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2運命の人

「おはようございます」


 店に着いたのはシフトの10分前だった。タイムカードを切り、控室のロッカーにカバンをしまって、名札と腰につけるバックを身に着ける。すでに同じシフトとなっていた店長とアルバイトの佐々木は、すでに仕事の準備を整え、椅子に腰かけ雑談をしていた。


 恵琉が挨拶すると、二人は視線を恵琉に向けて同じように挨拶を返す。


「あれ、富田さん、なんだか顔色が悪いけど、大丈夫?」

「本当だ。今日は土曜日で人が多いけど、無理はしないでね」


「ええと、大丈夫ですよ。ただちょっと昨日は夜更かししてしまっただけです」


 いきなり顔色が悪いと言われて恵琉は自分の頬を触ってみるが、熱っぽくはない。しかし、言われてみると、胃がむかむかして気持ち悪いかもしれない。


 店長が席を立ち、恵琉の顔を心配そうにのぞき込んでくる。


「店長、女性には体調が悪い時もありますよ。本人も大丈夫と言っていますし、仕事に行きましょう」


 腕時計に目を向けると、始業時間に迫っていた。店長が先に控え室を出ていき、続いて佐々木も出ていく。ちらりと振り返った彼女は心配そうな顔をしていたが、恵琉に特に言葉をかけることはなかった。恵琉も慌ててその後を追った。



「いらっしゃいませ」


 恵琉の店は土日、祝日は開店時間が平日より一時間ほど早まる。開店時刻の10時に店のシャッターをあげると、すでに数人の客が外で待機していた。チラシの安売りを見て買いに来たのだろう。


客が店内に入ってくると、一瞬で仕事モードに切り替わる。今朝の占いのことも、夫の幸が外泊したことも頭の隅に置いて、恵琉は仕事に没頭することにした。


「すいません。この服のLサイズはありますか?自分で探したんですが、見つからなくて」


 昼休憩まで10分くらいに迫ったころ、一人の男性が恵琉に声をかけてきた。客がサイズの有無を聞いてくるのはよくあることで、特に不思議なことではない。恵琉は声のした方を振り向いた。そこには色黒の小柄ながらにがっちりとした男性が立っていた。そして、その後ろには、恵琉が毎日顔を合わせていて、週末は外泊予定の男性の姿があった。




「こちらのブルーのシャツのLサイズですね。少々お待ちください」


 まさか、夫が自分の店に他人を引き連れてやってくるとは思わなかった。突然の夫の来訪に驚いたが、今は仕事中である。恵琉は目の前の男性の要望に応えるために行動する。腰につけていたポシェットから仕事用のスマホを取り出す。便利な時代になったものだ。スマホで対象の商品のQRコードを読み取るだけで、店内の在庫が確認できるシステムとなっていた。


「お客様、ただいまこちらの店舗では品切れになっております。他店舗には在庫があるようですので、お取り寄せは可能ですが」


「取り寄せか。まあ、すぐに着るわけではないから、取り寄せでもいいかな。どう思う、ゆき?」


 恵琉の言葉に男は後ろを振り返り、彼女の夫に声をかける。名前で呼ぶとはかなり親しい仲なのだろうか。夫の反応はどうかとこっそりと視線を向けると、あからさまに嫌な顔をしていた。


「名前で呼ぶなと言っているだろう?」


「だって、今は仕事中じゃないだろ。ちゃんと仕事場では『富田さん』って呼んで……?あれ、富田って、もしかして」


 会話から察すると、彼らは仕事場での知り合いらしい。それにしても、目ざといところに気付く男である。恵琉は隠していても仕方ないと思い、自己紹介することにした。


「申し遅れました。私、富田幸とみたゆきの妻、富田恵琉とみたえると申します」


「お前、ちゃんと結婚していたんだな」


「恵琉さん、こいつに敬語は不要ですよ」


 自己紹介をしつつ、改めて目の前の二人の男性を観察する。色白で細身の幸薄系の男性と、色黒で小柄な体格のしっかりした男性。一見、接点がなさそうな二人が、親し気に会話している。


『年下わんこ系攻め×年上クール受け』


 つい、思ったことが口から出てしまう。しまったと思ったが、当事者である二人の男性は、自分たちの会話に夢中で恵琉の独り言に気付く様子はない。それにしても、ずいぶんと仲が良い二人である。仕事場での知り合いとは思っていたが、それにしては距離が近い気がした。


「もしかして……」


 恵琉は自分の想像に思わず頬を緩めてしまう。もし、それが本当だとしたら、これは自分の計画を進める絶好の機会ではないか。夫にその気はないようだが、相手の親密すぎるスキンシップを見る限り、あるいは。


