁ、いいぜ、期限は?」
「ユキさま自身がお決めいただいてどうぞ。
私の方で問題は作っておきますので、
テストを受けたいタイミングで声をかけてください。
ああ。
けれどまだ問題は作っていないので、今すぐにはできません。
1週間ほどの時間をいただければいつでも」
「分かった。
じゃあ、期限は1週間だ。
1週間後、テストにしよう」
「合格ラインは80点とします、それでもできますか?」
「誰に言ってんだよ、もちろんできるさ」
と言ったものの、
道徳。
それだけが
とても、不安だなぁ…。
・・・
そうして一週間後。
チャンセバとの約束の日が到来した。
本日は待ちに待ったテストの日。
それも3科目だ。どれも80点以上を出さなきゃいけない。
それなりに勉強はしてきた。
あれだけチャンセバに大口を叩いて、できませんでしたーとは絶対になりたくなかったから本気で取り組んだ。
数学は前世の記憶をフル活用。
はたしてチャンセバが5歳の俺にどれだけの期待をかけ、一体どれほどの難易度の問題を出してくるかなんてわからないが。さすがに、二次方程式とか二次関数とかまでの中高生クラスの難易度は出してこないはず。
せいぜい小学校で習う範囲だろう。
だから四則演算とか、もしかしたら割合とかもくるかも?
それほどだと思う。
それならば何も問題はない。
共通語だってそうだ。
母から学んだ共通語。ここ1ヶ月2ヶ月はそれだけに時間を使ってきた、これまでの自分を信じよう。
で、最後。
問題なのは道徳。
道徳ってなんだよ?
全然わかんねえよ。
何勉強すればよかったの?
その場の勢いで行けるとか言っちゃったよ。
ま、まぁでも、
多分あれだろ、
人としての最低限のマナーとかそういうのだろ。
口を開けながらものを食べちゃいけませんとか、
お年寄りには席を譲りましょうとか、そういうの。
しかしさ、一つ疑問。
この世界のマナー。
それって全てが前の日本と同じものなのだろうか?
例えば、日本でのゲップは汚いものとして捉えられるが、中国だと逆に満足しましたの合図になるみたいな、そういうカルチャーショック的な違いがあったりしたらどうする?
そんな一抹の不安を抱えつつ、俺は席に着いていた。
「準備はいいですか?」
椅子に座った俺の手前には教棒を持ったチャンセバがいた。
いやなにも、わざわざ教棒を持ち出さなくてもいいのに。
なんかすごくそれっぽいけどさ。
「できてるよ、いつでもいい」
「科目は3科目。
1科目につき、時間は30分です」
思ったよりは短いな。
「80点以上を合格点とします。
初めは、算術、次に共通語、最後に道徳となります」
「問題になにか不備があった場合は?」
「その時は手を上げ呼んでください」
「了解」
では、初め。
そう。
チャンセバは手持ちの教棒を手のひらでパチンと鳴らすと、
試験が始まった。
・・・
「合格です」
サクサクと俺の答案の採点を終えたチャンセバはかけている黒ぶちサングラスを人差し指でクイッとあげて言った。
「そっか。
一応聞くけど何点だった?」
感触は良かった。
算数…算術か。
それは小学生でも解ける四則演算しか出てこなかったし、
共通語も基礎だけだった、道徳に至っては無闇に人を殴ってはいけませんみたいな人として当たり前の内容。
はたしてこれはどうしたら80点以下を取れるのだろうか。
解いてる間にそんなことも思った。
「3科目全て満点です」
まぁ、だろうな。
いや、ちょっと心配しすぎだったのかもしれない。
これくらいだったならもっと手を抜けたな。
ま、合格したんだからもういっか。
「じゃあさ、じゃあさ。
約束通り理術教えてくれるよな?
チャンセバ」
俺は理術を学ぶためにチャンセバのテストを受けた。
俺の方は約束を守った。
次はチャンセバが守る番だろう。
「ここまでを見せられてはもう嫌とは言えませんね。
もちろんです。
私の知る理術の全てを貴方に教えましょう。
…明日から」
「明日からかい!」




