たった一人の味方でありたかった
「周りの人間がどうなろうと私には関係ないもの。正直どうでもいいの。それより、そろそろ本当に退屈なのよ……もう十分喋ったでしょう?」
そう言って大きなあくびをして足を組み直す。
これじゃあ、まるで国王陛下の式辞のお言葉じゃない。
無駄に長ったらしくて綺麗事ばっかりの。
「いえ、もう少し……もう少し、お話をさせてください!ここからが本題なのです!私の本当の気持ちなのです!」
「さらに続きがあるって言うの?もううんざりだわ……」
「まだ諦めきれないのです!どうかもう一度!もう一度、チャンスを……!」
「チャンス?何を言おうと無駄よ。私は変わらないわ」
「しかし!そこをなんとか……!」
「……」
「どうか、どうか、お願いします……!せめて、聞いていただくだけでも!」
「……」
「どうか!どうか!お嬢様……!」
随分と必死ね。見ていて可哀想に思えてくるほどに。
「そこまで言うなら、聞いてあげてもいいけど……手短にね」
「……!ありがとうございます!」
荒い呼吸のまま、彼は勢いよく続ける。
「お嬢様!どうか、どうか……!元に戻っていただけませんか……!」
『戻る』?
「はぁ?何の事かしら」
「いつからか、突然お嬢様は変わってしまいました……まるで人が変わってしまったかのように。趣味だった乗馬も、お気に入りの薔薇の世話も、お忍びで街に出て民とお喋りに興じる……なんて事もしなくなり、狂ったように毎日毎日男に溺れるようになってしまった……」
「……」
「一体、お嬢様の身に何があったのか……どうか詳しく教えていただけませんか!」
勢いよくその場に跪くと、こちらをじっと見上げた。
私を体ごと射抜くような鋭い視線。
これがイケメンだったらゾクゾクしちゃうんだけど、相手が違う。ただただ気持ち悪いだけね。
何か核心があって言っているようだけど、正直私にはなんのことやら。
「ええっと……ちょっと、意味がよく分からないのだけど……」
「私にできる事ならなんでもします!元のお嬢様を取り戻せるなら、この命いくらでも捧げます!周りからどう思われようとも構いません……それでも、私は!私だけは……!お嬢様の味方であり続けたいのです……!」
ハンカチで拭って乾いたはずの瞳はまた潤いを取り戻していた。
何かを堪えるように二、三度強く瞬きをする彼。
しかし、その努力も虚しく大粒の雫がぼたり、ぼたり、と次々こぼれ落ちていった。
「そう言われても……私は私よ?ずっと今まで通り、何も変わってないわ」
「何か一人で苦しんでおられるのでは?」
「いいえ」
「何かつらい出来事があったのでは?」
「いいえ、全然。色々あって今こうして孤立してしまった訳だけど、それでも一人静かに本を読んだり、お茶を飲んだり……なんだかんだ毎日楽しんでいるわ」
そう言ってにっこりと優雅に微笑んでみせる。
安心して、私は元気よ。そう暗に伝えたつもりだった。
だというのに、笑う私を見て彼は顔を引き攣らせた。
まるで化け物でも見るかのような、恐怖の顔。
「なによ、その態度。私をなんだと思ってるのかしら」
「……はっ!これはこれは!」
「まったく、失礼しちゃうわ」
「も、申し訳ございません!」
「謝罪はもういいわ、まだ喋るっていうならもっと違う話をしてちょうだい。もちろんお説教以外でね」
「はっ、かしこまりました。ならばそれでは……話題を変えまして、今度は少しばかり私自身のお話を」
「あら、あなたのお話?面白そうね、続けて?」
「はい……私は、奴隷の家系に生まれました。家はあなたの隣でしたが、ある程度成長し売りに出された私はそこを離れて貴族の屋敷にいました。代々ずっと誰かしらの所有物で、自由なんて無かった。私は物心ついた頃から諦めていました……親のように私も限界までこき使われ、動けなくなればボロ雑巾のように捨てられると」
「……」
「しかし……ある日、あなたと出会った。王子との婚約が発表される数日前の事です。たまたま私のいる屋敷の前を通りかかったあなたは、心も体もボロボロの私を見てひどく悲しまれました。そしてなんとか救いたいと、こうして従者として雇ってくださった……」
「あら、そうだったかしら。泥と傷まみれの汚い男がめそめそ泣いていたことくらいしか記憶にないわ」
