王太子妃の要望
しばらくの静寂のあと、王妃が穏やかな様子でブレンダに座るようにと椅子を勧める。彼女の前にお茶が用意されたのを見届けてから、質問した。
「それは本当なの?」
「はい。まだ不安定な時期のようですけど、侍医がしっかりと確認しております」
「まあ、おめでとう! 色々と準備をしなければいけないわね」
王妃は心から喜びを表すと気の早いことを口にする。ブレンダはその様子を見て、嬉しそうに微笑んだ。
「王妃殿下に一つお願いが」
「何かしら?」
「ウォーレン様に纏わりついているダンウィル辺境伯令嬢を出入り禁止にしてくださいませ」
露骨な要望にシェリルは驚いてしまった。驚いたのは王妃も同じだったらしく、目を何度も瞬いている。
「できなくはないけれど……」
「わざとエルザ嬢に似せて登城してくる彼女ですもの。何を仕掛けてくるかわかりませんわ」
王妃もそのことを知っているのか、頬に手を当てため息をついた。
「まだ会っていないのだけど、よく似ているというのは本当なのね」
「ええ。それに彼女の方もかなり不愉快なことになっていると思いますわ」
ブレンダはちらりとシェリルを見る。傍観者として眺めていたシェリルは口元をひきつらせた。
「いえ、わたしは」
「正直に言ってもいいのよ。大体婚約者のいる男性に公の場所で抱きつくなんてあっていいわけないでしょう?」
「抱きつく、ですか?」
「そうよ、知らないの? 何度も何度も抱きつくから、最近オスニエル殿下は護衛を周囲に置いているそうよ。実際はどうであれ、まるでエルザ嬢と一緒にいるように見えるわ」
確かにオスニエルはコーデリアの行動には苛立っていたがそこまで露骨だとは知らなかった。知っているつもりだったが、他人から聞かされた二人の様子にすっかり鳴りを潜めていた不安が大きくなる。
王妃がブレンダをじっと見つめ、静かに訊ねた。
「他には?」
「……毎日のようにウォーレン様の執務室へ訪れています」
王妃は頭が痛そうにこめかみを揉んだ。ブレンダは感情を押さえながら、さらに続ける。
「それだけではありません。夜会のたびにダンスを踊っています。こちらが注意をしても、ウォーレン様は彼女が側室になることはないのだから気にしなくていいと言うばかりで」
王妃は大きくため息をついた。
「ウォーレンにも困ったものね。邪推する人間がでてくるでしょうに」
「もうすでに彼女は側室になるのではないかと噂されていますし、小さいですが派閥ができつつありますわ」
「ちょっと待って。彼女の狙いが側室なのよね? それなのにオスニエルとも距離を縮めているの?」
王妃が視線を侍女と共に壁際で控えている侍従に向けた。
「どうなっているの?」
「おっしゃる通り、両殿下と距離を縮めているようでございます」
言葉短く肯定されて、王妃は頭を抱えた。
「なんてことなの。ウォーレンはこうなることをわかっていてやっているわね」
王妃の嘆きに、シェリルは納得してしまった。何を狙っているかはわからないが、確実にこの状況を作り出しているのはウォーレンだ。巻き込まれたくないのに、ものすごく巻き込まれている気がする。
「ですから、彼女を登城禁止にしてもらいたいのです」
「そう思うのも仕方がないわね。その件についてはわたくしが何とかしましょう。それにしてもコーデリア嬢のやっていることがジュリアナと変わらないなんて残念だわ」
「ジュリアナ……どなたですの?」
聞いたことのない名前が挙がって、ブレンダが質問する。王妃はカップを手に取ると、一口飲んだ。
「コーデリア嬢の母親よ。彼女は劣等感の塊でね、クラーラ、つまりエルザの母親と張り合っていて、当時、王太子だった陛下に付き纏っていたの」
「張り合うことが、どうして陛下に付き纏いに?」
関係性がわからなかったのか、ブレンダが不思議そうに聞いた。王妃は当時を思い出したのか、わずかに目を細めた。
「クラーラの婚約者が侯爵だったから、それ以上の身分の婚約者が欲しかったのよ。当時、どの公爵家にも幼い子どもしかいなかったから、狙うとしたら王太子しかいない」
「まだ王妃殿下は婚約していなかったのですか?」
