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4来訪

 夫の幸は日付が変わるころ、帰宅したようだ。朝起きて仕事のための身支度をしていたら、部屋から出てきて声をかけられた。


「昨日はすみませんでした。話は恵琉さんの仕事が終わってから聞きます」


 今日は月曜日で互いに仕事の日である。恵琉は返事もそこそこに仕事に向かった。


 恵琉が控室で昼食を取っていると、佐々木に声を掛けられる。


「昨日は大丈夫でしたか?結果がどうだったか、気になったんですけど」


「今日の朝、幸に妊娠したことを伝えるの、忘れてた……」


「やっぱり!妊娠だったんですね。おめでとうございます!」


「ちょ、ちょっと声大きいから」


「す、すいません」


 恵琉の独り言を目ざとく聞きつけた佐々木は、目をキラキラと輝かせながら恵琉を見つめてくる。あまりに興味津々な様子にため息を吐きつつも、周囲を確認してしまう。妊娠していることを周りに知らせるのはもう少し、自分の気持ちに整理がついてからにしたかった。


佐々木は自分の失言に気付いたのか、慌てて声を潜めて謝罪の言葉を口にする。しかし、じっと恵琉を見つめる視線は恵琉の言葉を待っているようだった。


「昨日、検査薬で陽性が出たから、妊娠で間違いないと思う。佐々木さん、私の妊娠だけど……」


「わかっていますよ。自分の口から同僚や店長に知らせたい、でしょう?私だってそこまで無神経じゃありませんから」


 佐々木に妊娠のことを口止めすると、恵琉は腕時計を見て、休憩が終わりに近いことを確認して席を立つ。


「休憩、終わりなのでいってきます」

「いってらっしゃい」


 控室を出る前に声をかけると、佐々木は明るく恵琉を送り出してくれた。恵琉は今の職場が気に入っていた。たまに変なお客が来店して大変な時もあるが、店で働いている従業員との仲は良好だったので、仕事はあまり苦だと感じたことはない。


(辞め時は考えないとだけど、今はまだ仕事がしたいなあ)


 恵琉が店内に戻ると、月曜日の平日ということもあって、店内は静けさに包まれていた。今は3月で春から初夏にかけての服が多数取り揃えられている。冬の暖色系の地味な色合いから打って変わり、店内は淡いパステルカラーの色で埋め尽くされていた。明るい色合いを見るだけで気分まで明るくなる。


 恵琉はその後、仕事に集中して取り組み、あっという間に帰宅の時間となった。



「ただいま」

「おかえり、恵琉さん」


「お邪魔しています」


 恵琉が帰宅すると、夫の幸が家に居て玄関で出迎えられたが、夫の他に家に人がいたことに驚きを隠せない。夫の言葉の後に続いた声は、先日、店で聞いた声によく似ていた。


「ごめんね。らいがうちに上がるって聞かなくて。さっさと帰ってもらうから、もう少しだけ我慢してくれる?」


他人の家にずかずかと乗り込むとは、ずいぶんと常識知らずである。とはいえ、ここまで積極的な行動に出ているというのは、幸によほどの執着があるともいえる。そうなれば、恵琉の計画のために働いてくれる可能性がある。


 今後の夫の相手となるかもしれない相手だということに気付き、恵琉は今取るべき最善の態度を考える。


「ねえ、どうして昨日、家に帰ってくるのが遅かったの?そこの男と飲み明かしていたわけ?」


「僕の浮気を疑っているんですか?それなら心配いりませんよ。ただこいつに付き合わされただけですから」


「俺のせいにするなよ」


「嫌です。僕は恵琉さんと離婚したくはありません!」


 幸は妻との離婚を望んでいないようだ。その言葉に少しだけときめきを覚えた恵琉だが、決して表情には出さない。あくまで無断で外泊したことを怒っているふりをする。さらに、これ見よがしに自らの腹をなでてみる。


「そういえば、恵琉さん、大事な話があるって言っていましたよね」


「うん。そうなんだけど……」


「らい!さっさと帰れよ。オレはこれから恵琉さんと大事な話をするんだから!」


 最後まで恵琉に言葉を言わせることなく、夫はリビングのソファに座っていた同僚を立たせて玄関まで引っ張っていく。長身で細身な夫が小柄でがっちりした男を引っ張っていく様は見ていて面白い。これが日常になるのだとしたら。


「ちっ。お前、後で覚えていろよ!」


「はいはい。愚痴でも何でも明日、聞いてやるよ。どうせ、明日もどうせ薬局に来るんだろう?」


 恵琉の目の前では、男二人の会話が続いている。夫と夫の仕事の同僚が会話しているだけだが、彼女の脳内では恋人同士の会話に変換されていた。


「すいません、恵琉さん。あいつ、どうにもオレのことを構いたがる節があって……。恵琉さん?」


 今、玄関から出ていった男が、目の前の自分の夫の新たなパートナーになるかもしれない。


 少しの間、恵琉はぼうっとしていたようだ。心配そうな夫の声に我に返る。浮かれている場合ではない。まだあの男性と夫は恋人同士ではないし、同棲なんてまた夢のまた夢である。彼との間に愛を芽生えさせつつ、なおかつ自分自身との離婚を夫に承諾させる必要がある。


「ああ、大丈夫です。ええと、話なんですが、今日はもう、遅いですしまた明日にしませんか?」


 つい、恵琉は妊娠の話を後回しにしてしまった。先ほどの彼らの様子を見るに、相手はかなり幸にご執心だ。そんな彼とのやりとりを見てしまってすぐに、自らの妊娠を告げることははばかられた。


「そう、ですか。わかりました」


 恵琉の思惑には気づくことなく、夫は妻の言葉に頷き自室に行ってしまった。もっと、問い詰められるかと思った恵琉は拍子抜けしてしまう。


「まあ、いずれ離婚する身だし、自分に好意や興味を持たれても困るだけ、か」


 なんとなく嫌な気持ちになった恵琉は、夕食を取っていないことに気付く。このイライラとした気持ちは空腹のせいだと思うことにした。

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