コーデリアの事情
失敗した。
コーデリアは自室を落ち着きなくうろつきながら、親指の爪を噛む。
頭の中には失敗したという事実だけがぐるぐると駆け巡り、次にどうしたらいいのか全く思い浮かばない。
なんとかしなければ。
二人の王子はコーデリアに勘違いをさせるような態度を見せない。ウォーレンの側室候補、もしくはオスニエルの正妃候補だと噂するのは事実に気が付けない愚か者だけだ。
周囲の勘違いをうまく利用し、信憑性のない噂を裏付けるような状況を作り出していた。
エルザに似た容姿を利用すれば、簡単なことだった。無責任な人間は沢山いるし、誰もが認めていたエルザを思い出させるだけで、シェリルよりも相応しいと言い出す。誘われる茶会に参加し、印象付けをし続けた。
ところが、ウォーレンはコーデリアを必要以上に近づけないし、オスニエルはシェリルを溺愛する姿を見せ付けることでコーデリアとの噂を消してしまった。
どうにもならない色々な思いを抱え切れずに、コーデリアはバルコニーに繋がる窓を開け、外に出る。
外はコーデリアの感情とは異なり、穏やかだ。夜に向かう柔らかな日差しはコーデリアの波立つ気持ちを少しだけ慰める。
大きく深呼吸して、現実を冷静に見つめた。
二人の王子が愛したエルザによく似た容貌をしているにも関わらず、やり方を失敗したのだ。
「どうしたら……」
コーデリアはもう一度大きく息を吐いた。落ち着かなくては次の手が打てない。
何度も何度もオスニエルとシェリルの寄りそう姿を繰り返し思い返していた。思い返すたびに、自分がひどく惨めでどうしようもない感情が溢れてくる。
オスニエルの言うように、コーデリアには魔力が少ない。貴族全体で見れば平均的であっても、高位貴族ではありえないほど保有率は低いものだ。
だが、ウォーレンの正妃であるブレンダはコーデリアと変わらぬ魔力であり、オスニエルの婚約者であるシェリルは王子と結婚するにはやや身分が低い。
魔力を抜きにして考えれば、コーデリアは王子の妃として十分な条件を揃えていた。しかも二人の王子が好む容姿も持っている。
徐々に距離を縮めればよかったのか。
焦らずにじっくりと時間をかけて気持ちを揺さぶっていけばよかったのか。
二人の王子を思い、否定するように首を左右に振った。性格の違う二人であったが、その程度の接触では意識すら向けない気がした。
思考がぐるぐるとし始めたころ、後ろから声がかかった。
「お嬢さま」
はっとして部屋の方へ顔を向ければ、侍女がそこに静かに立っていた。コーデリアはすぐさま顔に出ている表情を消した。
コーデリアはこの侍女がとても苦手だ。侍女としては優秀なのであろうが、輿入れにも付いてくるほどジュリアナを崇拝しており、コーデリアにしたら監視人と変わりがない。ジュリアナに王子達とうまくいっていないことを報告されるわけにはいかなかった。
「何かしら?」
「オールダム侯爵閣下がお見えです」
オールダム侯爵、と聞いてコーデリアは目をわずかに見張った。
「約束はしていないはずよ」
「はい。先触れもない訪問でございます」
「そう」
オールダム侯爵が何を伝えに来たのかは、想像ができた。王家からの注意が入ったのだろう。自信が揺らぎはじめた状態で冷静に対応できる気がしない。
ちらりと侍女を見れば、彼女はコーデリアの言葉を待っていた。断ることも考えたが、彼女にその理由を聞かれるのも憂鬱だ。
伯父と会うことと、この侍女に説明することを天秤にかけ、会うことにした。
「会うわ。支度を手伝ってちょうだい」
コーデリアは弱気になる気持ちを首を振って振り払ってから、部屋の中へと戻った。
◆◆
「伯父様、大変お待たせしました」
応接室に入れば、眉間にしわを寄せ気難しい顔をしたオールダム侯爵が長椅子に座って待っていた。それほど気難しい性格ではないはずなのだが、その顔を見てコーデリアは気持ちを引き締めた。
外出着よりも飾り気の少ないドレスを纏ったコーデリアを見て、彼は立ち上がる。
「先触れもなく訪問して申し訳なかった」
