愛を切り捨て跳ね除けた
「……お嬢様、無礼を承知でお願いがございます」
長々待って、ようやく口を開いたと思ったらこれ。
「何よ?」
突き放すように一言返す。
二人目の長話、しかも散々合間合間に待たされて……イライラは最高潮。
何よ、まさか『愛してほしい』だとか『やり直そう』だなんて言わないわよね。勘弁してよ?
「その……その、大変申し上げにくいのですが……今首に掛けていらっしゃるそのネックレスを、どうか私に譲っていただけないでしょうか?」
唐突すぎて何を言ってるのか一瞬分からなかった。
「あなた、まさか……!」
まさか!これを狙っていたっていうの?!
この、大切な私のネックレスを!
ぎらり、と私の胸元で宝石が光る。
「ふざけないで!あなたずっと狙ってたのね、これを!わざわざここに来たのもそのためだったのね!」
「違う!聞いてくれ!」
「物乞いなんて、なんて卑しい男!でも、渡さないわよ!これは私のものなの!」
「違うんだ!君を救うための、最後の手段なんだ!お願いだ、聞いてくれ……!」
「何言っても無駄よ!絶対に渡さないわ!」
両手で宝石をぎゅっと握る。
胸の前に抱え込むようにしっかりと、離さないように。
「今すぐ手放すんだ!早く!それはただの宝石なんかじゃない、人を狂わせる『魔の宝石』だ……!」
「はぁ?そんなデタラメ言ったって、効かないわよ!」
何よ、いきなり意味不明な事言って!
そんな事言ったって私は騙せないわよ!
「嘘じゃない、本当の事なんだ!僕を信じてくれ……!君が持っていては駄目だ!今すぐ渡してくれ!早く!さあ!」
「私から奪って、どうするっていうのよ?」
「砕いて壊すんだ!形が見えなくなるまで、粉々になるまで……!本当は完全に消してしまいたいくらいだ……だけどなにせ世界一硬い宝石、粉末以上に細かくするのは至難の技。でも、それでも、ほんの僅かでもいいからなんとか分散させて、その魔力を弱らせておけば……いずれ君は正気に戻れる!助かるんだ!」
長い言葉をほぼ一息で言い切った彼はようやくここで一旦大人しくなった。
息が上がり、肩が激しく上下している。
「……そんな!嘘よ!」
なんですって?!これを、『壊す』ですって?!
はぁ?!馬鹿な事言わないでよ!
「あるいは……魔力に飲まれもはや悪魔と化した、君を消すしかない。救済法はそのニ通りだけだ」
「……」
「でも、そんな事無理だ……君に刃を向けるなんて、できない……」
「だからって、これを壊すつもり?!」
「そう、だから僕は宝石を壊す方を選んだ。それは君のお気に入りだ、常に身につけているほどの……それを壊してしまうなんて本当に心苦しいよ。どうにか他の方法でできないかって必死に調べた……それでも駄目だった。他に方法はなかった」
怒りに震える私の方に王子は手を伸ばした。
ふっと穏やかになった彼の声は、まるで聞き分けの悪い子供を諭すかのようで。
「そう、だから……分かったろう?君は賢い女性だ。大人しくそれを渡してほしい……君を失いたくないんだ。だから、どうか……」
「はぁ?!なによそれ!そんな!馬鹿な事言わないで!」
伸ばされた手を払いのけ、キッと睨みつける。
嫌よ、嫌!絶対誰にも渡さないわ……!
この宝石を手にしてから、私の周りにいい男達が現れるようになったの。
これのおかげで、たくさんの男が手に入った。
これのおかげで、この世の至高の宝……愛がたくさん手に入った。
大勢に愛されてちやほやされたかった。それが私の本当の願いだった。
いけない事だからとずっと我慢してた、心からの欲望。
口に出すのも憚られて誰にも言えなかった、本当の気持ち。
でも、これは叶えてくれた。
おかげで私は本当に幸せになっていった。
この黒い魔性の輝きが、私の心からの本当の欲望を満たしてくれたの。
私が本当に欲していたものを与えてくれたの。
……なのに!だというのに!
壊すだなんて、とんでもないわ……!
絶対渡さない……意地でも渡すものか……!
やっと手に入れた私の幸せ……そうそう簡単に手放してたまるものですか……!
これは永遠に私のものよ……!
「……!」
ふいに、何者かが駆け寄ってくる気配がして慌てて振り向く。ツカツカと響くヒールの音。
しかし、相手の方が早かった。
あまりに突然の事にどうすることもできず。
無防備な私をパーンと乾いた音が襲った。
それは、掌が私の頬を打つ音。
「なっ……?!」
その手の主はあの女だった。
直後に来た二発目をすんでのところで避けると、キッと相手を睨む。
「ちょっと!痛いじゃない、何すんのよ!」
「痛い?他の人間の方がよっぽど痛い目にあってんのよ!」
「はぁ?!それがなんだっていうのよ!」
「いいから、とっととそれを寄越しなさい!みんな迷惑してるのよ!」
「嫌よ!」
そう答えた瞬間、横から大きな物がぶつかるような強い衝撃。
悲鳴をあげる間も無かった。
体はふわっと浮かび上がり、視界がぐるりと回っていく。
そして激痛。
頭が床にぶつかり……腕や背中、そして脚も、上から順番に次々叩きつけられて。
どうやら兵士の一人に思い切り体当たりされたらしい。
椅子は弾き飛ばされ、少し離れたところに倒れていた。
痛む頭をさすり、ヨロヨロと起き上がる。
「っ……ぐっ!よくも……」
ふと、首の周りがいつもより軽いことに気づく。
ネックレスが……あの宝石のついた、ネックレスが……無い?!
取られた……!
頭がじんじんと痺れている。
強く打ったせい?それとも、あの宝石を失ったせい?
体がなんだか急に重くなってきた。
立っていられなくなった私は床にしゃがみ、座り込む。
低くなった視界にずらりと並ぶ鋭い剣先。
「返して!返してよ!ねぇ!返しなさいよ!」
誰も答えない。
辺りを見回すとあの女の手の上で光っているのが見えた。
「とっとと返しなさい、それを!」
彼女は無言でその手を背中に回し、隠してしまった。
「その宝石がなくっちゃ私……もう幸せになんてなれないじゃない!」
ぐったりしていた男の体がぴくっと僅かに反応した。
重そうな首を少し持ち上げて、こちらをぼんやり見つめ口をパクパクさせている。
何か言っているようだけど、分からない。
「それがなくちゃ駄目なの……!愛が全然足りないの……!そんなの……!」
王子の鎧もガチャっと大きく震えて。
兜越しだけど、彼も何か言いたげな顔をしたように見えた。
「ここで終わってしまうっていうの……?!私の幸せが……!」
もう私を助けてくれる人はいなくなった……二人とも、私が受け取らなかったから。
従者は私が捨てた。その愛を切り捨てた。
王子は私が拒絶した。その愛を跳ね除けた。
そうして今、誰も私を助けてはくれない。
宝石も失った。あの不思議な力はもうない。
本当に今の私には何もなくなってしまった。
目の前が真っ白になっていく。頭が思考を放棄している。
もう……私は……