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後悔は後からするもの


 この離宮に来た頃から世話になっている侍医が帰った後、ようやく一息ついた。処置自体は大量の水で洗い流すだけであったが、特に肌が赤くなったり爛れたりはしていない。


 侍医の指示のもと魔力の操作をしてみたが、嫌というほど存在感があった魔力が少しもまとまらず、ふわりとほどけてしまう。何度か繰り返したが、症状が変わらないため、しばらく様子を見ることになった。


 自室に戻ったシェリルは疲れた体を長椅子に預けた。


 魔力は生まれ持ったもののため、魔力が消えるということは本来あり得ないことのようで、侍医はコーデリアの言葉には懐疑的だった。ただ魔力草は体内の魔力を狂わせる成分があるのは事実で、もしかしたら消しているのではなく、一時的に抑えるようなものかもしれないという見解だ。


 念のため、と薬が触ったところを他の人が触らないようにと手袋をすることになった。


 手袋に包まれた自分の手をまじまじと見つめる。時間が経つにつれて、魔力がないことに慣れてきていて、先ほどまでのズレたような感覚がまったくなくなっている。


 ことりとテーブル上にカップが置かれる音がして顔を上げれば、ジェニーが心配そうにこちらを窺っていた。目が合うと、彼女は深々と頭を下げた。


「このようなことになって……申し訳ございません」

「ジェニーのせいじゃないわ。わたしが二人を下げたから。それに二人ともすぐに対応してくれたじゃない」

「ですが」


 ジェニーは納得できていないのか、唇をきつく噛みしめた。問答を繰り返しても、きっとジェニーは自分を許すことはできないだろうと、カップに手を伸ばした。心を静めるような柔らかな香りが鼻腔を擽る。気持ちが落ち着くようにとジェニーの選んだお茶はとても優しい味がした。


「美味しいわ。お願いだから、離れないでね」

「よろしいのでしょうか。わたしはシェリル様をお守りできなかったのに」

「もちろんよ。わたしも一つ学んだわ。この話はここでおしまいよ」


 ジェニーはもう一度大きく頭を下げた。


「今日、オスニエル様はやっぱり戻ってこられないわよね」

「そうだと思います」


 コーデリアとの会話を思い出し、ため息をついた。彼女の行動も恐ろしかったが、何よりもシェリルの心を重くしたのはエルザの名前を聞いたオスニエルの反応だ。


 オスニエルは婚約してからずっと優しかった。シェリルを婚約者として、将来の正妃として大切に、そして愛してくれた。


 そのことがわかっていても、ずっと聞けないでいたエルザとの関係。


 イゾルデ夫人は溺愛していたと言い、きっとそれは間違いない。だがブレンダは愛し合っていたのはウォーレンであって、オスニエルとエルザは仲の良い幼馴染との認識だ。


 エルザはもういない人で、過去だって変えることはできない。気にしてもどうにもならないことは理解している。それでも、オスニエルの行動はエルザを優先しているように見えてしまい、どうにもならない感情を持て余していた。


 そしてこの状態を引き起こしたのは、シェリル自身だ。コーデリアが声をかけてきた時、デイヴィットを下げるべきではなかった。


 何故少しの間なら大丈夫だと思ったのだろう。あれほどオスニエルに執着していたコーデリアが結婚して王都を離れる、と知って気が緩んでしまった。自分自身の行動が取り返しのつかない状況を作り出していた。


 シェリルはカップをテーブルに戻すと、軽く両手を握ってみた。やっぱり魔力を感じない。


「魔力が少ないというのはとても不安なことなのね」

「そうでしょうか? 生まれた時からですから、生活に必要な魔法さえ使えればあまり気になりません」


 ジェニーが不思議そうに首を傾げた。


「そういうものかしら?」

「騎士でもありませんから、魔法なんて使う機会なんてほとんどありませんし。今は魔法道具も沢山そろっていて、それに生活魔法を使えなくてもほんの少しの魔力を注げれば不便もありません」


 ジェニーの説明はもっともで、シェリルは生活魔法すら使っていない。あってもなくても生きていく上では重要なことではない。だが、オスニエルの正妃になろうと思ったら、絶対に必要なものだ。


 シェリルはリリカやコーデリアが自分に向ける嫉妬の気持ちが初めて理解できた。自分ではどうにもできない能力のために選ばれない。やりきれなく、とても辛い。


 侍医は魔力を戻す方法が見つかると前向きに捉えていたが、シェリルには楽観的に捉えることはできなかった。もしかしたら、早いうちに婚約は白紙に戻されてしまうかもしれない。


 どんどんと悪い方向へ思考が転がっていく。思考が落ちれば落ちるほど、気持ちは重く苦しいものになる。


 シェリルは肘掛に肘をつき、額を組んだ手に乗せた。ジェニーが不安そうに名前を呼ぶ。


「シェリル様……」

「大丈夫。しばらく一人にしてもらえるかしら?」

「ですが」

「お願い。本当に少しでいいの」

「わかりました。何かありましたらすぐにお声をかけてください」

「ありがとう」


 一人になった部屋で、シェリルは体を震わせた。涙が次から次へと流れ出る。


 このまま魔力が消えた状態であれば、ここを出ていかなくてはいけない。今まで生きてきた中で一番輝いていた。幸せばかりの数か月間だった。自分で駄目にしてしまった。いくら後悔してももう遅い。


