食い違ったままの歯車
あれほどざわついていた部屋が、急にまた静かになった。
しーんとしているけど、どこかピリピリとした空気。
向こうはどうやらこちらの出方を窺っているようで。
さて、どうしましょうか。圧倒的に私が不利。
今すぐ殺される事は無さそうだけど、困ったわ。
なんとか打開しないと……
そうして次の一手を悩んでいると、ふと視線を感じた。
あら、また私を見てるのね。
初めてなんかじゃない。さっきからずっとこう。
間隔を空けて何度も何度も、まるでこちらを監視するかのような視線が私の一挙一動に張り付いてくる。
隠してるナイフに気づかれた?
いや、ドレスの下だもの。外から見える訳がない。
何よ。そう何度もジロジロ見ないでよ。
苛立ちを僅かに滲ませつつその方向に体ごと大きく振り向くと、異質な雰囲気を纏う兵士が一人。
その瞬間目がぱちっと合ったけど、すぐに逸らされた。
何よ、今度は。一人終わったからまた次って?
なんだか忙しないわね今日は。厄日かなんかかしら。
面倒とはいえ、さすがにもう黙ってられないわ。
しつこい男は嫌いなの。
「……ねぇ、あなた」
呼ばれてびくり、とその肩が跳ねる。
兵士達の中で彼だけが鎧だけでなく兜までしっかり被っていた。まるで戦地に赴くような全身の装備。
目元だけ残し、あとは全て分厚い鋼で覆われている。
まるで体を隠すかのような、過剰なほどの防御。
部屋に入ってきた時からなんとなく一人だけ浮いていて、ずっと違和感を感じていた。
その正体はもう分かっているわ。
そもそもあの人だって分かっているから声をかけたんだから。
けれど、ここに来た理由が全く思いつかないのがなんだか気持ち悪くって。
「あなた、どうしてここに?」
ちらりと視線を送るも、無言。
「あら?そこのあなたよ、あなた」
ここまで言ってもやはり答えない。
はぁ〜と大きくため息をつくと、再びその肩が大きく跳ねた。よほど緊張しているらしい。
「兵士達に全部任せて、部屋でゆっくりお茶でもしてればよかったのに。わざわざ来るなんて……」
含みを込めて視線を送ると、わずかに身じろぎをして鎧がカチャカチャと鳴った。
表情はほとんど分からない。それでも、その動揺っぷりははっきりと見てとれるレベル。
このまま正体を隠して、終わるまで静観しているつもりだったんだろうけど……
残念、そうはさせないわ。
「……ねぇ、王子?」
待てど暮らせど、返事はなく。
やだわ、これじゃあ私の独り言じゃない。
「なによ。せめて、なんか言いなさいよ」
少し間を置いて答えを待ってはみたものの、反応はない。
これじゃあまるで、鎧を着たお人形に話しかけてるみたいだわ。
あくまでこのまま他人のフリで押し通すつもりなのね。
まぁ、なんて強情な。
「もう、拉致が開かないわ……もういい、もういい、分かったわ」
正体はもう十分分かってるけど、そこまで見せたくないっていうならいいわ。
そういうことにしといてあげましょう。
「それじゃあ改めて……兵士さん、あなたに聞きたいことがあるの」
「はっ、どのようなご用件で?」
セリフこそ違っているけど、その声はおんなじ。
全身きっちり鎧を着込みあくまで兵士のフリをしているけど、その優美で柔かい音色は隠しきれていなかった。
あまりに隠す気の無い変装で笑いが漏れそうになるも、唇を軽く噛んでなんとか堪える。
「もしも、もしもの話よ?この場にもし、王子が来ていたら……」
「……!」
「彼は、どうするかしらね?」
もちろん、こうやって話を振ったのはわざと。
わざと仮定の話にする事で、代理という形で彼自身の言葉を引き出す……きっとそこにはその企みの断片が滲み出てくるだろうから。
彼もそう言われて、なんとなく私の真意に気づいたはず。
さすがにそこまで間抜けな男じゃないって知ってるもの。
さて、どう答えるかしら?
馬鹿正直に答えるなんて思ってないけど……かといって適当に誤魔化すのも、なかなか厳しいはずよ?
