王太子妃との面会
ブレンダ付きの侍従の後に続きながら、長い回廊を歩いた。
王太子妃の棟はオスニエルの離宮に似た造りであったが、植えられている花や置かれている調度品はどれもこれも華やかで、女性らしさを感じさせる。
そのちょっとした違いを見つけ、シェリルは次第に自分が本当に王子の婚約者として仕事をしていくのだと改めて認識した。回廊を進むにつれ、どこかふわふわしていたものが急に現実味を帯び始める。
このまま大切にされているだけではいけないと思ってオスニエルの意見を聞かずにウォーレンの願いを受け入れたが、本当にできるのだろうかと不安が次第に大きくなっていった。
「こちらで王太子妃殿下がお待ちしております」
侍従は立ち止まると、大きく扉を開いた。大きな窓がいくつもある部屋は柔らかな光が入り込み、とても心地の良い空間だ。明るい部屋は今までとは違う一歩のように思えて立ちすくむ。
朝、見送った時のオスニエルの心配そうな顔がふと思い出された。シェリルの意見を否定することはなかったが、やはり狭い世界で生きてきたシェリルを急激な変化に置きたくないと最後の最後まで反対していた。
それを振り切ったのがシェリルで、この程度のことで躊躇っていてはこの先自分で歩くことはできない。
シェリルは息を整え覚悟を決めると、中に足を踏み入れた。
「時間通りね」
ブレンダが偉そうな態度でシェリルを迎えた。ブレンダらしい対応に、何故か少しほっとする。シェリルはドレスを摘まみ、優雅にお辞儀をした。
「王太子妃殿下にはご機嫌麗しく」
「そういうのはいらないから。そこに座りなさい」
「……失礼します」
どういう気持ちの変化だろうか。シェリルは前のようなとげとげしさがないことに驚いた。ブレンダの気持ちの変化に戸惑いつつ勧められた席に着く。侍女がお茶をテーブルに置いた。柑橘系のいい香りがほんの少しだけ気持ちを上向きにした。
「今日は虫入りじゃないわよ。最近のお気に入りを用意したの」
「ありがとうございます?」
不機嫌そうな口調であったが、お気に入りの紅茶を用意してくれたらしいことをどう捉えていいのかわからず、首が傾いてしまった。ブレンダはシェリルの態度を忌々しそうにしながらも、前のように怒りをあらわにしない。
「疑問に思うのも仕方がないと思うわ。でもね、わたしもそろそろ心を入れ替えていこうと思っているのよ。今回の妊娠はとてもいいきっかけだったわ」
「……」
「わたしは魔力が少なく、友好国の王女という肩書がなければこうして王太子妃となれなかった。わたしの素晴らしさは魔力ではないのに、それだけで否定してくるこの国の貴族たちが嫌いだった……いえ、今でも嫌いね。滅びればいいと思っているわ」
眉を寄せながらきっぱりと言い切る姿に、苦笑しか出てこない。ブレンダはよほどこの国の貴族が嫌いらしく、ぐっと拳を握りしめ激しい言葉を連ねた。
「大体時代遅れなのよ。大量の魔力を持っている上に魔法が使える人間なんて、この国以外はほとんどいないというのに」
「え?」
初めて聞く国外の状況に、思わず口を挟んでしまった。ブレンダはふんと息を荒くする。
「あら、知らないの? 貴女だって魔力が多いようだけど魔法を使ったことあるのかしら?」
「魔法は使えません」
驚くべき指摘にシェリルは息が詰まりそうだった。魔力の存在を感じたことはあったが、それを使うなんて考えたことはなかった。オスニエルは魔法を使えるのだろうが、実際に見たことはない。実感したと言えば、侍医の診察と、オスニエルによる魔力操作、それからウォーレンの祝福だ。
「生活に必要な魔力は誰でも持っているけれども、戦闘に使うなんて言うことはこの国の騎士ぐらいしかできないのよ。それがどれほど特別であるか、わかって欲しいものだわ」
ある程度気持ちを吐き出したことで気が済んだのか、ブレンダの声が落ち着いてきた。ブレンダの言葉はとても厳しく強い批判にも聞こえるが、彼女が自分の意見を持っているからだと初めて思い至った。
シェリルは何も言えずに、ただそこに座っていた。
「……この話はいくらでも時間を取ってしまうから、このぐらいにしておくわ。さて」
ブレンダが姿勢を正したので、つられてシェリルも態度を改めた。ブレンダはまっすぐにシェリルを見つめた。強い眼差しに晒されて、忘れていた緊張が戻ってくる。
「公務の件だけれども、王都にある孤児院の視察と貴族夫人たちを招く茶会を手伝ってもらうことになったわ」
「孤児院の視察と茶会ですか?」
「ええ。視察の方は孤児院の責任者と顔合わせをした後は一人で行ってもらうわ。茶会の準備はわたしと一緒にしてもらう予定よ」
「わかりました」
シェリルは自分にできるだろうかと不安に思いながらも頷く。