シェリルの問いに、王妃が楽し気に笑った。
「もちろんしていたわよ。婚儀まで半年の時期だったの。あまりにも露骨すぎて、変な噂が立ってしまってね。収めるのが大変なほど騒動になったわ。厳重注意をされて、ジュリアナはダンウィル辺境伯の後妻として嫁ぐことが決まったのよね」
「嫁入りするにあたって、魔力は少なくても問題はなかったのでしょうか?」
魔力が少ないとの言葉にブレンダが反応した。忌々しそうな視線が向けられる。
「落ち着きなさい。魔力が少ないことは事実なのだから」
「わかっております」
絞り出すように声を出しているので、その心境は察することができた。シェリルは自分の失言に体を小さくした。
「本当かしら? この程度で悋気を出すのなら、王太子妃なんてやめてしまえばいいわ。適当に離縁の理由でもでっち上げて、さっさと出ていきなさい」
ブレンダの気持ちを汲むことなく、さらりと王妃が毒を吐いた。その強すぎる毒にシェリルが息を呑む。流石のブレンダもこの言葉に顔色を青くした。
「お言葉ですが」
「妊娠したことを喜んでいるばかりではいられないわ。もっと鷹揚に構えなさい。生まれた子供に魔力があろうともなかろうとも、攻撃されるのは目に見えているのだから。今まで味方を作ってこなかったツケを払うことになるでしょう」
当然のように話す王妃にシェリルは恐ろしさを感じた。これが王族なのかと目の当たりにして体が震えそうになる。
ブレンダは反論できないのか、唇を噛みしめた。ヒヤリとした空気にシェリルの胃が痛みだす。
いたたまれなくて、この場から逃げたくなる。シェリルはもっと社交力を身につけないといけないと、改めて思い知った。
「シェリル、先ほどの質問だけど。辺境伯にはすでに前妻が産んだ跡取りがいたのよ」
「そうでしたか」
「さて、そろそろお開きにしましょうか」
重苦しい空気をものともせずに、王妃は終わりを告げた。ブレンダもどこかほっとした顔をする。
「シェリルはもう少し残っていたらいいわ。オスニエルが迎えに来る予定だから」
「わかりました」
迎えに来ると聞いていなかったシェリルは驚きながらも、嬉しくなる。
「貴女はいいわね」
ブレンダがぽつりと呟いた。その声にシェリルがブレンダを見る。
「どうしてでしょうか?」
「誰もが望むほどの魔力がある。わたしがいくら欲しいと願っても手に入らないものだわ」
聞きようによっては素直な、そしてシェリルに言われてもどうしようもないことに何を返せばいいのか、わからない。ブレンダの言葉に反応したのは王妃だった。
「いい加減になさい。そういうところがダメだと言っているのよ。シェリルが羨ましいなんて思う方がどうかしているわ」
「彼女が王族に望まれるほどの魔力を持っているのは事実です」
「どうしてそういう発想になるのかしら。今は動けているけれども、シェリルは半年前は自分で起きていられないほど寝たきりですよ。そんな状態が羨ましい?」
ブレンダは何も言い返さず、王妃から目をそらした。王妃は気にすることなく、お茶のお代わりを侍女に頼んだ。
「オスニエル殿下がお見えになりました」
侍従がそう告げる。シェリルはほっとしながら、顔を入口に向けた。
「……母上、またいらぬことを」
席に着いているブレンダを見て、オスニエルは唸った。さっとシェリルに視線を走らせる。あからさまな行動に王妃が眉を寄せた。
「貴方が結婚してもいいと選んだ令嬢ですもの、意地悪なんてしないわよ」
「では、何故?」
「たまたまね」
確かにたまたまなので、オスニエルに頷いた。彼はため息をつくと、シェリルに手を差し出す。
「帰るぞ」
「わかりました」
差し出された手を取り、立ち上がる。ようやくここから退出できると、緊張が緩み始める。
「ブレンダが懐妊したわ」
「は?」
「色々とよろしく頼むわね」
オスニエルは信じられないと言った目を王妃に向け、それから無表情にブレンダへと視線を動かした。ブレンダはどこか得意気な笑みを浮かべている。
「本当よ。きちんと侍医に見てもらったわ」
「……おめでとうございます」
オスニエルはそれだけ告げると、シェリルを連れてサロンから立ち去った。