は?でもお前の小説読まれてねぇじゃん。
なろう読者の皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
外に出ることもなく、人と話すこともなく、キーボードを打ち付けモニターとにらめっこする日々もいよいよ大詰め。
2022年も終幕を迎え、次の年を迎えようとしているその準備期間たる11月。
もはや時間という概念なんてなくなって久しい方も多いであろう読者の皆さん、おはようございます。目覚めの時間です。
さて、私はといえば最近、作家さんを集めて互いに交流を図るというディスコードサーバーを作ってみました。
これがなかなかに面白いもので、もうどんな話題でも関係なく一人一人が自分の話したいことを話すという、混沌とした状況になっているのです。
まあ、それについてはなんでもいいのですが、その中でも私の目を引いた話題が一つ。
「野望」
です。
高校生メンバーが中心になって語る、自らの野望。
曰く、アニメ化。
曰く、書籍化。
曰く、自分の作品で感動MADを作ってほしい。
これに対して私、思ったのです。
「まずは形から入れよ」
と。
という事で、形から入るという事の重要性について私が思ったことを書きなぐっていきたいと思います。
***
見た目という第一関門を越えなければ、中身という第二関門に向かうことはできない。
美人は三日で飽きるが、ブスに一日目はない。
単刀直入に言います。
「アクセス数を稼げてないのに作品の中身を変えても意味なんかねぇよ」
はい。
ことなろうにおきましては、そもそも読まれなければ意味がありません。というか全部です。
だってそうでしょう?
作品で泣いて欲しいとか、評価が欲しいとか。
そもそも読まれなければお話にならないのです。
なのにもかかわらず。
やれ「このシーンがどうだからもっと見てほしい」とか。
やれ「このキャラクターの感情の変化が秀逸だからもっと読んでほしい」とか。
違うのです。
そんなものはさほど重要じゃない。
重要なのは、「いかに読まれるか」なのです。
高校生作家さんたちが嫌っている長文タイトルの作品、中身が薄いと馬鹿にしてきたなろうテンプレ、読みづらいといって切り捨てた作品。
その全てに君たちは劣っているのです。自覚をしましょう。
だって、その作品は読まれているから。
君らの作品は読まれていないのに。
いかに面白い話を書こうが、読まれなければそこに意味なんてありません。
当たり前の話です。
逆に言えば、チラシの裏にでも書いとけと思うような駄作でも、読まれていればそれを面白いと思ってくれる人が必ず存在するのです。
つまり、作品の中身をどうするかよりも、まずは外面をどうにかした方がいいのです。
感動的な内容?
熱い展開?
かわいい女の子のかわいいシーン?
読まれなければそんなのただのシュレーディンガーです。
「アニメ化したい」
「もっと評価されるべきなんだ自作は」
「なんで誰も見てくれないんだ私の作品を」
まずは見た目から入りましょう。
壁につる草が絡みついた汚いアパートに入ろうと思いますか?
火事の跡が残ってる呪われそうなカフェに入ろうと思いますか?
必要なのは作品の中身をよくする努力じゃないのです。
作品のアクセス数を増やす努力なのです。
形から入ることが大事なのです。
***
ということで総括。
ナヒーダちゃんはかわいいです。
以上、読み専なろうユーザー草神を唯一神にする会会長の麦でした。
書き殴りなので文章がおかしかったりするかもしれません。