「いえ、それだけ重要なお話でしょうから」
コーデリアはにこりとほほ笑む。彼に座るように促してから、自分も向かいの席に腰を下ろした。
「単刀直入に言う。コーデリア、王族とこれ以上接触をするな」
「まあ、どうしてですか?」
「わかっているだろう。色々、やり過ぎた。これ以上は見過ごしておけない」
オールダム侯爵の苦虫を噛み潰したような表情を見ても、コーデリアは特に心を動かされなかった。不思議なものを見るような目で伯父を眺める。
「もうお気づきかと思いますが、わたくしの望みは王族との結婚です。伯父様は協力してくださらないの?」
「協力するわけがない」
「まあ! 放置しておいたのは協力してくださるからだと思っていました」
本当にそう思っていたので、驚いてしまう。コーデリアが目を丸くしたので、オールダム侯爵が唸った。
「お前の母の醜聞を覚えている人間も多い。まだ好意的に見られているうちに態度を改めろ」
「お母様の醜聞? 何のお話ですか?」
「まさか、知らないのか?」
素直に頷けば、オールダム侯爵は少しだけ逡巡した。コーデリアは嫌な予感がしながらも、伯父の言葉を待つ。
「お前の母であるジュリアナはすでに婚儀まで数か月である当時の王太子殿下、現在の陛下の寵愛を得ようと画策していた。そのことが明るみに出て、彼女は王都追放となった」
「王都追放」
驚くような内容に、コーデリアは唖然とした。
「そんな話、聞いたことがありません。それに、王都追放であるなら何故お父さまと結婚できたの?」
「ダンウィル辺境伯との結婚は監視を兼ねた温情だ」
「お母さま、一体何をしたのかしら……」
興味を惹かれて呟けば、オールダム侯爵は苦々しく笑った。
「お前と一緒だ。陛下への付きまといと、最終的には媚薬を盛ろうとしていた」
「そうだったのですか」
「自分こそが王族に相応しいと思っていたようだ。だからだろう。お前に王族との結婚を望むのは」
「わたくしが望んでいるとは思わないのですか?」
何故か、悔しい思いが込み上げてきた。王族に相応しくないと言われているようで、それは幼い頃から厳しい躾けをされてきたコーデリアのすべてを否定するものに思えた。
「ダンウィル辺境伯はジュリアナの考えに気が付いている。だから今回はお前だけをこちらによこして距離を作ったんだ」
どう捉えていいのかわからず、コーデリアは黙っていた。オールダム侯爵は姪の反応を逃さないように注意深く見守りながら、続けた。
「王族に纏わりつかなければ、しばらくの間は好きにさせるつもりであったが、そういうわけにもいかなくなった」
「わたくしを領地に戻すつもりですか?」
「いいや。領地には戻さない」
コーデリアは首を傾げた。領地に戻さないとなると、どういうことなのだろうか。
頭にふとよぎったのは修道院だ。この国の修道院には問題を起こした貴族夫人や令嬢を閉じ込めるために作られたものがいくつか存在する。辺境にあるらしいが、どの修道院も厳しいと聞いていた。
「わたくしは……幸せになりたかっただけなのに」
「幸せになりたいだけならば、オスニエル王子に纏わりつく必要ないだろうが」
ぽつりと零した本音に、冷淡な答えが返ってきた。
「だって、とてもキラキラして見えたから」
「何だと?」
理解できなかったのか、オールダム侯爵は聞き返した。
「ただ魔力が多くあるというだけで、何からも守られている。不公平だわ」
「……昔も聞いたことがあるセリフだな」
「お母さまが言っていたのかしら?」
コーデリアと同じ言葉を零すのは一人しかいない。コーデリアはずっとジュリアナの嘆きを聞いて育てられているのだ。オールダム侯爵はそれに返事をすることなく、空気を変えた。
「お前に縁談を用意した。婚姻式を済ませた後、相手の領地に行くことが決まった」
「縁談?」
予想していなかった言葉に、コーデリアは息を飲んだ。
「これは辺境伯の希望だ。これ以上、ジュリアナに引きずられる必要はない」
コーデリアはきつく手を握りしめ、高ぶる感情を抑えた。