11話 成長期間
6歳から9歳までの3年間は色々なことがあった。
一つ目の大きな出来事はキッサキが家を出たことだった。
どうして家を出るのか。そこに何か理由があるのか、彼女から都合は言わなかったが、なんでも自由に生きる為にはここには居られないと。
なんのこちゃか。
俺にはまったく分かんなかったけど、キッサキが自分の意思でそう言って自分の意志で辞めたのだ。
正直、引き止めたかった。
だって寂しかったから。
キッサキは俺にとっては使用人というよりは歳の離れた姉みたいな存在で、
いつもいつでも明るい彼女はこの屋敷のムードメーカーで、大切な仲間。
…でも、だからこそ、引き止めなかった。
彼女は彼女の幸せの幸せを掴む為に家を出た。
そんな人間をただ寂しいからって我儘で妨害しちゃいけないだろう。
「長い間!おぜわになりまじたぁ!!」
そう泣きながらお辞儀をし、
荷物をまとめて出て行ったキッサキ。
キッサキの離脱で一番悲しんだのはグレンだった。
グレンとキッサキの関係性はまさに先生と弟子のような関係で彼女らは仲が良かったから仕方ないといえば仕方ない。
ただ、あまりの凹み具合にグレンは暫く寝込んだ。
それで聞いたのだけど、なんとグレンが屋敷に勤めてから60年間、休みは初めてのことだったという。
その際には屋敷の機能はほぼ停止してしまった。
キッサキとグレンがいないだけで俺とチャンセバが慣れない家事をしなくてはいけなくなったといったら彼女達の有能さが表せるだろうか。
しかし、そこはキッサキ。
この事態もある程度予測していたのか、それともたまたまなのかは分からないが、
自分が抜けた後の後釜もきちんと用意していたようで、キッサキが家を抜けてから一週間も経たずに屋敷の門を叩く人間が現れた。
「キッサキ・レンの妹。
キレイ・レンと申します」
グレンはキレイを見て即採用を決めた。
使用人の募集についてはグレンに一任されているので、俺らがそれについてどうこう言うことはなかったが、今回はあまりにも年齢が低すぎるということで、エドはグレンにそれでいいのか?と聞いたようだがそれでも雇いたいとグレンは譲らなかった。
なにか、キッサキの妹はグレンの目につく光るものがあったのかもしれない。
そうこうしてメイド服を着て、俺の前でピシリと綺麗な90度のお辞儀を見せる少女。
彼女の年齢は俺とぴったり同じ6歳で、キレイがキッサキの妹だという事はその犬耳と緑の髪を見れば分かった。髪をポニーテールに結び、左の目元に特徴的なホクロがあり、いつでもどこでも馬鹿みたいに明るかったキッサキと比べればややクールだ。
いや、もしかしたら緊張しているだけかもしれない。
「あ、よろしくね。キレイ」
「はい、ご主人様」
「えっと、まだご主人じゃないぞ?」
俺は跡継ぎではあるが、この屋敷の主人は祖父のエドだ。
「では、ユキ様と呼ぶのはいかがでしょうか?」
「オッケー、それでいこう」
キレイはキッサキみたいに俺の世話を担当していたわけではなかったが、仕事を任されていない休憩時などは俺の3メートル後ろにぴったりとついてくることが多かった。
「えっと?…キレイ?」
「はい、なんでしょうかユキ様」
「えー。好きにしていいんだよ?休憩時間でしょ?」
「はい、これがあたしの休憩です」
そう言われてもこっちは居心地が悪い。
人間1人でいたい時もあるのだ。こういつも後ろにつかれるのは困る。
「えっと?
これに理由とかある?」
そう、なぜ俺に付いてくるのかさり気なく聞いたら
「姉さんからユキ様からは目を離すなと言われましたので」
あのやろー。
「キッサキ…。
あっ、間違えた、ごめん、キレイ」
キッサキとキレイ。
彼女達は本当によく似てる。
ついうっかりいつもの癖でキッサキと呼んでしまった。
「いえ、構いません、よく間違えられますので」
ああ、やっぱ俺以外にも呼び間違えられてたんだな…。
「むしろキッサキと呼んでください」
それは…ちょっと分からないな。
「あの、少し1人にしてくれないかな?」
「はっ!まさか、
例の伝説の階段ジェットコースターをやろうとしてますか?」
してねえよ!
てか、なんでそんなことまで知ってんだよっ!
キッサキか!
アイツか!
言いふらしてんのか!!
人の不幸を伝説にしやがって!!
「あたしもやってみていいですか?」
よくねえよ!
「それでは、まずはあたしで安全確認を」
ただお前がやりてぇだけじゃねえか!
