悪役令嬢なんて呼ばれて
※悪役令嬢視点
「ねぇ、」
目の前の男はさっきからうんうん唸ってばかりで何も答えない。
ここは彼の書斎。
高い本棚に囲まれたなんとも狭い空間に、分厚い本が所狭しと並べられている。
「ちょっと、ねぇってば」
返事はない。
渋い顔をして顎をしきりにさすりながら、なにやら真剣に悩んでいる様子。
「ねぇ!ちょっと!」
パーンと肩を引っ叩く。一応これでも今日はまだ優しい方。
「ひゃあっ!……な、なな、なんだい?」
情けない声を上げてようやくこちらを向いた彼。
「いつまでそうやって悩んでるつもり?」
ここ最近の彼の悩みの種……それはある一人の女の事だ。
婚約者がいるというのに、何度もしつこく迫ってくる図々しい奴。
その女にだって婚約者がいるのに、だ。
それもこの国の王子だっていうのに……
「ええっ……それができたら苦労しないよ……」
「キッパリ断ればいいだけじゃない」
それができれば苦労しないよ……とかなんとか小声でぶつぶつぼやいて最後に大きなため息をつくと、またうんうんと悩み始める。
彼はとても人思いで、優しい性格だ。
でも裏を返せば優柔不断という事でもあって。
こういうところ、傍で見てるとついついイラッとしてしまって。
「もう!アンタがそういう態度だから、相手がつけ上がるのよ!」
「え?あ、ご、ごめん……!」
キツい口調になった途端オロオロし始める彼。
元々ですらハの字眉なのに、さらにこれでもかってくらい下がる眉尻。
「別に謝れって言ってんじゃないわ」
「怒ってない?本当に?……よ、よかったぁ」
私が怒っているかどうか。いつもそれが彼の一番の関心事。
気にするのはそこじゃないでしょ、って毎回言ってるのに一向に治る気配もなく。
こんなのが私の婚約者だなんてね。
いや、こうだから私の相手なんてしてられるのか。
「もういい加減、はっきり邪魔だって言ってやったら?」
「でも……」
「『でも』?」
「……」
「何よ、あの女が好きになった?」
「ち、違う!それは違うよ!」
「あら?そうかしら?」
「そうだよ!当たり前じゃないか、僕が好きなのは君だけなんだから!」
「……」
「前も言ったと思うけど……僕はね、この先ずっと一人で生きていくつもりだった。過去に嫌な事があって、それ以来女性が怖くて仕方なかった」
「ええ、知ってるわ。晩餐会じゃいつも女から逃げ回っていたものね。逆に男好きなんじゃないかって噂まであったくらい」
「そう。でもね、君に出会って変わったんだ。と言っても君も女性だし、全く怖くないかと聞かれたら……う〜ん、たまにちょっと怖い時が……」
「あら?」
ひっ、と小さく声がした。
私、そんなに怖い?と目力強めの笑顔で尋ねると彼は弱々しく首を横に振った。
「や、や、やっぱりなんでもない……」
「そう」
「けど、でもね。君の笑顔を見るためなら僕はなんでもできる。今のこの騒動だって、必死にあれこれ奔走してるけど全然疲れなんて感じないよ……むしろこんな僕が頼りにされてるんだ、ってなんだか嬉しくて」
「……」
「もしかして疑ってるかい?ほんとだよ、ほんと。君が幸せそうな顔をしているだけで僕は嬉しい。君が笑っているだけで僕はこの上ない幸せを感じられるんだ。だから……」
「ちょっと!急に何言って……!」
「だから、本当に君を愛し……んむっ!」
長話なんて聞いてられないわ、なんて言いながら唇を強引に塞ぐ。
急に始まった歯の浮くような言葉の羅列、なんだか聞いてられなくて。
べ、別に、恥ずかしいから耐えられなくなったとかそういう訳じゃないのよ!ほんとよ、ほんと!
えっ顔が赤い?ち、ちち、違うわよ!部屋が暑いのよ!
