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短編(日常・恋愛)

今夜も星が見えません

作者: 鞠目

 いち、に、さん、し、ご……

 真っ直ぐの道に等間隔で立ち並ぶ街灯を数える。明かりがあるおかげで、道はそんなに暗くない。でも、そのせいで夜空に浮かんでいるであろう星たちはよく見えない。寝ぼけた顔した月がぼんやりと私を照らす。

 コンビニは避けて歩く。本当はコンビニで少し温まりたい。でも、誰かに会うのが嫌だから行けない。

 同じ学校の人には会いたくない。今はそんな気分じゃない。それに先生や誰かの親がいたらとっても困る。肌寒いけれど歩いていればまだ我慢できる。そう自分に言い聞かせる。

 公園にも近づかない。だって夜の公園ってなんだか怖いから。誰かいても嫌だし、誰もいなくてもなんだか嫌だ。誰もいないのに遊具が勝手に動き出す……そんな現場を目撃したら私はその場で気を失う自信がある。だから絶対に公園にも近づかない。

 あ、学校も絶対無理。夜の学校とかもうホラーでしかない。


 同じような見た目の家の前を何度も何度も歩いていると、どこか違う世界へ迷い込んだような気持ちになる。ずっと同じ空間をループしているような、そんな気持ち。

 電気がついている家、消えている家、いろんな人が自分のリズムで生活をしている。その横を私は一人のんびりと歩く。夜風を感じながら行き先を決めずふらふらと。

 夜の散歩は私の趣味だ。家にいても誰もいないしすることもない。勉強なんてやる気にならない。親は仕事だし、兄は家にいるけど自分の部屋から出てこない。ずっと部屋から出てこないんだからいないのと一緒だ。

 こんな時間に一人で出歩くなんて危ない、と注意されることもある。でも、これが私の唯一の趣味なんだもん。やめるつもりはない。

 散歩の目的はただ一つ。たくさんの星を見ること。もちろんこんな所じゃ明るすぎて星が見えないことはわかってる。でも何かの拍子でこの地域一帯が停電したら? 停電した暗い街にはきっと星の光が降り注ぐはず……

 この世界は何が起こるかわからない。「停電なんて起こるわけがない」と思う反面、「起こるかもしれない」と思うんだ。だから、私は毎晩こうして散歩をしながら電気が消える時を待っている。いつくるか、そもそもくるかどうかもわからないその時を、ずっと。


 さらさらと水の流れる音が近づいてくる。いつの間にか住宅街の中を流れる小さな川のそばに来ていた。

 街灯の人工的な光を川面がチラチラと反射している。小さな橋を渡りながら眺めていると、安っぽいイルミネーションを見ているような気持ちになった。人工的な光ってなんだか苦手。全部消えちゃえばいいのに……そんなことを思いながらゆれる水面を眺める。


「こんな時間に出歩くなんて危ないわよ」


 橋を渡り切った時、バリトンボイスが私を呼び止めた。思わず体に力が入る。逃げようかなと思ったけど、とりあえず振り返ってみた。そしてその2秒後に自分の判断を後悔した。

 橋の向こう、対岸にいたのはスクールバッグを持ったセーラー服姿の背の高いおっさんだった。


 おっさんの見た目はおかしい。まず髪型がツインテール。艶々とした黒髪が街灯の光を反射して少し光っている。

 体格も特徴的だ。盛り上がった筋肉の主張が強すぎて濃紺のセーラー服は、今にもはち切れそうになっている。膝丈のスカートの下には鍛え抜かれた存在感のある足が見える。他にサイズはなかったのかな? いや、そもそもサイズの問題じゃないか……

 私は何度か瞬きをしてみたけどおっさんは消えなかった。見間違いじゃないみたい。これはかなりやばい状況かもしれない。

「ねえ、聞いてる? こんな時間に一人で出歩くなんて、不審者が出たらどうするの?」

 それをあなたが言うの? 私は思わず出かけた言葉をなんとか飲み込んだ。もしかしてネタなのかな。ツッコミ待ちなのかもしれない。

 あとヒールでも履いているのだろうか? 暗くてよく見えないけれどコツコツとコンクリートを金槌で叩くような足音ともにおっさんがこっちに歩いてきた。歩き方は美しくて、いつだったかテレビで見たパリコレのモデルみたいだ。