「……いや、彼はもうあなたに会うことはないでしょう。殿下自身でそう決められたのですから……もう、会わないと」
「あら、それはどうして?」
「っ!そ、それは……」
「それは?」
ひゅっと息を呑む音が小さく聞こえた。
「……っ、本当に愛していたんだ、彼女を。だから、日に日に狂っていくのを見ていられなかった……元の彼女を知っていたからこそ、苦しかった……だから、一刻も早く止めてあげたかった……」
兜越しで籠った声が、より一層くぐもって小さくなる。
微かに震えているようにも聞こえた。
おそらく、彼は泣いている。
「……でも、できなかった。どんなに書物を探しても、いくら学者や賢者に尋ねても、良い解決法を見つけることができなかった」
なるほど、だから最近あんなに慌ただしかったのね。
そういえば、その前に『君を助けたい。だから、少し待っていてくれ』とかなんとか言ってたかしら。すっかり忘れてたわ。
そんなに忙しなく駆け回って、でもたいして成果も得られなかった。
ふふっ、可哀想に。
「結局、愛する者を救う事ができなかった……!その暴走を止める事が!できなかった……!」
助けられなかった事を後悔している、と。
といっても、私自身は特に助けも何も求めてはいないのだけど。
「彼女のつらい生い立ちは知っていた。両親に愛されず育ち、人の愛に飢えている事も分かっていた。なのに、うまく想いを伝えられなかった。こんなに美しい女性と結婚できるなんてって有頂天で……彼女を喜ばせるための盛大な結婚式に、二人でくつろぐための別荘、それに薔薇好きの彼女のための新しい庭園……そんな事ばかりに夢中で、本人の気持ちをまるで無視してしまっていた。本当に愛していたのに、彼女には全く伝わっていなかった。その心の渇きを癒してあげていれば、こうはならなかったというのに……」
そう言われてみれば、そんな事もあったかしらね。
結婚前の楽しい期間だというのに、あなたは大臣達との打ち合わせばかりで……私なんてほったらかし。
大臣と結婚する気なのかしら?なんて思ったほどよ。
それでも、そんな24時間常に打ち合わせしている訳でもないし……一日のほとんどの時間を一緒に過ごしていたのだけど、あなたは何を話しかけても上の空だった。
愛してくれていたのは分かっていた。その行動が愛ゆえなのも知っていたわ。
でも、心はそれじゃ満たされなかった。物足りなさが勝ってしまった。
そう。それから、どんどんどんどん……あれが足りない、これが足りないって思うようになって……
「だから、だから……!」
ふと窓の外で鳥が大きく鳴いた。
はっと我に返った彼は、言いかけた言葉を唾液と共に飲み込む。
ああしまった、自分は兵士の役だったとでも思っているのかしら。
あなた、演技が苦手だものね。ポーカーなんて一度も勝ったところを見たことがない。
「だから、あなたに会う資格はもう無い……と王子はお考えのようです」
さっきとは打って変わって淡々と、そしてきっぱりと……一言そう締めた。
その意志は固いようだった。
私の処刑に『王子』としては立ち会わないつもりらしい。
「そう。残念ね……最後だし、一目でもいいから会いたかったのに」
兜の隙間から僅かに見える視線。じっと私を見つめている。
えっ、そんなに驚くほどかしら?
本心よ、本心。
会いたいっていうのは、嘘じゃないわ。私の本当の気持ちよ。
身分を偽っているとはいえ、今こうして直接会えてよかったと思ってるわ。
なぜって?
そりゃあ、このまま放っておいたら……王宮関係者の誰かがいつか刺客を送ってくるかもしれないじゃない。
彼らにとって都合の悪い存在……私の事を隠すために。完全にこの世から消すために。証拠隠滅。
だからね、会いたかったのよ。
向こうから来てくれたらとっても楽だもの。
直接会って、しっかりその息の根を止めておきたいの。
ちゃんととどめは刺しておかないと、ね?
せっかく生きて帰るんだから、危険要素は潰しておかないと。
ああ、大丈夫。大丈夫。
王子が死んだってうまく大臣か誰かが隠してくれるわ。
公に知られたら、都合が悪いもの。
どう殺すかが問題なのだけれど……そうね、ネックレスでその首をキュッと締めてあげようかしら?
それが一番手っ取り早いし。
愛なんて、もう無い。
だから、残念ながらそっちの『会いたい』じゃないのよね。
「そう、ですか……」
彼はというと、一言そう答えるなり何やらしばらく考え込んでいた。
私の言葉、どう受け取ったのかしら。
まさか、まだ愛しているとでも思った?