「誰でもできる簡単な仕事だという人もいるかもしれないけれども、王族の妃のする仕事よ。いい加減な態度は許さないわ」
ブレンダの強い眼差しに、ただただ圧倒された。同時に自分が今までそのような公務の説明をしてもらったことがないことに、胸が苦しくなった。
オスニエルは優しい。だけど、王子の妃としては十分ではないのだと突き付けられた気分だ。
「ちょっと聞いているの?」
「すみません。ブレンダ様がとても素敵で」
「わたしが素敵なのは当然じゃない」
何を言い出すのかというような顔でブレンダが言い切る。その自信がとても羨ましい。シェリルは自分の気持ちを伝えられる言葉を探した。
「説明がすごく難しいのですけど……ああ、そうだわ。わたしにはブレンダ様の持つ強さがないと感じて」
「強さ?」
「はい。オスニエル様の婚約者にはなったけれども、王族としての役割など一度も考えたことはなくて、知識は足らないのは知っていましたが、これといった意見を一つも持っていなくて」
「当然でしょう? わたしは王女として育てられているのよ。貴女とは立場が違う」
何を馬鹿なことを言っているのだという目を向けられて、シェリルは視線を落とした。ブレンダは温くなったお茶を飲みながら、じっくりとシェリルを観察する。
遠慮のない視線にたじろいだが、シェリルは嫌な気持ちにはならなかった。
「でも、貴女の焦る気持ちがわからないでもないわ」
「え?」
「貴女は二人目の婚約者だもの。無意識のうちにエルザ嬢と自分を比べているのかもしれないわね。それはとても自然なことだわ」
エルザの名前が出てきて、シェリルの心臓が小さく跳ねた。見たくなかった現実を目の前に持ってこられたようで、とても苦しい。
「エルザ様のことはオスニエル様から直接聞いていないのです。ただとても仲睦まじかったと」
「彼女はオスニエル王子ではなくてウォーレン様と相思相愛だったのよ」
当たり前のように告げられた言葉に、シェリルは固まった。
「……え?」
「あら、知らなかったの? オスニエル王子が彼女を溺愛した話の方が有名ですものね」
「オスニエル様の片想い?」
オスニエルとエルザの仲睦まじい様子を教えてくれても、ウォーレンとの関係は聞いたことがなかった。三人は幼馴染で、エルザはウォーレンの最初の婚約者だと知っていたにもかかわらず、意識したことはなかった。
「そうなるのかしら? わたしが邪魔をしなかったら二人は幸せだったかもね」
「えっと」
非常にデリケートな話題に、シェリルは咄嗟に言葉が出てこなかった。ブレンダはそんな彼女を見て、意地の悪い笑みを浮かべた。
「最初はお互いの王子を遊学させるはずだったのを、わたしがウォーレン様と結婚したいと我儘を言ったのよ。一目惚れだったの。自分でも残念だと思うけれども、あの顔がすっごく好きなの」
きっぱりとした顔で言われて唖然としてしまう。事実かもしれないけれども、ここは冗談だと言ってほしくて無理やり笑みを作った。
「少しも笑えませんけど……冗談ですよね?」
「冗談ではないわよ。あの顔が一番好きなの。どんなに性格が悪くてもいいと思っていたけど、冷ややかな対応にはさすがに平常心ではいられなくて癇癪を起してしまうのよね。すごくバカにされているように感じるのよ」
ウォーレンのどこかバカにしている態度は気のせいではない。ウォーレンは自分の心を覗かせないためなのか、ひどく軽薄な態度を取ることが多い。気の強いブレンダにはきっと一番相性の悪い相手と言ってもいいはずだ。
「わたしもブレンダ様のように強くなりたいです」
「わたしなんかをお手本にしない方がいいわよ。嫌われるわ」
思ったことを告げれば、ブレンダは肩を竦めた。
「これから色々相談してもいいですか?」
「図太い女ね。いい訳ないでしょうが。くだらない泣き言は聞くつもりはないわ」
「わたしもブレンダ様の愚痴を聞きますから」
「……いいところを突くわね。リリカに会えるまでは彼女の代わりにしてあげてもいいわよ」
素直じゃない言葉が返ってきて、シェリルは思わず微笑んだ。
「リリカ様にはまだお会いしていないのですか?」
「貴女を呼んだお茶会の後は一度も。もう三か月になるかしら? そう言えば、最近は手紙も届かなくなっているわね。領地にでも帰っているのかしら。いつものお茶を持ってきてほしいのに」
ブレンダのボヤキを聞いて、シェリルは首を傾げた。
「侍女に言えば持ってきてくれるのでは?」
「ウォーレン様がドーソン伯爵領のお茶の味が嫌いで、わたしが飲むことを禁止されているのよ。本当に意地の悪い男だわ。だからこっそり差し入れてもらおうかと思っていて」
それほどいいお茶だったのだろうか。
前のお茶会では虫が入っていたし、すぐに体調を崩してしまったから味わうことがなかった。
今度リリカに分けてもらうようにお願いしようと心に決めた。