 うん、間違いない。この人は危ない人だ。私は深く息を吸い込むと背を向けて全力で走り出した。


「もう、急に走り出すなんて。元気なことはいいことだけどちゃんと返事ぐらいしなさいよ」


 走り出して数秒後、耳元で太い声が聞こえた。慌てて右を向くとおっさんの顔が真横にあった。もう心臓が止まるかと思った。発狂しかけたけどその瞬間、私は思いっきりつまずいていた。

 色々ともうダメかも……そう思って私は思いっきり目を閉じた。


 転んだと思った。でも私は地面に衝突しなかった。そっと目を開けるとおっさんが私を抱きかかえている。

「つまずいた時は目を閉じるんじゃなくて、手を出さないとダメよ」

 ツインテールのおっさんは私を優しく立たせてくれた。よく見るとおっさんはすごく綺麗な目をしている。

「あの……ありがとうございます」

「いいのよ、気にしないで。そんなことよりあなた、家はこの辺?」

「……はい、近所です」

「そう。でもどうしてこんな時間に出歩いてるの?」

「散歩が好きで……」

「散歩をすることはいいことよ。でも、こんな時間に出歩くのは感心しないわね」

「はい……」

 私は俯くしかなかった。おっさんの言っていることはきっと正しい。正しいからこそ反論したくてもできない。でも、私は納得もできない。

「納得してないみたいね。少し歩きながらお話しない?」

 顔を上げるとおっさんが優しく笑いかけてくれていた。澄み切った目で真っ直ぐに見つめられた私は断れなかった。私はおっさんと一緒に歩き出した。


「こんな時間に一人で出歩くのは危険よ? 出会ったのがサチエだったからよかったけれど、変なやつもたくさんいるんだから」

「サチエ?」

「私の名前よ。私、サチエっていうの」

「サチエ……」

 そうか、この人はサチエって言うんだ。そう思いながらサチエを見た。変な格好だけど何故かその名前がしっくりきた。

「サチエは何をしているの?」

 私は気になって聞いてみた。この人が何者なのかちょっと興味がわいた。

「パトロールよ。全国を旅しながら迷える子羊たちを導くのが私の仕事よ」

「……え、なにその言い方。怖いしきもい」

「失礼ね、本当。あなたのように、夜ふらふらと出歩く人が事件に巻き込まれないようにしているの」

「そうなんだ。サチエは何歳なの?」

「ちょっと、レディーに年齢を聞くなんてデリカシーなさすぎよ。気をつけなさい。それから私のことはサチエさんと呼びなさい。サチエさんと。あなたこそ名前は?」

「……みゆき」

「そう、みゆき。みゆきね。うん、いい名前じゃない」

「そうかな」

 初めて名前を褒められた。お世辞だと思う。でもなんだろう、もぞもぞする。こそばゆい。ちょっと、嬉しい。

「サチエさんもいい名前だと思うよ」

 少し照れくさいけれど私は言ってみた。

「あら、そう?」

 ツンとした返事が返ってきた。顔を見るとサチエさんは唇をちょっと尖らせて照れていた。それを見てこの人かわいい人だなと思った。サチエさんはおっさんじゃなくてレディー、いや、もしかしたら女の子なのかもしれない。


 いち、に、さん、し、ご

 私の前に見える電信柱を手前から数える。5本目より向こうはぼんやりしていてよく見えない。

 いーち、にー、さーん、しー、ごー、ろーく、なーな

 歩きながら右足が前に出る回数を数える。たまに飽きて数えるのをやめて、数えたくなったらまたいちから数える。特に意味はない。でもこの意味のないことをするのが好き。

 いつもは一人の散歩。なのに今日は横にサチエさんがいる。歩きながら話そうって言ってきたのにサチエさんはさっきから黙って空ばかり見上げている。

 知らない人と並んで歩く。気まずいと思ったのは最初の数分だけ。今は何故か心地よく感じる。ただ横にいるだけ、でも、横に誰かがいるってなんかいい。私たちは黙って夜の住宅街を歩き続けた。


