どうかどうかと声は乞う
好き勝手振る舞っていた彼女は、彼女であって彼女ではなかった……
⦅さぁ、今よ!今がチャンス!⦆
虚空から声がした。
気持ち悪いくらいに私そっくりの女の声が。
⦅私が完全に消えてしまう前に……!彼女の動きを封じている間に……!どうか、お願い!⦆
突然現れた姿の見えない何かに驚き後退りしようとするけど、体は不自然に重いまま。ほとんど身動きが取れない。
まるで、透明な何かが私を床に押さえつけているかのようで……
私を知っている、そしてこの声……分かったわ。
その雰囲気を私はまだ覚えていた。
私であり私ではない……もう一人の私。
ああ、そうだ。そうだった。
記憶が蘇ってくる……私がこうして闇の力を振るうようになる前の話。
彼女の心に巣食う闇、それが私。
私と彼女は元々一つの心だった。
あの宝石のおかげで力がどんどん増していった|私⦅闇⦆は、やがて本体である彼女を追い出し、その体を乗っ取った。
それからしばらくずっと、姿もなければ声もせず。
だから、弱って消えてしまったのかとてっきり思い込んでいたのだけれど……まだしぶとく生きていたようで。
⦅もうこれ以上、皆を苦しめたくないの!私の愛する世界を、人々の心を、壊したくない……っ!⦆
⦅これは私の望みなんかじゃないわ!確かに私は愛に飢えていた、寂しがっていた……でも、それでみんなを苦しめようだなんて思ってないわ!⦆
「姫!」「お嬢様!」
二人は『彼女』に駆け寄った。
足取りは軽く、さっきまでぐったり俯いていたのが嘘のよう。
姿は分からないはずなのにまるではっきり見えているかのように、二人ともちゃんと目の前に立ち止まって。
⦅アレン王子に、ゴドフリー……!本当にごめんなさい。あなた達には本当に迷惑をかけたわ。謝っても謝りきれないくらいよ……⦆
「エミ、」「お嬢、」
『彼女』の呼びかけにアレン王子と従者の男、ゴドフリーは同時に勢いよく口を開いた。
久しぶりの『彼女』との再会に、二人とも伝えたい想いがあったのだろう。
しかし声が重なってしまい、ハッとしてお互い口をつぐむ。
「……」「……」
少しの沈黙の後にゴドフリーは王子に軽く頭を下げ、さっと後ろに下がった。
身分を弁えている?いや、おそらく違う。
王子は誰よりも『彼女』の幸せを願う者……そして、『彼女』の本当の想いを知る者でもあった。
おそらく、ゴドフリーはそれを知っていて……
だからって……なんだというのだ。ああ、馬鹿馬鹿しい。
そう思いつつも、私の闇は見えない強い力に吸われていた。
体はさらに重くなっていく。
仕切り直して、王子はさらに一歩前に進む。
「エミリア!エミリア……!ああ、会いたかった……!」
⦅ああ、アレン……!⦆
『彼女』は王子に勢いよく抱きついた。
さらさらとその長い髪が後ろに靡き、透明な雫がふわふわとシャボン玉のように風に流れていく。
彼はそれをぎゅっと抱きしめ返してゆっくりとその頬を両手で包むと、愛おしそうに唇を合わせた。
私には理解し難いけれど、なぜか見えているみたいね……『彼女』が。
『愛』が彼女の姿を見せてあげている?まさか。
何それ、そんな事ってあるのかしら?
何がなんだかさっぱり分からないけれど、こうも見せつけられてしまったら……そうなのだ、としか言いようがない。否定のしようがない。
闇が一層弱まっていき、頭が割れそうに痛む。
呼吸もままならなくなってきた。
これが『愛』だというのか!ふざけるな!
まだだ、まだ私は……!
