オスニエルの告白
オスニエルは王妃のサロンから出てしばらくは無言だった。それでも手を繋いでいるので、特に居心地の悪さはない。そっと彼の手を握りしめると、オスニエルがこちらを向いた。
「義姉上がいるなんて思わなかったな。嫌なこと、言われなかったか?」
「わたしが迂闊なことを言って怒らせてしまったぐらい」
「迂闊なこと?」
「……魔力について」
言いにくそうに手短に言えば、オスニエルが納得したように頷いた。
「そうか。いつまでも避けてはいられないのだけどな」
王妃の毒のある言葉を思い返し、今さらながら胃が痛くなる。
「王妃殿下は王太子殿下によく似ていらっしゃるのね」
「母上の毒に当たったか?」
素直にシェリルは頷いた。オスニエルは小さく笑う。
「母上は見た目がとても優しげに見えるから、突然吐き出す毒に戸惑うだろう」
「でも、とても優しくしてもらいました」
シェリルはブレンダが来る前までの会話を思い出し、そう告げた。王妃としてというよりもオスニエルの母親として接してくれていた。
「気に入られて何よりだ」
「それなら嬉しいのですが」
シェリルは王妃との会話から一つ気になることを思い出した。
「そう言えば、わたしがオスニエル様に会ったのは王都での茶会だと言っていました」
「……」
声にならない面白いうめき声が聞こえた。オスニエルを見れば顔を俯けている。だがその耳はほんのわずかだが赤く染まっていた。
見たこともないほどの狼狽えように、王妃の言っていたことが本当だと確信した。思わず口元が緩るむ。
王都での茶会の記憶は朧気でしかない。それでもいくつかの印象的な出来事はあった。少ない思い出を辿りながら、一つだけ思い当たることがある。
「もしかして魔法を見せてくれたお兄さまですか?」
「覚えているのか!」
シェリルから見えないように俯いていた顔を上げ、まっすぐに視線が合う。シェリルは無表情ながら耳だけ赤い彼を見て、胸の奥がくすぐったくなった。
「はっきりとは覚えていないのですけど、先日、熱を出したときに少しだけ思い出して」
「はあああ。そうか、それでも覚えているなんて思っていなかった」
大きなため息をついて、顔を右手で覆う。滅多に見ない様子にシェリルは嬉しくなった。
二人であれこれと暢気な会話を交わしていると、先に歩いていた護衛が立ち止まった。オスニエルがシェリルの腰に腕を回して、ぴたりと寄りそう。普段の散策ではしない距離感に驚いた。
「オスニエル様?」
返事がないので、オスニエルの見ている方へと目を向ける。そこにはコーデリアがいた。後ろに控えている彼女の侍女がこちらに向かっていく主を必死に留めようとしていた。
だが彼女は制止を振り切り、こちらにやってくる。オスニエルの護衛が自然と彼女の前に立ちはだかった。
軽やかな薄いピンク色のドレスを着たコーデリアはオスニエルをじっと見つめて微笑んだ。
「オスニエル様、ごきげんよう。少しお時間、よろしいかしら?」
「断る」
オスニエルは感情の見せない声で一言言った。それだけで十分だったようで、護衛達が動き出す。許可なく近づいてきたら排除するつもりなのか、シェリルにも感じられるほど空気が張り詰めた。
その殺伐とした雰囲気に体が自然と強張った。初めて感じる緊張に、オスニエルを見た。彼は優しく目を細め、シェリルに歩くようにと促した。
「さあ、行こう。執務室の方にお茶を用意している」
「え、ええ」
コーデリアの刺すような眼差しに体が震えそうになったが、何とか気持ちを強く持つ。オスニエルに寄り添ってもらいながら、ゆっくりと足を動かした。
「そんなに毛嫌いしなくてもよろしいのに。わたくしがウォーレン様の側室にならなかったら、オスニエル様の正妃にはわたくしがなるのだから、もっと歩み寄ってもいいのではありませんか?」
周囲にも聞こえ渡るような声で告げられて、オスニエルはため息をついた。足を止めて、コーデリアの方へと視線を向けた。
「間違ってもあり得ない。もしシェリルと婚約していなかったとしても、条件を満たさない貴女が俺の婚約者として認められることはない」
「それはどうかしら?」