・・・
この3年間。
キッサキ以外の家族にはこれといった変化はなかった。
エドは相変わらず忙しそうだ。
昼間は出かけ。
仕事をし、夜にはしれっと屋敷で酒でも飲んでいる。
母の調子もここ最近は好調なようで、よく裏庭に出ては俺とチャンセバの稽古を観察してたりした。
グレンはキレイにメイドについてあれこれ指導していたし、チャンセバは俺の稽古と暇さえあればグラサンを拭いている。
俺はというと、7歳から家庭教師を雇う事になった。
習い事の多さというものはどこの世界のお坊ちゃま、お嬢様でも同じなのだろう。
毎日我が家には10人を超える家庭教師が訪れれば、俺に一時間程度の授業をし帰って行った。
その日々は、あまりに多忙でつまらない毎日だった。
初めはそれも仕方のないことか。
金持ちの家に産まれた宿命だな、と受け入れ、
2年間は頑張ってきたその習い事だが、
3年目、習い事がさらに2倍に増えると聞き、限界が来た。
「すいません、お爺ちゃん、もう無理っす、限界っす。
勘弁して下さい」
俺はそんな弱音を吐き、
家庭教師での教育方針をやめてもらい、9歳で学校に通い始めた。
それはもちろんアリュザーク上層にあるお嬢様、お坊ちゃま達がよく通うような名門学校…ってわけではなく。
中層にあるごく普通の市民が通う私立学校。
色々と選択肢はあった。グレイシア家はこのアリュザークではその膨大な資産で貴族の地位に居るし、だから入ろうと思えば、そういう貴族学校?ってところにも問題なく入れるはずだ。
だけど俺はそこには入りたくなかった。
この異世界。
アリュザーク城塞都市に生まれて、そして生活するようになって、もうかれこれ9年ほどになるか。
それくらい長く暮らしていけば分かることもあるようで。
俺はこの上層の家族街に住む人間の性質ってものを理解し始めていた。
驕傲。
すなわち驕り高ぶっていた。
このアリュザークはガチガチの上下社会だ。上が存在すれば必然的に下が存在する、そんな街の上層に住む彼らには、自分より下に住む人々を明確に見下していた。
物理的じゃなく、精神面で。
それは貴族のプライドってやつなのだろう。
彼らは同じ貴族街に住む人間以外を人だとは思っていなかった。
まぁ、そりゃ、全員が全員そうだとは言えないし、なかには普通の感性を持った人間もいたけれど。
大半がそういった人間で、現にこういう国であるし…。区別が特別悪いことだとは言わないけれど。
俺にとっては、
日本人の感性を持つ俺の視点に立っては、
人を人とも思わない。
人を区別し差別する。
そんな彼らに混ざりプライド高めな貴族どもの顔色を伺いながらまともな学校生活を送れるか?
と考えた結果。
自信がなかった。
まぁつまりだ。
俺には上層が肌に合わなかったのだ。
あとは、家の形態も良かったのはあるだろう。
例えばグレイシア家が歴史ある貴族の家で、代々騎士を輩出する名門とかだったら家の体裁というものはなにより重要。
上層の良い学校を出て、家の看板として外向けに良いメンツを保ち続ける必要がある。
けれど我が家はそういうのではない。
金の力で貴族の地位にいるような家柄で、祖父のエドが言うにはそれで文句を言ってくるような奴がいるなら札束で頬でもぶん殴ればいい(もちろんジョーダンだろうけどね?)という家で、
正直みてくれなんてどうでもよかったんだ。
・・・
9歳の、俺の1日のプロセスはこうだった。
朝に起床し、チャンセバと稽古。
そして中層の学校へと向かう。
そこは『レブン児童学校』という6歳~12歳までの子供が入る、6年制の児童学校。
まさに日本で言うところの小学校だ。
なんでも、ここの理事長と俺の祖父には昔からのコネがあるようで、俺の編入にも一つ返事でオーケーしてくれたそうだ。
そこでは俺と同じくらいの歳の子供が総勢300人ほど通っていて、ひとクラス30人ほどで分けられる。
流石の異世界か。耳が尖ったエルフがいたり、キッサキのような犬耳獣人がいたり、はたまた猫耳だったりと、様々な人種が目に付いた。
まぁ、それでも割合的には人間が多い。
8割が人間で残りの2割が獣人などの亜人。
俺はそこの三年生に編入し特別目立つこともなく、かと言って浮くこともなく過ごす事を心がけた。
理事長に直接頼んで俺の特別扱い等はやめてもらったし、クラスメイトにも自分が上層に住んでいるってことは聞かれない限り答えなかった。(聞かれてないからまだ誰にも答えてないんだけど)
なぜ隠しているかって理由としては本当に些細なもので、
だれに気を遣われることもなく、普通に平穏な学校生活を送りたかったから。
その俺の働きかけはどうやら効いているようで、入学してからそろそろ半年くらいになるけど俺は今のところ満足のいく平穏な学校生活を送れている。
ああ、あと。
あまり能力は人前では使わないことにした。
この瞬間移動は確かに便利だ。
ゴミを捨てる時とかわざわざ歩かなくていいし、片付けたいものは寝たままでも片付けられる。
しかし、そんな便利な能力だからこそ、もしこれが何かの不注意でクラスメイトに見つかったりしたら多少なりとも騒ぎになるだろう。
それは俺の求める平穏な学校生活とは程遠いもの。
これまでの苦労が水の泡になってしまう。
そうこうして午後には学校から帰宅する。
家ではチャンセバとの武術の稽古を済ませ、
空いた時間には本を読んだり母と今日のことを話したり、
そして飯や風呂、色々と済ませ、就寝。
これが俺の平日の一日だった。
では、休日には何をしたか。
朝にはもちろんチャンセバとの稽古をするんだけど。
その後、長い長いその後の一日は、
外に出て、友達と遊ぶことが多かった。