「ゴホン」


 いろいろと問い詰めたいことは多かったが、恵琉は自分が仕事中であることを思い出す。仕事である以上、私情をはさんではいけない。あくまで店員として、声をかけてきた男性に服のアドバイスをするだけだ。恵琉は二人の会話を遮るように、大げさに咳ばらいする。さすがに成人男性二人が店内で騒ぐのは恥ずかしいと思ったのか、彼らはすぐに口を閉じて静かになった。


「お取り寄せはなさいますか?」


 視線をこちらに向けてきたため、恵琉は男に問いかける。男はなぜか顎に手を当てて思考を始めた。先ほどは取り寄せるような感じだったのに、どうしたのだろうか。とりあえず、男が考えている間に、恵琉は夫の幸に、目の前の男の情報を聞きだすことにした。


「ねえ、幸、彼とはいったいどんな関係?」


「あいつのことはまた、家で話すよ」


 つい、小声で夫に話しかけてしまったが、夫の方も恵琉に合わせて声を潜めて返事する。家で話してもらわなくても、簡単に説明してくれるだけでいいのに。恵琉は簡単には説明できない相手なのかと、夫をじとりとした目で見てしまう。



「そうだなあ。取り寄せにしてもらおうかな。取り寄せれば、またこの店に来る口実になるしね」


 ようやく、考えがまとまったのか、男が口を開いた。そのため、恵琉は彼のことを夫から聞くことができなかった。取り寄せというなら、手続きをしなくてはならない。恵琉は彼らをカウンターに案内して、取り寄せの手続きを取ることにした。


「では、こちらで取り寄せの手続きをしますので」


 夫と男をカウンターに案内して、取り寄せる商品のサイズと色を再度確認する。そして、カウンターに置かれていたタブレットに商品のタグを読み取らせる。そのまま取り寄せのページを開いて、男が見やすいようにタブレットを置いて指示を出す。


「お名前と連絡先をここに入力してください」


「わかりました」


 恵琉は自分の言葉にハッとする。幸に聞くことなく、簡単に相手の名前を知ることができた。さらには連絡先も合法に聞くことができる。とはいえ、それを私用で使うことはできない。そんなことをしたら、個人情報の問題で捕まってしまう。いずれ離婚する身で仕事を辞めるわけにはいかない。まあ、男の名前を脳内に記憶することは別に構わないだろう。


 男は素直に渡されたタブレットに必要事項を入力していく。恵琉はタブレットに入力する手元をじっと目に焼き付けるように見つめる。そんな妻の様子を夫の幸は無表情で眺めていた。


「ああ、そうか。そうだよね。自己紹介がまだだったね」


 あまりにもじっと見つめすぎたせいだろうか。男は恵琉の視線に気づいて苦笑する。恵琉は入力を終えたタブレットに記された名前を口にする。


波多野雷はたのらい


「そうそう。らいってちょっと変わった名前だよね。でも、おぼえやすいでしょ」


 彼は夫の幸とお似合いのカップルになりそうだ。わざわざ恵琉の前に二人で現れたということは、運命かもしれない。電話番号も入力されていることを確認して、取り寄せの手続きは完了する。


「では、こちらの電話番号にショートメールを送りますので、届きましたら、またこちらの店舗に来てください」


「わかりました」


「シャツがなかったなら、もう、店に用事ないだろ。恵琉さんも仕事だから、さっさと店を出るぞ!」


「わかった」


 恵琉が仕事中であることを配慮して、夫の幸が気を利かせて店を出ようと言い出した。特に異論はないのか、波多野という男は素直に幸の言葉に従った。


「じゃあ、恵琉さん。お仕事頑張ってくださいね」


「また会おうね。恵琉さん」


 二人は恵琉に挨拶をして店を出ていった。名前を伝えたからか、気安く名前で呼ばれてしまった。遠慮というものを知らない人種らしい。


「あのう、あそこの上の商品をとってもらえないかしら?」


 恵琉は二人が店を出てからもしばらく、店の外を眺めていたが、お客に声をかけられて我に返る。少し、ぼうっとしていたようだ。


「かしこまりました。脚立を持ってまいりますので、少々お待ちください」


 脚立を使って要望通りの服を棚からとってお客に渡す。頭の中は、先ほどまでの二人のことでいっぱいになっていた。


 どうして、外泊していた夫が仕事の同僚と恵琉の店にきたのか。その疑問が頭によぎることはなかった。

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