「なにか飲まない?」

 15分ほど歩いた頃、サチエさんが青いコンビニの看板を指さした。たしかに喉が渇いてきた。でもすぐに財布を持って出てこなかったことを思い出した。

「私、財布持ってきてないの……」

「そんなの気にしなくていいの。行くわよ」

 サチエさんは戸惑う私を無視してコンビニへ向かっていった。ほっといて帰ろうかな、でももしかしたら何か奢ってもらえるかもしれない。少し悩んでから私はコンビニへ走った。


「いらっしゃいませー」

 あたたかい店員さんの声が、がらんとした店内に響く。お客さんは私たちしかいないみたい。少しほっとした。

「好きなのを選んでいいわよ」

 サチエさんはそう言うと酒売り場に消えた。私はスイーツコーナを横目に見ながらドリンクコーナーに向かった。そして、悩んだ結果ホットのミルクティーを手にした。

 いつの間にか後ろにいたサチエさんが私の手からミルクティーをすっと取るとレジに向かった。

 会計はスムーズだった。白髪混じりの店員のおじさんは私たちを見ても何も言わず、顔色ひとつ変えなかった。おじさんはてきぱきと愛想良く会計を済ませてくれた。

「ありがとうございましたー」

 コンビニを出る時、またあたたかい声が後ろで響いていた。あの人はサチエさんを見ても何も思わなかったのかな? 少し気になった。


 コンビニを出てすぐに私はミルクティーを飲んだ。ミルクティーは温かかった。何度も飲んだことがある味なのに、今日はいつもより優しい味に感じた。

「かわいらしいのを飲むのね」

 そう言うサチエさんはワインボトルを持っている。赤ワインだ。スクールバッグにグラスでも入っているのだろうか。気になって見ていると片手で栓をぱちんと開けて瓶に直接口をつけて飲み始めた。

「……え?」

 思わず声が出た。サチエさんは私に見向きもせずにワインを一気に飲み干した。

「サチエさん、ワインってそんな風に飲むものなの?」

 思わず聞いてしまった。

「人によるわね」

 ポケットから白いハンカチを取り出して上品に口を拭きながらサチエさんはこともなげに言った。

「レディーはグラスで飲むんじゃないの?」

「…………」

「おっさんじゃん。いや、おっさんでもワインをそんな風に飲む人初めて見たんだけど」

「……女にはね、たまにはワインを一気飲みしたくなる時があるのよ」

「瓶で?」

「瓶で」

「そういうものなの?」

「みゆきも大人になればわかるわよ」

「でもサチエさんってそもそも女じゃ……」

「さあ行くわよ」

 サチエさんは空になった瓶をスクールバッグに突っ込んで歩き出した。私は慌ててミルクティーを飲み干すと、コンビニのゴミ箱にペットボトルを捨てて追いかけた。


 車がたくさん通る大通りに出る。四車線の道路をライトをつけた車がびゅんびゅん通り過ぎていく。私たち以外に歩いている人はいない。

 夜歩く時は大通りを避けていたから知らなかった。夜でもこんなにたくさん車が走ってるんだ。みんな夜更かしだな。あ、私もか。

 いつもと違う散歩道。いつもと違って一人じゃない。なんだか私はわくわくしてきた。こんな散歩もたまにはいいかも。自分がそんなことを思う日が来るなんて今まで考えたことなかった。