どこか自信ありげに微笑む。その大輪の花が咲いたような華やかさにシェリルは息を飲んだ。誰もを魅了するような笑みに、どうしても気持ちが萎縮してしまう。
オスニエルは苦々しい顔になった。
「もしエルザに似ているから条件など関係ないと思っているなら浅はかだ。幼なじみと同じ顔をした別の女を選ぶなんて、あり得ない。バカにしすぎだ」
「でもわたくし、よく似ているでしょう?」
「確かに顔は似ているだろうな。だがエルザはもっと一緒にいたいと思える性格の良さがあった。婚約者のいる俺にアプローチしてくることが間違っている」
オスニエルは言いたいことを言って、再び歩き始めた。コーデリアは唇を噛みしめる。握りしめた拳が震えていたのをシェリルは見逃さなかった。
「……その女のどこがいいというのよ」
「存在自体、全部。誰よりも愛している」
素っ気ない口調でとんでもないことを言われた。何度か咀嚼してようやく言われている意味が理解できた。
「えええ?!」
「……何故、シェリルが驚くんだ」
「だって、そんなこと一度も言ってくれなくて……」
「常に態度に示していたはずだが」
シェリルの驚きにオスニエルが拗ねたような顔をした。その表情もなかなか見られないもので、つい見惚れてしまう。
「オスニエル様は距離感が人よりも近いのかと」
「違う。ちょっと離宮に戻ろうか。話し合おう」
オスニエルが先ほどと違うことを言い始めて、シェリルは困ってしまった。
「執務室にお茶が用意してあると」
「行かないとわかれば適当に誰かが食べるだろう」
「でも」
「俺にはシェリルのその考えを改めさせることの方が重要だ」
オスニエルは動き始める前に、一度だけコーデリアを見た。
「エルザの従妹だから大目に見ていたが、今後一切、俺に近寄ることを禁止する。もし聞き入れないのなら、王城への立ち入り禁止も考えている」
コーデリアの反応を見ることなく、オスニエルは動き始めた。コーデリアももう引き留めようとはしなかった。
「あれでよかったの?」
「今日はシェリルと一緒だったから誤解されるような状況にならなかった。だからあの程度で済ませた」
「でも……コーデリア様に何も思わないの?」
どうしても気になってしまう。
コーデリアの武器はエルザに似た容姿だ。それは一定の効果を持っていて、ブレンダが言うようにオスニエルが婚約破棄をしてコーデリアを選ぶ可能性もあると考えている。愛していたエルザに似た女性が現れたら、気持ちを持っていかれてしまっても仕方がないとまで思っていた。
「一つ質問なんだが」
「はい」
「前の婚約者に似ていたからと言って、同じ顔を好きになるものなのか?」
「え、と?」
聞かれている意味が分からなくて、困惑する。
「シェリルは俺と今婚約しているが、俺が不慮の事故で死ぬ。その後、俺にそっくりの別の誰かがやってきたらそいつを好きになるものなのか?」
「……」
想像してみて、あり得ないと思ってしまった。シェリルが何を考えたのかわかったのか、オスニエルは満足そうに頷いた。
「見た目だけでは好きにはならないだろう?」
「そうですね。気になるかもしれませんが、どちらかと言えば差が見えてしまって、好きになれないかもしれません」
満点の答えだったのか、オスニエルの機嫌がよくなった。歩きながら少しだけ身をかがめると、額にキスをする。
「シェリル、好きだ。愛している」
「なぜ、今ここで?!」
いたって真面目な表情で言われて、思わず大きな声をあげてしまった。淑女らしからぬ声に、思わず両手で口を覆う。
「行動だけではダメだと理解した。だから、行動の後に言葉をちゃんと言うことにした」
「だからって、こんな場所で」
ぐるりとあたりを見回せば、こちらを興味深く見ている人々が沢山いて。
多分だが、コーデリアとのやり取りから見ていたのだと思う。優しい目が多いことがありがたかったが、それでも恥ずかしすぎた。
「ちゃんと俺の思っていることだ。嘘偽りはない」
「そこは疑っていません。ただ、恥ずかしくて……」
「そうか? こういうのは秘めた方がいいのだろうが、今は誤解される方が嫌だ。ちゃんと俺はシェリルを愛していると知ってもらいたい」
言いたいことはよくわかるけど。
シェリルはオスニエルの腕に抱きつくようにして、真っ赤になった自分の顔を隠した。