ゆっくりと顔を離し、深呼吸。
赤い顔を無理矢理元に戻し、なんとか冷静を装う。
目の前の男はというと、目を丸くして固まっていた。
彼もまた真っ赤な顔で。
なによ、そのリアクション。
まるで私だけが恥ずかしい事をしたような雰囲気だけど……元はと言えば、あなたの小っ恥ずかしい発言が始まりよ?
聞いてる方が恥ずかしくなるようなくさいセリフを、ああもサラッと言えるんだから……誘いを断るなんてもっとずっと簡単でしょうが。全くこの男は。
彼は余韻に浸っているのか、魂が抜けたかのようにぽへ〜っとしていて。
体の周りになんだかキラキラしたオーラが広がっていて、小さい花がぽわぽわと浮いている。
それが若い女の子なら微笑ましいけど、目の前にいるのは残念ながら成人男性……
ツッコミどころは色々あるけど、とりあえず置いといて。
「なら、断りなさいよ」
「……ふぇ?」
眠りから覚めたかのような、なんともふにゃふにゃな声。
夢見る乙女かよ。
「あぁ……いや、それが難しいんだよ……」
「どこがよ?」
「だってさ。だって、どううまく言ったってさ、あの人を傷つけちゃう事になるだろ?」
なにそれ。女子かよ。思春期かよ。
「そんなの、向こうが完全に悪いのよ?しょうがないじゃない」
「そうだけど……だけど、あの人どこか様子がおかしいだろう?もしかしたら悪い魔法にかかっているのかもしれないし、何か難しい事情があるのかもしれない……」
「なによ、気を使わなくたっていいのよあんなの。どうせ面の皮厚いんだろうから時間経てばケロリ、よ」
「そうかなぁ……」
「だって思い出してみなさいよ、今までの嘘八百。息をするように嘘をつくのよあの人……まさかそれすら魔法のせいだって言うの?」
彼女のついた今までたくさんの嘘。
おかげで私は散々苦しめられた。
どれも出まかせでその場の思いつきの、全くでたらめな話ばかり。
その始まりは……彼女の屋敷に呼ばれたあの日、階段を降りていた時だった。
隣を歩いていた彼女は、途中の踊り場で突然床にしゃがみ、泣き始めた。
具合でも悪くなったのかと心配していると、慌てて駆けつけた侍女たちに、酷いわ!あの女が階段から突き落としたのよ!なんて急に言い出して。
びしっと指した指の先には私。
これを私の目の前で堂々と、よ?
ほんと、よくそんなことできるわ。ある意味感心しちゃう。
もちろん、私だって黙っちゃいられない。必死に弁解した。
彼女には怪我一つないのに、どうしてそう言えるのかって。
でも、ハンカチを顔に当ててさめざめと泣く彼女に一体何人騙されたか。
元々周りにはよく思われてなかった、私。
言われたら言い返す。やられたらやり返す。
相手が誰であろうと、言いたいことがあればはっきり言う。
それが私の性格。
常に笑顔、なにされても黙って耐えて、静かにお淑やかに……なんてやってられない。そんな性分。
だから、可愛げの無い女だとか性悪女だとか陰で色々言われてるのは知ってた。
だからそのせいもあったんでしょう、きっと。
その日からさらに噂が噂を呼び話が膨らんでいって、私の評判はみるみる落ちていった。
しまいには、おとぎ話に出てくる悪い令嬢みたいだからと『悪役令嬢』なんて変なあだ名までつけられてしまって……ほんと、散々だわ。
反対に、あの女はというと……
味をしめたのか、嘘はどんどん加速していって。
裏で娼婦をやっているだとか、近寄ると変な病気が感染るだの、一目見るだけで目が腐るだの……
どれもくだらない内容ばかり。
これらが大人の口から出た発言だなんて、なんとも信じがたい。けど、紛れもない事実だった。
調子づいた彼女は次々と幼稚な嘘を作り続け、周りはそれを支持し広めていった。
彼女のお涙頂戴の演技力、王子の婚約者という権力……そしてなにより多額の賄賂によってなせる技だった。