「私ははっきり覚えております。いやむしろ、あの時のとてつもない衝撃は忘れようがありません。あれほど過去にひどい仕打ちを受けておきながら、人を恨む事はなく……むしろいつも人のためを思っておられた。まさかあんな過酷な環境から、こうも素晴らしい人間になられるなんて……」
「へぇ。そこまですごかったの、私?」
「ええ、それはまさに聖女と呼ぶにふさわしかった。仕事のないものには仕事を与え、食べ物に困っているものには分け与え、道で倒れている者がいれば必死に看病し……」
「すごいわね。そんな事までしてたの?全然覚えてないわ」
「いえ、それこそが昔のあなたであり……本来のあなたでした。貧しい者にも分け隔てなく優しく、いつも朗らかによく笑う……とても素敵なお方でした」
「そう。昔すぎて忘れちゃったわ」
「今ではもう、見る影もなく……本当にすっかり変わってしまって……」
しばらくの沈黙。
周りの兵士達は未だにみじろぎ一つせず、じっとこちらを睨み続けている。
よく同じ姿勢で長時間待っていられるものね。訓練の賜物かしら。
あの女はというと、離れたところで一人優雅に扇子を仰ぎながら窓の外を眺めていた。
話し込む私達二人に気を遣って、わざと距離を取っているようで。
ふん、どこまでも鼻につく女だわ。
「……ならば、仕方がありません」
腰に下げていた剣を鞘から抜く彼。
光を反射し、ぬるりと輝く銀色の刃。
「もう一度、昔の宮廷社会を取り戻すために……!もう一度、『お嬢様』を取り戻すために……!」
ゆっくりと私の方に剣先を向ける。
「私は、私は……!あなたを止めます……ここで!」
静かな部屋に彼の宣誓の声が響く。
勢いがあるのはいい事よ。とはいえ、主に剣を向けるなんてね。
「その剣で私を貫くつもりなのね」
彼は何も答えない。
「……いいわ」
「へっ?!」
素っ頓狂な声を上げる彼。
そんな驚くなんて。私はいたって真面目よ?
「いいって言ってるの。主人を殺すなんて、確かにとんでもない事よ……でも、相手が私であればきっと誰からもお咎めはないはず。みんな私の死を望んでいる」
「あの……お、お、お嬢様?」
「だから、許可しましょう……その剣を」
「それは一体、どういう……?」
「この分からず屋。殺していいって言ってんのよ」
「そ、そんな……!」
「といっても、できるかしら?あなたに」
「……!」
無言になったかと思うと、徐々に体の力が抜けてへなへなと床にへたり込んでしまった。
突然の事態に部屋は騒然となった。
周りの兵士におい!大丈夫か!といくら聞かれても、強くガクガクと体を揺すられても、それはまるで魂が抜けたかのようにぐったりと動かない。
彼の瞳からするすると流れ落ちる雫。
静かに頬を伝うそれは……すすりもせず、ぬぐいもせず、ただ重力に引かれ下に向かっていく。
あはははっ、ば〜か!ほ〜ら、殺せない!
私の読みは合っていた。
あなた、私を愛しているんでしょう?
愛する人を救うつもりなんでしょう?
何よ。結局口だけ、勢いだけじゃない。とんだ臆病者ね。
いやむしろ、愛しているからこそ殺せないとでも?
そんな感じのシチュエーション、私知ってるわ。
愛する女性を守るため、自らの手で殺す事になってしまった騎士。
何か本で読んだのか、人から聞いたのか……はたまた夢で見たのか。
なんだったかしら……う〜ん、思い出せない。
でも今の状況ほぼそっくりそのままな内容だったわ。
たしか、喋り方もこんな感じだった。
別にそれを真似したくて言ったわけじゃないのだけど、すごい偶然ね。
でも私はそれとは違うわ。
だって死んでないもの!あははっ!
あはははっ、なんて馬鹿なの……笑っちゃうわ、ほんと馬鹿。
気づいていたわよ、あなたの分かりやすい好意なんて。
でも全然好みのタイプじゃないし、堅すぎてお喋りもつまんなかった。
論外だったの。眼中に無かった。
好意なんて全然ないし、ただのどうでもいい男よ。
だから。
あなたは私を殺せなくても、私はあなたを殺せるわ。
その気になれば、ね。
泣き崩れる彼の背中を蹴飛ばすと、蛙の潰れるような声と共に床に倒れた。
足の裏を彼に向けたまま、細いヒールを首に思い切り突き刺す。
「っぐぅ……っ!」
悲鳴が上がるなり、周りの兵士が一斉に私に剣を向けじりじりと近づけてきた。
とうとうその時が来たかと身構えたけど、それは私の体すれすれのところでピタッと止まり。
皮膚にギリギリ当たらない、まさに紙一重の位置を保ってそこに留まっていた。