「エミリア。どんな魔法でも呼び出せなかったのに……どうしてここに?」
⦅彼女が弱ってきたから、出て来れた。でも、私ももう長くはないわ。彼女がいなくなれば、私も消える……⦆
「そうはさせない!闇を消して、君を取り戻すんだ!そのために今まで入念に準備してきたんだから!だから、そんな事は……」
⦅……ごめんなさい。それはできないわ⦆
「そんな、どうして……!」
⦅私はもう、この世界にいないのよ⦆
「……まさか!まさか、死ん……」
『彼女』が頷くと、じわじわと王子の顔が歪んでいった。
苦しいのか悲しいのか、それとも。
感情が滅茶苦茶に入り混じった、なんとも例えようもない表情だった。
そう、『私』が生まれた時点で『彼女』はもうこの世の者ではなかった。
すでに死んでいたのだ。
まるで寄生虫にやられた蝶のように。
つらい幼虫時代を経て、蛹になりようやく羽ばたけると思った時、あの宝石が引き金となってその心に巣食っていた闇が溢れていき……みるみるその体は腐っていった。
今の『私』はいわばゾンビ。明確な意志を持った死体。
⦅もう駄目なの。戻ろうにも、戻れないの……⦆
「また生きて会うことはできないというのか?!そんな……そんなこと……!」
⦅本当にごめんなさい。だからせめて、『私』という呪いから解放する事……これが私ができる最大限のお詫び。あなた達二人にはどうか幸せになってほしいから……だから、『私』を殺してほしいの⦆
ふざけるのも大概にしてほしいわ。
今更になって出てきて、あろうことかこの私を殺そうとしているだなんて。
「何よ今更!冗談じゃない!私はまだ消えないわ……!邪魔しないでちょうだい!」
部屋に漂う彼女の意志を扇子で振り払う。
煙を払うように、強く力を込めて。
禍々しい真っ黒な風がブーメランのように空中を鋭く掠めていった。
兵士達が急にざわつき警戒し始めたのを見るに、彼らにもそれは見えているらしい。
⦅……あぁぁっ!⦆
悲鳴を上げて、『彼女』が薄くなっていく。
ざまぁみろ。この私の邪魔をするからよ。
⦅どうか、早く!これ以上長くは持たない……!⦆
「持たなくて結構!ほら、とっとと消えなさいよ!この死に損ないが!」
もう一度力一杯払うと、あまりの衝撃に扇子の羽が一枚抜けて、ひらひらと落ちていった。
⦅あぁっ……!は、早く……私の力が消えない内に……彼女を、『私』を……どうか、どうか殺し……て……⦆
しばらくすると、その『私』は静かになった。本当に限界なんだろう。
最期の力を振り絞って、私を床に押し付け続けているけれど……それも少しずつ弱まってきている。
ふと気づくと、王子もあの従者も私を囲む輪の中にいた……もちろん、しっかりと剣を構えて。
二人ともなんとか気持ちを持ち直したらしい。
それでも未だこちらの顔が直視できないようで、深く俯いている。
けれど、その目を見ずとも強い殺気ははっきりと感じられた。
彼女の願いを叶えるため、彼女を救うため。
やはり殺すしかない……と、再びその意志を固めたようだった。
想い想われ、そんな彼らを繋ぐ見えない力。
しかし、とても強い力。
それは闇を勢いよく吸収し始めていた。
『吸う』というより『浄化している』が正しい表現なのかもしれない。
薄まり、みるみる弱まっていく私。
この魔力がなければ、私はただの屍……ここでやられたら終わり。
しかし、彼らの圧倒的な力の前になすすべもなかった……
どうして。
どこで間違えた?きちんと計算して動いていたのに。
どうして負けた?私、悪くないはずよ。
どうしてこうなってしまったの?
負けるはずがない闇が、最大まで増幅させたこの魔力が……向こうに押されてる?
そんな、嘘でしょ。
私は、闇は、『愛』に負けた……とでもいうの?
「あ、ああ、あ……」
私、殺されるのね。冗談でもなんでもなく、本当に……
「あ、ああ、あ、あ……あああ……」
殺される。
本当に殺される……殺されてしまう……!
まるで冬の冷気のように、体の先まで一瞬で凍りつきそうなほど冷たい空気。
体中に鳥肌が立ち、ゾワゾワとしている。
なんとも表しがたい、強い恐怖。
『死』の恐怖。
「あ、あああ……!嫌、助けて……誰か……!」
悲痛な金切り声が部屋に響き渡った。
五作目。
少しだけその正体が明らかになった黒い宝石。バトンは最終ランナーへ。
次回、とうとうその長旅は終わりを迎える……
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