 涙をぬぐうこともせず、シェリルは顔を伏せ泣き続けた。




 ふわりと体が浮かび上がる。ゆっくりとした振動から自分がどこかに運ばれていることに気が付いた。その優しい扱いと慣れ親しんだ香水の匂いに誰が抱き上げているのか理解した。


 腫れぼったい瞼を押し上げる。小さな光でもオスニエルだとすぐにわかった。


「オスニエル様?」


 かすれた声で呟けば、オスニエルの視線が下を向いた。


「ああ、起こしてしまったか」

「今日は王城にお泊りでは? お仕事が……」

「兄上に任せてきた」

「でも、オスニエル様もエルザ様については知りたいのでは?」


 ふわふわとした夢見心地のまま、疑問に思っていたことが素直に吐き出された。


「結果だけ後から聞く。それで十分だ」

「オスニエル様はエルザ様を愛していたのでしょう? 死に追いやった人たちを憎いとは思わないの?」


 するりと飛び出した言葉にオスニエルの歩みが止まった。


「エルザを愛している?」

「大丈夫です。ちゃんとわかっています。忘れて欲しいとか言いません。エルザ様ほど素晴らしい令嬢はいませんし、わたしは何もかも足りないばかりで。今回だって――」


 自分で彼女と比較するのはとても辛い。でもちゃんと自覚していると言いたくて、早口でまくしたてた。


「何か勘違いしているようだが……俺はエルザを姉のように思っていても、女性として愛したことは一度もない」

「――はい?」

「俺はずっとシェリルが好きだった。会ったのはたった一度だったが、あれほど気が休まった時はなかったんだ。エルザと婚約する前は、どうにかして君を見つけて婚約しようと思っていた」

「でも、オスニエル様はエルザ様を溺愛していたと」


 オスニエルが黙り込んだ。シェリルもそれ以上の言葉が見つからずに、黙っていた。抱き上げられたままのため、下から彼の顔をそっと覗きこんだ。眉間にしわを寄せ、厳しく唇を引き締めている。かなり不本意な言葉だったのかと、初めて思い至った。


「あれは兄上の結婚をうまくいかせるための茶番だ」

「茶番……どういうこと?」


 理解を超えてしまって、頭の中が混乱する。オスニエルはもう一度長椅子の方に戻ると、シェリルを抱き上げたまま腰を下ろした。その膝の上に下ろされる。


「兄上とエルザの仲の良さは誰もが知っているほどだったんだ。だが、義姉上が嫁いできた。いつまでも愛し合っていた二人が引き裂かれたという面ばかりが強調されてしまうと、義姉上が追い込まれてしまう。そこで実は俺がエルザに恋をしていて、熱心に口説いたことでエルザが婚約者になったという筋書きが生まれた」


 どこかの芝居の内容を聞いているようだ。イゾルデ夫人もジェニーも王家の仕込みに騙されたわけだ。なんといっていいのかわからず、絶句しているとオスニエルが肩をすくめた。


「ちなみにこの筋書きを考えたのが母上だ。この筋書きをモチーフに劇団に上演させたから、誰もが俺がエルザを愛していると思い込んだはずだ」

「……そうですか」


 エルザのことを気にしすぎて、聞けなかった自分が情けない。聞いてしまえば大したことがないと思えてしまうなんて、やはりオスニエルにきちんと愛されているからなのだろう。


「他に心配事は?」

「魔力が消えてしまいました」

「そのことに関しては不明点が多いが、大丈夫だと思っている」

「全然大丈夫ではありません。わたしは魔力で選ばれて」

「確かにその点を前面に押し出してきたから、不安になるのも分かるが……。手を出して」


 素直に手を差し出せば、片手で両手を握りしめられた。暖かな彼の魔力が流れてくる。懐かしい感覚に、思わず微笑んだ。


「温かい」

「気持ち悪くないか?」

「胸がポカポカします」


 目を閉じて、彼の胸に頬を付ける。徐々に増えるオスニエルの魔力に徐々に体が暖かくなっていった。


「こうしてしばらく魔力を与えていればいいと魔力研究者に言われた」

「そうなの?」

「実際やってみないとわからないが、大丈夫だと思う」


 安心したのか、シェリルの全身から力が抜けた。


「さて。落ち着いたところで、話し合おうか」

「話し合い?」

「どれだけ俺が君を愛しているか、一晩かけてわかってもらわないと。もう二度と勝手に勘違いしないように」


 オスニエルは力の入らないシェリルの体を支えながら、距離を作った。驚いて顔をあげれば、頬にキスされる。


「ええ!?」

「キスは気持ちを伝えるのに大切だろう?」


 ひどく真面目な表情でそう言い切られた。反論する前に、次のキスが落ちてくる。シェリルはあ、とか、うう、とか意味をなさない声を出すばかりだった。


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