孤児院の視察
シェリルは担当する孤児院や救護院の視察をまんべんなく回った。ブレンダは視察が中止されるかもしれないと言っていたが、視察は中止にならなかった。ただし、護衛は倍に増えていた。
孤児院や救護院の視察も始めは何をしていいのかわからなかったが、回数を重ねるごとに緊張もさほどしなくなってきた。
ブレンダは案外面倒見がよく、文句を言いながらも質問には的確に答えを与え、シェリルの足らないところを丁寧に指導する。
癇癪持ちであることは変わらないが、ブレンダのことをさほど苦手ではなくなっていた。どちらかというと、感情のコントロールが下手なだけで、それを理解してしまえば流すことができるようになった。
もっともブレンダの前で触れてはいけない話題は、魔力とウォーレンとの仲である。しっかりと意識すれば、その話題を避けるのは簡単だった。
「今日で王都周辺の視察は最後だ。少し遠いから、移動に時間がかかる」
馬車に乗ると、オスニエルが今日向かう視察先のことを話し始めた。シェリルは事前に確認していた情報を頭から引っ張り出しながら頷いた。
「教会が孤児院と治療院を併設しているのですよね」
「ああ。王都でもどちらも持っている教会はここしかない」
「治療院も大きいのですか?」
もらった資料には孤児院の人数は書いてあったが、治療院の規模については書かれていなかった。オスニエルはシェリルの質問に頷いた。
「教会の敷地内に孤児院と治療院の棟があるんだ。広さだけを言うなら、どちらも大きい。だが、治療院は病人の治療に当たる修道士や修道女の数によって部屋数を減らすんだ」
この国は王都にある教会本部から孤児院や治療院に修道士や修道女を派遣している。治療院には主に医療の知識がある修道士を必ず一人おき、病人の治療に慣れた修道女たちが処置を行っている。福祉の一環として、この国の民であれば無料で診察を受けることはできる。
教会に集まる寄付だけでは賄いきれないため、国が援助金を出す。そのため定期的な視察が必要となるわけだ。シェリルは自分が公務に就かなければ、こうした仕組みすら知らずにいただろう。知れば知るほど、国の仕事は大変であるが必要なことだと実感する。
馬車が止まった。オスニエルは外の護衛からの合図を聞いてから、外に出た。シェリルに手を差し出す。素直にその手を取り、馬車を降りれば、三人の修道士が迎えに出ていた。
「中央にいる背の低いご老人が司教だ」
オスニエルがシェリルの耳にこっそりと教えてくれる。
オスニエルの教えてくれた初老の男性は飾りつけのない黒の詰襟のくるぶし丈まである上着を着ていて、一般的な修道士と同じ服装であるため見ただけでは司教と判断できない。だが、彼の持つ不思議な雰囲気は威厳があり、神に仕える者なのだと自然と納得させられる。
オスニエルは司教の前にシェリルを連れて行った。
「お待ちしておりました。このような王都の外れまでおいでいただき、ありがとうございます」
「今日は世話になる。彼女はシェリル・イーグルトン。俺の婚約者だ」
「初めまして。シェリル・イーグルトンでございます」
「ご丁寧に。この教会の司教を務めています。モートンとお呼びください」
モートンが一緒に連れていた二人は孤児院と救護院の責任者で、二人も丁寧に挨拶をした。モートンと同じぐらいの年齢の修道女は孤児院の責任者で、もう一人の中年男性は救護院の責任者だと挨拶した。二人はとても穏やかな空気でシェリルたちを歓迎する。
モートンは二人を紹介した後、オスニエルに体を向けた。
「オスニエル殿下、今日は少し相談がございます」
「わかった。視察後がいいか?」
「いえ、できれば今すぐお願いします」
穏やかな雰囲気なのにどこか切羽詰まった声だ。オスニエルは少し考えてから、一緒に来ていた文官のニコルズに声をかける。
「すまないが、少し話をしてくる。孤児院の視察をお願いしてもいいか? シェリルは……」
「わたしはニコルズと一緒に孤児院に行きます」
一緒に来てもらおうと思っていたオスニエルはその言葉にしかめっ面になったが、シェリルは困ったように笑った。
「きっと司教様もオスニエル様とお話がしたいでしょうから。わたしは自分の仕事をしますわ。心配しなくても護衛は連れていきますから」
「そうか、わかった」
オスニエルは大きく息を吐くと、護衛にいくつか指示をする。シェリルはニコルズと共に案内されながら孤児院へと向かった。
「こちらに来てしまって、よかったのですか? 司教様のお話を伺った方がよかったのでは?」
ニコルズはシェリルの一歩後ろを歩きながら、オスニエルと一緒に行動するものだと思っていたのか、そう聞いてきた。シェリルは肩をすくめる。
「わたしがお話を聞いても多分わからないし、司教様もわたしが側にいたら詳しく話せないかもしれないから」
「ああ、そういうところもありますね」
「オスニエル様は心配性なのよね」
わざとため息をついて見せれば、ニコルズは笑った。
◆
孤児院は0歳から15歳までの子供たちが一緒に暮らしており、今は40人ほどいるらしい。今まで視察で向かった孤児院も同じ年齢層で、孤児院は成人するまでというのが共通の規則のようだ。
「孤児院を出た後、お仕事はどのようなものに就くことになるの?」
「大抵の子供たちは自分の身に着けた能力によって行き場所を決めます。指導は修道士が順番に教えています」
独り立ちしてもやっていける様にとここに入っている子供たちは様々な教育を受ける。最低限の文字の読み書き、さらには簡単な計算を学び、それ以上は希望者だけだそうだ。剣術を習うのか、他の技術を身に着けるのかは、資質によって分かれていく。
「男子は大抵警備隊に入りたがりますし、女子はお針子や売り子が人気があります」
「そうなのね」
警備隊は孤児院の後見があれば、入ることが可能だそうだ。今まで何人ものここの卒業生が警備隊に入った実績もある。しっかりとした取り組みに感心していれば、修道女が秘密を教えるように声を落とした。
「ここだけのお話ですけど……変わった子だと、冒険者になるとかいう子もいたりしますのよ」
「冒険者?」
よくわからない言葉が出てきて、シェリルは目を丸くした。ニコルズはそんな彼女を見て笑った。
「男の子だと必ず英雄譚に憧れますからね。神と悪しきものとの戦いは、どんな男の子でも憧れてしまうものです」
「……冒険者という職業があるということでいいの?」
「ありませんよ。すでに物語にしか出てきません」
揶揄われたのか、本当にそう思って飛び出してしまっている子がいるのか判断ができずにシェリルは曖昧に笑った。
楽しいエピソードを交えながら、この孤児院の取り組みが次第にわかってくる。王都の孤児院とは基本的な考え方は同じであっても、やはり立地の問題もあり様々な工夫がなされていた。和やかに話していれば、その空気が突然破られた。
「先生、助けて!」
「まあ、どうしたの? 今はお客様がいらっしゃるから他の修道女に」
無作法にも突撃してきた子供を窘めながら、落ち着かせようとする。シェリルはどうしたのかと辺りを見回せば、遠くにもみ合っている男女がいた。
男はひどく怒っているようで、怒鳴り散らして女性の腕を乱暴に掴んだ。抵抗する女性の顔が見える。
「あれは……リリカ様?」
シェリルは呟くと同時に走り出した。