「どうしてみゆきは夜に散歩をするの?」

 大通りに架かる歩道橋を渡っているとサチエさんに急に話しかけられた。すぐには答えられなかった。笑われるかもしれないと思ったから。

 でも、サチエさんなら笑わずに聞いてくれるかもしれない。そんな気もした。歩道橋の下をトラックが3台走り抜けるのを見てから私は思い切って打ち明けることにした。

「星空が見たいの」

「星空? こんな明るい場所じゃ星なんて見えないわよ」

「わかってる。でも、もし街中が停電したら見えるかなって」

「停電なんてなかなか起きないわよ」

「……わかってる」

 私はサチエさんを置いて一段飛ばしで歩道橋の階段を駆け降りた。

「でも、家にいたくないの。たくさんの星が見たいの!」

 私は歩道橋の上のサチエさんに向かって叫んでみた。

「そう。じゃあ星が見えたら出歩かないのね?」

 サチエさんはそう言うと、飛んだ。


 歩道橋の階段のてっぺんから勢いよく飛んだ。そして僅か二、三歩で階段を全て降り切ると私の目の前にすっと着地した。着地の瞬間サチエさんのスカートがふわっと舞う。

「仕方がないわね。みゆきには私のとっておきをあげるわ」

 そう言うと右肩に掛けていたスクールバッグから四角い箱を取り出した。そして私の右手にぽんと乗せた。

「何これ?」

「私からのプレゼント。プラネタリウムキットよ」

「どうしてプラネタリウムなの?」

「みゆきの部屋に星空を作るためよ」

「私が見たいのは本物の星空なんだけど」

 私は思わずふくれっ面をした。そしてすぐに怒られるかもしれないと焦った。せっかくくれるって言ってくれたのに文句を言ったから。黙って受け取った方が良かったかも。

 そろりとサチエさんの顔を見てみる。するとサチエさんは優しい顔をしていた。

「本物の星空を本当に見たいなら、こんなところにいちゃだめよ。いつくるかもわからないものを待っていてもだめ、自分から動かなきゃ」

 本当はわかってるんじゃないの? サチエさんは口には出さないけれどそう言ったような気がした。何かを見透かされているような気がした。

「本物の星空が見たいなら自分の気が済むまで星空を見に行けば? でも、もし今それができないならそれをするためにできることをすればいいじゃない。何をすべきかわからないなら、今はこれでも見て我慢なさい」

 サチエさんはそう言うと颯爽と歩き出した。

「何してるの? さあ、そろそろ帰りましょう。家はどっち? 近くまで送るわ」

 振り向きながら聞いてきたサチエさんが、何故か私にはすごくかっこよく見えた。変な人なのにこんな人になりたいとちょっぴり思った。

 サチエさんに言われたことが納得できた訳じゃない。でも、どうしてだろう、私の胸の中はすっきりしている。気がつけば私はサチエさんのもとへ走っていた。


「今夜は出かけないんだな」

 サチエさんに出会った翌日の夜。喉が乾いて冷蔵庫を物色していると、後ろから聞き覚えのある声がした。振り向くと髭を伸ばした兄がいた。

「いつもこの時間どっか行ってるだろ。今日は行かないのか?」

 ああ、兄はこんな声で話す人だったなあと思い出していると再び兄が質問してきた。

「今まで夜は散歩してたけど、もういいの」

「散歩?」

「散歩」

 私は冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注いだ。兄が「おれの分も」と言うので仕方なく兄の分も注いでやった。

「もういいって何か嫌なことでもあったのか?」

 口の周りに牛乳をつけた兄がまた聞いてきた。なんなんだろう、今までずっと部屋から出てこなかったくせに今日はいっぱい聞いてくる。

「嫌なことなんてないよ。やることができただけ」

 私は牛乳をぐっと飲み干し、使ったコップを洗いながら言った。

「やること?」

「そう」

「なにすんの?」

「星空を作るの」

「は?」

 洗ったコップを水切りかごに入れてから兄を見ると、口をぽかんと開けて間抜けな顔をしていた。私はそれがおかしくておかしくて、思わず笑ってしまった。困惑する兄をその場に放置して私は部屋に戻った。

 本物を見に行くのはもう少し先にしよう。私にはまだその勇気がない。本物を見に行けるようになるまでは偽物で我慢してあげる。

 でもどうせ偽物を作るならうんと綺麗な星空を作ってやる。本物に負けないぐらい綺麗な星空を。もしうまくできたら兄にも見せてあげてもいいかも。


 美しい夜空を作るため、私は四角い箱を開けた。



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― 新着の感想 ―
[一言] サチエさんに会いたくなって、また会いに来ました。 やっぱり素敵ですね、サチエさん。 読ませていただきありがとうございました。
[良い点] ∀・)主人公がふつうの人じゃないんですけど、起きる出来事がそれを凌駕してしまうとんでもない作品でした(笑)でもコレ、テレビドラマみたいな感じで是非観たいですね。それだけ僕はすごく好きでした…
[良い点] サチエさんという強力なキャラクター!! そしてちょい役でもイイ味だしてるお兄さん。 [一言] とてもよきでした。 すこすこのすこ(*´ω`*)
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